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第三章 人と魔と Ⅱ

 針葉樹しんようじゅが並々とそびえる山道を下り、再び京都の街中へとやってきた冬吾の鼻を衝いたのは、異様な密度で立ちこめる血の臭いだった。


 辺りの家々から漂う錆びた鉄のような臭気。まだ人里に降りて間もない、家屋もまばらな山間の場所でこれだとすると、中心へ行けば一体どれほどの惨状だというのか。


「本当に根絶やすつもりなのか……? 一体、どんな理由があって」


 いや。どんな理由があるとすれ、こんな所行が許されるはずがない。

 周囲の状況と死んでいったと思われる人々をおもんばかりつつひた走る冬吾の前に、先に現れたのと同じ四ツ足が一尾、眼前の固く舗装された道の上に現れた。


 こちらに食らいつこうと凶暴な口角を開けて飛びかかってくるのを身を低くしてかわし、走り抜け様に内の臓腑がすべて転げ出るように腹部を払い、で切り、脚で地を掻き抜ける。


 それが黒煙となって霧散するのを見届ける間もなく、黒い長衣を羽撃はたたかせ更に先を遮る四ツ足と後方から追っ手にかかった数匹を走力を落とさず相手取っていく。


「上等だ――そのつもりなら”俺“が“貴様”らを根絶やしにしてやる」


 もはやあの黒い焔を生じさせるまでもない。極限まで研ぎ澄んだ第六感と呼べる感覚、はらの底から体を巡る血を伝い湧き出る無間のごとき膂力。


 深海の底からこみ上げる泡沫のように湧き出る力を制御しつつある冬吾にとって、すでに向かいくる人外の獣など何重が束になったところで、もはや携えた一刀の下には相手ではない。


 月をはじいて瞬く赤い剣閃が走るたびに異形の獣の黒い血霧が京の空に舞う。


 一尾、一尾、更に一尾、斬り伏せるごとにこと湧き出る苛烈な殺意を以て剣刃を振るえば、いつの間にか自分の駆けてきた足跡そくせきをなぞるように、事切れた獣たちの残骸と、嗅ぐに耐えない腐臭のような血の臭気とが辺りを覆っていた。


 あらゆる飛沫が散り尽くした背後のそれらに一瞥もくれず、冬吾はさらに気配を追って駆けていく。


 ただ一夜のみ存在することを許されたかのような亡霊のように暗い眼で。射られた矢の勢いのごとくその身を投じる剣鬼は、異様な夜の颶風ぐふうを纏うままに。




 少し街の中心部へと差し掛かった場所。ちょうど例の高いビル街が見えてきた手前の、塀に囲まれた大きな建物で冬吾は足を止めた。


 塀の外は並木で囲まれ、三階層になった横長の建物がいくつか連なる場所――学校とは露知らない冬吾は塀の上へと昇って辺りを見回す。


 凄まじい数の醜悪な気配がこの建物を覆っているのが分かる。加えてこの建物の中から感じる気色。


 これは間違いなく普通の人間たちのものだ。こちらも百や二百といった多くの息遣いを感じる。


 おそらくこの大きな建物の内にたくさんの人が避難してきているのだろうと察し、フードを被って中の様子を窺おうと塀の内側に降りた時だ。


「――止まれ! 手を上げろ!!」


 突然の怒声に反射的に視線を巡らし、油断無い挙措きょそで黒塗りの柄に手をかける。建物の角から声を荒げながら出てきた一人を皮切りに、辺りから一人、また一人現れて冬吾の周りを包囲していく。


 魔性ましょうの気配はなく普通の人間のようだが、その格好は冬吾にとって異質だった。

 ヘルメットにフェイスマスクで頭部を完全に隠し、唐草柄のジャケットとズボンに身を包んで、得体の知れない鉄の先端をこちらに向けている。


「……!? 人間? おい、お前! 人間か!?」


「そんな馬鹿な! 化け物だらけの外から来たんだぞ!? 化け物に決まってる!! 撃つんだ!!」 


「いや、しかし……。おいそこの! なんとか言え!」


「なんだ? お前らは」


 威圧的な眼光で周囲を囲む七人をぐるりと睥睨へいげいする。手に持った鉄には何かを射出するための穴が空いている。おそらくあの巫女服の女の武器と同等の何かだろうと直感的に悟った。


「我々は自衛隊だ! 答えろ! お前は人間か!?」


「ジエイ……? ああ、と……人間――自分ではそう思ってるつもりだ。お前らは今の時代の兵子へいしなのか?」


「自衛隊を知らないのか? やっぱり化け物じゃないのか!?」


「あんなやつらと一緒にするな。俺は……そうだな、俺も避難するために山村から降りてきたんだ」


「それにしては異様じゃないか。その刀はなんだ?」


「家宝だ」


 とっさに言い訳を取り繕ったが、あながち間違いではない。


「……まぁ敵意は無さそうだ。避難と言ったな? なら学校の中に入れ」


「加藤! いいのか!? こいつは明らかに怪しいぞ」


「人間だと言っている。人間なら守るのが俺達の義務だろう。あの化け物どもからな」


 迷彩服の集団は深い息をつきながら警戒を解いて長銃の先を下ろすと、冬吾も目を閉じて一息をついた。



「一体どういう状況なんだ? 今は」


 建物の中へと案内される合間に例の迷彩服の男の一人に聞いてみる。バイザーを外した下の目つきは若く、自分と同じくらいの歳だろうと推測できた。


「どうもこうもないさ。いきなり現れたあの黒い犬や猿みたいなやつらが街を襲いだした。女子供構わず殺して回っている。俺の家族も仲間も。女房もやられた」


「そうか……あいにくだったな」


「いいや。今はそんなことを悲しんでる暇はないんだ。俺は自衛隊員なんだ。いついかなる時でも民間人を守る義務がある。弔いは……泣くのは、それが終わってからだ」


「――そうだな」


 そっくりそのまま冬吾も同じ心境だった。


「やつらが現れてから空が赤く染まった。それと同時に無線が通じなくなって、俺たち機動隊もお互いに通信が取れなくなってしまった。今、俺たちのようにどこかに立てこもりながら健在している集団が一体いくつあるか……もしかしたらもう、ここが最後かもしれない」


「……奴らは死なないだろう。どうやって侵入を阻んでるんだ?」


「よく知ってるな。たしかに何発撃ち込んでも一向に死なない、だがそれでもひるませることぐらいはできる。幸いまだ大群の襲撃がないのが救いだ。しかしもう残りの弾も少ない。いつまで保つか……」


 確かにこの防衛線が陥落するのは時間の問題だろう。この建物を囲う、息を殺して潜んでいる気配の数は異常なほどだ。槍衾やりぶすまの中に閉じ込められているのと同じほどに。


 今すぐにでも大挙として襲ってこないのは機をうかがっているのか、何か狙いがあるのか。そして、それを今ここでこの自衛隊とやらに伝えるべきか。


 しばしどうするか考えを巡らせはじめた、そのとき。

 校舎の中からこちらに走り寄ってくる少女と、その後ろから子供を追う母親らしき女が遠目に見えた。


「っ!? おい! あぶないじゃないか! 外に出ちゃ駄目だ!」


「すみません……どうしてもうちの子があなたにお礼を言いたいって聞かなくて」


 申し訳無さそうに頭を下げる女の傍らには、クマのぬいぐるみを抱えた年端もいかない少女が目を輝かせて隊員を見上げている。


「おじさんっ! あの時はお父さんを助けてくれてありがとう!」


「いや、感謝されることのほどじゃないよ。俺の仕事だからね。……ご主人の容態はどうですか?」


「あまりかんばしいとは言えません……お医者様が言うには右足は切断だろうと。でも、それでも生きているんです。いくら感謝しても足りません。本当にありがとうございました」


「ともかく、安心するのはまだ早いです。ご感謝はこの状況を切り抜けてからお受けしますので、さぁ、今は中に戻って——」


 その時だった。話を続ける三人をよそに、冬吾は一人、弾いたように空を見上げた。


 おおよそ常人には聞き取れないほど小さな音。

 何かが風を切るような音。西の空から無数の小さなつぶてのような何かが飛来するのを察知し、反射的に親子の二人に覆い被さって地に突っ伏した。


「がぁぁっ———!?」


 男の悲鳴と共に背中に大きな針が無数に突き立つような強烈な鋭痛が走る。弾丸と化した青白い羽根が一帯を覆うのが収まってから冬吾が顔を上げると、


「あ、ぁ、お、じさ……ん?」


 軍服の男は頭と身体中に羽根が突き立ち、痛みに歪んだ表情を凍てつかせたまま血の溜まりに身を沈めていた。


「きゃああああああああ!!」


「陰に隠れろ! 早く!!」


 倒錯する母親の背を押し、無理矢理校舎の屋根のある渡り廊下らしき場所に子供ごと押し込み、周囲の状況を確認する。


 校舎の壁一面にも羽根が撃ち込まれていて窓の破片が散乱し、直後、あらゆる方向から混乱の悲鳴が聞こえてきた。


 三本ほど背中に刺さったやじりのような硬度の羽根を抜きながら、もう一度空を見上げ、凝視する。


 よくよく見ると、赤い月光を背に、人間の女の姿に鳥の羽を生やしたような陰がいくつか見て取れる。決して少ない数ではない。


「周りに潜んでいる化け物どもはあれの到着を待っていたのか……? だとしたら——」


 この襲撃を皮切りに百は下らないだろう獣たちが一気に押し寄せてくる。


 案の定、その直後に至る場所から銃声が上がり始めた。足止めはできても決して殺すことはできない。

 この場所であの化生けしょうどもを死に至らしめる術を持つのは自分しかいない。


「みんなが居る場所に避難しろ」


 母親にそう諭すが、女は口を押さえてまなじりを見開き、絶句している。

 冬吾は肩を掴んで呼びかけた。


「しっかりしろ! 母親だろう!! その子を絶対に守るんだ! いいな!?」


「っ! は、はいっ」


 呆気に取られたままの少女を抱きかかえ、女は校舎の中へと小走りに駆けていく。


 その背を見送って冬吾は刀を抜き、あらん限りの眼力で空を睨み上げた。

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