04
一体どういう鍛え方をしているのか、ロウと呼ばれた大男は私の背後へ回ると、素手で手錠の鎖を引き千切ってくれた。
「まずはこれでよし」
私は大きめのバングルになった手錠を両手首に引っ掛けたまま持ち上げ、鎖の断面を見つめる。玩具ではなく本物の金属だというのに、空恐ろしい力で鎖の輪っかがねじ切られていた。
「次はこっちだ」
銀髪――大男ロウが〝鹿角〟と呼んでいた青年が、私を手招きする。素直に両手を差し出すと、彼は先程のブレードベルトを手錠の内側に差し入れた。そのまま滑らせるようにブレードベルトを素早く引き抜くと、シャカ、という軽い音がして手錠が切断された。鹿角はもう片方の手錠にも同じようにして、切れ目を入れる。これも一体どういうカラクリなのか。特殊鋼の手錠をいとも簡単に切ってしまうだなんて。
「ロウ」
「おうとも」
再び、ロウが手錠をグローブみたいな大きな掌で掴み、
「ふんっ」
バギン、と力尽くで破壊した。鹿角が入れた切れ込みから割るようにして、手錠の存在意義を失わせたのだ。
「お、おお……これ痒いやつだった……!」
突然、ロウが声を震わせたので何事かと見ると、袖を捲って露わになった腕に、赤い点々が浮かび上がっている。発疹だ。
「だからその指ぬきグローブはやめろといつも言っているだろう」
どうやら直に手錠に触れたのがよくなかったらしい。金属アレルギーというやつだろうか。見た目の割には繊細なところもあるのだな、と少し驚く。
「え、やだよ。指先の感触が鈍るじゃん」
「どうせ力任せに殴るだけだろうが……」
はぁ、と苛立たしげに吐息する鹿角。つっけんどんな態度ではあるが『いつも言っている』あたり、実はロウのことを心配して苦言を呈しているのかもしれない。
「……ありがとう」
ともあれ拘束は解けた。そのことには素直に礼を述べておく。危ないところを助けてもらった件も含めて。
「それで早速だけど。あなた達、一体何者なの――」
時は金なり、とばかりに本題に入ろうとした瞬間、視界の端に茶色の塊が過った。その色合いに引かれて視線を向けると、それは微動だにしないクマモドキの巨体。
――既視感があった。
「あ、れ……?」
何かが、頭の中を直接殴りつけた。そんな錯覚があった。
頭が疼く。目の奥がズキズキと痛む。だけど知っている。私は見たことがある。あのクマモドキ――否、怪物を。今じゃない、いつか。ここではない、どこかで。
熟しすぎた桃のような匂い。毛むくじゃらの体。鋭い牙と爪。
息が切れ、■■■■■■。肺が悲鳴を上げる。■■■■■■を感じる。
視界が真っ暗に染まっていく中、■■■■■■■■『私』を『私』で■■■■■確信させる。
■■■■■■■何かは、時に左右に動き、■■■■■跳躍し、時に私の周囲を■■■■■。
夢の中。
悪夢の記憶。
「――い……おい、大丈夫か、巴?」
「……え……?」
どうやら数瞬だけ気を失っていたらしい。気付けば、私は天井を見上げていた。倒れかけたところを、ロウが抱き止めてくれたようだった。
「あ……ご、ごめんなさい……大丈夫……」
私は謝罪し、どうにか自分の力で立つ。それから片手で額を覆い、いま垣間見たものについて考えた。
「……昔の記憶? 私、あれに似たものをずっと前に……」
もう一度クマモドキの方を見て、我知らず独り言ちた。
そうだ、思い出した。私はあのように変貌した人間を、かつて目にしたことがある。
そして、その怪物が両親を――
「よせ、巴」
「え?」
思いがけず優しい声に驚いて、振り返る。そこには、大きなサングラスで顔を隠したロウがいた。彼はゆっくりと首を横に振り、
「そいつは夢だ。それもとびっきりの悪夢さ。何があっても適当にやり過ごして、目が覚めるのを待てばいい。そうすれば、余計なことなんて考えずにすむ」
この怪しい大男、ロウが何者かは知らないが――その口振りから、彼が私の両親について知っているだろうことが察せられた。
だから、彼の気遣いとは真逆に、私は確信を得てしまった。
あの夢は、あの恐ろしい悪夢は、実際にあったことなのだ――と。
現実に、私の両親はあのクマモドキのような怪物に襲われ、殺されてしまったのだ――と。
そして、私の首や腕に刻まれた傷もまた、同様に。
「……あなた達、一体何者なの? あの人が言っていた『夜の一族』とか『ニュクス』とかと関係があるのよね? 〝ルナティック〟のことも知っているんでしょ? ねぇ?」
先程しかけた質問の続きと意気込んだ私は、さらに色々と畳み掛けてしまった。無論、勢いだけで言っているのではない。重要な単語を出すことによって、粗方の事情は知っているのだから適当に煙に巻くことなど出来ないぞ、と主張しているのだ。
私が静かに両名の顔を見据えていると、
「……わかった。こうなったら全部ちゃんと話すよ。そうでもないと、一人でさっきの奴のところに突っ込んで行きそうだし」
降参、とばかりにロウが両手を上げた。
「なぁ、鹿角?」
「知らん、お前が決めることだ」
後ろの銀髪――鹿角に同意を求めるが、にべもなく突っぱねられた。ちぇー、と不満そうに唇を尖らせるロウ。体の大きさに似合わず、何というかコミカルな性格をしているらしい。
「そんじゃま、顔も見せない奴の何が信用できるか――って話だもんで。ああ、そうそう、その前に、大事なことを言っておかなきゃだな」
明るく言いながら、ロウは顔の上半分を隠しているサングラスに手をかけた。何の躊躇いもなく外し、素顔を露わにする。
半ば想像していた通りの、剽軽な感じのする、しかし精悍な顔つき。
そして――衝撃のあまり、私は反射的に息を呑む。
「巴、どうか信じてほしい。俺達は君の味方だ」
人懐っこい金色の瞳が、茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せた。
†
大男はロウと名乗った。本当は『ロウランド』という名前らしいが、皆からは『ロウ』と呼ばれているので私にもそう呼んで欲しいと。
一方、銀髪はと言うと、
「好きに呼べ」
とのことで、素っ気ないにも程があった。ともあれロウが『鹿角』と呼んでいるので、私もそう呼ぶことにした。まぁ、仲良くなれないだろうということは、私も何となく察しているのだが。
「さて、どこから話したもんかなーと」
何はともあれ急ぎは急ぎなので、話は移動しながら――と願い出たロウが、自己紹介の後にそう前置きをした。既にサングラスをかけ直して、再び顔を隠している。
「ああ、いや、別に誤魔化そうってわけじゃない。本当に。ただ、説明しなきゃいけないことが多すぎてさ。本気で何から話したもんかなーと思ってね」
怪訝そうな私の視線に気付いてか、ロウは言い訳じみた言葉を並べ立てる。
先導するロウと鹿角の後ろについて廃工場を出ると、そこには何人かの黒服らが倒れていた。一部の者は手足が獣毛に覆われていて、クマモドキのように変化している。あれが高城の言っていた〝ルナティック〟による『獣化』というやつだろうか。服がそのままなあたり、クマモドキほどの劇的な変貌は遂げてないようだが。
そして、そんな黒服らの近くに、見覚えのある収納袋が転がっていた。
私はいったん足を止め、それから収納袋へと近付く。
「あっくん……」
ファスナーを開いて中身を確認するまでもない。それは、晃の遺体が収納されたものだった。
「――ねぇ、ここはどうなるの?」
廃工場の中やここで倒れているクマモドキや黒服、および晃の遺体について、私はロウ達に質問した。
「既に我々の仲間が処理するよう、手筈を整えている。それは知り合いか何かか?」
「〝それ〟って……」
感情の匂いが一切しない声で、鹿角が答えてくれた。が、そのぞんざいな言い様に思わず神経がささくれ立ち、眉根を寄せながら振り返ってしまう。
「……岡本晃。私が前に少年課にいた頃、世話をした男の子……だったけど……」
とはいえ、鹿角に怒っても詮無きことだ。私は怒りの矛を収め、簡単な説明をした。
「ああ、アキラ・オカモトね。俺達も目を付けていた。〝ルナ〟の売人だろう? そっか、君の知り合いだったかー」
私の隣に立ったロウが、腰を屈めて晃の遺体袋を見つめる。その穏やかな声が、鹿角の冷たい言い方で過敏になった私の精神を落ち着かせてくれた。
「……あー、残念だけどこの子も〝ルナ〟を摂取していたかもしれない。だから、調査のために回収してアレやコレやしないといけないんだけど……怒る?」
屈んだまま気まずげに私の顔を見上げ、困ったようにロウは首を傾げた。
思わず、私は小さく笑ってしまう。
「怒らないわよ。だって、そういうことなら仕方ないじゃない。でも、それが終わったら……」
「うん、わかってる。遺族のところには返せないけど……丁重に、ね」
こうして、しゃがんでいる彼と話していると、気の優しい熊と喋っているような気分になる。流石にここまで屈み込むと、彼の頭とて私より低い位置に来るが、それでも圧が凄い。筋肉の塊――そんな感想を抱く。
「ってなわけで鹿角、この遺体の扱いは丁寧にってことで。そっちでよろしく」
「……わかった」
やや不満そうに、でもしっかりと鹿角は頷いた。そんな彼の露出している皮膚部分に、深緑に光る幾何学模様が浮かび上がる。
「――回収班へ。一つ、収納袋に入った死体がある。アキラ・オカモトだ。リストを参照してくれ。彼は保護対象の知人らしい。扱いは丁寧に、とのことだ。よろしく頼む」
急に独り言を言い出したかと思えば、それはどうやら通信だったらしい。相手が了解の意を示す間を空けると、鹿角の顔に走った深緑の光線が消えた。
「これでいいか」
ロウのそれより細身のサングラスが、こちらに向いた。鹿角は未だ素顔を見せてくれていないので、あの下でどんな目をしているのか、さっぱり予想がつかない。
「ありがとう……」
何とも言えない複雑な気分だったが、ここで無言を貫くのも大人げない。そう考えた末、私はぶっきらぼうに礼を述べた。
「では行くぞ。急げ」
途端、『用事は済んだ』とばかりに鹿角は踵を返し、先に進み始めた。
「…………」
ダメだ、何がどうというわけでもないのだが、反りが合わない。わざとやっているわけでないのはわかるが、鹿角の言動の一つ一つが妙に私の神経を逆撫でにする。
「ごめんなー、鹿角の奴って人見知りだからさ。君が可愛いから緊張しているのかも。大目に見てやってくれる?」
フォローのつもりだろうか、立ち上がったロウがそんなことを言った。が、声が大きいため鹿角にも聞こえたようで、
「馬鹿を言ってないでさっさと来い」
振り返らないまま、苛立たしげな声を飛ばしてきた。ロウは、うへっ、という感じで肩をすくめ、私に笑みを見せる。『ほらね』と言っているようでもあった。
ロウも鹿角を追い始めたので、私は最後に遺体袋に向き直り、
「……ごめんね」
手を合わせ、祈りを捧げた。
――仇は必ず取るから……
心の中でそう誓いを立てると、私は晃に背を向けて歩き出した。
†
「つまり、あなた達が『魔術側の治安組織』ってこと?」
ロウの話を総合してそう聞き返すと、ぶは、と鼻で笑われた。
「そんな行儀のいいもんじゃないよ。程度の差はあれ、ヤクザなことをしているのはあっちと同じだからなぁ。よく言って……暴れん坊大将、みたいな?」
この国の文化に馴染みがあるのかないのか、とんちんかんな喩えが出てきた。しかし、言いたいことは何となく理解できる。
「なんにせよ、俺達は君の味方ってことで間違いはないから、そこは安心してくれ」
自信満々で請け負うロウは、先導する鹿角の後ろについて再開発地区の細い路地を進んでいる。
どこへ向かっているのか、と聞くと、
「この先の港にある製薬会社。より正確に言えば、その製造工場だ」
と鹿角が答えてくれた。
少し前までホームレスの巣窟となっていたこの再開発地区は、元は海だった埋め立て地である。故に端まで行けば海があり、当然ながら港もある。
「そこで〝ルナティック〟を作ってるみたいでね。多分、やっこさんが逃げ込むならそこだろうと、俺達は見てる」
ロウが補足の説明をしてくれた。
なるほど。そういうことであれば、再開発地区の近くにある繁華街に〝ルナティック〟の売人が集まっていたのも納得だ。また、晃が言っていたホームレスを被験体にするという話も、これだけ距離が近ければ自然な道理である。
「俺達の目的は〝ルナティック〟の撲滅。それと、君の保護だ。まぁ後者に関しては、これまでもずっとやっていたことなんだけど」
「は……?」
違法どころか人間社会を根底からひっくり返しかねない〝ルナティック〟の撲滅は、まだわかる。だが、私の保護をずっとやっていた、というのはどういう意味なのか。
「君、小さい頃に両親を亡くしたから施設育ちだろう? なんて名前の施設だったか覚えてる?」
「『樫の木学園』だけど……覚えているに決まっているじゃない。ずっとお世話になった所なんだから」
「うんうん、だよねー」
質問に答えた私に、ロウは大仰に何度も頷いてみせる。
「実はそこ、うちの関連会社が経営している施設だったりするんだなー、これが」
「……えっ」
「母体はオークウッド財団っていうんだけど、聞いたことある?」
「聞いたことあるも何も……」
世界的に有名な海外の大企業だ。身近な日用品を始めとして学術や美術に芸術、医療は当然ながら、最近では様々な部門の最先端テクノロジーにまで手を広げ、頭角を現している。そもそもからして『オークウッド』を和訳すればそのまま『樫の木』になるのだから、私がその程度のことを知らないはずもあるまいに。
「――待って、つまり、あなた達も、オークウッド財団の……?」
「そ。財団総裁、直属の実働部隊? みたいな?」
「じゃあ、オークウッド財団そのものが『魔術側の治安組織』!?」
「だからぁ、そんないいもんじゃないって。金持ちや権力持ちが、それぞれの信念に沿って殴り合ってるだけなんだから」
目を剥いて驚く私に、ロウは、なはは、と軽く笑った。
いや、笑いごとではない。ロウの言うことが本当なら、世界的大企業が魔術や人外――即ち『夜の一族』と関係していたことになるのだ。それも、敵対という形で。
その気になれば世界を牛耳れるほどの財団が、狼男や吸血鬼といった存在を認識した上で、経済活動を続けている。それは取りも直さず、高城が言った通り『夜の一族』なる者達が人間社会に溶け込んでいる証左に他ならない。
『現実って、目の前にあることだけが全てじゃなかったりするんですよ?』
不意に高城から言われた言葉が耳に蘇った。彼はもちろん、このことを知っていたのだろう。だからあんなセリフが言えたのである。
結局のところ、私が知らなかっただけだ。現実は最初からずっとそこにあった。ただ私の目には映っていなかっただけで。『夜の一族』も『ニュクス』も『オークウッド財団』も昔から存在していたのだ。
単純に、私が目の前にあるものしか見ていなかっただけで――
「そんなわけで、君は昔っから財団のお膝元にいたってわけだ。陰ながら公然と、君は守られていたんだよ、ずっとね」
「そんな……ことって……」
思わず足を止めて、愕然としてしまう。
よもやそんな頃から、オカルトな世界が身近に存在していたとは。全く以て、これっぽっちも気付かなかった。それどころか、頭から信じずに忌避していた。それは客観的に考えて、
――なんて、お間抜けな……
高城がオカルトの話をする際、折に触れて揶揄するような視線や言葉を向けてきていたのを思い出す。あれはつまり、そういうことだったのだ。
「いやいや、そんなに気にすることはないさ。だって君、記憶を封じられていたわけだしね」
「……えっ?」
軽く手を振りながら言ったロウの言葉に、聞き捨てならないものを感じて面を上げる。
「もう色々と知られちゃってるからぶっちゃけるけど、ほら、流石に色々と酷だろう? 両親が殺されたってだけでもかなりしんどいのに、それが怪物の手によるものときた。誰だってショックを受けるし、言わずもがな、当時の君は体にも心にも大きな傷を負っていた。だから、カウンセリングと催眠で事件の記憶を封じて、さらには事件に関するものが君の目に触れないよう、情報操作がされていたんだ」
何てことないみたいな口振りで、ロウは私の手を取って引っ張った。止まってないで歩こうよ、と。
驚いたことに、こんなにも大きくて堅そうな掌をしているというのに、彼の手付きは羽毛のように柔らかく、優しかった。この手が拳を握り込むと、鉄筋コンクリートの壁すら打ち砕くのだから、不思議なものである。
「でもまさか、そんな君が施設を出て警察官になるなんてね。こればかりは俺達も予想できなかったなぁ」
私の手を引いて歩きながら、おどけるようにロウは肩をすくめた。先頭を行く鹿角はこちらを振り返りもしなければ、歩調を緩めたりもしない。ロウが言っていることは日常茶飯事だ、とでも言うかのごとく。
そういえば――と今更ながらに気付いた。先述の通り、鹿角は前に立って自分のペースで歩いているが、ロウはさりげなく私の歩調に合わせてくれている。口では時折下品なことを言う彼だが、私に接する時の態度は、なんだかんだで紳士的なのだ。
例えるなら、ロウは明るい毛色の人懐っこい大型の犬で。鹿角は銀色の綺麗な毛皮を持つ、けれど人嫌いな猫という感じだろうか。
「おかげで君の個人情報が外に漏れて、『あいつら』に嗅ぎつけられてしまった。それでもどうにか陰から見守っていたんだけど、流石に状況のど真ん中に飛び込んで来られたら、俺達も出張るしかなくなってね。だから敢えて、君の前に姿を晒したってわけさ」
そういった事情で、木島が殺された現場付近に自分達は現れたのだ、とロウは主張する。しかし、
「嘘をつくな。気付かれるとは思っていなかった、と自分で言っていただろ」
前方の鹿角から鋭い、そして冷たい指摘が入った。ロウは口をへの字に曲げて、
「おいおい鹿角、バラすなよー。俺が間抜けで格好悪い男みたいに思われちゃうだろー?」
しかし、抗議に返ってきたのは冷笑だった。
「現時点で〝格好いい男〟と思われているとでも?」
「うっわひでぇ! やーねぇ鹿角ったら最近すっかり生意気になっちゃってぇ。こーんなちっちゃい時はあんなに可愛かったのになぁ」
突然クネクネと身をよじり始めたかと思えば、ロウは私の手を離し、両の掌でサッカーボールぐらいの空間を表現する。サイズ的に赤ん坊というより、子犬のような大きさだ。
不思議なことに、こちらを一瞥もしていないはずの鹿角が、
「そんなに小さかったわけがあるか」
と反応した。彼がかけているサングラスにはバックカメラでも内蔵されているのだろうか。
頑なな鹿角の態度に、ロウがニヤリと笑う。
「でもほら、夜のひとり寝が怖くて眠れないーって俺のベッドに来たりしてたし?」
「……していない」
言い返す前にちょっとだけ間があった。なので直感的に『あ、これは本当にあったことだ』とわかってしまった。
「おねしょだって」
「していない! と言うか、いい加減にしろ! 任務中だぞ!」
ついに鹿角が足を止め、振り返った。心なしか少し赤い顔をしているようだが、真面目に怒った彼にどやしつけられ、体格では勝るはずのロウが首をすくめる。
「怒られちゃった」
私に向かって微笑むロウに、私は気付けば質問を口にしていた。
「あなた達、随分と仲がいいのね。恋人か何か?」
自分としてはさほどおかしなことを聞いたつもりはなかった。昨今、同性愛者や同性婚など珍しくもない。数は少なくとも、彼ら彼女らが持つ当然の権利が国際的に守られるようになってから随分と経つ。
だがロウは、ぶふーっ、と盛大に噴き出した。
「ぶはっ――ぶははは、はははははははっっ!!」
「? ? ?」
腹を抱えて笑われてしまう。人気のない路地だとは言え、周囲への迷惑が気になるほどの声量だった。
「おい黙れ、静かにしろ」
「いやだって、だってさぁ! 聞いた!? 今の聞いた!? 俺と鹿角がこい、こいびっ……ぶははははははっ!!」
何故そこまで笑うのか。わけがわからなさ過ぎて私は首を傾げるしかない。
はぁ、という鹿角の嘆息が聞こえた。
「……俺とそこの馬鹿は腐れ縁だ。それ以上でもそれ以下でもない。余計な詮索はするな。本来なら回収班にお前の身柄を預けるべきところを、特別にこうして連れて来ているんだ。邪魔だけはしてくれるな」
氷のナイフで突き刺すような鹿角の語調に、私もたじろいだ。確かに、今のは余計なことを聞いた私が原因だ。
「わ、悪かったわよ……」
とはいえ、そこまでキツい言い方をしなくとも――という思いが滲んで、微妙な謝罪になってしまう。
「ロウ、お前もいつまで笑っている。そろそろだぞ」
「オッケー、今ので絶妙に緊張がほぐれたから大丈夫だ。任せとけ」
鹿角の厳しい注意に、ロウは半笑いで応じた。別段、場を和ませようとして尋ねたわけではないだけに、私としては釈然としないのだが。
ともあれ、鹿角の先導する先には開けた大きな通りがあった。ほのかに潮の香りがして、海が近いこともわかる。
「あそこだ」
くい、と鹿角の顎がひどく大きな建物を示した。
製造工場などというものだから、先程の廃工場に似たものを想像していたのだが、まったく違っていた。
イベントホールと言われても信じてしまうような、豪奢な建築物がそこにはあった。




