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プールデビューの日

作者: 凡 徹也

海育ちの僕が小学生の時、隣町にプールが出来たので、興味津々で泳ぎに行きました。そこで偶然列に並んで仲良くなったタケシ君との束の間の出来事とは…

 今から50年ほど前の出来事です。子供だった僕は、市内にやっと「市営プール」が出来たと聞き及んで、京急電鉄の電車に乗って初めて「北久里浜」という駅にやって来ました。駅の裏には山が迫り駅前を横切るR134は、未だ道も舗装されて無く、その国道を渡った先には草が生い茂り、果てしなく原っぱが拡がっていました。駅前には小さな広場に面して不二家の洋菓子店と、横断歩道を渡った所に「なるせ」という名の一軒の酒屋が有るだけの少し寂しさが漂っている駅でした。

 それでもこの一帯は、以前は湿地帯が拡がっていただけの淋しい土地で、そこを埋め立てて区画整理をして未だ間もない事と、駅の裏山はこの後開発されて「池田分譲地」という名前で造成が進むとの事で、まさしくこれから賑やかな街へと発展していくだろうという期待感溢れる駅では有りました。

 僕は駅を降りてR134を横断し、区画整理された土地の中心を貫く、衣笠方面へと抜ける緩やかな曲線の道をプールに向かってゆっくりと歩いて進んでいきました。周囲は空き地だらけで、そこには背丈の低い雑草が伸びているだけでした。その原っぱからは引っ切り無しにキリギリスの鳴く声が聞こえてきます。原っぱには柵も無いので、何も道をわざわざ歩かなくてもそこを突っ切ればプールまで近道出来ると思いました。

 間もなくその道に面して数軒建ち並ぶお店が見えてきました。「青木医院」「ロザンド」「一升屋」「三浦テレビ商会」「小川薬局」…それ以外でも所々の空き地には「~予定地」といった看板が立っています。そしてどの敷地からもキリギリスの鳴き声が聞こえていて、五月蠅いくらいでした。

 試しにその空き地の1つに踏み入ってみるとキリギリスの鳴き声はハタと同時に泣き止み、同時に紅雀の群れが一斉に飛び立ちました。

 僕は再び道へと戻り進んでいき、文房具屋を過ぎた所の信号のない交差点まで辿り着くと、左側には公園とその奥には「ガス温泉」の看板が見え、その先には平作川に架かる「根岸橋」が有りました。交差点の右側は、将来「交通公園」となる大きな原っぱと、セメント工場が有りました。その原っぱの先に見える小高い山の手前に、出来たばかりのプールの白い建物が良く見通せました。まだ離れているというのに、愉しそうに泳いでいる子供達の声が響いて聞こえています。

 ところで、僕の住んでいる街は海が目の前にある為か、「プール」という名の施設が有りませんでした。なので、その真新しい建物がまるで見知らぬよその国の物に見え、別世界に迷い込んで来たような新鮮な気持ちに包まれていました。僕は思い切って道を外れて、プールへの近道となる原っぱの中を横切って走りだしました。そしてプールの脇のフェンスまで来ると、中を覗きながら回り込んで、プールの正面玄関に辿り着きました。

 プールは大変な人気で、既に大勢の子供達が入場していて満杯で有り、入り口前には入場を待つ長い行列が出来ていました。プールは時間入れ替え制になっていて、次の入場時間を待っている行列でした。僕は窓口で次の回の二時間の利用札を受け取りその行列の最後尾に並びました。

 僕は別の街から来ているので、その行列に居る子供達は全員見知らぬ子供達でした。すると列の前で並んで待っている子が僕に話し掛けてきました。

 「お前、真っ黒に焼けてるけど、このプールは何回目だ?」

唐突に聞かれた僕は戸惑いながらも

「今日、初めて来たんだ」と答えました。

「そんなに真っ黒なのに?ふ~ん。お前は見かけない顔だな。俺はタケシって言うんだ。どこから来たの?」

そう聞かれてぼくが住んでいる街の名を言うと、

「すげー遠くから来たんだな」

「僕の住む街にはプールが未だ無いんだ」

「でも、あそこの海は綺麗だろ?俺は毎年泳ぎに出掛けるぜ。あの海は大好きさ」と、言うので

「僕も海は大好き。毎日出掛ける。でも、1度もプールで泳いだこと無いから今日はここまでやって来たんだ」

「へえ~お前プールで泳いだことが無いんだ。俺は8回目さ。ここも今年出来たばかりだからな」

 僕は「この街にはプールが出来て羨ましい」と言った。すると

「お前の街の海の方が俺はよっぽど羨ましいけどな」と、その子は言った。

 僕は少しだけ年上で有ろうタケシ君と話をする内にすっかり仲良くなってプールで一緒に泳ぐことになった。話を続けていて間もなく入場の時間が来て列は動いた。僕はゲートで札を見せてそれを手首にはめて中へと入った。建物の中もまだ、出来たばかりで真新しく、キョロキョロする僕をタケシ君が誘導して更衣室へと招いてくれた。

 更衣室へと入ると、中は結構薄暗くて、少しジメジメしていて、鼻を突く塩素の臭いが立ち籠めていた。それは海辺の潮の香りとは全く違った人口の香りだった。

 海パンに履き替えて浮き袋を膨らませていると、タケシ君が

「お前泳げないのか?」

と聞いてきたので、僕は

「泳げるけど、溺れないように」と、答えるとタケシ君は

「ハハハ!」と高笑いをした後、

「大きいプールは背が届かないけれど、子供用のプールは浅いから充分足が届くぜ」と言った。

 僕は半分空気が入りかけの浮き袋を持って消毒液の入った水に足を浸けて冷たい水シャワーを浴びた。その水は本当に冷たくて、普段入る海なら灼熱の砂漠のように火傷しそうな熱々の砂浜の上を裸足で駆け抜けて、ぬるま湯のような海に飛び込むのが常だったので、プールは海とは全く違うんだと面を喰らいました。僕はその震える身体で「寒い寒い」とプールサイドへと急ぎました。

 外へと出ると、陽射しが当たって急に暖かく感じました。プールサイドは滑らないザラザラのタイルが敷き詰められ、砂浜と違ってゴミ1つ落ちていないのでとても綺麗で、怪我の心配もありませんでした。タイルの上は陽射しを浴びているとはいえ、砂浜のように熱くはなく心地良い温かさがあり、快適な場所でした。

 タケシ君が、「ちゃんと準備運動しようぜ」と言ってきたので、僕は恥ずかしいと思いながらもプールサイドで彼のマネをして身体を動かしました。それからまず、水深の浅い子供用のプールに入りました。プールは、子供達で一杯の所為なのか水温は思っていたよりも遙かに温かくぬるめのお風呂みたいで、とても気持ち良い感じがしました。けれども、バシャバシャと少し泳いでみたら直ぐに他の子供にぶつかるのと、浅すぎて身体が底を蹴ってしまい泳ぎづらいので、タケシ君と一緒に直ぐに隣の大きなプールへと移動する事にしました。

 いよいよ「大人のプール」のデビューです。僕はプールサイドに置いてあった浮き輪に息を吹き込み、思い切り膨らませてから、深呼吸をして、それを持ってプールサイドに掛かるスチールパイプの階段からゆっくりとプールに入りました。

 プールの水はさっきよりも水温は低くて少し冷たく感じました。試しに浮き輪に捕まったまま底まで足を落としてみると、顔の半分は水に浸かる感じです。僕は水中メガネ

(→これはプール用のゴーグルの事だが、当時はゴーグルとは呼ばず水中メガネと呼んでいた)

を付けて水の中を見通すと、プールの水は透き通り限りなく青く清らかに見えました。しかし、それは水が青いわけでは無く、プールの壁が青いペンキで塗られている為でした。

 水はサラサラとしていて海水のようなまとわりつく粘りも潮の香りもありません。いつもは翻弄される大きな波も襲って来ません。そしてプールの底は平らであり、貝殻や岩もないので安心して何処でも足を着けることが出来ました。人が造ったこの「泳ぐ設備」は、とても快適なものでした。

 僕は最初は浮輪を使ってバシャバシャと泳いでいましたが、プールはとても混んでいたのでそれも邪魔に感じて、今度は浮輪をプールサイドに置いて泳ぎ出しました。

 タケシ君は僕より身体が大きかったので、プールの端の浅い場所では背が立つ様でした。そこでずっと観ていたタケシ君が、僕が泳いで戻ってくると

「何だあ、お前ちゃんと泳げるじゃん」と、声を掛けてきました。

 僕は、タケシ君の側で金具を掴んでぶら下がって返事をしました。

「そりゃ海ではいつも泳いでいるから」

 「それなら競争しようぜ」と言って来たので、僕はそれを受け、プールの反対サイドまで競争することにしました。

 僕達は横に並んで、「用意ドン」で、泳ぎ始めました。本当は僕は海育ちなので泳ぎには自信が有りました。でも、泳ぎ始めるとタケシ君はとても上手くて速かった。僕は後を追いかける形になりました。僕もタケシ君も途中で色々な人にぶつかったり避けたりしながら端まで泳ぎました。何回か往復して競争しましたが、僕はとうとうタケシ君には1度も勝てませんでした。

 ひとしきり泳いだ後、息が落ち着くまでプールに浸かっていると身体は冷えてきました。なので、僕とタケシ君は、プールサイドに上がってタオルを敷いてその上に寝転び休憩する事にしました。

 2人は並んで横になり、

「あー疲れた」と僕が思わず口に漏らすと、タケシ君も「本当に疲れたね」と言いました。

 プールサイドのタイルの上はとても暖かくて、太陽の陽射しが2人を照らしてくれています。息もすっかり落ち着いて気持ちが余りにも良いので、2人ともそのまま寝てしまいました。それは実際には僅かな時間だったのかもしれません。スピーカーから、時間の案内放送が流れ、その声で2人は目が覚めて、起き上がってから又、一緒に泳ぎました。

 二時間という時間はあっという間に過ぎ、僕達はロッカー室へと戻りシャワーを浴びて着替えを済ませてプールから外へと出ました。

 タケシ君は、プールを出ると直ぐに「腹が減ったなあ。そうだ!ちょっと寄っていこうよ」と、僕の手を掴み、直ぐ目の前の脇の道を入って行くと、ほんの少し先に子供達が群がっている店が有りました。僕は(駄菓子屋かな?)と、思いましたが、近くに行くとその店は「うしず」という名のおでん屋さんでした。

 タケシ君は、「ここのおでんは見た目は変わってるけど、凄く美味しいんだ。1度食べてみなよ」と言いました。並んでいる列の後ろに並ぶと、良い匂いが漂ってきます。他にもアイスクリームや、キャンディーも売っているけれども、子供達は皆、おでんを買っていました。タケシ君が、「竹輪麩が旨いぜ」というので、僕も竹輪麩を買いました。

 そのおでんは、いくら煮込んであるからといってもタレはチョコレートのようなこげ茶色をしていて、見た目にはとても不味そうに見えました。匂いも、普段海の家で食べるおでんとは全く違った強烈な甘い香りがします。僕は買ったあと店を出てそれを前の路上で箸で掴んで、恐る恐る口に運び一口かじりました。そして、僕はビックリしました。それまで食べたことの無い味で、濃厚な味噌味の美味しいおでんでした。

→(後で知りましたが、八丁味噌を使った名古屋風のおでんだったのです。)

本当に美味しくて、僕はもう一つ食べたかったのですが、そうすると帰りの電車賃が無くなってしまうので、我慢して諦める事にしました。

 それでも、1個で小腹は満たされました。「どう?美味しかった」と、タケシ君が、尋ねるので、僕は「うん。本当に美味しかった。今まで食べたおでんの中で1番だった」と答えました。

 僕はタケシ君と並んで駅の方へ向かい歩き出しました。すると、「まだ、時間有るの」と聞かれ、僕は「うん」と頷きました。すると、タケシ君は、「良いところへ連れて行ってやるよ」というので、交差点から駅へと向かわず、平作川の方へ向かいました。

 「ガス温泉」の前に掛かる「根岸橋」迄来ると、タケシ君は、その脇から川の土手へと降りて行くので、僕も続いて降りました。土手から川を観ると、透き通った川面には、海とは違う名も知らぬ種類の魚が沢山泳いで居るのが見えました。そして、大きな亀が首をもたげて水面に出していました。彼は「網持って来てたらあれ捕まえられたのに」と、悔しがって居ました。僕はそのタケシ君の顔がとても面白く感じて、笑いました。

 タケシ君が、「石投げしようぜ」というので、僕は土手の河原に落ちている石の中から、なるべく平たい石を探して持ちました。そして、川に投げると、3、4回跳ねました。続いてタケシ君も投げると、石は10回以上跳ねました。僕が驚いて観ていると、タケシ君は寄ってきて

「こうやって石を持って躰を捻って投げると沢山跳ねるよ」と、教えてくれたので、僕もマネをして、投げてみると、何回も跳ねて対岸まで届きました。

「上手いじゃん」と、タケシ君が言うので、僕は嬉しくなり夢中で何回も投げました。30分も続けると、僕の石投げも凄く上達出来ていました。

 息も上がりとても疲れたので僕達は川の土手から道へと上がり、暫く川沿いの道を歩きました。道を下って行くと、大きな錦鯉も沢山泳ぐ姿も見えました。そして、次の欄干も無い小さな橋迄来ると

「駅はこっちだよ」と、タケシ君が言うので道を曲がり付いていくと、正面に朝プールへと向かう時に見た「ロザンド」というパン屋が見えてました。タケシ君の家は川の側に有ると言いましたが、「俺が駅まで送ってやる」と言うので僕はタケシ君と一緒に駅まで向かいました。

 タケシ君は、その道すがらいきなり「きーん」と言いながら原っぱへと入り走り出しました。すると、それまで鳴いていたキリギリスの声は一斉に鳴き止みました。そして草むらに隠れていた大きなトンボや蝶は、空へと飛び立って行きます。僕もタケシ君を真似てその後を着いていきます。すると今度は地面から沢山の紅雀が一斉に飛び立って平作川の方へ群れで飛び去って行きました。

 原っぱを横切り駅前の横断歩道へと着いたとき、タケシ君の半ズボンと靴下には、沢山の草の種がこびりついていました。僕はタケシ君にそれを言うとタケシ君は、大声で笑い出し、「君も見て御覧よ。靴下とかいっぱいついてるよ」と言うので、自分の服を見てみると、種が余りにも沢山付いていたので、僕も笑い出してしまいました。僕とタケシ君は、その種をお互いに指でつまんで取り合いました。

 そしてタケシ君は言いました。

「又、プールに泳ぎに来るんか?」

僕は、「うん。又来週来る」と答えると、「じゃあ、又一緒に泳ごうな」と言いながら、僕はタケシ君と指切りげんまんをしてそこで別れ、僕は駅の改札の中に入っていきました。

 僕は次の日から、海辺で石投げの練習を毎日重ねました。自分ながら、とても上手になりました。しかし、残念ながら次の週は、当日雨が降っていたので、プールに行くのを諦めざるを得ませんでした。その次の週に僕はドキドキしながらプールに出掛けて行きましたが、タケシ君とは逢えませんでした。当時、僕の家にもタケシ君の家にも電話が無かったので約束するにも確認するにもそれは出来なかったのです。

 1人で泳いだプールはとてもつまらないものでした。仲良くなれる友達も居ませんでした。僕は帰りがけおでん屋に寄ってみると、相変わらず子供達は大勢集まっていましたが、その中にタケシ君は居ませんでした。その後、平作川の土手に降り、もう一度石投げをしました。石は沢山川面を跳ねていきました。僕の眼には涙が溢れていました。上手になった石投げをタケシ君に観て貰いたかった。「やったな」と、褒めて貰いたかった。その、やるせない気持ちを残して僕は家へと帰っていきました。

 その次の夏、僕の住む街にもプールが出来てもう北久里浜のプールには泳ぎに行かなくなり、あれから50年が経ってしまいました。それでも今でも夏の日が近付くとタケシ君の事を思い出します。いつか、もう一度逢いたいです。あの日の君に…

子供の時の実際あったほろ苦い体験を元に書いてみました。実際、北久里浜駅前の再開発の時代のことで有り、一部、実在の商店名等も出て来ますが、タケシ君は仮名です。よろしくお願いいたします。

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