前編
部活のお題「神隠し」で書いたものがなかなかに長くなってしまったのでもったいなく。ぐだぐだな進行ですがそれでもよければどうぞ汗
【例えそれがちっぽけな幸せとしても】
前編
―――これは、たいそうちっぽけな話。
ちっぽけな赤目の少年が、ただ生きていた話。
一、プロローグ
化け物、と。俺の目を見た人は、決まってこう言った。時には蔑み、時にはおびえて、まっすぐこちらを指さしながら。
赤い瞳は、俺の自慢だったのに。
この目を嫌って、母は俺を赤ん坊の時に神社の境内に捨てたという。この目を嫌って、みなは俺を腫れもの扱いするようになった。この目を嫌って、石を投げ。この目を嫌って、この目を嫌って。
できることなら、恨みたくなかった。彼らのことも、目のことも。
「人間は、嫌いだ…」
ぽそり呟いたその声は、もう誰の耳にも届かない。
一、薄れかけた記憶の話
「今年は“捧げ年”らしいな」
そんな噂を聞いたのは、蝉の声がわんわんと騒がしい夏ごろだった。
俺が住んでいる村には大きな神社があり、人々はそこに伝わる言い伝えを信じ長年受け継いできた。
“ささげどし”。確か、神様との約束を守るために、お祈りをする年だって村長が言っていた。なにか長ったらしい話をしていた気がするけど、話の最中に寝てしまったからよく覚えていない。禁じられたことをした人がいて、怒りを買ったからなんたらー、みたいなことを言ってた気がしないでもないけど。もともと勉強自体が得意ではないし、難しい言葉ばかりで理解が追い付かなかった。
「えら、ばれた…?」
「そう。選ばれたんだ。神様にね。君は今年神様に連れられて、ここよりもずっと素敵なところに行けることになった」
普段なら誰一人として寄り付かない俺の家に、その日は大勢の大人がやってきた。
いまいち状況が呑み込めず、言われたことをそのまま何度か反芻してみる。
神様に、選ばれた。
口の中で転がしてみると、今までに感じたことのない、上品な香りが広がるようで。そもそも神様という言葉だけでもすごいのだ。しがない子供、ましてや化け物と呼ばれる自分など到底会うことはできないと思っていた。なのに、“選ばれた”と。
―――俺、ようやくみんなにみとめられたのかな。
よかった。誰も俺のことを嫌ったわけじゃなかったんだ。ひょっとしたら、目が赤いのだって特別だからなのかもしれない。特別だから、皆近づけなかっただけなのかもしれない。
一度肯定的に捉えてしまえば、今まで自分が受けた誹謗や中傷の数々が気にならなくなった。俺は特別なんだ。そう何度も繰
り返して、喜びを噛みしめる。
「おじさんたち、ありがとう!」
「おーおー、いいってことよ。それよりお前さん、急で悪いけど、神様にあえる日は明日の一日限りなのさ。明日の正午ごろ、神社の前においでなさい」
(早く、明日にならないかな。神様と話できるかな)
興奮が冷めずに、布団の中で何度も寝返りを打つ。今日知らされて明日が当日というのもびっくりしたけれど、何より今晩寝ずに準備をしてくれている人がいるそうで。緊張と楽しみで胸が高鳴る。早く、早く朝に―――
「やぁ、お前さん。神様にあう準備はできたかい?」
翌日、太陽が頭の真上に上ったころ。昨日家を訪ねてきた、少し老けた顔の男性が声を掛けてきた。快晴に近い空。強く照り付ける日差しは少し暑かったけれど、特別な日だ。我慢できる。
「うん、完璧!」
事前に渡された真っ白な衣装を身にまとい、くるりと回ってみせる。すると、腕や足を隅から隅まで念入りに拭かれた。神様にあうためにお清めをするんだよ、と、男性はにっこり笑う。なるほど。確かに汚れたままじゃ申しわけないもんな。
布にはお酒が染み込ませてあるらしく、むわっとくるアルコールのにおいが鼻を刺激する。あまり好きではないけれど、神様にあうため。我慢しないと。
「あと、これは神様に渡すお供えだよ。神様がいる本殿に持っていくんだ」
そう言って、男性は升一杯のお米と新鮮な野菜、それから、さっき布に染み込ませていたお酒の瓶を渡してくれた。ちょっと重いけど、大丈夫。きりっと顔を上げる。
軽く頭を下げて、指定された場所へ向かうべく階段を上がった。途中バランスが崩れて倒れそうになるも、何とか持ち直す。落としちゃ駄目。綺麗な状態で持っていくんだ。
「おじさん、着いたー!」
「じゃあ、足元にお供え物を置いて、正座をしておいてー!本殿のほうを向いてねー」
「はーい!」
足をたたんで、本殿のほうを向く。神様、初めまして。俺を選んでくれてどうもありがとうございます。心の中であいさつをする。神様にあったら、お供え物を渡して、それから、同じように選ばれた子たちと話すんだ。同じ特別だったら無視なんかしないよな。友達になれたらいいな…鬼ごっこもしたいな。
「…あと三分ほどで…ええ…のは…はい…」
下のほうで大人の人が話す声がする。神様をお呼びする準備でもするのかな。いよいよだ…ちょっと緊張してきた。
ふう、と息を吐いて。俺は小さな手を合わせた。神様、おいでください。沢山のお米があります。獲れたてのお野菜もあります。俺がそちらに行ったなら、お手伝いをいっぱいします。悪いことは一つもしません。よろしくお願いします。
…俺がいた村のみんなは、いい人ばかりでした。化け物のうわさが流れる前までは、こんな俺にも優しく接してくれていました。鬼ごっこもたくさんしたし、おいしい野菜を分けたりもしてくれました。嫌なこともいっぱいしてきたけれど、根はみんないい人なのです。だからどうか、俺がそちらにいった後も見守ってあげてください―――
「……っ、ぇ、」
突如、背中に感じた鈍い衝撃。鋭い痛みと圧迫感。…何が起きたのか。理解ができるまで少しの時間がかかった。
俺は今さっきまで神様をお迎えする準備をしていて、現に神様にあうための服を着ていて。あとは大人の人が、お呼びの儀式をすればいいだけのはずで。
…あれ。心なしか、息をするのがつらくなっていた気がする。体中の血が全部抜けて行っちゃうみたいな。足元が真っ赤に染まるみたいな。おかしい、おかしいよ。なんで胸のところから金属が出てるんだろう。なんでそこに、真っ赤なものがついてるんだろう。
「…ぁ…か、ひゅっ…」
息が苦しい。徐々に目の前が霞んでいく。赤く染まった床に手をついて、生暖かい液体に触れて、そこで初めて、自分がおかれた状況を理解した。
(おれ…いま、だれかにさされたんだ…)
段々と意識が遠くなっていく。背中から左胸を一突きにされたらしく、流れ出る血液の量がおびただしい。早く止めないと、おれ、死ぬかもな…。
走馬燈、っていうのだったか。死にゆく瞬間に、昔の記憶が映画のエンドロールのように流れて見えると聞いたことがある。
俺にはその時、昔仲が良かった少年の顔が見えていた。臆病で、でも優しくて、俺のことを唯一怖がらなかったやつ。深紅の目を見て、きれいだって言ってくれた、隣町に引っ越していったやつ。
(また、あいたいな…)
ふわり、と力が抜けていく。ゆらり、体が傾いて、本殿の前に倒れる。
死ぬのは嫌だな…。もっと、みんなと話したかった。もっと、みんなと遊びたかった。もっと、みんなと……
「あー…君、随分可哀想な死に方したんだねえ…うまく騙されて、贄として殺されちゃったんだ…」
のんびりと、気の抜けた声がして目を覚ます。でも、視界に入るのは本殿じゃなくて。
からんからん、と絶えず鳴り続ける鈴の音。
一面に飾られた提灯や灯篭。
上にも下にも延々と連なるロの字のフロアーには、商店や住宅、銭湯に……あれは確か、女の人がたくさんいるところ。とにかくいろいろな建物が所狭しと並べられていた。
「罪人の魂、一つ三銭―!!今なら値引きも考えますー!」
「そこのお狐さん、冷たい水菓子は如何かい?」
「おっかぁ、こっち来てー!!」
「……あの、ここは…?」
声を出して、普通に喋れたことにまず驚く。確か俺、背中を刺されて死んだはずで…。その割には衣服に血がついていないし、言ってしまえば渡された白いものでなく、自分の洋服を身にまとっていた。もしや、さっきのことは全部夢…?
「うーん。残念、かな。君が殺されたのは、紛れもない現実だよ。なんて言ったって、神様と話すには死ななきゃならないからねぇ。ただ…ここは君がいた現世とは違う。天界―――神と、人ならざる者が暮らす場所だ」
「っ、!?」
独り言として出てしまったのか、頭の中で考えていたことの答えを話されて、慌てて口を塞ぐ。口に出した覚えはないんだけどな…少し、怖い。
「神通力というやつさ。何も怖がらなくていい。私は神だよ。君が会いたくてしかなかった、ね」
そういって。自称神様は緩く微笑んだ。いや、正確には微笑んだように、見えた。目から下を覆うように真っ白布を巻いているため口元が見えず、表情が分からない。
「かみ、さま…」
「そうさ。でもあそこの神じゃぁない。いうなれば、神の世界の管理人といったところかな。
架空のしきたりによって殺された子供がいるって報告があったから、こうして来てみたんだよ。―――くんというのは君のことだよね?」
俺の、名前。
ついさっきまで村の人たちに呼ばれていた名前。
命の灯火が消えてから、いつの間にか離れてしまったそれが今、ゆっくりと俺のもとへ還る。
「……うん。俺は志月。かくうのしきたり…?っていうのはよく分からないけど。俺は、あの村にいたただの子供だよ」
―――目が赤かっただけで、化け物と呼ばれた子供。
「……その話も、ちゃんとしなくてはいけないね。」
神様はそういって、空を仰いだ。
世界は変わっても空は変わらないようで、いつものように夕日に染まった雲たちが流れていく。
「場所を変えようか」
ここじゃ落ち着けないよね、と苦笑いしてから、目を離したのはまばたきをしたほんの一瞬の間。けれど、次に目を開けたとき―――そこは夕日の下ではなくなっていた。
「急に神隠しちゃったけど…驚いた、かな。ごめんね」
そこを一言で表すとするならば、”白”と。誰もがそう答えるだろう。
上も下もわからない“無”の空間。何もない。何も見えない。世界に自分たちしかいないのだと錯覚するほどの孤独感。
「…ううん」
孤独感、があるはずなのに。
不思議と、怖いという気持ちは湧かなかった。確かにそこは殺風景で、無機質で、ずっといれば気が狂ってしまうほど何もない場所だけど。
触れる足の下には、わずかに温もりがあって。懐かしいような、帰りたいような、温かい気持ちにさせられたのだ。
「なんか、あったかい、から」
「へぇ。面白い人の子もいたものだねぇ」
そういうと神様は不思議そうに、しばらく自分が創ったであろう地に触って(遊んで)いたが、やがて飽きたのか俺の顔を見た。…いや、飽きたんじゃないな。しまった、って顔してるなこの人。見えないからわからないけど絶対そうだね。
「………そ、そろそろ本題に入ろうか!?」
明らかに声のトーンが上がる。動揺が隠せない神様ってどうなんだろう…ほかの神様を見たことがないから何とも言えないんだけどさ。と心の中では思ったものの流石に神様にツッコむことはできないので笑顔で返しておいた。
「待たせてしまったみたいですまないね、少年。いや…志月くん。今から私が、君に起きたことを話す。受け入れられないかもしれないけど、心して聞いてほしいんだ。大丈夫、かな」
「…うん」
この人、優しいんだろうなぁ。なんて、場違いなことを思う。自分のことじゃないのに、ここまで真剣に悩んでくれるのだ。悪い人、いや、悪い神にはみえない。
―――だからきっと、この人が話すことは虚偽のものではないはずで。紛れもない、真実のはずで。
「わかった。ありがとう」
思いの強さが伝わったのか、神様はより真剣な顔つきになった。いよいよだ。すぅ、と、深く息を吸う。
「……結論、から言うとね。君は殺されたんだよ。それも、存在しない架空のしきたりによって。
君がいた村に伝わる言い伝えは知っているかな。昔禁忌を犯した男がいて、怒った神がその地に災いをもたらした、って話。あれは、人間が事実に尾ひれをつけすぎた結果の作り話なんだ。実際には禁忌を犯したものなどいなかったし、第一禁忌を犯せるだけの魔力を持ったものがいなかった」
「じゃあ、どうして…?」
「単純な話さ。ただの流行り病だよ。
昔の人たちは知識がないからね。起きたことをすべて私たち神や妖ものの所為にしたがるのさ。まあ、間違えてない場合もあるのだけど…相当稀だね。私たちが人間界に干渉できるのはせいぜい自然現象くらいで、流行り病のような厄災は起こせない」
「まって、まって…ください。それって、俺は村の大人たちに騙されたってことですか。存在しないしきたりなら、俺が殺される理由はなかったはずじゃ、」
「その通りだよ…志月くん。しきたりを作ったのは彼らの遠い先祖だから…態とじゃないにせよ、君は罪もないのに大人に殺されたんだ。しきたりだって何年も祈りだけだった癖に、思い出したように君を贄にする話が出てきた…先刻文書を見させてもらったけど、君目のことで散々な扱いを受けていたそうじゃないか」
―――目の、こと。
言われた途端にフラッシュバックする、生きていたころの記憶。
すべての元凶にして、俺がほかの子供たちと異なっていた唯一のこと。
赤い、赤い、瞳。
それは、母に捨てられた原因を作り、自らを死に追いやって。それでも、ずっと好きだったもの。大事な俺の、自慢。
“僕、しきくんの目、すっごくすてきだと思ってたんだ”
好いてくれたのは、ただ一人だった。
「…っ、うん。そうだよ、でもっ!俺は…この目のこと、嫌いじゃなくて…」
「ああ、知っているよ。それも全部、文書に書いてあったからね。
だから…そうだね。君に選択肢をあげよう」
慌てて声を上げれば、神様は落ち着けと言わんばかりに指を一本立てた。それから、愉快そうに言う。
「一つ目。別の人間として生まれ変わる選択。これを選んだ場合、君は君として生きたことも、理不尽に殺されたことも、何もかも忘れて生きることになる」
二本目の指を立てる。神様の声色が変わる。
「そして二つ目。私たちの―――人ならざるもの達の仲間になるという選択。いうならばこれは―――そう、“提案”かな。君はもともと、こちら側の素質があると私は思うんだよ。その優しさは人々の信仰を集め、その怒りは人々の畏怖を買い、その赤は、それだけで人々の特別と成るんだ。…どうだい、少年。いい話だとは思わないか」
「えーと…?」
話が読めない。“人ならざるもの”の仲間?“こちら側”?
首を傾げていると、神様は困ったように頭をかいた。ごめんなさい馬鹿で。理解力が乏しいんです。
「つまりだよ。
“妖として、永遠の命を持たないか”と言っているのさ」
人でなく、妖として。力を持つものとして。記憶を留めたままである代わりに、君は人々の目に映らなくなるけれど、と神様は付け加えた。
「赤い瞳に真っ黒な髪…裸足で山を駆け回る姿は、さながら烏天狗のようじゃぁないか」
冷たい、とも、温かい、とも形容できない、何とも言えない温度の手で、両の目を覆われる。途端、頭の中に流れるのは、背に生えた黒翼で空を滑空する映像だった。大きな赤い鳥居を潜り抜け、木の上で一休みして、また飛んで。遠くから村の人々の声を聞く。
人の目に映らない、とは言われたけれど。あいつが越してから、俺はほかの子供とは関わらずいつも一人でいた。生きていたころと、何も変わらない―――それなら。
「神様。俺…なるよ、烏天狗。
永遠の命とか、そういうんじゃなくても、このまま終わらせたくない」
終わらせて、たまるか。
「…うん、いい眼だ」
決意を口にしてみせれば、神様が俺に向かって真っすぐに手を伸ばす。
「幼き人よ、黒き鴉の妖と成れ。鴉と成りて、この地を護れ!」
すらりと長い指先から、放たれた光が俺の体を包んだ。
深い深い、睡魔が訪れる。
二、未だ温もりが消えない話
「しーきーくん。おーい、しきくんってばー!!」
ドンドン、と、力強く扉をたたかれたことで目が覚める。聞きなれた声。思い浮かぶのは幼馴染の彼。
未だ覚醒しない体をやっとの思いで持ち上げて、寝ぼけ眼のまま壁時計に目をやる。確か約束の時間は九時半。さっき起きた時には少し余裕があったため、まだ大丈夫だと二度寝をした…のがいけなかった。
時計の短針は、十の数を指していたのである。
「十時!?!?わわ、ごめんかおる!!」
転げ落ちるようにベッドから出て、階段を駆け下りる。ぼさぼさした頭のまま近くにあったシャツと短パンに乱暴に着替え、顔に冷たい水をばしゃりと掛けて。元気よく飛び出せば、玄関前で待っている背の低い少年が笑った。
「おはよう、しきくん」
ふわふわとしたやわらかい毛質の髪。大きな黒い瞳も相まって、小動物っぽさを醸し出している彼。
名前は香。俺の家の向かいに住んでいる、いわば幼馴染み。村に住む子供がそもそも少ないとあって、半分兄弟みたいなものだ。
「おう、おはよかおる。遊ぼうぜ!」
お決まりのセリフを吐いて、俺らは走り出す。手にはなんにも持っていなくとも、体一つでなんだってできた。
川遊びに、森を使った鬼ごっこ。一時期はやった暗号遊び、お互いの宝物を用いたもの探しゲーム。二人で遊んで、つまらない日などなかった。の、だが。
「今日は何する?」
「かくれんぼ…は、もう隠れる場所なくなっちゃったか」
「だいたいしきくん強すぎるんだよー、なんで僕のことすぐ見つけるの!!」
「そりゃあ…かおるが隠れるの下手だからだろ」
「ひどい!?」
「時間制限付きでも勝てる気がするよ、俺」
「なんかすごい遠回しに嫌味を言われた気がする…。
んー、じゃあ川遊びは?」
「おい、かおる病み上がりだろ?」
「大丈夫だよぉ、そんなにひどくなかったし」
「そう言ってぶっ倒れたこと忘れたのか!?」
「…優しいなあもう。ってことは鬼ごっこも駄目だし…」
あれも駄目、これも駄目…と、二人してしばらくの間唸り続けていたが、ふと思いつく。そういえば、長いことやっていない気がするな、あの遊び。
「なぁかおる、久々に“アレ”やってよ」
にやりと口角を上げた。気づいた香も、いたずらな顔をする。
「ふふ、“アレ”ねぇ。いいよ。やろうか久々に」
そうと決まれば神社に向かおうぜ、と一足先に俺は走り出す。病み上がりなんだからゆっくりでいいよー、と手を振るのを忘れずに。
“アレ”というのは、志月たち二人が昔からやっている、いわば秘密の遊びというやつで。俺は眼が赤いだけだが、どちらかというと香のほうが“特別”だったのだ。
彼は神社の鳥居に入ると不思議な力が使えるようになるらしく、俺はそれを見ているのが楽しくて、いつも頼んでは見せてもらっていた。ぱん、と手をたたけば集めた落ち葉の山が小さな鳥になったり、俺には誰もいないように見えるところで誰かと話をしていたり。怖いよりも好奇心のほうが勝って、今何してんの、とか、何してよ、とか、香の後をついては質問攻めにして。
普通の遊びの時にはどんくさく、俺に負けてばかりの香が、この時ばかりはすごくかっこよく見えるのが好きだった。本人も楽しそうだし、俺も楽しいし。神様が手助けをするからなのか、神社で遊ぶ時には大して疲れないのだと香が言っていた。病み上がりだけど、きっと沢山遊べるだろう。
「しきく~ん、ごめんね遅くなって~」
使うであろう木の枝を集めたり、(見えないけど)神様に挨拶したりしているうちに、香がやってきた。急がなくていいって言ったのに、絶対あいつ後半走ったな…額にうっすらと汗が滲んでいる。
「大丈夫だって。ほら、一旦休憩して水でも飲んで来いよ?」
本殿裏の水飲み場へ行くよう促したのだが、香は首を横に振った。せっかく神社に入ったんだし、と何やら企んだ顔をして。
「よーいしょ!」
ぱん、と。彼が勢いよく手を合わせれば、俺らの頭上、五つ数えられるほどの少しの間だけ、空の涙のような雨が降り、そして消えた。微かな水分は暑さに火照っていた身体を絶妙に冷やし、心地よさを与えて。
「わあ…」
思わずもれていた声。空からの光も相まって、透明に輝くそれはまるで小さな宝石のようで。純粋に“きれい”と零せば、嬉しそうに、されど少しだけ得意げに、香が笑った。
「しきくんは、あめ、すき?」
そりゃぁもちろん、と俺は返す。雨が降れば、田んぼのお米がすくすく育つしね。
「あはは、そっかぁ。しきくんって本当、遊ぶことかご飯のことしか考えてないよねぇ」
もう一度、手をたたく音。今度は空中に水の塊が現れ、ふよふよと浮遊する。一つ、また一つ。消えることなく漂い続ける水の塊、のようなもの。よくよく見れば耳のようなものまでついている。…なんだこれ。
「それはいいすぎだっての!ちゃんと勉強もしてるし。…たまにだけど」
突っ込みと言い訳は忘れずに、水の塊のようなもの、要約して水もどきの一つをまじまじと観察する俺。移動による流れが出来ているため液体であることは間違いないのだが、どことなく…そう、生き物っぽいのだ。
「なぁ、これ何?」
我慢できなくなって聞いてみてしまう。こういう時、自分の好奇心を憎く思うのだが、一度気になってしまったものは仕方がない。納得できるまで問うてみるのが俺の中でのルールみたいなものだった。
「えへへ、なんでしょー?」
と、人が一生懸命悩んでいるのにも関わらず、作った張本人はにやにやとほほを緩ませ、「当ててみてごらん」と言わんばかりにこちらをじっと見つめてくる。
…いやいやいやいや。それはずるいって。改めてよく見てもこの水もどき、犬よりも長くウサギよりも短いなんとも言えない長さの耳があるというだけで既に突っ込みどころ満載なのに、それを酔っぱらいが頭に巻いたネクタイの様にブンブンと振り回しているのだからコメントのしようがない。いやなんだよこれ。
「わからないようだから教えてあげよう、しきくん。これは僕が創り出した生き物―――名前はないっっ!」
どやあああ、と。大音量の効果音が聞こえてくるかと思ったほど。ためにためた香は胸を張って言い切ってみせた。いや知らないよ。お前が創ったんなら俺が知るわけないよ。
「んだよそれー!!!俺の時間返せー!!」
ぼかぼかと香の体をたたく俺。ちょっと、いや、かなり痛そうだが我慢しやがれ。俺をからかった罰だ。
「ちょ、しきくん痛、痛いってば!!ごめんなさい許して!?」
容赦なく叩いていれば流石に反省したのか、香が降参の声を上げる。やりすぎたとは思ったが口にしない。よろしい、と、どこぞの王様のように態度を大きくして、改めて問うてみる。
「―――で、そいつ。名前はないって話だけど…決めないの?なんなら一緒に考えるけど、俺」
生み出したならば、名前を付けてやるのが親(この場合は親といっていいのか分からないところではあるが)の義務だと思うわけで。香は俺の提案に乗る。
「っていってもねぇ…名前かぁ。どんなのがいいかな…」
うんうん唸りつつ、それっぽい名前を挙げていく。斎藤くん、誰だそれ。ぽん太、狸じゃあるまいし。コロ助、それは駄目だろ。水助、微妙。エトセトラ、エトセトラ…。
「だーっっ!!めんどくせぇ!もうみずうさぎでいいよお前!」
「適当だねぇ!?」
香による渾身の突っ込み。珍しい…じゃなくて。
「いやだってさ。お前に任してると日が暮れそうなんだよ…」
あれじゃない、これじゃない、と悩むだけなら良いのだが、彼のネーミングセンスの悪さは一等級だった。俺だってそういいものは持ってないが、これはあまりにも水もどきが可哀想すぎる。
と、言ってみたはいいものの。
「だからって…みずうさぎはなぁ」
生みの親はお気に召さないようで顔を顰めている。ウサギっぽいだけでウサギじゃない疑惑は抜けていないが、水助とか言われるより何倍もましだと思うんだうん。ほら、こころなしか水もどきも喜んでる気がするよ。耳っぽいところ振りすぎてもはや見えないよ。
「まあ、この子が気に入ってるならいいや。…よろしくね、みずうさぎ」
未だふよふよと浮き続ける生き物に香が手を差し出せば、俺もそれに倣う。
「なかよく、してくれよ?」
そっと耳(?)に触れる。やはり水のようで形はなく、ひんやりと冷たい。
こちらに”触っている”という感覚はなくても、みずうさぎにとっては気持ちがいいようで。しばらく撫でていれば嬉しそうに、ふよふよと浮く上下運動を大きくする。―――そして。
きゅう、と。どこにあるか分からない口で、鳴いたのだった。
「「お前(君)鳴けたの!?!?」」
この一瞬を、俺は一生忘れないだろう。
走って、転んで、泥だらけになって。笑った。数えきれないくらいたくさん、たくさん。
この先もずっと、変わらないと思ってた。幸せが長く続かないことを、俺は知らなかったのだ。香が隣にいるのは当たり前で、ずっとずっと、一緒に遊べるのだと思ってた。一緒に大きくなれるのだと思っていた。
―――でも。現実はそうはいかなくて。
香は、小学校三年の夏の終わり、突然別れを告げてきた。
「お父さんの転勤でさ。仕方ないんだって。
……ごめん。ごめんね…ほんとはしきくんとずっと一緒にいたい、ひっこししたくない、けど…っ」
聞けば、引っ越しが決まったのは随分前のことだったという。悲しませたくなくて黙ってたんだ、と眉を下げて香は無理やり笑みを作った。
「離れてても、友達だからね。手紙も書くし、電話もするから。さみしくないよ」
視界が滲む。だんだんと、香の顔がぼやけてくる。またいつかな、と声を掛けようとして、うまく言えなくて。思わず顔を下に向ければ、足元に小さなシミが出来た。
「なかないで、しきくん」
自分も大粒の涙をこぼしているくせにそう言って。香は俺の体を引き寄せ、それから、力いっぱい抱きしめた。
「しきくんはさ。僕が神社に来るたびに力のことほめてくれたでしょ。あれ、すっごく嬉しかったんだ」
涙がほほを伝って、香が着ている服に染み込んでいく。見られたくなくて、子供っぽいといわれるのが嫌で、顔をうずめた。
香は続ける。
「だからね、お返し。僕、しきくんの目、すっごくすてきだと思ってたんだ。正直言って…ちょっと、羨ましかったし。
大人の人がなんて言っても、それはしきくんの魅力だよ」
その言葉は、俺の耳から体の中をめぐって。頭の中にこびりついていた“化け物”の文字を、いとも簡単にはがしてしまったように感じた。今までに向けられたどんな冷たい言葉より、その一言は大きく、温かく。
「ありがとう、香。お前は俺の、最高の友達だよ」
俺は笑った。涙と鼻水でぐちゃぐちゃなまま、今までで一番いい表情で。
「また、いつか」
言えなかったセリフを、口にしたのだった。
【続く(はず)】
はい。ここで前編終了です。神隠しとは何だったのか??レベルですごめんなさい。後編に詰め込みすぎでは…飽きて違うもの書き始めるの目に見えてるよ…?これからが楽しいところなのに自分のモチベーションが維持できるかどうかが心配です。
この話の解説ですが、実は神隠しと聞いたときにぱっと出てきたのがとある方の二次創作小説でして。書いている最中それが離れず、最初のほうがめちゃくちゃ似てしまったことをここで反省しますごめんなさい。(スライディング土下座)。後編からオリジナリティーぶち込んでいい感じの結末を迎え…ようとはしてるのですが、如何せん語彙力がないもので完成させられるかどうか。ああ語彙力…怖くないから僕のとこおいで…。
開始早々主人公が死に、これからどうなるのか(僕さえ)分からない状態なのが本当に申し訳ないのですが、とりあえずこれだけは言わせてくださいうちの子かわいい。
どれだけ作業がつらくてもうちの子の可愛さがやる気を与えてくれるんだということを身をもって知りました。志月くんも香くんもすごいですね。神様かな???
書き終わったテンションでめちゃくちゃ長くなりましたが、ここまで読んでくださった方々に最大限の感謝を。また後編でお会いしましょう!!