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01

 戦いは凄絶を極めた――

 と言いたいところだが、ただの人間である私の動体視力には限界があった。

 やはりと言うべきか、何と言うべきか。

 いや、はっきり言おう。

 ロウ達の動きが速すぎて、何が起きているのかさっぱりわからなかった。

 ただ見えたのは――二色の稲妻。

 強く速い〝深緑〟の雷光が、一条。

 怒濤のごとき〝赤黒い〟稲光が、幾本も。

 それらが縦横無尽に、それこそ床も天井も壁も関係なく飛び交い、激突する。

 轟音。

 爆音。

 破砕音。

 嵐のようだ、という形容すら生温い。

 破壊が吹き荒れていた。

 周辺にある木製のラックや、培養槽のガラスが立て続けに砕かれていく。床もそこら中に穴が空き、破片が宙を舞う。露わになったそこには、しっかりと普通の床があり、これまで目にしていたのは単なる木製タイルでしかないことが判明した。ロウが言っていた通り外側を木で覆っているだけで、本来は現代的な空間だったのだ、ここは。

 前後左右も関係なく破壊の竜巻が荒れ狂い、しかし私の周辺にだけは何も来ない。

 守られている――そう思った。確証などなかったが、それでもロウが私に累が及ばないよう立ち回っていることが、不思議と確信できた。

 私を台風の目とした破砕と崩壊の嵐は、時を経るごとに激化の一途を辿り、周囲にあるもの全てを粉々にしていく。ガラスの培養槽が次々に打ち砕かれ、中の実験体がまろび出てくる。高城の操作を受けていないものは、もう動くことが出来ない個体なのだろう。微動だにせず、静かに転がったままだった。

 しばしの間、私は目の前で繰り広げられる異次元の激闘に魅入られ、口を開けたまま呆然としていた。

 しかしながら、人間の目と精神とは不思議なもので、黙ってじっと見ていると徐々に彼らの動きが見て取れるようになってくる。単純に目が慣れたのか、あるいは――私の中に流れる『人外』の血がそうさせたのか。

 知覚できるようになった途端、ロウの戦い振りの凄まじさがありありとわかった。

「おおらよっ――と!」

 踏み込んだ足はそれだけで木の床を砕き、足元を爆発させる。その反動は全て瞬発力へと変換され、大砲で撃ち出されたような勢いで巨体が宙を飛んだ。

 その先にいるのは『獣化』した黒服の一人――ドーベルマンのような頭をした奴だ。赤黒い光線が走るパワードスーツを着たそいつが手に持つのは、銀色に煌めくナイフ。金属が弱点であることを見越したチョイスだろう。確かにロウ相手には、下手な銃より金属製のナイフの方がよほど脅威になろう。

「――!」

 コマ落としのように肉薄したロウに対し、ドーベルマンは研ぎ澄まされた必要最小限の動きでナイフを突き込んだ。私から見ても見事な動き。

 だが甘い。

 ドーベルマンの動きは()()()すぎた。だからロウに読まれていたのだ。

 真っ直ぐ突っ込んできたロウの体が、嘘のように下へ沈んだ。膝がつくほど身を低くして、突き込まれたナイフの刃を紙一重で躱す。髪の毛一本ほどの傷がロウの頬に刻まれた。

 武装を金属製のナイフにしたのはよい判断だったが、しかしそれも()()()()の話である。

 当たらなければ銃もナイフも等しく意味がない。

 ロウの右拳が床を擦るような軌道を経て、飛燕のごときアッパーカットへと変貌した。

「グルルァァ――!?」

 ドーベルマンの口から悲鳴にも似た鳴き声が生まれる。奴の顎下を砕こうとしていたロウの拳は、しかし苦し紛れの回避行動によって狙いをはずされ、ドーベルマンの左肩あたりを強打した。

「ゴァ――!?」

 ロウの拳が直撃した部分が大きく爆ぜる。あまりの破壊力にパワードスーツとドーベルマンの肉体が耐えきれなかったのだ。赤黒く光る血液が、握り潰したトマトの実のように飛び散った。

 ヒュー、というのはロウが鳴らした口笛だっただろうか。上手く躱したねぇ、とでも言いたげな顔で追撃を仕掛ける。アッパーで振り切った腕を戻すことなく、むしろその勢いに引かれるようにして一回転。いわゆる『サマーソルトキック』なるものをぶちかます。

 が、大技すぎた。きつい一発を喰らったドーベルマンは当然ながら距離を取るため、後方へ飛んでいたのだ。ゴツいアーミーブーツがくうを切り、恐ろしい風切り音を響かせる。

 しかしながらロウの『サマーソルトキック』はめちゃくちゃにコンパクトだった。身を丸く縮めて素早く宙返りをした巨体が、飛び退いたドーベルマンよりも早く着地する。

 再び、ズドン、と。

 馬鹿げた瞬発力でミサイルのごときタックルが発射された。

「ガ――!?」

 犬面であってもドーベルマンが愕然とするのが傍目にわかった。私の位置から見ても、ロウのタックルは『動く影』と思うほど素早く、そして位置が低かった。

 ドーベルマンの膝から下が、あっさりとロウの両腕に捕まる。

「つーかまーえたっ、とぉ!」

 あんな這うような姿勢からどうやって立て直したのか、ロウが身を起こしざまドーベルマンの両足を勢いよく持ち上げた。動きがあまりに速すぎてグローブみたいな両手がドーベルマンの足首をしっかと掴んでいたことに、この時になってようやく気付く。

「――ッ!?」

 山の猟師が使う『くくり罠』というものがある。ワイヤーやロープなどで獲物の足を捕まえ、場合によっては高い位置へと釣り上げて逃げられなくする罠だ。今のドーベルマンが、まさにそれに嵌まった状態であった。

 足元を掬われて一度は床で後頭部をしたたかに打ち、さらに持ち上げられて逆さになった状態で宙に浮く。

 無論、それだけで終わらせるロウではない。

 次なる光景は、既に目を疑うような状況でありながら、さらにその上をいくものだった。

「おらおらおらおらおらぁっ!!」

 叩き付ける。叩き付ける。叩き付ける。

 ドーベルマンは決して小柄ではない。ロウほどではないにせよ、私よりも大きく、そして筋肉の塊だ。それを、ロウはマネキンか何かのように何度も床に叩き付けていた。木板の破片が逆巻く瀑布ばくふがごとき勢いで飛び散っていく。

「どっせぇぇぇぇいっ!!」

 思うさまドーベルマンの体を叩き付けると、今度は横向きのベクトルが加えられ、なんとジャイアントスイングへと移行した。竜巻よろしく高速回転して、そのまま培養槽の列へと突っ込む。

 激音の大重奏。

 ドーベルマンの体をハンマーのように振り回すロウは、周囲の培養槽のことごとくをぶち壊し、最後には仲間の黒服らにめがけて放り投げた。

「「「――!?」」」

 グッタリして〝SEAL〟の赤黒い光も絶えたドーベルマンの体が、ブーメランみたいに飛んだ。他の獣人らに勢いよく激突し、ドミノ倒しのごとく一斉に転倒する。

 そこで一区切りかと思いきや、

「よーそろー、ってな!」

 掛け声の意味は今ひとつわからないが、ロウがまたしても瞬間移動みたいな踏み込みで飛び出し、まとめて倒れた獣人達のすぐ近くに着地した。

 その瞬間、ロウの体勢がどう見てもプロサッカー選手のそれだった。

 何が起こったかなど言わずもがなではあるが、一応言っておこう。

 シュートである。

 ドーベルマンをぶつけられて転倒した三人の黒服――それぞれ虎、ライオン、サイの頭を持つ獣人だった――の体を、ロウがサッカーボールよろしく蹴っ飛ばしたのだ。

 およそ人間大の、それも鍛え込まれた男性の肉体とは思えないほど勢いよく吹っ飛んだ。それぞれ別方向に向かってシュートされた獣人らは、各々の方角にあった培養槽や機械に激突、巻き込み、破壊を撒き散らして突き進んでいく。

「しゃあっ!」

 何故かゴールネットを揺らしたサッカー少年よろしくガッツポーズを取るロウ。

 私は唖然とするしかなかった。これまで目で追えていなかった間も、こんなメチャクチャな戦い方をしていたらしい。道理で見る見るうちに、全方位のあちこちが壊れていくわけだ。これでは戦闘というより、単にロウが暴れ回っているだけである。

 なるほど、木島の殺されていた廃工場が荒れていたわけだ――と納得した。あの場でロウ達と、木島殺しの高城との戦いがあったのだろうが、その際の様子がありありと目に浮かぶようだ。

 だが当然、黒服も黙ってやられているだけではない。身体能力においては、種々様々な『獣人』に変貌した彼らも引けを取っていない。今もひぐまにも似た一際大きな奴が、ロウと同じく爆発的な瞬発力で急接近してきたところだ。

 廃工場で相まみえたクマモドキと同様、体格はロウを凌駕するヒグマモドキ。ウェットスーツに似たパワードスーツははち切れんばかりに膨れ上がり、しかし表面を走る赤黒い光線は誰よりも強く輝いている。

「ゴオァアアアアアアアアアアァ――――――――ッッ!!」

 毛むくじゃらの太い腕を振りかぶり、ヒグマが両手に握っているのは鈍色の金属棒。太めのバットのような形状で、要は棍棒であった。

「ほいよっ!」

 背後からの奇襲に対し、しかしロウは神速の反応を見せた。ガッツポーズがそのまま戦いの構えとなり、体の前後が魔法のように一瞬で裏返る。

 その瞬間、ヒグマが大上段に構えた金棒かなぼうを勢いよく振り落とした。

 断言できる。私なら即座にミンチになっていたはずだ。元が何だったのかわからない程、細かい肉片になっていたに違いない。

 だが、ロウは私のようなか弱い人間ではなかった。

「おお――りゃっ!!」

 残像を引くほどの豪速で振り下ろされた金棒が、直後、宙の一点で凍り付いたにピタリと止まった。

「ガ――!?」

 真剣白刃取り――太い棍棒に対して使っていい表現かどうかわからないが、ともかくロウがやってのけた芸当とはそういうものだった。

「う、そ……」

 思わず呟きが漏れ出た。柔よく剛を制するとはよく言ったもので、ロウの力の()()()()は溜め息が出るほど見事だった。振り下ろされる棍棒を両手で挟み取る反応速度、正確さもさることながら、あのヒグマの巨躯から生まれる打ち下ろしの破壊力を、膝を屈伸させて全身で受け流し、完璧に吸収してのけたのだから。

 だが、

「――あーちゃちゃちゃちゃちゃチャチャッッ!?」

 感動したのも束の間、金棒を受け止めたロウの両手から肉の焼けるような音と白い煙が生まれ、なんとも間抜けな悲鳴が上がる。

 慌てた様子でロウが後ろへ飛んで、ヒグマとの間合いを離した。その様もどこか間抜けなカエルじみていて、さっきまでの格好良さがすっかりかすんでしまう。

 なるほど、鹿角がいつも『指ぬきグローブをやめろ』とロウに言っているらしいが、その理由がわかった。こういう時に()()()()からだ。

「ちっくしょー! なんだよ、お前らだけ銀製の武器を使うとか卑怯だぞ! 男なら正々堂々、ステゴロで真っ向勝負しろってーの!」

 戦闘が始まる直前、多勢に無勢な状況なのに舌なめずりしていた人間――いや、人間ではないだろうが――が言うセリフではなかった。

 と、そんな風に余計なことをしていると、

「ァァァァアアアアアア――!」

「オオオオオオオオオオオオオオ――!」

「ゥゥゥウウウォォオオオオオァァァアアアアアアア――!」

 黒服らとは比べものにならない遅さではあるが、複数の実験体が四方からロウに襲いかかってきた。

 どいつもこいつも得体の知れない形状をしていて、正体が全くわからない。ただ敵意だけは持っているらしく、手や足の爪、口に生えた牙などを武器として押し寄せてくる。まさしくゾンビのように。

 しかし。

「――……!」

 途端、ロウの纏う雰囲気がガラリと変化した。

 先程までのが『動』だとすれば、いま変わったのは『静』――心なしか、全身に浮かび上がる深緑の光すら、すっと白刃のごとく研ぎ澄まされたかのようだ。

 悪いな、とサングラスの下で唇が動いた気がした。

 刹那、ロウの姿が閃光となって掻き消える。

「――っ……!?」

 息を呑む。実際にはロウが今の私の動体視力ですら追い付かない速度で動いただけなのだが、せっかく追い付いたのに更にギアを上げるものだから愕然としてしまった。

 パパパパン、と風船が破裂するような音が連続して聞こえる。何の音かと思えば、それはロウに群がった実験体達の頭部が爆ぜる音だったのだ。

 血飛沫が赤い花弁のごとく狂い咲く。

 一撃必殺――おそらく、一瞬にして頭を失った実験体らは何が起こったかすら認識していなかっただろう。ロウは容赦なく、しかし恐怖も痛みも感じる暇すら与えず、実験体の群れを瞬殺したのだ。

 一見すると無慈悲な行為のようにも思えるが、しかし、私はそれをロウなりの慈悲だと認識した。彼は警備役の黒服達を相手取る時とは違い、実験体に対しては一切()()()()()()。既に魂を失った、元はホームレスだった彼らの肉体を供養するため、本気でほふったのだ。

 たとえ理性を失っていようとも、無駄な苦痛を与えないために。それ故の、一撃必殺なのだ。

「いやはや、強いですね。これは正直、想像以上です」

「なっ……!?」

 思いがけず近くから高城の声が聞こえてきて、私は口から心臓が飛び出るほど驚いた。

 いつの間に近付いてきたのか、背後を振り返ると、そこに高城が悠然と立っていた。どういう経路を辿ってか、わざわざ私の後方へ移動したらしい。

「アンタ……!」

 反射的に身構える。つくづく今日は銃を携行していないことが悔やまれた。無論、私が謹慎中であるところを高城が狙ったからなのだが。

「僕とやった時は遊んでいる風でしたから、底が見えないな、とは思っていたんですけどね。よもやこれ程とは」

 私を真っ直ぐ見つめたままの高城は、皮膚にもパワードスーツにも赤黒い〝SEAL〟の幾何学模様を浮かび上がらせている。赤黒い輝きはその瞳にまで及んでおり、彼が私の顔を見つつも、スキンコンピュータで天井の至る所に配された監視カメラの映像を覗き見しているであろうことが察せられた。

 そうだ、高城は一度、あの馬鹿げた強さを見せつけるロウと戦ったことがあるのだ。あの怪力とハイレベルな格闘センスを持つロウと一戦交えて、今なお生きている――即ち、高城も同等かそれ以上の実力を有していることになる。

「でも、そう簡単には行きませんよ。今回は最新型の〝ルナティック〟を使わせましたからね。ほら、見てください」

 高城が手で示す方角に、反射的に視線を向けてしまった。

 そこには、先程ロウにジャイアントスイングでぶん投げられたドーベルマンが転がっている。既述のようにパワードスーツに浮かんでいた赤黒い光は消え、ぐったりと倒れ伏しているが――

「まだ動きますよ」

 そう高城が告げた途端だった。まるで彼の声が聞こえたかのように、ドーベルマンのパワードスーツに再び赤黒の輝きが灯った。

 動き出す。

「傷が……!?」

 唸る他なかった。床に手をついて立ち上がろうとするドーベルマンの、ロウの拳によって肉が弾け飛んだ肩の傷が、信じられない速度で塞がっていくのだ。

「ええ、短時間で肉体をあそこまで変化させることが出来るんです。その気になれば、傷の再生など造作もないことですよ」

 ふふふ、と高城は自慢げに笑う。肩の傷が完全に癒えたドーベルマンは、獰猛な唸り声を上げて戦線に復帰していく。稲妻のように駆け出し、ロウのいる方へと突っ込んで行った。

「まさか……」

 と思い、今度はサッカーボールよろしく蹴っ飛ばされた獣人達の方を見る。そのまさかだった。私の見ている前で瓦礫の山が盛り上がり、虎、ライオン、サイの獣人が立ち上がった。私の見る限り、彼らはどこも損傷しておらず、ダメージを受けているようにも見えない。ドーベルマンと同様、三体の獣人も再び赤黒い雷光と化してロウに躍りかかっていった。

「さて、いつまでちますかね? 多勢に無勢、いくら体力があろうとも、持久戦に持ち込めばこちらが有利なのは確実です。ああ、もう一人がここに駆けつけたところで『焼け石に水』というものですよ。一人が二人になったところで、大勢は変わりません」

 くつくつと笑って高城は勝ち誇る。自らが薬を打って戦いに加わらないのはその必要がないからだ、とでも言うかのように。

「そんな……」

 あれだけ痛めつけられてもなお立ち上がるのなら、実質的に無尽蔵の戦力が存在するに等しいではないか。ロウは実験体については殺すしかないと言っていた。殺してやるのが情けだとも。しかし、廃工場でのクマモドキを始め、それ以外には決して殺意を見せていない。殺さないのか、殺してはいけないのか、それは私にはわからないが。

 殺さない限り高城側の戦力が減ることはない。となれば、このままではジリ貧になるだろうことは敢えて口に出すまでもなかった。

「さて、降参してください、西尾さん」

「は……?」

 話の流れを無視して、高城は私に降伏勧告をしてきた。顔にうすら笑いを張り付けて、

「もう趨勢は決しました。わかるでしょう? 言い方が難しかったのであれば、チェックメイトだと言った方がいいですかね? それとも、王手詰み?」

 小馬鹿にするように言うので、私の反発心に火が点いた。

「ふざけないで。誰が降参なんて」

 論外だ、と私は決然と否定する。ゆっくりと身構えながら、決して諦めはしないと決意を示す。

 はぁ、と高城はこれみよがしに溜め息を吐いた。

「やはりですか。その気高さは、西尾さん、あなたの美点の一つではありますが……」

 物憂げに首を横に振る高城の顔、そこに眼鏡がないことに今更ながら気付いた。改めてよく見てみれば、前髪も上げて額を晒している。服装があまりにも様変わりしていたので、些細な部分にまでは意識が及んでいなかったのだ。

 口では何だかんだ言いつつも、自らが戦わなければならない予測だけはしっかり立てていたのだろう。そう思えば、今の高城はどう見ても臨戦態勢そのものであった。

「今はただ、面倒なだけですね。強情を張るのもいい加減にしてください。もう無駄なんですよ。どうしてわからないんですか?」

 むしろ哀れみさえ込めて私を見つめてくる赤い瞳に、私はどう言われようとも縦に振る首を持たなかった。

「あんな風に冷たいガラス瓶に入れられる未来が見えているっていうのに、むざむざと降参なんてすると思う?」

「ああ、そのことですか。それなら安心してください」

 冷たい眼差しを向けて問い返したところ、あは、と高城は朗らかに微笑んだ。

「だから言ったじゃないですか。僕と一緒に来るとさえ言ってくれれば、あなたを殺さずに済む、と。大丈夫、妙案があるんです」

 片手の人差し指をピンと立て、片目を瞑り、茶目っ気たっぷりに高城は言う。

「妙案……?」

 ロウと黒服、および実験体との戦闘音が鳴り響く最中、その場の空気にそぐわない雰囲気を醸し出す高城に、私はつい聞き返してしまった。

 無論、最終的にはそのことを後悔する羽目になるのだが。

「『ニュクス』――つまり『夜の一族』が求めているのは、あなたの中にある〝無変異種イミューン〟の因子だけです。より正確に言えば、〝無変異種イミューン〟の因子を持つ者であれば()()()()()()()()()

 突然の掌返しに、私は戸惑う。『私が必要』から『私の中の因子が必要』へと変化した要求に、なんと答えればよいものかわからなくなる。まさか、血液だけ提供すればいい、という話でもなかろうに。

「ええ、そうです。そうなんですよ。なにも西尾さんが彼らのために犠牲になる必要なんてないんです。要は()()()()()()()()()()()がいればいいわけですから」

 向日葵ひまわりのようにニコニコとした顔で言われる言葉に、しかし私は不穏な気配しか感じられない。

 言うまでもなく、私は天涯孤独の身だ。両親は既になく、施設に送られたことを考えると祖父母や親戚筋もおそらくいない。だからこそ私を、高城および『ニュクス』は付け狙い、ロウ達は陰ながら守護してきたはずだ。

 なら、高城の言う『私と同じ血筋の人間』とは――

「ええ、『夜の一族』はその名の通り、悠久の夜をく者です。これまで何百、何千年と自らの弱点を克服するために足掻いてきたのですから、そこにたかだか一年や二年が追加されたところで、きっと余裕で待てることでしょう」

 高城の唇の両端がつり上がっていく。やがて三日月のような笑みを見せた彼は、仄かに赤黒く光る瞳に劣情を宿して、私を見た。

「そう――つまり西尾さんの()()でもいいんですよ。だから、僕と子供を作りましょう? そうすれば、あなたは死なずに済みます。『夜の一族』だって長年の悲願が成就されますし、まさに一石二鳥じゃあないですか。さらに言えば、偉大なる功績には相応の報酬がもたらされるはずです。僕達の未来は安泰ですよ? 最高じゃないですか」

 ナイスアイディアでしょう? とでも言いたげな様子で高城は言う。その満面の笑みは、彼の抱く自信をそのまま表しているのだろう。そう――本気で、心の底から、それが最善だと信じ切っているのだ、高城は。

 驚いたなんてものではない。

 本当に信じられない。

 まったく思いも寄らなかった。

 こんな下種な発想をする人間が、この世にいただなんて。

 良くも悪くも、私の頭の中は真っ白になった。

 だからこそ次なる言葉は、私の心の底から湧き上がってきた――掛け値なし、混じりっ気なしの本音でしかなかった。

「――最っっっ低ッッッ!!!」

 パァン! と乾いた音と共に、高城の顔が左に跳ねた。

 自分が平手打ちをぶちかましたのだ、と気付いたのはその後だ。考えるよりも速く、体が勝手に動いていた。

 女だてらに鍛えている私の、全力全開の平手打ちである。流石の高城も軽くよろめき、顔の向きを変えて硬直した。

「――ッ……!? え……えっ?」

 片手で頬を押さえ、何が起こったのか理解できないでいるような声を漏らす。〝SEAL〟の赤黒い光も、高城の精神状態を示すように不安定な明滅を繰り返し始めた。

「誰がアンタみたいなクソ野郎と子作りなんかするか! 死んでもごめんよ! その腐った性根をまるっと入れ替えてから一昨日おととい来やがれってぇのよッ! ばぁか!!」

 自分で言うのも何だが、高城は私の逆鱗に触れたのである。思わず、普段は使わないような罵倒が口から飛び出した。

「西尾、さん……?」

 殴られた頬を手で押さえながら、呆然と私を見つめる高城。またぞろ捨てられた犬みたいな顔をしているが、今度はまったく心が痛まなかった。

「そんな、違います、西尾さん……誤解なんです、聞いてください、僕は――」

「聞かない聞きたくないもう黙って! アンタの話なんてこれ以上聞きたくないの! っていうか何が誤解よ! この状況で子作りなんて言い出したのは他でもないアンタでしょうが!」

 怒り心頭に発している私に、高城の言葉を聞く耳などなかった。彼の言い訳を怒声で叩き潰し、さらに畳み掛ける。

「たとえ何があっても、それこそ殺されようが世界が終わろうが、あたしは絶対にアンタの思い通りなんかにはならない! 何でもかんでも自分のわがままが通ると思ったら大間違いよ! この世間知らずのガキ頭! これじゃアンタが殺したあっくんの方がよっぽど大人だったわよ! 恥を知りなさい!」

 廃工場からこっち、高城には言われ放題だった反動だろうか。自分でも驚くほどスラスラと、腹の底から彼に叩き付ける言葉が溢れ出てきた。

「な、なら――ならこうしましょう! 子供の話はいったん忘れてください。でも、たとえ西尾さんが怪物のような姿になろうとも、僕ならあなたを心から愛して――」

 必死に、それこそ死に物狂いで失敗を取り繕うとした高城に、私は一転して抑揚のない冷たい声で、ゆっくりと告げた。

「もう一発、殴られたいの?」

 高城の舌が凍り付いたように停止する。

 よりにもよって、子作りの代案に出すのがそれか――と。

 たとえ怪物のようになっても愛する? それはつまり、私がここの培養槽に入り、実験体と同じような姿になることが大前提ではないか。

「話にならないわ」

 もはや怒りを通り越して、呆れの感情しかなかった。先程はまるで理解のできない高城の思考に恐怖すら覚えたものだが、今となってはそれもない。彼の考えはまったく理解できないままだが、高城は自分本位でしかない、ということだけは嫌と言うほどよくわかった。

 畢竟ひっきょう、高城は自分のことしか考えていない。私という存在を手中に収める――それしか頭にないのだ。だから先程のような支離滅裂な話ばかりが出てくる。

「で、では……僕は一体、どうすれば……」

 今更のように、高城が悩み始めた。苦しげに顔を歪め、頬を押さえていた手で口元を覆う。

 これだ。高城は私のことを思いやっているように()()()()()()()()()で、結局のところ、自分の欲望を最優先にしているだけなのだ。

 だから高城の思い浮かべる選択肢に『ニュクスを裏切る』はない。ロウ達のように私を守護し、『夜の一族』の魔の手を阻む――そんな可能性は一切考慮されない。何故なら、『ニュクス』の側について裏世界の栄華を謳歌する――それが彼の一番の目的だから。そのためには必ず、『夜の一族』の悲願を成就させなければならないから。

 だからこそ、そこを崩す選択肢は、高城の中には決して生まれないのだ。

「教えてください、西尾さん……どうすれば、あなたは僕と一緒に来てくれるんですか……?」

 挙げ句の果て、高城の口から出た質問がそれだった。もはや幼子並みの精神性である。私に直接聞くしか、他に方法が思い付かなかったのだ。

 当然ながら、私に答えるつもりはなかったが――

「いけないなぁ、間男くん。騎士のいない間に姫に近付くなんて――なぁ!」

 深緑の稲妻が瞬く間に近付いてきたかと思うと、そのまま私と高城との間に割り込んできた。

「……っ!?」

 咄嗟に高城が飛び退く。電撃的な反応速度だ。獣人に変身してもいないのに、高城の身体能力は黒服らと比べても群を抜いている。

 直後、落雷にも似た轟音が鳴り響き、私のすぐ前方の床が大きく爆ぜた。

 そうして、私の前に圧倒的な存在感を持つ、大きな背中が現れる。

「てゆーか今ガチで振られてなかった? 殴られてなかった? 大失恋じゃね? やーいバーカあほ間抜けー」

 体中から深緑の輝きを放つ巨漢が、けれど緊迫感も何もない発言をして、色々と台無しにした。子供か、お前も。

「間男はどちらですか。本当にいつもいつもいつもいつも、肝心な時に邪魔をしてくれますねぇ……!」

 これまではどこか余裕を持って飄々としていた高城の顔が、明確な憎悪に歪んだ。般若のような面構えでロウを睨み、声にも怒気を滲ませる。いつもの澄まし顔はどこへいったのか。これほど感情を剥き出しにする高城の姿など初めて見た。

「知っていますか、人の恋路を邪魔する無粋な輩は馬に蹴られて死んじまえと、昔から言うんですよぉ!」

 大声を張り上げた高城が、ずっと右手に握りっぱなしだったジェット・インジェクターを首筋に押し当てた。プシュッ、という気の抜ける音が鳴った、次の瞬間。

「――ッガ……! グ、ガ、ガ、ア、アァ……ァァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」

 高城の全身を巡っていた〝SEAL〟の輝きが激しさを増し、目を灼くほどまでに強まった。同時、彼の喉から獣じみた雄叫びが迸り、大気を揺るがせる。

 他の獣人達がそうであったように、高城の肉体が激変していく。赤黒い光が強くなりすぎてシルエットしか視認できないが、四肢のあちこちが異常な盛り上がりを見せ、増殖するアメーバーにも似た動きで膨張していく。

「な……!?」

 これまで見たどんな獣人よりも変貌の度合いが大きい。あっという間に高城の体はクマモドキやヒグマモドキをも越える巨躯へと成長した。

「グァルルルルル――!」

 もはや高城のものとは思えない、まったく別種の唸り声。見るからに二メートルを超える体躯へと変貌した高城は、勢いよく喉を逸らし、

「ォオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッッッ!!!」

 空気が爆発するかのような咆哮を上げた。私の前にロウが立っていなければ、衝撃波で吹き飛ばされていたかもしれない。それほど爆発的な大音声だった。

 だが私を守護してくれた大男は、凶悪な変身を遂げた高城に対し、こう言った。

「よぉ、()()()()()()。ようやくの再会、楽しみにしてたぜ」

 その口調は皮肉ではなく、心の底からの歓喜に彩られていた。

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