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なぜ探偵は未来の絵を探し求めたのか【前編】


 愚者ほど自分が才人を騙すのに適していると思い込む

 ――マルク・ド・ヴォーヴナルグ





 夜空を赤く染めて炎が立ち昇る。それは怒り狂う竜のようで、屋敷が燃えているという事実を差し引いたとしても恐ろしく見える。


「お母さんがまだ中に!」


 人混みを掻き分けて屋敷に歩み寄る影。それは華奢な女の姿であった。

 当然ながら燃え盛る炎を一人でどうにかできるはずもなく、辺りにいる者達はすぐさま彼女を引き留めた。それでも女は身を投じんばかりに抗い続ける。


「お母さん!」


 女がもう一度叫ぶと、ドンッと低い声で竜が鳴いた。同時に、ガスにでも引火したのか、散り散りに木片が跳ね飛ばされ、ひときわ大きな炎が上がる。


 眩しい。


 放射状に放たれるその光は、まるで、地面に咲いた花火のようであった。



 * * *



 コンビニ袋片手にパンを齧りながら歩く。待ち合わせの場所に着くと、二十代半ばと思われる女が軟派な男達に絡まれていた。どうやら彼女が依頼主のようだ。荒俣はそう思い、辺りを一瞥してから男達に声を掛けた。


「すみません。そこのベンツの持ち主を知っていますか?」


 相手は体格の良い若者三人。取っ組み合いになれば負ける。彼らもそれを察してか、道路脇の車を一瞬だけ見やると、余裕な素振りで言葉を返してきた。


「オッサン、そんなこと知る訳ねえだろ」


 荒俣は鼻で笑う。


「では私が答えましょう。すぐそこのビルの三階に家紋の入った窓があります。あれね、ご存じないかもしれませんが、ある暴力団の家紋なのですよ。十中八九この黒塗りのベンツはヤクザの持ち物です」


 話をしながら手持ちの小銭をビニール袋に入れる。


「でね、このベンツ、盗難防止センサが付いているのですよ」


 荒俣は車に近付き、袋をクルリと回して窓に叩きつけた。硝子が砕け、甲高い警報音が鳴る。

 若者達は呆然としていた。そんな彼らを指差し、荒俣は叫んだ。


「君達、車を盗むつもりか!」


 ビルの三階の窓が開く。階段を駆け降りる足音が聞こえてくる。若者達は状況を理解したらしく、慌てて逃げ出した。

 荒俣も、女の手を取り、急いでその場を離れる。



 ほとぼりが冷めてから荒俣は女の手を離した。


「いやぁ、お綺麗な方は変な輩に絡まれて大変ですね」


 軽口を叩くと、彼女は戸惑いがちに頭を下げた。


「ありがとうございます」


「いえいえ、楽しませて頂きました」


「楽しませて?」


「若者達の青ざめた顔、面白かったでしょ?」


「……とにかく、助かりました」


 女は改めて会釈をし、立ち去ろうとした。

 荒俣は咄嗟に呼び止めた。


篠崎晶(しのざきあきら)さん、ですよね?」


 怪訝な面持ちで女が振り返る。晶で間違いなさそうだ。


「私、依頼を承った探偵、荒俣栗夫(あらまたくりお)と申します」





 通されたリビングのソファに腰を掛け、さっそく尋ねる。


「行方不明の婚約者を探しているとのことですが」


 ドラマの探偵は難事件ばかりを解決しているが、実際の探偵の仕事は地味なものだ。ご多分に漏れず荒俣も素行調査と人探しのみをしている。ただしその仕事に不満を抱いたことなどなく、むしろ天職とさえ思っている。なぜなら荒俣には他人の不幸を好む性癖があるからだ。素行調査も人探しもプライバシーの粗探し、すなわち不幸に直結している。今回の案件にしても男に逃げられただけという話だろう。

 荒俣は真剣な顔をしつつも高を括って返答を待った。ところが晶の話は、想像以上に物騒な様相を呈していた。


「先月、火事で母が亡くなったんです。その時に彼は……」


 晶は幼い頃に父を亡くし、母子家庭で育った。そして十代の頃に実家を離れ、半年前からは交際中の画家・高橋哲也とこのマンションで暮らしていた。

 それが一ヶ月前、婚約の報告をする為に二人で実家に帰ったところ、屋敷が全焼して母親が死亡した上、高橋が姿をくらましてしまったそうだ。


「晶さん、ちょ、ちょっと待って下さい。その火事は事故ですか?」


「いいえ。警察は自殺と断定しています。現場を調べたところ、母が自ら灯油をかぶって火を点けた形跡があったようです」


「それは、ご愁傷様です。とりあえず事件性はないのですね?」


 これは大事な確認だ。もし高橋が何らかの事件の関係者ならば管轄は警察、探偵の出る幕はない。

 荒俣は首肯する晶の姿を認めてから話を進めた。


 晶が言うには、母親と高橋に接点はなく、当日の昼間に三人で会ったのが初対面だそうだ。夜に発生した火災の最中に高橋は消えているので、その二人が顔を合わせたのは一度きりということになる。

 もちろん晶が知らないだけで過去に交流があった可能性もゼロではないが、晶の母親は某大手企業の創業者一族に名を連ねるお嬢様、かたや高橋は売れない若手画家、面識があったとは思えない。


「しかし、タイミング的にお母様の自殺と高橋さんの失踪は関係がありそうですよねぇ。晶さんはどう思われます?」


 そう問うと、晶は神妙な面持ちをした。


「母と哲也は先程も申し上げた通り面識はありませんでした。ただ、彼は母が焼死することを知っていたと思います」


「それはなぜ?」


「哲也は予知能力があるんです」


 冗談を言っているようには思えない。かといって予知などというオカルトが存在するとも思えない。荒俣は困惑した。すると晶が立ち上がった。


「実際に絵を見て頂くのが早いですね」



 晶に促され、高橋がアトリエとして利用していた部屋に入る。そこには同じ大きさの二枚の絵画が壁に立て掛けられていた。縦1メートル弱、幅60センチ程。一枚の絵には背の高い建物が、もう一枚の絵には花火のような燃える球体が描かれている。いずれも抽象的な装いで、芸術に明るくない荒俣からすれば、何のメッセージも読み取れない。


「これは未来の絵です」


 晶がそう言うが、やはり意味は分からない。そんな気配を察してか、彼女はスマホを弄りながら解説を始めた。


「まず左の建物の絵、それはわたしの実家なんです。わたしの実家は地元では珍しい三階建てで、近所の人達からは三階屋敷と呼ばれていました」


 スマホを差し出される。そこには高橋と思われる男の画像が表示されていた。男の背後には屋敷が映り込んでいる。


「絵の建物と似ていますねぇ。では、もう一枚の絵は?」


「それは、これを見て頂くと分かると思います」


 晶がスマホを操作すると、今度はニュースが表示された。中年女性が焼身自殺をしたという記事だ。名前は伏せられているが、晶の母親のことだと分かる。その記事の隅には燃える屋敷の写真が載っていた。


「随分と激しく燃えたのですね。まるで花火だ……晶さんの言いたいことは分かりました。確かに高橋さんの描いた絵と火災の状況は似ています。しかし、それだけで予知能力があるとは……」


「絵のタイトルが『未来』なんです」


 晶が荒俣の言葉を遮り、花火の絵を裏返す。

 そこには高橋のサインと『未来19』という文字があった。


「哲也は『未来』という絵を何枚も描いていました。これは19枚目です」



 一通りの説明を聞き終えた荒俣は唸り声をあげ、花火の絵を手に取った。怪しい点はない。というより、絵の知識がないので何をもって怪しいとすれば良いのかが分からない。


「これ、晶さんが火災の後に描いたのでは?」


「間違いなく絵もタイトルも哲也が書いています」


「冗談ですよ。一応、裏取りはしますけど」


 続いて屋敷の絵を手に取る。その絵の裏側には『未来16』と書かれている。


「晶さん、17と18は?」


「売れたのでここにはありません」


「どんな絵でした?」


「確か、火事の絵と似ていました」


 高橋が未来の絵を失踪よりも前に描いていたならば、彼は火災が起こることを知っていたということになる。ただしそれは、予知ではなく、放火したと考えるほうが自然だ。だが警察は事件性なしと判断している。その判断が絶対という訳ではないが、現代の科学捜査は精度が高いので、少なくとも晶の母が自ら灯油を浴びて火を放ったのは事実だろう。


 荒俣が考えを巡らせていると、再び晶が語り出した。


「実は火事の絵よりも後に描かれた絵もあるんです。ただ、一度も見せて貰えないまま売られてしまいましたけど」


「それも未来の絵でした?」


「たぶん……で、その絵さえ見つけられれば彼の居場所が分かる気がするんです」


 晶の言い分は理解できる。とはいえ予知などというオカルトを根拠に人探しをするのは躊躇われる。そこで荒俣は提案を持ち掛けた。


「高橋さんを探しますか? それとも絵を探しますか?」


 しばしの逡巡の後、晶はこう答えた。


「哲也を、探して下さい」





 正式に依頼を受けた荒俣は高橋の捜索を開始した。

 奇妙な話をされはしたが、主な作業はいつも通り、聞き込みだ。晶から提供された情報を基に高橋の身辺を洗う。

 だが得られる情報は「彼女の実家に行くと言っていた」という既知の事実ばかりで、新たな話は「金持ちの娘と交際していると自慢していた」、「彼女が身体を許してくれないらしい」といった下世話なものだけだった。


 そうして有力情報のないまま一週間が過ぎ、次は現場となった晶の実家を訪ねてみるかと考えていると、電話が掛かってきた。


 それは晶からで、今から実家で会わないか、とのことだった。





 田舎町の駅で降り、タクシーを探す。しかしタクシーどころかバス停さえ見当たらない。致し方なく荒俣は、晶の実家、正確には実家のあった焼け跡まで、徒歩で向かうことにした。


 電車で数時間の場所にあるこの町は、目立った観光施設もなく、ひっそりとしていた。民家は点在しているものの、それよりも緑のほうが多く、人の姿はない。

 ところが、まもなく目的地に着こうとしている時、何者かの気配がした。荒俣は急いで次の角を曲がり、すぐさま後ろを振り返った。

 そこには、腰の曲がった老人の姿があった。


「何か用ですか?」


 尋ねると、老人は無言で首を傾げた。

 荒俣は仕事柄、尾行には敏感だ。老人は確かに後をつけてきていた。


「お爺さん、惚けないで下さいよ」


 冷たく言い放つと、彼は観念したのか、口を開いた。


「いや、ここらで見ない顔だと思いましてね」


「それだけで尾行を?」


「うちの宿に泊まりませんか?」


 安堵の溜め息をつく。


「なんだ、宿屋の営業か……」


「それもありますが、以前も知らない人がここに来たことがありまして、その時、大きな火災が起こったんです。それで気になりまして」


 知らない人というのは高橋のことだろう。もしかすれば老人は何らかの情報を持っているかもしれない。だが今は約束があり、悠長に話を聞いている暇はない。

 荒俣は老人から連絡先を貰い、「後で伺います」とだけ言って彼と別れた。



 それから少し行くと、晶がいた。その視線の先には焼け跡が広がっている。瓦礫はもう撤去されているが、焦げた草木が未だ痛々しさを放っている。


「遅くなって申し訳ありませんでした」


 声を掛けると、晶は相好を崩して振り返った。


「いえ、わたしも来たばかりです」


「なら良かった。それ、電話で言っていた絵ですか?」


 彼女の手には板状の荷物があった。


「はい。これが最後に描かれた未来の絵です」


 包みが解かれる。それは、崖際に立つ派手な服を着た男の絵だった。

 

 既に電話で大まかな話は聞かされていた。晶は、荒俣が聞き込みを行なっている間に独自で捜索をし、ある画廊でこの絵を入手したらしい。そして、そこに描かれている景色が実家近くの崖に似ていたことから、荒俣に同伴を願ったのだ。


「その派手な男は高橋さん?」


「彼は服装も性格も華やかでした」


「ちょっと見せて貰って良いですか?」


 絵の細部を確認する。その絵の裏側には屋敷の絵や花火の絵と同様に高橋のサインがあった。しかし。


「晶さん、この絵のタイトル、『未来』としか書かれていませんね」


「ええ。なぜか番号がないんです」


 彼女も事情を把握していないようだ。


「まあ、良いでしょう。とりあえず崖に行きましょうか」


 荒俣にしてみれば、この町に来た一番の理由は聞き込みだ。絵にはそれほど興味がない。その為、早々に用を済ませてしまおうと、晶の荷物一式を奪うように受け取り、率先して歩き始めた。





 崖は、晶の言う通りすぐ近くにあった。

 道中は気が付かなかったが、どうやら駅からここまでは緩やかな登りになっていたらしく、三階屋敷の裏手は深い谷だったのだ。


「絵の景色に似ていると思いませんか?」


 そう言う晶に対し、「まあ」と曖昧に返事をする。

 崖など、どこも似たようなものだろう。

 

 とはいえ調査を引受けている以上、邪険にする訳にもいかない。荒俣は絵の中の男と同じように崖際に立ってみた。

 見下ろす位置には森が広がっている。そこまでの距離は軽く見積もっても四、五十メートル。落ちたら一溜りもないだろう。

 そんなことを思っていると、ふと嫌な予感がした。


「晶さん、この崖って降りることはできますか?」


 彼女は不思議そうな顔をした。


「はい。遠回りをしないといけませんけど」


「行ってみましょう」



 予感は的中した。

 一時間ほど歩いて崖の真下に着くと、そこに仰向けに倒れる遺体があったのだ。


 死亡から相当の時間が経過しているらしく、全身は黒ずみ、腐敗している。虫に食い破られたのか、あるいは獣に千切られたのか、所々骨が露出し、そこから粘度のある液体が流れ出ている。

 もはや人相は分からない。しかし、服装から高橋であることは分かった。

 

 漂う異臭の中で晶は足をふらつかせた。

 荒俣は倒れそうになる彼女を咄嗟に支えた。

 

 微かに、声がする。


 ――愚かな人


 それは腕の中で涙を零す晶の声だった。





 数日後。


 荒俣は『未来の絵』が売られているという場所を訪ねた。

 既に高橋の所在は判明し、晶からの依頼は完了している。だが、どうにも気になることがあり、ここまでやって来たのだった。


 曇り硝子の張られた引き戸を開け、中に入る。

 すると薄気味の悪い青年が、口元を三日月型に歪め、挨拶をしてきた。


「いらっしゃいませ。ようこそ当画廊へ」



 後編に続く……

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