一話 グエルの丘
PROLOGUE
気づいたら深い霧の中にいて、必死であたりを見回していた。
何故?此処はいったい・・・
身に覚えのない光景に、僕は不信と焦燥を覚えた。
霧が少し薄くなり、あたり一面が黄色い事に気がついた。地面は草花に覆われている。
ひんやりとした空気が頬を撫でた。甘い匂いが漂い、焦りはどこかに消えた。
不思議な場所だ。途方もなく広い気がする。この丘は、どこなんだろう・・・
そして、少し冷静になると自分が誰なのか分からないことに気づいた。今まで生きていたという実感はある。しかし、どこでどうやって暮らしていたのか全く思いだせなかった。
「・・・あれは、タンポポ?」
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僕は、黄色い世界から逃れるように眠りから覚めた。だけど、相変わらず僕の知らない世界は続いていた。メープルウッドの天井が見える。視線をずらし、窓の先を眺めると、ヨーロッパ調の建物が並んでいた。青空に響く市場の人々の声が聞こえる。
視線を天井に戻す。
僕は、どうしてしまったんだ。見知らぬ部屋のベッドで一人寝ている自分。見知らぬ天井、見たこともない景色、着たことのない寝巻き。
ドアをノックする音がする。
「入ってもいいかな?」
「・・・どうぞ。」
入ってきたのは初老の男性だった。やはり、知らない人間だ。
「あなたは、誰ですか?」
「わしの名前はミケロ。ほら、コーヒーでも飲んでまずは目を覚ますといい。話はそれからでも遅くはないよ。」
「ありがとう、ございます。」
言われるがままに熱いコーヒーを口にした。コーヒーの味など感じず、ただ熱い液体を体に流しているようだった。周りに起きている全てのことを理解するまでコーヒーの味など感じている暇はなかった。コーヒーを飲み終え、会釈をしてカップを返すと、ミケロは微笑み返した。
「さて、落ち着いたところで、先ず君の名前を教えて欲しい。名前がわからなければ呼ぶこともできんしな。」
「名前・・・思い出せないんです。自分の名前どころか、今までどこで生きていたのかも。」
「なんと、それは困ったな。では、なぜグエルの丘にいたのか聞いても無駄だね?。」
「はい。グエルの丘って、もしかして一面タンポポで覆われている場所ですか?」
「いやいや。グエルの丘はな、過去の戦争の被害で一面荒野になっとる。わしはこう見えて歴史学者でね。偶然グエルの丘を調査に行っていたんだよ。」
「そうなんですか。」
「そしたら、君が倒れていた、というわけだ。霧が深くて植物も無い。あそこは灰色の丘と言われていてな。一般人はまず立ち入ることのない場所なんだよ。そんな場所に子供が倒れているんだ、驚いたよ。」
「あの、ありがとうございます。助けてい頂いて。」
「構わんよ。独り身だしな、金もある。あてが見つかるまでここにいるといい。」
不幸中の幸いか。ミケロという老人は気の良さそうな人だった。