苔の帽子で安らぎを与える
最初は誰かが誰かを呼び掛けているんだと思いながら、気に留めず。
二度目は早く気づいてやれようるせえなと、苛立ち。
三度目は自分に呼び掛けているのかと気づくも、無視をして。
四度目は物理攻撃を受けた。
無論、難なく避けた。
思考の中では、
現実では物理攻撃をもろに受けた俺は、それでも支障なくその場を軽やかに立ち去れた。
攻撃が大したことがなかったからではなく、
攻撃の効力が発揮しない天候だったからに他ならない。
大雨だろうが大風だろうが大雪だろうがものともせずに、力強く羽ばたけていた翼。
艶やかな漆黒が日光に当たる時は七色に光り、月光に当たる時は銀色に光る自慢の翼だった。
それが今や、
大雨を浴びれば、飛行かなわず。
重力のおかげで、
大風を浴びれば、飛行かなわず。
乾燥のおかげで、
大雪を浴びれば、飛行かなわず。
仮死のおかげで、
大雨の中、手水舎の屋根の下。
水分を多分に含んだおかげで、彩り鮮やかになり、活き活きとしている苔。
を。
あちこちに生えさせているおかげで、苔と連動してひどく重くなって飛行ができない翼を注視してから、キッと隣に佇む人物を睨みつけた。
俺に呼び掛けるばかりか、苔さえ投げつけ、あまつさえ、支障ある翼にさせやがった人物を、である。
俺の激昂に気づいたそいつは口を尖らせた。
「なんだその態度はここは申し訳ございませんでしたと土下座をして解決策を見つけてきますと飛び出すところだろうという発言を幾度繰り返したと思う?」
「だって、あんな強い日光を浴びてたら、いくら妖怪だからって、熱中症になると思ったんだよ。だから、お父さんの麦わら帽子をあげようとしたのに、いくら呼び掛けても止まらないから気づいてないんだって。しかたなく、気づいてもらおうって、その辺に生えてた苔を投げたんだよ。そんな翼にさせるつもりはなかったんだもん」
涙を湛えた瞳を見ても、良心が痛むなどありえなかった。
あれから何年経ったと思っているんだか。
一年である。
夏秋冬春過ぎて、二度目の夏を迎えたのである。
自然神の下で働く烏天狗に無礼を働いたと、顔を真っ青にさせたのは、こいつの両親だけで、当の本人は未だに謝罪さえしていない。
こんな大事になるとは思わなかった反動だろうと、何となくは予想していたが、近ごろそうではないのかもしれないと思い始めた。
恐らく、だが。
こうなることを望んでいたのではないか、と。
正解かはわからない。
正解だとして理由もわからない。
幾度か問うてみたものの、違うと口を尖らせるばかり。
そんなに口を尖らせてばかりいると河童になるぞと脅してみても、泳ぎがうまくなるからいいと生意気に言う始末。
何を考えているんだか。
少しばかり、こいつの代わりに解決策探しに奔走している両親を憐れんでから、もう一度苔が少しでも少なくなってないか、確かめようとしたら、何かを差し出してきた。
意識し見れば、細長い水色の布だった。
「なんだその布は?」
「濡らして首に巻けばひんやりする布」
「おまえの目には俺がよほど暑さに弱く見えるらしいな」
「うん」
片眉が大きく跳ね上がったが、それ以上の反応は見せはしなかった。
「………寄こせ」
「うん」
すでに濡らされている布を首に巻けば、確かに、ひんやりして気持ちいい。
顔を背けてしまったそいつと、手水舎の角に置いている麦わら帽子を一瞥してから、翼を注視する。
彩り鮮やかで、艶やかで、活き活きしている苔とは裏腹に、色が抜け落ちたり、薄まっていたり、羽弁も綿状羽枝も抜け落ちて羽軸だけになっているなど、ところどころ傷んでいる羽の存在に、眉を顰めた。
どうやら、無理をさせていたらしい。
と気づいたのは、つい最近。
苔にばかり目がいって。
否。
翼をよくよく見るのは、今まで生きてきた中で、初めて、だった。
労わってなかったのだ。
今回のことがなければ、気づかなかったはず。
だから、か。
感謝しよう。
など、
しかし果たして、
さらさら思わず。
厄介な、
未だ篠突く雨を降らす曇天を見上げて、ひとりごちた烏天狗の視界の隅には、丸い頭と麦わら帽子が入っていた。
「自然神様。よろしいのですか?」
「よいよい。わしがいくら己の体調に気遣えと注意しても聞かなかったのだ。あともう一年はあのままにしておこう。ただ、おぬしたちには迷惑を掛けるな」
「頑張りすぎている烏天狗さんを休ませたい。という私たちの子の願いでもありますから、なんとかかんとか切り抜けて見せますよ」
「感謝する。ただし、辛抱たまらず暴れるようなことがあれば、こちらで対処するのでな」
「きっと大丈夫ですよ」
「ええ」
「そうであればいいのだがな」
「烏天狗さん。今年は日傘を持ってきたよ。ほら、肩につけるやつだから邪魔にならないでしょう」
「……もらっといてやる」




