杜若の無声映画
撮影が失敗すればいい。
呪いをかけてでもその本願を遂げたいと恨めしい目を露わにする反面。
撮影を失敗なんぞさせようものならば、そのなまっちろい白首をかっ切ってやると歯を剥き出しにしてしまう。
「相反する気持ちでお兄ちゃんはどうにかなってしまいそうだよ」
梅雨の走りがもたらした冷気により、窓を閉め切った状態ですら肌寒く感じてしまう部屋の中、漆黒の厚いカーテンに囲まれたその空間で、男性である荊は静かに涙を流していた。
その赤茶色の瞳に映るのは、部屋の真正面の真っ白い壁に映写機で投影された無声映画。
音がないというだけではなく、白黒の二色と限定されるにもかかわらず、妹の真樹の愛らしさが失われる事はなく、それどころかまだ年端もいかない少女だというのに、ころころと表情が変わる中、ほのかな美しさと妖しさも兼ね備える表情も生み出すその現実に、荊は静かに涙を流しながら直視する事しかできなかった。
「いずれ菖蒲か杜若。か」
池や沼地で育ち、花びらの真ん中に白い筋が入り、濃い紫色と白に染まる杜若が咲き誇る沼の中で、燥ぎ回ったり、ゆっくり歩いたり、立ち止まって手を振ったりする真樹。
投影されている真樹が手を振る相手は、兄であり亡き両親に代わり真樹を育てる荊に非ず。
真樹と同じ年の幼馴染にして、映画監督と映画カメラマンを目指している少年、百草だった。
専用のアプリでも使っているのか。
スマホで撮影しているにもかかわらず、なかなかの出来である。
(真樹の懸想する相手でなければ、素直に賛辞を捧げるものを)
透明な涙がいつの間にか血の色を露わにするものへと変化した荊。喉を絞りに絞らせたのちに、無念の声を発した。
(認めてなるものか。撮影が失敗して、真樹に失望されればいい。いや。真樹を撮影している以上、失敗なんぞ、許されるものか。いや。だが。ああ。お兄ちゃんは。お兄ちゃんは。どうすれば、)
「………ねえ。声をかけるの、もう少し待とうか?」
「………まったく。しょうがないお兄ちゃんだ」
そっと部屋の扉を開けて廊下に座り、隙間から部屋の中を覗いていた百草と真樹。五分間の無声映画から、繰り返し繰り返し五分間の無声映画を観ている荊へと視線を留めた。
「もう私も三十一歳になったっていうのに、お兄ちゃんの目にはまだあの無声映画の年頃の姿にしか見えてないのよ。やになっちゃう」
「真樹が可愛くて可愛くて愛しくて仕方ないんだよ」
「だからって。結婚報告をいざしようとした瞬間に用事があるからって、くつろいでたソファから立ち上がってこの部屋に逃げるなんて。もう、お兄ちゃんなんて無視して、結婚準備を進めようか?」
「本音じゃないくせに」
「………そりゃあ。まあ。唯一の肉親だし。認めてほしい。お兄ちゃんが苦虫を嚙み潰したよう顔でも血涙を流してでもいい。笑顔で認めてほしいなんて贅沢は言わない」
「うん。俺も、お兄さんに、荊さんに認めてもらいたい。結婚式に出てほしい。映画カメラマンとして認めてくれたから、今度は真樹さんの結婚相手として、家族の一員として、認めてもらいたい」
「うん。ありがとう。すんっごく面倒臭いお兄ちゃんだけど。ごめんね。シスコンのお兄ちゃんでも私、大好きなんだ」
「大丈夫。荊さんとも結婚するってぐらいの覚悟はあるから」
「んん。複雑な気持ちだけど。うん。それぐらいの覚悟でよろしく」
「うん」
お互いの顔を見て微笑み合った真樹と百草。手を繋いでは、荊と共に五分間の無声映画を観続けるのであった。
(2026.5.21)




