偽り
月の宮に降り立った碧は驚いた。月の守りがあって外からは全く見えないこの宮は、大きく頑丈な作りで、何より美しかった。
そして、とても清浄な空気が流れ、悪い気は感じられない。これが月の浄化の力なのだ。そこに居ると自分まで浄化されるようだった。
その真ん中に開いた入り口か案内され、碧は蒼に付いて奥へと歩いた。臣下達は、蒼の臣下が別の応接間へ案内して行っていた。
碧が驚いた事に、それほど親しくない自分を、蒼は自分の居間に案内した。恐らく話の内容を考えて、誰でも入れない奥の居間にと配慮したのだろう。
蒼は、椅子を示した。
「掛けられよ。すぐに呼ぶゆえ。」
碧は頷いた。
「すまぬ。気を使わせておるの。」
蒼は驚いたように碧を見た。
「良いのだ。碧殿の妃を侍女になど使っておったとは申し訳ないこと。まさかと思っておったゆえ…。」
碧は苦笑した。
「もう生きてはおらぬと思うておったのだが。本当にそうか、確認したいだけであるのだ。」
蒼は頷いた。侍女の声がする。
「王、お呼びでいらっしゃいまするか?」
頭を下げて入って来たのは、明麗だった。碧が弾かれたように立ち上がる。
「明麗!やはり、主…、」
明麗は、驚いて碧を見た。
「お、王…。」
明麗は茫然として黙った。それ以上声が出ないようだ。碧は明麗に歩み寄った。
「なぜに、月の宮へ。」碧は険しい表情で言った。「人の世など、なぜに行ったのだ。我は…どれほどに主を探しておったことか…。」
明麗は我に返ると、さっと碧に背を向けた。
「我のことなど。もう…お忘れだと思うておりました。正妃の奈津殿が居られるでありましょう。」
碧は明麗の肩を掴んで自分のほうを向かせた。
「やはりそのことか。奈津は迎えておらぬ。臣下が勝手に決めて参った事であった。それは主にも申したのに…なぜに主は我を信じられなんだ。」
明麗は碧を見上げた。
「そのような!克が申しました。正妃として迎えることが決定したと。なのでよくわきまえてくださいませと、わざわざ我を訪ねて参って申したのでございまする。臣下筆頭が申すことに、偽りがあったと?」
碧は目を鋭く光らせた。
「あやつか。我に納得させようとそのように申したのだな。」と、蒼を見た。「蒼殿、我の臣下の克をこれへ来させていただけまいか。」
蒼は頷いた。何やら込み入って来たようだ。慌てて侍女を呼んで申し付けると、侍女は状況を察して急いで出て行った。
碧は明麗を見た。
「人などと婚姻と聞いた。誠か。」
明麗は碧の目を見ずに頷いた。
「我の夫でございまする。」
「許さぬ!」碧はいきなり声を荒げた。「主は我が妃ぞ!斬り殺してくれるわ!」
明麗はその剣幕に慌てて言った。
「そのような!夫は何も知らぬのです!我が、たまたま会った夫に、共に連れて参るように頼んで。それだけでございます!」
碧は収まらないようだった。
「ならぬ!我の妃を略奪した罪、軽くはないぞ。主にもそれは分かっておるはずだ!」
明麗は黙った。その通りだからだ。王の妃を略奪するなら、その王を殺すつもりで掛からなければならない。しかし、人にそれが出来るはずはない…明麗は、知らない博に、これほどの罪を背負わせてしまったのだ。
「王?」
博也が、書類を手に居間を覗いた。蒼と、明麗と碧は、ハッとして振り返った。蒼は、博也に会合から帰ったら進捗を知らせよと申し付けていたのを忘れていた。蒼は自分の不手際を悔いながら、慌てて言った。
「良い。後で聞くゆえ。下がっていよ。」
「…待て。」碧が言った。「そやつ…」
明麗は首を振った。
「我の子の半神でございまする。どうかご容赦を!」
碧はそんな明麗を離すと、博也に近付いて行った。
「我はこの先の北西の領地の王、碧。主は?」
博也は訳が分からず名乗った。
「はい、そちらの明麗の息子の博也と申します。」
蒼は、もしも碧が博也に手を掛けようとしたら防ごうと思って心の中で構えていた。しかし、博也をじっと見ていた碧は言った。
「…我の子ぞ。」
蒼は仰天した。だが、博也からは人の気がして、確かに気は弱い…。王の子であるはずなどないのだ。
「碧殿、しかし博也からは人の気が致しまする。気も弱い。」
碧はまだじっと博也を見ながら言った。
「術を使って偽の気を発しているだけのこと。」碧は言って、手を翳した。「これは半神ではない。我が子、皇子ぞ!」
「ああ!」
明麗が叫んだ。術が解け、博也から王族の強い気が発しられ、人の気は跡形もなく消えた。博也は眩暈ががした…なんと言った?神?半神ではないと?
博也は膝を付いた。何かが身の内から湧き上って熱い。
「博也!」
蒼が慌てて寄って行って博也を見た。
「王…オレは、どうなっているのです?」
蒼は息を飲んだ。そう言って見上げた、博也の瞳はブルーグレーだったからだ。そうなってみると、碧にそっくりだった。
「博也…。」
碧は、明麗を見た。
「これで主の夫とやらの罪は二つになったの。我の妃と、我が子を連れ去った罪。許されるものではない。」
明麗は膝を付いて頭を下げた。
「どうか、碧様…お許しを。夫は本当に何も知りませぬ。博也も己の子だと思うておりまする。全ては我一人の罪。どうか我を罰してくださいませ。」
「王…?」
その時、臣下の克が、侍女に伴われて入って来た。碧はいきなり刀を抜いた。
「主!我が妃に偽りを申したと!」
克は慌てふためいて腰を抜かした。必死にその切っ先から逃れようとしている。
「申し訳ありませぬ!しかしあれは決まっておったこと、我が宮のためにも、奈津様との婚姻は成さねばならぬことであり申した。どうか、お許しくださいませ!」
碧は歯ぎしりした。
「…であるのに主、明麗が居らぬようになった理由も見当もつかぬなどとうそぶきおって!我がこれ以外は娶らぬと、あれほどに申しておったであろうが!」と、博也を指した。「我が子まで己の身分も知らずに育つことになってしもうたのだぞ!」
克は、博也を振り返った。その姿は、まごうこと無き王の姿。克はうなだれた。
「…お子が居られたのに。」克は深く頭を下げた。「我の罪、軽くはありませぬ。どうぞお斬り下さいませ。」
碧はためらいもせず刀を振り上げた。
「よう言うた!」
蒼が慌てて気を発してそれを止めた。
「やめよ!」碧はハッとして手を止めた。蒼は続けた。「ここは我が宮。我の許しなくそのようなことは許さぬ。碧殿、事情は分かったが、ここは刀を収めよ。我がここへ受け入れた手前、これは我にも責任のあること。少し我に任せよ。本日はここに滞在なさるが良い。客間を準備させようほどに。」
蒼がきっぱりと言うと、碧は刀を鞘へ収めた。
「侍女!客人を部屋へ案内せよ。」
侍女達がためらいがちに進み出て、碧に頭を下げる。碧は黙って頷くと、明麗を見、博也を見て、侍女について出て行った。
蒼は思った…維心様が場をおさめているのを、何回も見ておいてよかった…。自分だってこんなことはたくさんなのに。
茫然と立ちつくしている博也と、明麗を見て、蒼は言った。
「…明麗。主は間違っていた。神世では博は重罪人、妃を略奪するほどの気がないのだから、殺されてしまって当然であろう。子も、皇子であったのに。こんな所で、我にこき使われておる身分ではないであろうに。子と夫の運命を、主が決めてしまって良いと思うたのか?そうではあるまい。博の命を救うことが出来るかどうか分からぬが、離縁することぞ。主は碧殿の所へ戻らねばならぬ。それほどに嫌っておるのであるなら、つらいことであろうがの。」
明麗は、首を振った。
「…いいえ。」と、蒼を見上げた。「いいえ、嫌いではありませぬ。我は今も碧様を愛しておりまする。だからこそ、離れているしかありませなんだのに…。」
蒼は、明麗を椅子へいざなった。
明麗は、事の次第を話し始めた。博也も、それをただじっと聞いていた。




