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05

 アルテミス製薬。

 それが〝ルナティック〟を秘密裏に製造している会社の名前であった。

「ベタすぎない……?」

 アルテミスとはギリシャ神話に登場する女神。太陽神アポロンの妹で、故に月の女神とも言われている。

「〝ルナティック〟を作っているのが『アルテミス製薬』って……しかも『ニュクス』は夜の女神の名前なんでしょ?」

 高城も『夜の一族』のネーミングセンスを笑っていたが、ここまで来るともはや笑いを通り越して()()なってくる。

 私が鳥肌を我慢していると、

「薬草のアルテミシアは、女神アルテミスの名に由来している。製薬会社がアルテミスの名前を使うのは、さしておかしなことでもない」

 抑揚のない口調で鹿角がトリビアを披露してくれた。そんな薬草の名前など聞いたこともない私としては、へぇ、としか言えない。

「アルテミス製薬は、癌治療のための遺伝子研究を主に行っている。国内外で需要のある様々なタイプの血液製剤の製造も手掛けているが、その正体はこの国における『ニュクス』の枝葉の一つだ。ここの親会社は『テネブラエ・サイエンティカ』――世界最先端のバイオサイエンス研究部門を持つ、欧州随一の製薬会社で、そちらも『ニュクス』の、いわば〝表の顔〟になる」

「……なるほど」

 頷きながら、私はまたも唸ってしまう。テネブラエ・サイエンティカもまた、オークウッド財団と並ぶ大資本として有名だ。まさかこんな身近なところで、そんなふうに裏社会を牛耳っている会社があったなんて、夢にも思っていなかった。先程ロウが、

『金持ちや権力持ちが、それぞれの信念に沿って殴り合ってるだけなんだから』

 などとうそぶいていたが、それはまさしくだったのだ。

 表と裏も、科学も魔術も一緒くたになって、戦争をしているのだ。おそらくそこに善悪の概念などは存在しない。

 正義と正義。

 互いの信念をかけて、それぞれが信じる大義を掲げて、大物同士が相争っているのだ。

「……そっか、考えてみたら『夜の一族』も遺伝的な不治の病を根絶するために動いているのよね……そこに正義も悪もない、か……」

 思索の果て、ほぼ無意識に独り言を呟くと、

「ん? もしかして巴、気持ちが『あっち』寄りになっちゃった?」

 耳聡く聞きつけたロウが、そんな質問をしてきた。責めるというよりは、どこか興味深そうに。

 なにせ自身の属する組織をして『正義』と謳わない彼である。オークウッド財団の『裏』の実働部隊として動いておきながら、それを『金持ち権力者の殴り合い』と称したのだ。かなりフラットというか、リベラルというか、状況に流されない大きな視点を持っているのだろう。

「『あっち』寄りになった、というよりは、気持ちが理解わかるようになった、というか……」

 自分の心を整理しながら言葉を紡いでいると、ふと脳裏に、額に穴の空いた晃の姿が浮かび上がった。

 空っぽになって、宙空を見つめたまま絶命していた晃の顔。高城の一方的で利己的な、身勝手のために殺されてしまった。まだいくらでも、やり直すことは出来たはずなのに。

「――でも……それとこれとじゃ話は別、よね」

 私は奥歯を噛み、一瞬とは言え『夜の一族』に対して同情的になってしまったことを悔いた。

 そうだ。あちらも生存競争に勝つために必死なのだろうが、それはそれ。だからと言って、晃のような犠牲者を出して許される道理などない。いや、晃だけでなく、木島を始めとする連続殺人事件の被害者とて。

「世の中、やっていいことと悪いことがあるわ。『あっち』がやっているのは悪いこと。残念だけど、味方する気にはなれないわね」

「だよなー」

 あっけらかんと笑って、ロウはアルテミス製薬の製造工場へと顔を向けた。短い同意に、妙に深い理解の念が込められていたように思える。まるで『そう言うと思っていた』とでも言いたげな。

「――それで、どうするの? 高城……は、ここにいるのよね?」

 つい『警部補』をつけて呼びそうになって、すんでの所で思い止まった。今となっては役職も相応しくなければ、さん付けで呼ぶ気にもなれない。

「そのはずだ。あの男は警察官でありながら、アルテミス製薬の役員リストにも名を連ねている。『雪下鍵人カギト・ユキシタ』という偽名でな。奴が〝ルナティック〟の売人の元締めなのは間違いない。コウイチ・キジマが持っていたデータからもそれは明らかだ」

「……! やっぱりアン――あなた達が記憶媒体を抜き取ってたのね……!」

 思わず前のように『アンタ達』と言いかけて、咄嗟に言い直した。

 先日は黙秘しておきながら、今になってしれっと口を滑らせた鹿角は、しかし取り澄ました顔のまま、

「〝ルナティック〟撲滅の使命を果たすために必要なことだった。だが、木島を殺害したのは我々ではない。あの男を殺したのは――」

 私の言及に何の痛痒も抱いていないような反応を示した鹿角だったが、木島を殺していないという一点においては、違うと頑迷に主張する。無論、私はみなまで言わせなかった。

「ええ、さっき犯人が自白してくれたから、それは知ってる」

 ロウや鹿角はあの場にいなかったから知らないだろうが、下手人である高城が自ら告白してくれたのだ。木島を殺したのは、狼男になった自分なのだ、と。

「……そうか。なら、やはりあの〝個体〟は奴だったか……しかし、妙だな……」

 鹿角は頷き、私が説明するまでもなく高城が犯人だと推察した。どうやら彼の中でもあたりはつけていたらしい。だが、

「妙……? 何が妙なの?」

 手袋をはめた手で口元を覆い、考え込む仕草を見せた銀髪の青年に、私は問う。『あの〝個体〟』とはどういう意味か、と。

「……いや、まだ確証がない。というか、そもそもお前に話すことじゃない。気にするな」

「な……」

 いかにも『あっちいけ』と言わんばかりの口振りに、流石にカチンと来た。来てしまった。

「ちょっと待ちなさい」

 私はまなじりを決して鹿角に詰め寄った。腰に両手を当て、胸を張り、顎を上げて、真正面から堂々と対峙する。身長差が大きいので、どうしても見上げる形になってしまうのは仕方ない。

「何だ」

 鬱陶しそうな声で鹿角が応じる。体を斜に構えて、面倒くさそうに。

 元少年課としては、こんな反応など慣れたものだ。いっそ懐かしいぐらいである。不良化した思春期の少年少女は、大概がこのような態度を取るのだ。

 よって、私は大きな声ではっきりと言ってやった。

「誰が〝お前〟よ、誰が。誰に向かって口利いてるつもり? あたしはあなたのお母さんじゃないんだけど」

 なに甘えてやがる、と真っ向から突き放す。行儀が悪いのはただの礼儀知らずか、礼を尽くさなくとも許されると思っている世間知らずかのどちらかだ。だからまず、こちらは無礼を決して許さない、そんな態度を取っていいのは家族の前だけだ――とはっきり言ってやるのである。

「……なんだと?」

 目に見えて鹿角がたじろいだ。ほんの僅かな表情筋の動き、微かな声音の変化だが、これほどの至近距離にまで接近していれば、それとて読み取れる。

 私はさらに前へ出て、顔を近付けた。

「いい? 私には〝西尾巴〟っていう立派な名前があるの。〝お前〟なんて名前じゃないの。わかる? わかるわよね? わかったなら次からは〝お前〟じゃなくて、名前で呼びなさい。いいわね、鹿()()()()

 びしっ、と人差し指を突きつけて通告した。異論も反論も許さない、と。

「…………」

 私の迫力に圧されてか、身をやや仰け反らせたまま鹿角が絶句する。返すべき言葉が思い付かず、困惑しているようだ。私の背後から、シシシ、とロウが笑っている気配がした。

「……わかった。わかったから離れろ」

 黒い手袋を私の顔との間に挟んで、鹿角は渋々といった様子で了承した。しかし。

「本当にわかってるのよね?」

 ここで引いてはならない。こういったタイプには押し一辺倒が基本戦術だ。私は念押しの質問を繰り出す。

 すると鹿角は、チッ、と小さく舌打ちをした後、観念したように小さな溜め息を吐いた。

「……わかった。……ともえ。これでいいだろう。そちらの望みは了解した、離れてくれ」

「――よろしい」

 ちゃんと私の名前を口に出したことを確認してから、要求通りに一歩退いた。

「やーい怒られてやんのー」

「地獄に落ちろ。そして黙れ」

「え、それ順序逆じゃない?」

 ヒヒヒ、と下世話に笑ったロウが揶揄すると、頬をひっぱたくような反応速度で鹿角が言い返した。それもひどく低い声で。あまりの辛辣さに流石のロウも怯んだようで、両手を上げて降参みたいなポーズを取る。

「――ともかく」

 しばし沈黙した後、鹿角が気を取り直して本題に入った。

「この建物の設計図なら既に入手済みだ。二手に分かれて潜入するぞ」

 白い肌に深緑の光線が走って、スキンコンピュータが励起すると、私の前にそれらしき画像が何枚も浮かび上がった。

「ロウ、お前の〝SEALシール〟にもデータが入っているはずだ」

「おうよ、振り分けはどうするね?」

 同じようにスキンコンピュータ――どうやら〝SEAL〟という名前らしい――を励起させ、頬や首に深緑の幾何学模様を浮かび上がらせたロウが頷き、問い返す。

「俺は警備室とマシンルームに向かう。セキュリティシステムを解除した後、全てのデータを吸い出す必要があるからな。お前はそっちの――」

 私の方へ視線を向けた――サングラス越しだか何となくわかる――鹿角が言いさして、やや間を空ける。

 私はすかさず睨みを利かせた。

「――()と一緒に、地下のラボへ向かえ。そこにタカギもいるはずだ。こちらの作業が終われば、俺もそちらに合流する」

 そう言い終えた後、鹿角はあらぬ方向に顔を向け、やれやれ、と言わんばかりの息を吐いた。私としては上々の結果である。『そっちの奴』などと言った時には、もう一発説教をかましてやろうと思っていたところだ。

「オッケー、了解だ。じゃあ、巴は俺と一緒にデートだな」

 軽い調子でロウが親指を立てる。どう考えてもこれから敵地に乗り込む段階だというのに、この気楽さは何なのだろうか。

 しかし、先程は勢いで鹿角のことを『鹿角くん』などと呼んでしまったが、実際問題、彼やロウの年齢はいくつぐらいなのだろうか。

 見た感じでは、ロウは私より年上だろう。とはいえ、榊ほどではあるまい。おそらく高城と同じか、少し上ぐらいだろうか。

「浮かれるな。油断するなと何度言えばわかる」

 鹿角は、見た目は大人びて見えるが、中身は意外と若いように思える。言っては悪いが未熟さを感じるというか、ロウと違って余裕がないというか。まぁ、生まれつき偏屈な性格をしているという可能性も捨てきれないが。

 ともあれ、彼らの立場であれば私の年齢を含めたプロフィールなど把握しているだろうし、その上で『鹿角くん』と呼んでも文句を言わないといことは、つまりそういうことなのだろう。とりあえず、そういうことにしておこう。

 ――そもそもの話、()()()()()()()()()()という疑問は残るのだけど……

「まーまー、ここに逃げ込んだってことはもう袋の鼠ってことだろ? 多少の時間はあれど、準備万端で俺達をお出迎えってわけにはいかないはずだ。ほらほらぁ、そっちこそ堅いことばっか言ってないで、リラックスリラックスぅ~」

 気を抜くなと釘を刺す鹿角に対し、ロウは手首と足首の運動をしながら肩の力を抜けと諭す。この二人、性格が対称的過ぎてバランスがいいのか、噛み合わなくてチグハグなのか、よくわからない。両者とも、めっぽう腕が立つのだけは確かなのだが。

「ところで、念の為の確認だけど。巴は本当に俺達と一緒に来るってことでいいのかな?」

「え?」

 不意にロウが、私にそんな質問をした。

「いやほら、君は警察官だろ? 本部とかお仲間とかに連絡しないまま、俺達と一緒にあそこへ突入しちゃって、本当に大丈夫?」

「あ……」

 そう言われて、今更ながらに気付く。よく考えなくとも、謹慎を言い渡されている私が捜査活動――というか、ほぼ殴り込みだが――をするなど言語道断だ。

「……ちょっと待って。考えるから……」

 私はロウを片手で制し、もう片方の手を頭に当てて考え込んだ。

 ここまで来て一人で帰る? いやいや、そんなの有り得ない。というか、そんな無責任なことができるものか。つい先刻、私は仇を取ると晃の魂に誓ったばかりだというのに。

 ならば、榊に連絡を入れる? それが一番真っ当な選択だと思うが――しかし、どう説明すればいい? 『夜の一族』だの狼男だのといったオカルトな部分はもちろんのこと、何より『高城が犯人だった』という事実をどう話せばいいのだ。さらに、それらを過不足なく榊に伝えることが出来たとして、警察はちゃんと動いてくれるのか?

 高城の言葉が真実なら『ニュクス』は警察上層部と繋がっている。私の報告が揉み消される可能性は十二分にある。それだけならまだいいが、私の連絡は下手をすると榊を警察内部で孤立させることになるかもしれない。榊なら私の荒唐無稽な話を信用して、本気で上層部と戦ってくれる公算が高いのだ。

 だが当然、個人が組織に勝てようはずもない。数の暴力に押し潰されるのは目に見えている。

 ならば――

「ねぇ、逆に聞きたいんだけど、いい?」

「どうしたんだい、マイハニー?」

「誰がマイハニーよ、誰が。余計な茶々を入れないで」

 私が質問しようとするとロウが悪ふざけをするので、本題へ入る前に容赦なく叩き潰しておく。ちぇー、とロウが唇を尖らせるが無視だ。

「詰まる所、相手は世界の『裏』で暗躍する犯罪組織で、高城はその一員なのよね?」

「そうだ」

 私の確認に、鹿角が短く肯定する。

「で、この建物の中にはさっきみたいな黒服とか、怪物に変身する奴らがウジャウジャいて……」

「そりゃもう、たっくさんいるだろうなぁ。楽しみだ」

 どうしてそこでロウが嬉しそうに笑うのか、私にはまったく理解できない。

「でもって、ここのボスの高城も狼男に変身ができる……率直に聞くけど、こっちの戦力って私を除けばあなた達二人だけ、なのよね?」

 聞いている内に不安がどんどん膨れ上がってきて、つい語尾が微かに震えてしまった。

 普通に考えて、数が明らかに足りない。

 それなのに。

「それがどうした?」

「なんか問題ある?」

 なんと、鹿角もロウもほぼ同時に首を傾げ、素で聞き返してきた。

「い、いやいや、どうもこうも、問題ありまくりでしょ? 相手が何人いるかわからないのよ? でもって――言っちゃ悪いけど、あんな化け物相手じゃあたしは力になれないし……」

 正直、さっきの黒服二人にすら為す術もなく拘束された私だ。大抵の男などには負けないと自負しているが、しかし薬で強化された超人が相手となると、流石に分が悪い。正直、戦力としては足手まといのレベルだ。

 私が言葉尻を浮かせると、ロウが自分の胸を拳で叩いた。

「大丈夫だって。まったく全然問題なし! ほら、俺達強いから!」

 ふっふーん、とドヤ顔で胸を張るロウに、今回ばかりは鹿角も賛同した。

「そこの筋肉馬鹿の言う通り、俺達二人で充分だ。何も問題はない」

 言い方は違えど、鹿角もロウと同じようなことを言う。二人とも、かなりの自信があるらしい。確かに、先程の戦いを見ればさもありなんだが。

「……わかった。私も行く。一緒に連れて行って」

 私は決断した。

 ここで榊に連絡を入れてもきっと警察は動かない。十中八九、上層部に握り潰される。なら、隠しようがないほどの証拠を手に入れるしかないのだ。警部補である高城が、裏社会の組織と繋がりを持ち、非合法にして非道な所業に手を染めていた――と。決してごまかしようのない、圧倒的な物証を。

 そもそも、ここで退くという選択肢は最初からなかったのだ。状況がどうあれ、最終的な『ジョーカー』はこの私だ。私こそが事件の中心、台風の目なのだ。〝無変異種イミューン〟だか混血種ハイブリッドだか知らないが、私自身が高城の、ひいては『ニュクス』の目的なのだから。

 だから私は、私だけは絶対に逃げられない。逃げるわけにはいかないのだ。

「いいね、その顔。最高だ」

 私の目線を受けて、ロウはニヤリと笑った。

「オッケー、君の覚悟は受け取った。そんじゃあ、気合い入れて乗り込むとしますか!」

 左手に右拳をぶつけて、ロウは力強く宣言する。その言葉に、私も鹿角も一緒になって頷いた。


 †


 最後にロウと鹿角が細かい打ち合わせを行ってから、私達は二手に分かれてアルテミス製薬の工場へ潜入することとなった。

 大まかな流れはこうだ。

 まずは鹿角が先行して工場内に侵入し、セキュリティシステムを解除する。そして、警備の大半を無力化したという鹿角の連絡をロウが受けたら、私達二人も工場内へ入る。セキュリティを無効化させた鹿角はその足でマシンルームへ向かい、〝ルナティック〟その他に関するデータを回収する。その間、ロウと私は先行して地下のラボへと潜入し、高城および〝ルナティック〟の製造ラインを捜索する。

 無論、無事に発見できたら高城は捕獲し、ラインは破壊する手筈である。

「お前達は、こちらから連絡するまで待機していろ。いいか、絶対にここを動くな。余計なことは何もするなよ。ここでじっと呼吸だけしていろ。いいな。わかったな」

 普段よほど余計なことをして、じっとしていないのだろう。鹿角は幾重にもロウに念押しをした。

「行ってくる」

 そう告げた銀髪の青年の姿が、かすみのように掻き消える。

「え……?」

 思わず変な声が出た。先日、二人に逃げられた時と同じだ。目の前にいたのに、突如として鹿角の姿が消失してしまったのだ。

 慌ててロウに視線を向けると、

「ああ、そっか。巴はまだ知らなかったんだよな。ほら、鹿角ってダンピール――あ、吸血鬼と人間のハーフね。知ってる? そういうのだから魔術が得意で、体をきりに変化させて、大抵どこにでも侵入できるんだ。すごいだろ?」

 自分のことのように自慢げにのたまうロウ。とんでもないことをさらっと言ってくれる。

「吸血鬼!? え、でも、待って? いま日中よ? 吸血鬼なら太陽の光が……」

「吸血鬼は吸血鬼でも、世間一般で云われるコウモリ的なものじゃなくて……あー、精霊? みたいな? 何て言うか、いわゆる『吸血種』ってのは色んなタイプがいて、詳しくは説明しきれないんだけど――ま、とにかく、そこんとこは大丈夫なんだ。〝デイウォーカー〟ってやつね。流石に真夏の日射しになると普通にしんどいみたいだけど」

 それは人間だって一緒か、とロウは軽やかに笑う。

 陽の光が弱点にならない吸血鬼――それは、それこそ『夜の一族』とやらの悲願そのものではないか。人間と交わることで、人外が故の弱点を克服できるのなら、私の遺伝子情報など必要ないのでは――と、そう思った時。

「でも、日光だけなんだよねー。俺もだけど、金属とか全然ダメでさ。ほら、これ見て」

 ロウは指ぬきグローブの手首あたりを少しめくり上げ、赤く発疹した皮膚を露わにする。

「さっきの手錠を壊した時のやつ。これでも抑制剤とか、体内のナノマシン――あ、こういうスキンコンピュータのもとなんだけど。〝SEALシール〟って名前だったかな?」

 ロウの皮膚に深緑の光線が無数に浮かび上がり、幾何学模様を描く。そういえば前に高城がスキンコンピュータについて語っていた。体内にナノマシンを注入し、皮膚下で回路を形成させ、生体電流で半永久的に稼働するのだと。

「確か正式名称は……スキン・エレクトロなんちゃら? そんな感じで、要は肌に刺青タトゥーシールを貼ったみたいに見えるから『シール』って名前になったとか、そんな」

 確か、とか、正式名称、と言いつつ、何もしっかりした情報が含まれていない。なるほど、鹿角が苦労するわけだ――と私は納得する。相棒サイドキックが大雑把だと、こちらが余計な苦労を背負う羽目になるのだ。

「これのおかげで、かなりアレルギー症状が抑えられてるんだよねー。普通ならもう動けないレベルだったりするし。ま、完全に抑えるってのはやっぱり不可能なんだけど」

 ということは、やはり私という〝無変異種イミューン〟の遺伝子情報は、人外の存在にとっては必要不可欠なものらしい。それもそのはず。彼らにとっては忌まわしき体質を改善するための、言わば『特効薬』なのだから。

 一瞬見えかけた希望の光があっさり消え失せ、私は小さく落胆の息を吐く。

「そういえば、前はロウも一緒に姿を消していたじゃない。あなたも霧になれるの?」

「いんや、あの時はこれとスーツの機能さ。いわゆる光学迷彩ってやつ。実はあの時、君の目に見えないだけで俺も鹿角もずっとあそこにいたんだぜ?」

 楽しげに笑うと、ロウは実際に再現して見せてくれた。彼の巨体があの時のように、空気に溶けるようにして消え失せる。しかし、

「ほら、ここにいるから触ってみ?」

 何もない虚空からロウの声が聞こえ、私は言われるがまま手を伸ばした。

 触れた。確かな感触があった。本当に、見えないだけでロウはそこにいた。つまりは『透明人間』というやつだ。

「いやん♪」

「な、ちょ――変な声出さないでよ!」

 触れた場所に少し力を入れただけで、透明になったロウが僅かに身をよじらせる気配があった。おかしな声まで出すので、思わず手を引きながら文句を言ってしまう。

「ごめんごめん、冗談だって」

 消えた時と同様、ロウの姿が空間から滲み出るようにして現れた。光学迷彩――私も詳しくは知らないが、立体映像ホログラフにも使われている技術の応用で可能になると聞いたことがある。

 流石はオークウッド財団・総裁直属の実働部隊、といったところか。ロウや鹿角の装備には最先端技術が惜しげもなく詰め込まれているのだろう。

「まぁ、これ以外にも気配を隠すまじない……魔術とかもあってね。俺達みたいなのが街中で目立たないのもそのおかげ。巴にはすぐ見破られちゃったけど」

 ごく当たり前のように、ロウは呪術や魔術といったオカルトなものが存在すると口にする。彼の中では〝SEAL〟による光学迷彩と、気配を隠す呪いとやらはまったくの同列に並んでいて、世界に存在して当然のものなのだろう。

 私は我知らず吐息を漏らす。

「本当に……本当なのね。あなた達は『そっち側』で生きていて……魔術は本当にあるもので、狼男や吸血鬼は実在していて……つまり、世界には『裏』があって……」

 もう認めるしかなかった。

 これが『現実』なのだと。

 目の前で鹿角が霧になって消えた。いや、それ以前に、私の眼前で一人の男が熊のような怪物に変貌したのだ。

 この目で見た。

 はっきりと。

 夢ではない。

 全てどうしようもなく、ただの現実だった。

 それだけではない。高城が語った、両親の真実もまた――

 そこまで考えると、ふと、ロウはどうなのだろうか、という疑問が思い浮かんだ。

 鹿角が吸血鬼と人間のハーフ、ダンピールとして。一方のロウはどういった存在なのだろうか、と――

「……そういえば、鹿角くんがダンピールなら、ロウは」

「お? その鹿角から連絡だ。無事にセキュリティシステムを解除、ってなわけで俺達も行こうか」

 ロウが片手を耳に当て、こちらに背を向けた。そのまま製造工場に向かって歩き始める。

「あ……」

 はぐらかされた? いや、タイミングが悪かっただけか。ともかく、私の問いは宙に浮いてしまった。

「んー? どうしたの巴ー? 置いてくよー?」

 先に行ったロウが肩越しに振り返り、私を呼ぶ。彼が何者であれ――そう、人間以外のどんな存在であれ、私の味方だ。それだけは変わらない。そして、もはや無駄な問答の時間は終わったのだ。

 細かいことは全て後にしよう。今はとにかく、目の前のことだけに集中するべき時なのだ。

「……いま行く!」

 私は駆け足でロウの背中を追いかけた。

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