05
朝の繁華街は、夜のそれとは全く違う姿をしている。
まさに表と裏だ。夜にあった華やかさはすっかり消え、まるで夢から醒めたかのような白けた空気が漂っている。
あちこちに詰まれたゴミ袋は、深夜営業の店が出したものだろう。モード系と言い張るには攻めすぎたデザインのスーツを着た若者や、黒と白の給仕服に身を包んだ壮年の男達がそれぞれの店の前で煙草をふかしている。夜にはよく映えるだろうホログラフの看板も、昼間になると何だか間抜けに見える。
そんな気の抜けた炭酸水みたいな雰囲気の中、私の前を歩く高城は、妙に慣れた感じで突き進んでいく。
「こっちですよ」
そう声をかけて、高城は大通りから小さな路地へと入った。
朝だというのに随分と薄暗い。元より陽の光が差さない立地なのだろう。ここいらは夜の営業がメインなので、日照権などにはこだわっていないのかもしれない。
高城が進んでいく先にあったのは、ともすれば見落としてしまいそうな、小さな地下への入り口だった。狭い路地の中、扉と扉の間に急に現れた階段。細く急なそれは、なんだか隠し通路のようにも見える。
「……ここですか?」
「はい。危ないので、お手をどうぞ」
「ああ、いえ、結構です。大丈夫ですから」
エスコートのつもりか、差し出された高城の手を私は丁重にお断りした。この程度の階段でバランスを崩すほど、柔な鍛え方はしていない。
「……残念です」
しばし宙に浮いた自分の手を眺めやった後、がくり、と高城は肩を落とす。
そんな高城を無視して階段を降りていくと、そこにはいかにもといった怪しい黒い扉があった。中央に流暢な金色文字で『Bar Diana』と書かれている。バー・ダイアナ――いや、バー・ディアーナだろうか?
高城が扉を押し開くと、軽やかなドアベルの音が鳴った。途端、やたらと甘ったるい香りが隙間から溢れ出てくる。
「……!」
思わず片手で鼻を覆ってしまう。先述の通り、私はそれなりに鼻が利く方だ。昔から嗅覚や味覚といった感覚が人より鋭く、それだけに影響を受けやすい。
むせるのを我慢しながら、高城の後をついて中に入る。すると、口から砂を吐きそうな匂いがさらに強まった。
香水だろうか? 色で言えばピンク色、果実で例えるなら桃のような薫香だ。おそらく常人なら『あ、いい匂い』などという感想を抱くのだろうが、嗅覚が敏感な私にとっては一種の暴力だった。
だが、高城は気にすることなく奥へ進む。いくら何でもこれほどの強烈な香り、嗅覚が鋭くなくても相当なものだろうに、気にならないのだろうか?
――でも、この匂い……どこかで嗅いだことがあるような……? それもつい最近……
私は、どこでこの香りを嗅いだのか思い出そうとして――
「……らっしゃい」
野太い男の声で意識を現実に引き戻された。
照明の絞られた店内。カウンターの向こうに立つ、強面の男。出で立ちからするとどうやらバーテンダーのようだ。正直、服装以外はヤクザとしか思えない見た目なのだが。
「やぁ、おはようございます。僕達、今日が初めてなんですが、どこに座ればいいですかね?」
不機嫌な声で出迎えられたにも関わらず、高城は持ち前の明るさで無遠慮に踏み込んでいった。
バーテンダーはまじまじと、珍しそうに高城の顔を眺めて、
「……そこのテーブル、どうぞ」
尖った顎でカウンターから離れたテーブルを示す。時間が時間とはいえ、とても客商売とは思えない態度だ。というか、こんな朝だというのに営業しているのだろうか? いや実際、私達以外の客もいるようだが、一体どういう店なのだ。
「行きましょう、西尾さん」
指定されたのは、二人掛けの席だった。いかにも回転率を重視した座り心地の悪そうな椅子に、おしゃれではあるが面積の狭いテーブル。そこに、高城と向かい合って座る。
改めて店内を見回すと、私達以外にも客が五人ほどいた。二人組が二つに、単独の客が一人。男が四人に、女が一人。朝っぱらだというのにそれぞれ酒を飲みながら、小さな声で会話している。
「いやぁ、こうしていると、まるでデートみたいですね」
向かいに座った高城が私の顔を見つめ、嬉しそうに笑った。
「いやあの、そういうセリフはさっきのお店で言っておくべきなんじゃ……?」
こんな危なっかしい店に連れて来ておいて、デートも何もあったものではない。こんな場所で幸せそうに宣った高城に、流石の私もたじろいだ。
「――あ、言われてみればそうでしたね。これはうっかり。いやぁ、お恥ずかしい」
ははは、と高城は爽やかに笑う。
確かに、私服でも瀟洒な格好をしている高城には、庶民的なファストフード店より、ここみたいなバーの方がよく似合う。というか、むしろ私の方がこの店に似つかわしくないと言うべきか。服装からして店内でひどく浮いている気がする。まさかこんな店に来るとは思っていなかったからだが、動きやすさを重視した格好は失敗だったかもしれない。
――って、勝手に連れて来られたんだから、こっちが気にしてもどうしようもないじゃない……
行き先も告げずにここまで案内してきたのは高城だ。責任があるとすれば、彼にこそである。そう考えれば先程の『デートみたいですね』という発言も、たじろぐより怒るべき案件だった。
「……もうそろそろいいんじゃないですか、高城さん。こんな所に連れてきた理由を教えてください」
自然、私の声は低くなり、目も据わってしまう。
ニコニコと笑っていた高城は、私の態度に額を突かれたように、はた、とした。ああ、と彼は笑って、
「いけませんね、忘れるところでした。実はここ、例の薬の売人がよく出入りしている店なんだそうです」
「な……!」
いきなりの爆弾発言に、私は危うく大声を上げそうになった。
――そういう肝心なことはもっと早く言いなさいよ……!
すっかり油断していた。慌てて周囲の様子を探ろう――として、すぐに思い直し、体を硬直させる。
ダメだ、変に意識して動くとその売人とやらに勘付かれるかもしれない。下手な動きをするのは二流のすることだ。
私は高城の顔を軽く睨み付けながら、ゆっくりと深呼吸する。果たして、それは彼の期待していた反応だったのだろう。高城は、ふふ、と微笑み、
「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが、教えない方が自然な素振りになるかと思いまして」
絶対に嘘だ。こうなることを予見して黙っていたに違いない。そういう顔をしている。
「どういうことか、詳しく話してください」
私は、警察官として真っ当な行動とは一体どういうものか説教したい気持ちをどうにかねじ伏せ、高城に説明を求めた。
「はい、もちろん。――と、その前に注文ですね」
店の奥から新しい店員が現れ、私達の席に近付いてくる。髪を金に染めた若い男だ。カウンター向こうのバーテンダーと同じ格好をしている。
高城が片手を上げ、
「ビールをお願いします。プレミアムで」
「ちょ――高城さんっ?」
ためらいなくアルコールを注文した高城に、堪らず声が出た。
「西尾さんは何にされますか? こういうバーって、大抵のものが置いてありますよ」
焦る私に対し、高城は飄々と返す。何てことのないように言われては、変に噛み付く私の方がおかしく見えるではないか。
「……アイスティーで」
先程よりもさらに低く押し殺した声で告げると、ウェイターの男は「かしこまりました」と引き下がっていった。
「西尾さん、こういうところでお酒を頼まないと流石に怪しまれますから。ね? そんなに怒らないでください」
「だったらノンアルコールのカクテルでもよかったじゃないですか。車の運転はどうするんですか?」
私がアイスティーを注文したのは、カクテル用のものがあると踏んでのことだ。大抵のものが置いてあるというのなら尚更、ノンアルコールカクテルぐらいメニューにあるだろうに。
「まぁまぁ、例の薬の売人が顔を出すまでそれなりに時間がかかるでしょうし、お酒もなしに長居するのはやっぱり怪しいですよ。ね? 車はほら、代行運転とかありますし。何だったら置いて帰って、明日にでも取りに来たらいいですし。あ、西尾さんのタクシー代はもちろん僕が出しますよ」
案の定だが、私の苦言に高城はどこ吹く風だ。まるで聞く耳を持っていない。にこやかに我を押し通そうとする。
私は、ふぅ、と息を吐き、
「今は職務中ではないので大目に見ますけど、もしこれが仕事中のことだったら即刻、高城さんとの相棒を解消していますからね」
お互い待機命令と謹慎処分を受けているからこその例外だ、と強調しつつ、私は彼の言い分を呑み込んだ。
「西尾さんは真面目ですねぇ。そういうところがまた、素敵なんですけれども」
私としては絶縁状をチラつかせたつもりなのだが、高城は何の痛痒も感じていない様子だ。本当にわかっているのだろうか、この人は。
ほどなくしてビールとアイスティーがテーブルに提供され、ウェイターが立ち去ってから話を再開する。
「まず、木島康一のお話をしないといけませんね」
最も新しい連続殺人事件の被害者の名を、高城は出した。
何となくの予感はあった。ここは彼が殺された現場に近い繁華街。さらに高城の口から出た『例の薬の売人』という言葉。この二つを繋げれば、自然と木島の名前が浮かび上がってくる。
「データベースでは『昴龍会』という系列ヤクザの一員だとありましたが、僕が調べたところ木島は随分前に破門されていたようです」
「破門?」
空手をやっていたせいか、それなりに聞き覚えのある単語をオウム返しにした。
「ええ、それも、一年以上も前のことですね。どうやら前々から警察にマークされていたこと、ヤクザとしても素行に問題が多かったことから、なんと珍しいことに赤字の破門回状が出されています」
破門回状というのは、暴力団が他の組織に『木島を破門にした。よって奴を客分とすること、結縁すること、商談および交渉することを禁ずる』という連絡状を回すことを指す。また、組織に対する迷惑の度合いが高い場合、従来は黒字で書かれる破門回状が赤字で記される。つまり赤字の破門回状というのは、ほぼ絶縁状に近い『業界からの追放』を意味する。絶縁状と違うのは、除名と報復がないことと、ほんの僅かだが復帰の目があることぐらいか。
つまり木島は一年以上前から、ヤクザとしても売人としても、活動不可能な状態だったのである。
「木島は一体何をやらかしたんですか?」
何だかんだ言ってもヤクザも斜陽の業界だ。狭い業界なだけに人材流出は防ぎたいところで、昨今では赤字の破門回状など非常に珍しい。余程の事でもない限り、そんなものは出されないはずなのだが。
「どうも売り上げ金の着服や、商品の横流しが多かったようで。いくら言っても懲りずに繰り返した為、思い切った処分が下されたようですね。一説によると、独立を目指していたなんて話も」
私は、やけに整理整頓された木島の部屋を思い出す。雑然と散らかさず、室内を綺麗に保っていたのは彼の志の高さを表していたのだろうか。やっていることは犯罪でしかないのだが。
「ですが、破門された後も木島は売人として活動していたわけですよね?」
私の質問に、高城はビールを一口飲んでから答える。
「はい。組織から放逐され『昴龍会』のルートを使えなくなった後も、木島はそのまま売人を続けていました。おそらくですが、木島が新たに手に入れたルートこそが、彼が破門された一番の原因だと思われます」
やはりか、と私は得心する。ドラッグの売買業など個人で続けられるものではない。売人は必ず入手ルートを持っていなければならないのだ。でなければ、売人は売人たりえない。
「木島はあちこちに借金を作りながら、それを元手に新たなルートを開拓していました。麻取は芋づる式で他のルートもしょっ引ける可能性があるとして、木島を泳がせていたようですね」
麻取とは『麻薬取締官』の略称だ。なるほど、高城が持っている情報はそこが源らしい。彼はまだ口を滑らせたことに気付いていないようだが。
それはそれとして。
「ですが、そんなことをしていたらまず『昴龍会』が許さないんじゃないですか? 流石に破門した人間がしつこく売人を続けていたら、怒るはずですよ」
然り、と高城は首肯する。
「それは当然ながら。古巣から横槍は入ったでしょう。しかしながら……」
高城は自らのビールグラスの下部を、ピン、と指で弾いた。黄金色の酒の中で、一際大きな泡が立つ。
「そこで登場するのが、先程お話した『夜の一族』ですよ」
そう言われた瞬間、私の脳裏に浮かんだのは例の黒尽くめの男二人だった。
「木島の背後には『夜の一族』――つまり『ニュクス』がついていたんです。こうなると、日本のヤクザ程度では歯が立ちません。なにせ人外の組織ですから。雑兵なんて一人もおらず、一人一人が選りすぐりの精鋭です。ちょっとした小競り合いで実力差を思い知った『昴龍会』は、あっさりと木島のことを諦めて身を引いたわけです」
「そんなことって……」
簡単に高城は言うが、それはとんでもない話だ。警察に知られることなく『昴龍会』と『ニュクス』が激突していたというのも大概だが、その戦力差が圧倒的だとは。
しかし、不思議と納得している自分がどこかにいる。あの大男や銀髪の身のこなし、明らかに尋常ではなかった。あのレベルが基準だとは思いたくないが、もしそうだとしたら――
「正直言って『夜の一族』の戦力は計り知れません。聞いたところによると、国家を転覆させるなど造作もない程だとか……」
国をひっくり返す――その表現に、私は思わず生唾を嚥下した。無意識にアイスティーに手を伸ばし、一口飲む。
「それだけではありません。『夜の一族』には頂点に君臨する女王がいるのですが、その〝夜の女王〟を守護する〝白銀の騎士〟に至っては、たった一人でとある軍の一個師団を全滅させたという伝説が……」
「夜の女王。白銀の騎士……」
背筋を走っていた悪寒が急速に収まった。出てくる名称がファンタジーな方向に寄ったからだろう。途端に現実味が失せ、妙に気持ちが冷めてしまった。
「……おとぎ話みたいですね」
得も言えない気分でそう返すと、おや? という顔を高城はした。どうやらアレで私を脅しつけようとしていたらしい。
「怖くないですか? たった一人で、一個師団ですよ? すごくないですか?」
「すごいですけど……すごすぎて、逆にリアリティが……」
そこまで行くと、やっぱり漫画やアニメの話としか思えない。そもそも、そんな大事件が起こったらニュースになっていてもよいのではなかろうか。今の〝夜の女王〟と〝白銀の騎士〟で、すっかり信憑性が薄まってしまった。
んん、と私は咳払いを一つ。
「すみません、本題に戻りましょう。木島のバックに件の『ニュクス』とやらがいて、そのおかげでドラッグの売買が続けられていたわけですね?」
気を取り直して折れた話の腰を戻した私に、高城はビールを一口含んでから、頷く。
「その通りです。何を売っていたのかは……もう言わずともわかりますよね?」
私は頷き返した。敢えて名前を出されるまでもない。車の中で聞いた、古いが新種の薬『ルナティック』――それを主製品として、木島は自ら〝市場〟を作っていたのだ。
高城はさらにビールを飲み、
「しかしながら、その木島も殺されました。……西尾さん、菓子箱のメモを覚えていますか? おそらく木島は、今度もおいたをやらかしてしまったのでしょうね」
だから消された――〝人外〟の手によって。
そう、今更ながらに得心がいってしまう。あの遺体の壊れ具合――もし犯人が人ならざる怪物だとしたら、何の不思議もないことに。
高城はグラスを煽り、くぃーっ、と一気にビールを飲み干した。空になったグラスをコースターに置くと、ふふ、と高城は笑う。
「――というわけで、ここに来たわけですよ。無論のこと『ルナティック』を取り扱っているのは木島だけではありません。麻取が一網打尽にしたかった他の売人達が、今でもドラッグを売っています。僕が入手した情報によると、彼らは今日辺りこのバーに集合し、会合を行うそうなんですよ」
ようやく、高城の意図が見えた。
「なるほど、それでこんなところまで連れて来たわけですね。その情報の裏を取るために」
そうならそうと、先に言ってくれればいいものを。何かと私を驚かせようとする高城のイタズラ好きも、時と場合を選んで欲しいものである。
「残念ながら、彼らが集合する時間まではわかりませんでした。ですが、売人の稼ぎ時は夜です。となれば、朝から昼にかけて集まり、その後に仕事の準備をするはずです。なに、もう少しすればそれらしい集団が顔を出しますよ。それまで、僕と一緒に楽しく時間を潰しましょう。あ、すみません、ビールのおかわりを」
要は張り込みという立派な捜査活動をすると告げた高城は、悪びれもなくまたアルコールを注文した。私は苦虫をかみつぶしたような気分で、その姿を見守るしかない。
これでいざという時に酔っ払って役に立たなかったら、本気で相棒の解消について榊に話をしよう――
私は内心、密かにそう決意したのだった。
†
そういえば高城は酒に強い方だったか、弱い方だったか――
彼と飲みに行ったことのない私は知らなかったが、どうやら結構な〝うわばみ〟であるらしい。
なんやかんやと話しながら二杯目のビールを飲み干し、三杯目が手元に届いた今でも顔色がまったく変わっていない。
が、変わらないと言っても見た目だけで、少しは酔いも回っているらしい。徐々に高城のテンションが上がってきた。
「ですからね、僕は思うんですよ。幸せだなぁ、って。運がよかったなぁ、って。だって、こんな素敵な人との出会いが待っていたんですから」
「あの、高城さん、少し落ち着いてください」
「落ち着いてますよ? 僕は落ち着いて、西尾さんの魅力について語っているだけです」
「だから、それが落ち着いていないと」
「何か問題でも?」
「いえ、問題はないですけど……」
「ならいいじゃありませんか。問題なしなのですから」
屁理屈をこねた高城は、あはは、と心底楽しそうに笑う。泥酔しているという程ではないし、言動も普段の内容と余り変わらないが、少しだけ箍が外れているらしい。
さっきから妙に恥ずかしいことばかり言っては、私を困らせて楽しんでいる。
「それに、そうやって照れている西尾さん、とっても可愛いですよ」
パチッ、と片目を閉じてみせる高城。呂律もしっかりしているし、視線もぶれていない。ただアルコールの力で、普段は我慢している言葉を遠慮無しに言っているだけのようだ。
「はいはい、それはもう聞き飽きましたから」
自然、私の対応もおざなりになってくる。が、無駄に理性の残っている高城は、
「おや? 僕そんなに言ってましたっけ? いつもちゃんと聞いてくれて、ありがとうございます。西尾さんは本当に優しい人ですね」
と、何を返してもこうして私を褒めそやす方向へと持って行く。もはや意地悪の領域だ。
「それも聞き飽きました。しつこいですよ。それとも口説いているんですか?」
お互い待機と謹慎の状態とはいえ、実質的には捜査中だ。そんな時に女を口説くなど有り得ない――そのつもりで言ったのだが。
「ええ、口説いていますよ。やっと気付いてくださいましたか?」
高城はあっさりと肯定した。
虚を突かれた私は、流石に呆然としてしまう。てっきり『ああ、これは失礼しました。うっかりですね』などと言って引き下がると思っていただけに。
「……もしかして、本気で酔ってます?」
私はうろんな目を向けた。見た目はほとんど変わっていないが、中身だけ完全に酒が回っている可能性を思いついたのだ。
「いえいえ、そんなことは。だって、まだ二杯だけですし。僕の家系は遺伝的にみんなザルですから。少し楽しい気分にはなってますが、まだまだ素面ですよ」
長い人差し指で、トントン、とこめかみの辺りを叩いて、高城は自らの正気をアピールする。
「――僕は、あなたに興味があるんですよ、西尾さん」
高城の声音に変化があった。これまでのふざけた雰囲気が削ぎ落とされ、生真面目な響きになる。
「あなたは僕の知る限りで一番の努力家です。勤勉で、頑張り屋で、妥協せず、自らの道を突き進み……いつも芯の通った信念を持って生きている。率直に言って、僕はあなたを尊敬しているんですよ。憧れていると言っても過言ではありません。それほど、あなたは魅力的な人間なんです」
「ほ、褒めすぎなのでは?」
急激な高城の攻勢に圧されて、私は陳腐な言葉しか返せない。
意外にも程があった。彼はその場のノリではなく、しっかりと私の内面を見据えた上で口説こうとしているのだ。
それに、今の褒め言葉は胸にグッときた。突然の謹慎などという事態でへこんでいた心に、ダイレクトにきてしまった。
高城は私の見た目や態度ではなく、人間性そのものを見てくれているのだ。正直、嬉しくないと言えば嘘になる。
「褒めすぎ? いいえ、これでもまだ足りないぐらいですよ。まったく、上の連中はわかっていませんよね。西尾さんほど真剣に仕事に向き合っている人はいないというのに。どうしてもっと評価しないんでしょうか。西尾さんはその時が来れば、警視総監になってもおかしくない逸材ですよ」
「いやあの、本当に酔っていませんか? 大丈夫ですか?」
いくら何でも警視総監は言い過ぎである。無論、女性警察官がそこまで上り詰めた例はあるにはあるが、私のような若造にはまだまだ早い。
だが高城は聞く耳を持たず、そのままの調子で続ける。
「西尾さんは、僕にはないものをたくさん持っているんですよ。ええ、そうです。僕なんかには到底持ち得ないものを、たくさん。僕なんて、空っぽですから。何もない。何にもないんです。父が型にはめて作った、ただのハリボテです。言うことを聞くだけの人形なんです。勉強が出来て、悪いことは一切しなくて、優等生のいい子で、何一つ文句を言わなくて、従順で……でも、芯なんてどこにもなくて、タコみたいにフニャフニャで、自分が生きている理由さえもわかっていなくて……」
いつしか高城の声は熱を失い、その瞳は私ではなく別の何かを見つめるように、遠くなっていた。
ふ、と口元が笑みの形に歪み、自嘲の陰りが高城の顔を斜めに滑り落ちる。
「高城さん……?」
ふと垣間見えた高城の闇に、私は戸惑いを覚える。大丈夫だろうか。もしかして彼は、普段のおちゃらけた態度の裏に、どうしようもない致命傷を抱えているのでは――そう思えてしまったのだ。
「――ああ、すみません、いつの間にか僕の話になっていましたね。失礼しました」
私の呼び掛けが効いたのか、高城は我を取り戻したように淡く微笑んだ。
「つまらない話をして申し訳ありません」
「いえ、そんな……」
「よかったら、今度はそちらの話を聞かせていただけませんか? 西尾さんについて色々と」
仕切り直すように、あは、と高城は笑った。
「わ、私の話と言っても……特に面白いことなんて――」
「西尾さんのことなら何でもいいですよ。例えば、ここの事とか。僕は書類でしか、あなたの過去を知りませんから」
そう言って、高城は自分の首元を指で示す。その動作が、私の首の傷を指していることはすぐにわかった。
少し息を呑む。
「――知って……いたんですか?」
高城は神妙に頷く。
「ええ。言ったでしょう? 微妙な立ち位置にいるので、それなりに情報が入ってくるんですよ」
ふふ、と微笑んだ高城は、やけに優しげな視線を私に向けた。
「無理にとは言いません。言いたくない話ならそう仰ってください。僕はあなたに嫌がらせをしたいわけではありませんから。ただ、少しでも西尾さんのことを知りたい……あなたに惚れた男の、これはちょっとしたわがままです」
「…………」
私は返答に詰まってしまった。今、はっきりと『あなたに惚れた』などと言われてしまったのだ。これまでは適当に受け流してきたが、これほど直球で踏み込まれてしまったら、いくら何でも意識せざるを得ない。
――まったく、私なんかのどこがいいのやら……
私は高城の顔から目を逸らし、内心で唇を尖らせる。
思えば高城は出会った当初から私に粉をかけてきていた。それが故、私は署の女性陣から総スカンを喰らい、陰で『あのチビ』だの『ブスゴリラ』だの『クソビッチ』などと呼称される羽目になったのである。
最初は『お客さん』待遇でこんなところに流されてきた腹いせ、もしくは気晴らしに私を利用しているのだろうと思っていたのだが――どうも本気らしい、と気付いたのはいつ頃だっただろうか。さほど時間はかからなかった気もする。
とはいえ以前からも言っている通り、私自身は驚くほど高城に興味がない。その気になれないというか、恋愛対象として見られないというか――手のかかる体の大きな〝弟〟のような感覚しか持てないのだ。
また、署の女性陣のやっかみに対しても、仕事で一緒になることはほぼなく、支障は全くないため、完全に無視している。偶にちょっとした嫌がらせみたいなのを受けるが、あまりにもささやか過ぎるので大して気にしていない。
正直、ああいった手合いは自分とは別次元の生き物なのだろう――と思っている。少なくとも、男がどうこうで他人に嫌がらせをしようなどという思考を、私は持ったことがない。だから気にするだけ無駄だ、と切り捨ててきた。
そんな風に、高城にまつわる面倒事からは距離を置いてきたつもりだったのだが――
「――ほとんど記憶に残ってませんが、それでも聞きたいですか?」
今回は流石に逃げ切れない、と悟った。私は溜め息交じりにそう答え、
「はい、もちろんです」
高城は心の底から嬉しそうに首肯した。
――まぁ、別に悪い気分ではないから、話してもいいか……
私とて、他者からの好意は素直に嬉しい。高城はこれまで強引な手法を取ってこなかった。無理に迫ったり、強引に誘ったりなど、私が嫌がるであろうことは決してしてこなかった。時折、からかうようなことは言ってきたけれど、それは猫がじゃれつくようなものだ。
軽薄そうな見た目とは裏腹に、高城はすこぶる真面目な人間だ。実際、そうでもなければ今のような地位にはついていないだろう。そう、決して悪い人ではないのだ、彼は。
ここで高城の好意を受け入れれば、きっと幸せと称していい未来が私には待っているのだろう。たとえ胸がひりつくような、燃え上がるがごとき恋愛はなくとも。心穏やかに毎日を過ごせるような……そんな将来像が、ほの見えるような気がして――私は苦笑まじりの溜め息を吐いた。
「……ご存じの通り、私の両親は何者かに殺されました。私はほとんど憶えていませんが、この傷はその時に――」
だが、タートルネックで隠された首元に手をやって語り始めた時、バーの扉が開いて新たな客が入ってきた。どやどやと喋りながら入店してきた四人組は、どうやら常連らしい。店員の案内も待たず、定位置と思しきテーブルへと真っ直ぐ向かっていく。
そんな彼らの姿を視界の端で、見るともなしに見ていると――ふと違和感にかられた。
「……?」
思わず口を止め、視線を高城からそちらへ移す。
若い男が四人。金や茶、赤といった明るい髪色が目を引く。が、どうして彼らに気を取られたのか、自分でもよくわからない。
「西尾さん?」
私の変化に気付いた高城が、首を傾げ呼びかけてくる。しかし、私は席に着こうとしている四人組から目が離せなかった。
何の変哲もない青年達だが、何故かやけに記憶に引っかかる。その理由をどうにか思い出そうとして――
「……もしかして、あっくん?」
気付けば私は、椅子から腰を上げていた。思わず出してしまった声は、狭い店内によく響いた。
「えっ?」
あっくん、と呼びかけた相手が、こちらに振り向いた。他の三人も動きを止めて、私と高城の方を見る。
やはり見覚えがあった。色を抜いて金にした後、手入れをしなかったせいでプリン風になった髪。目尻で紙が切れるんじゃないかと思うほどの鋭い目付き。ケンカで潰されて骨が砕けた結果、並より大きくなってしまった鼻。
岡本晃――かつて私が少年課に属していた頃、何度か補導した男の子だ。
「……も、もしかして――トモ、さん……!?」
プリン頭の青年が私を指差し、震える声で言った。懐かしい、随分と久しぶりで体も大きくなったようだが、声音は昔のままだ。
私は、うん、と頷き、
「そう、西尾よ。久しぶりじゃない、あっくん。でも、どうしてこん」
な所に――と続けようとしたところ、晃の表情の変化に気付く。
驚愕。
そして恐怖。
細く鋭い目を目一杯見開き、晃は口を開け、ガタガタと全身を震わせていた。
「――? ど、どうしたの、あっ」
くん、と呼びかけるのが早いか否か。
「――~ッ……!!」
血相を変えた晃が踵を返し、その場から逃げ出したではないか。
「えっ、ちょ――!?」
手近にあった椅子やテーブルを蹴散らし、ついさっき入ってきた扉から飛び出して行く。彼の仲間であろう三人も、愕然とその後ろ姿を見送っている。
嫌な予感が急激に喉元までせり上がってきた。
このまま彼を行かせてはいけない、すぐ追いかけなければ――そんな思いが私の体を突き動かした。
「西尾さん!?」
「すみません、すぐ戻ります!」
背中にかかった高城の声を振り切り、私も晃の後を追って店の外へ飛び出した。
急な階段を一気に駆け上がり、暗がりの中で耳を澄ます。
左。遠ざかる足音が聞こえた。
あっちだ。
――やっぱり動きやすい格好で来てよかった……!
改めてそう思いながら、私は靴底で地面を蹴っ飛ばし、全力疾走を始めたのだった。




