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掌編小説シリーズ  作者: 藤泉都理
2026.4.
2319/2333

受け継がれる招き猫




 はじまりは、一匹の猫が鷹狩帰りの殿様を、寺へ招いたこと。

 ある日、この地を通りかかった鷹狩帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。

 寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。

 雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです。

 それが箱根藩主の井伊直孝でした。

 豪德寺は、直孝に支援され、寛永10(1633年)に再興しました。

 その後、豪德寺では、福を招いた猫を「招福猫児まねきねこ」と呼び、お祀りする招福殿を建てられました。

 招福殿には、家内安全、商売繁盛、開運招福を願うたくさんの参詣者が訪れています。

 堂内には招福観音菩薩立像が安置されています。




(『豪德寺』のホームページより参照)






「うちも誰か支援してくれないかなあ。なんて。もう廃業が決まってるんだけど」


 ロビーのソファに座っていた五十代の女性、井伊縁いいえにしは、旅館を片付けて行く中で見つけた祖母の日記の最初の頁を読んでは、枯山水の庭を見つめた。


 つつじ旅館。

 浴用では切り傷、末梢循環障害、冷え性、皮膚乾燥症、飲用では胃十二指腸潰瘍、逆流性食道炎、耐糖能異常(糖尿病)、高尿酸血症(痛風)に効能がある炭酸水素塩泉が湧き出る温泉、ツツジの花が咲き匂う枯山水の庭、山菜とジビエを売りにしていた曾祖母から続く老舗旅館であったが、百二十五年の歴史に終止符を打つことになってしまった。


「温泉は枯れて、ツツジは新しく植え替えても病に侵されて枯れて、山菜もジビエも手にすることができなくなった上に、近場の駅は廃線。戦争のせいで燃料代は上がりまくって、送迎バスを出すことも、お風呂を沸かすことも苦しくなって。廃業。私の代で。おばあちゃんに。先代の女将に顔向けできない。ねえ」


 縁は抱えていた招き猫に話しかけた。

 旅館の顔の一つでもあり、福を招き入れてくれた招き猫に。

 曾祖母、つまり、祖母の母親から受け継いだこの旅館も祖母の代に廃業の危機に陥った時、祖母は廃業の危機を聞きつけた宿泊客にこの『豪德寺』の招き猫を貰ったのだそうだ。

 もちろん、経営が持ち直したのは、祖母と旅館の仲間の努力の賜物であり、常連客に恵まれていた事もあるが、それだけではないと祖母は豪快に笑って言った。

 この招き猫のおかげでもある。


「両親が交通事故で早くに亡くして、両親と共におじいちゃんも亡くなって。私とおばあちゃん。たった二人だけの家族になって。母親代わりでもあり、父親代わりでもあり、おじいちゃん代わりでもあり。尊敬する女将でもあった。私も次世代に。結婚はしなかったけど、受け継ぎたいって言ってくれた旅館の仲間のお子さんに。頼子よりこちゃんに胸を張って、あなたを手渡したかったのに。できなかった」

「女将」

「頼子ちゃん。ああ。ごめんなさいね。私だけ休憩しちゃって。物思いに耽ってしまったわ。まだまだ廃業に向けてやるべきことはたくさんあるのにね」


 旅館の仲間の一人であり三十代女性である江藤えとう頼子は目つきを険しくさせたまま、縁に近づいては綺麗な所作で床に直接正座したかと思えば、頭を下げて願い出た。

 招き猫を私に受け継がせてもらえませんか。


「私。この旅館から少し離れたところで古民家カフェ兼民泊を始めようと動いているんです。テーマはデジタルデトックスと不便。移動は徒歩、もしくは提供する自転車だけ。お風呂も電気も使用できる時間は固定短時間。食事はその日に手に入れた食材のみ。もしかしたら野菜だけかもしれない。それを売りにする。自然豊かでありながら、廃屋も廃畑も目立つここを盛り立てようとは、正直考えていません。ただ。失いたくはない。私たちが居なくなったら、確実に、なくなってしまう。それも運命だと受け入れたくはないんです。私たちはこれからもきっと失い続ける。だけど、失い続けたら、出て行かないといけないんですか? 離れないといけないんですか? 私は嫌です。ここが好きだから。みんなで育てて来たつつじ旅館が、つつじ旅館で育って来たみんなが大好きだったから。つつじ旅館の精神を受け継がせてください」

「………だめです」

「………そう、ですか」

「ええ。一度『豪德寺』に招き猫を連れ帰って、招き猫に英気を養ってもらってからでないと、頼子ちゃんには手渡せないわ。『豪德寺』に招き猫を授けてくださってありがとうございますってお礼を言ってからでないと、手渡せないわ。そうそう。この招き猫をおばあちゃんに手渡してくださったお客さんのご家族へ送るお手紙にも頼子ちゃんのことを書かないとね」

「………わた………私も。一緒に。行っても。いいですか?」

「ええ。一緒に行きましょう」

「………はい」


 ぽたぽた、ぽたぽた。

 縁も頼子も大粒の涙を流しながらも、顔を歪ませながらも、笑顔で招き猫とお互いを抱きしめ合っていた。




(ごめんね。おばあちゃん。ごめんね。招き猫。頼子ちゃんを。守ってね。本当は一緒に休んでもらおうと思ったけど。ごめんね。どうかよろしくお願いしますね)











(2026.4.17)




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