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掌編小説シリーズ  作者: 藤泉都理
2026.4.
2302/2315

ジャジーな夜の通り雨






 午後十一時から午後十一時三十分の三十分間。

 世界から音が消えた。

 神の仕業か誰かの悪戯か。

 話し声も機械音も歩く音も何もかもすべての音が消える時間が生まれてしまった。






 純白の袴を身に纏い、紅の紐で漆黒の長い髪の毛を旋毛の付近で結んでは背中に垂らす、目つきの鋭い女性であり、桜守の任に就いていた彩葉いろはは、キビキビとした足取りで、一本の桜の元に足を運んでいた。


(何だあの男は)


 彩葉は一本の桜の下に居る男性を見つけて眉根を寄せた。

 近くに街灯はないものの、月光と雪明りのおかげで男性が克明には分からぬものの、どのような外見なのかくらいは分かった。

 紅のキャノチエを頭に被り、紅のトレンチコートを身に纏う男性。

 顎に生える無精髭は見えるものの、紅のキャノチエを深く被っているので鼻から上の顔は見えない。

 トランペット奏者なのか、ただの趣味なのか。

 トランペットを奏でているのは分かるが、音が消えている時間帯なので、音楽は聞こえない。


(桜はまだ目覚めていない、か)


 彩葉は男性から男性の後ろに古式ゆかしく佇む桜へと視線を定めた。

 もう春を迎えたというのに、桜は根元に雪を纏ったまま、蕾のまま。

 桜は未だ眠っているのだ。


(何が足りないのか)


 幼き頃より桜守として生きて行く事が定められて、その定めを誇りに思っていた彩葉。達人というにはほど遠く、けれど、新米とは呼べぬほどに、桜守として生きて来た年月の中で初めて出会った、理由が不明の目覚めぬ桜に困惑を極めていた。


(病と虫による被害もなく、日照不足、水不足、栄養不足も原因ではない。頭を下げて師匠にも確認してもらった。間違いない。では何故。ほかにどのような理由があるというのだ)


 とりあえず男性には退いてもらおうと、彩葉が近づいて男性の肩を叩き彩葉の存在を知らせようとした時だった。

 突然の雨が彩葉と男性を襲ったのである。

 思わず天を仰いだ彩葉の瞳に映る月は、雲に隠れてはいなかった。

 通り雨かと判断してはその場に留まった彩葉。傘は持っていなかったので、濡れたまま。

 男性はよほど熱中しているのか。

 トランペットを手からも口からも離してはいなかった。


(よほど上手いのか。下手なのか。わざわざ音が消える時間帯に吹いているのだ。後者だろう。いや。熱中するあまり、この時間帯まで吹いている可能性もあるか)


 さっさと肩を叩いて、彩葉も通り雨も男性に気づかせればいい。

 そう思うのに、彩葉の手を空に留まったまま。

 トランペットからは音は出ていない。

 けれど、音が、聞こえるのだ。

 男性の小刻みに動く身体と、足踏みと、ピストンバルブを押す指と、マウスピースに押し当てる唇と、通り雨と、


(桜の、息吹が。聞こえる。桜が唄う声が、聞こえる)











「お姉さん。俺たちの演奏、どうだった?」


 話しかけられて意識を取り戻した彩葉。男性と通り雨と桜の演奏に魅入ってしまっていたと気付いては僅かに頬を朱に染めて、キャノチエを脱いで締まりのない笑みを向ける男性を睨みつけた。

 通り雨は止んでいた。


「あらら。気に入らなかった」

「気に入らないのは貴様のその軽薄な態度だけだ。演奏は………気に入った」

「そうか。それは重畳。タオル貸そうか?」

「要らん。これから私は桜を診る。貴様には場所を移してもらう」

「もう大丈夫だと思うけど。ほら」


 彩葉の瞳が男性が伸ばした指先を辿れば、綻ぶ桜の花があった。


「お姉さん。今から祝杯の酒でも飲みに行きませんか?」

「………」


 行きたくはない。

 けれど、桜を目覚めさせたその手腕を解明したい。色々と話を聞きたい。


「あらら。怖い顔。大丈夫。喰ってかからないから」

「私に指一本でも触れてみろ。貴様の命はない」

「はい。じゃあ、飲みに行くって事で。あ。桜と話したいだろうから、待っているね」

「………」


 渋面顔になっていた彩葉はトランペットを丁寧に拭き始める男性を横切り、桜の幹に手を当てながら、解け始めた雪を見て目覚めてよかったと思いつつ、そっと目を閉じて、桜の息吹に少しの間、耳を傾けた。


(………厄介な男に見つかってしまったな。お互いに)


 彩葉の言葉に応えるように、桜の花が一輪、二輪、三輪と綻び始めたのであった。




「そうそう。俺の名前はあお。音楽療法士。末永くよろしく」

「私の名前は彩葉。一時だけよろしく頼む」











(2026.4.5)




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