月の宮
関の房と言われたその部屋は、回りをまた結界で包まれた場所だった。博也は身を縮めた…回りを、甲冑を着た神達が囲んでいる。翔馬と呼ばれたその神は、椅子に腰掛けると、テーブルを挟んでこちら側の椅子を三人に進めた。
「えー碧様の宮の明麗殿と、その夫の博殿、それに子の博也殿でよろしいか。」
明麗は緊張したように頷いた。
「はい。」
翔馬は巻物に手を翳すと頷いて、顔を上げた。
「我は翔馬。月の宮重臣の一人であり申す。我も半神であって、王に拾って頂いて今日がある。神の世の理はご存知であるかな、博殿?」
博は、明人にも同じことを言われていたので、それがどれほど大切なことなのか知った。
「はい。王に従って、仕えて参ります。」
翔馬は頷いた。
「…と申しても、我が王はとても穏やかな気質の持ち主であられて、慈悲深いかた。きちんと責務を果たしておれば、何もおっしゃりはしませぬ。ただ、全くの人であられたとのこと、こちらの学校へ、博也殿と共に入って学ばねばなりませぬぞ。何もかも一からになり申すが、それはいかがか?」
博は、頭を下げた。
「出来得る限り努力して、学んで参ります。」
翔馬は満足げに頷いた。
「と申すのも、ここの所女神の配偶者で人の脱走が多い。月の宮はいくらでも出ることは可能であるが、入ることはまず出来ない場所。それは重々申しておるにも関わらず、ここを飛び出して人の世へ戻り、それで済むならこちらも何も言わぬが、やはり人の世はつらいからと戻って参る輩が多くての。それは、こちらの決まりで絶対に入れぬことになっておる。例外はない。なのでそうなった場合の選択肢は二つ。一人で人の世へ戻るか、家族と共に人の世へ戻るか。その場合も、家族も二度と月の宮へは入れない。神や半神である家族はここへ残り、外に残された人の配偶者は戻るか、そのままどこへも戻れず死んで行く。ほとんどが希望を無くして死んで行くので、結界回りに屍が転がって見目が悪いので、軍神達が塚を作って埋めておるぐらいよ。分かっておることであるのに、かくも人は愚か。だから、先にこうやって覚悟のほどを聞くのだ。そのようなことは避けたいゆえな。」
明麗が心配そうに博を見やった。博は青い顔をしていたが、しっかりとした声で言った。
「何もかも捨てる覚悟で参りました。今更人の世で何が出来ると言って、何もありません。私はここで、一からやり直します。」
翔馬は立ち上がった。
「では、我からは何も言うことはないの。王にお伺いして参る。このままここで待たれよ。」
翔馬は巻物を持って出て行った。博也は思っていた。ここ数十分で、王にお伺いするという言葉を二度聞いた。全ては王が決める。本当にそうなのだ。
いったい、こんな神達が仕えている王ってどんな神なんだろう…。
博也はそう思って、ただ黙って見ていた。
蒼はまだ考えていた。妃達をうまく扱えないなんて、王としてどうのと維心に叱られてしまいそうで相談するのも気が退けた。うんうん唸っていると、翔馬が入って来た。
「王、いったいいかがなさいましたか?」
蒼は首を振った。
「なんでもない。で、どうだ。」
翔馬は頭を下げた。
「王にお出まし願おうとこうして戻って参りました。親子三人でありまするが、人の夫もまあ、あれならばなんとかなるのではないかと。今までのように、惰性で興味本位について参った訳ではないようで。」
蒼は頷いた。
「そうか。では、参る。」
蒼は自分の今の窓から飛び立った。翔馬も慌ててそれに倣って飛んだ。
《おーい新入りか?》
月から、十六夜の声が聞こえて来た。
「そうだよ。十六夜はどうする?見に来るか?」
《オレはいい》十六夜は言った。《結界通った時にあいつらの気を読んだ。そんな強い気は持ってねぇが、いいんじゃねぇか?とオレは思うがな。》
蒼はため息を付いた。
「十六夜がそう言うなら、オレが行くまでもなかったじゃないか。」
十六夜は笑った。
《そう言うな。お前が王だ。決めるのはお前さ。》
蒼が関の房へ到着すると、軍神達が膝を付いた。
「王、こちらに居りまする。」
母の明麗が慌てて立ち上がった。博也も、父もそれを見て立ち上がり、頭を下げた。神の世の頭の下げ方なんか知らなかったが、母は両手で顔を隠すように深く頭を下げて膝を付いていた。なので、二人も慌てて膝を付いた。
「表を上げよ。」若い、30代ぐらいの男声が言った。「我が蒼。この月の宮の王だ。」
三人は恐る恐る顔を上げた。目の前には、本当に30代ぐらいにしか見えない背の高い王が、着物姿で立っていた。
蒼は、じっと三人を見ていたかと思うと、ふむ、と翔馬を見て言った。
「…いいだろう。西の端三軒目の空き屋敷を与えよ。」と、博を見た。「で?主は何が出来る。」
博は慌てて言った。
「人の世では営業職でありました。ですが、調理師の免許も持っておりますが…。」
ふーんと蒼は考え込んだ。そして、博也を見た。
「主、年はいくつだ。」
博也は答えた。
「20歳でございます。」
「学生か?」
蒼が聞くのに、博也はかちこちになりながら答えた。
「はい、大学の三回生です。」
「専攻は?」
王が人の世のことにやけに詳しそうなので、博也は驚いていた。
「コンピューター関係です。システムエンジニアを目指しておりました。」
蒼は頷いた。
「そうか。」と、翔馬を見て言った。「この二人はすぐに学校へ入れよ。で、明麗と申したか。」
母は緊張気味に答えた。
「はい、王よ。」
「主は碧殿の宮の侍女であったと。ならば明日からでも宮で働くがよい。」と翔馬を見た。「そのように取り計らうように。」
皆が膝を付いて頭を下げる中、蒼は踵を返してその場を後にした。
博也は呆然とした…あれが、王。これから仕えることになるって神…。
まだ実感はわかなかったが、軍神達に言われるまま、三人は王から賜ったという屋敷に伴われて行った。
そこは、思っていたより数段しっかりとしたつくりの、広い屋敷だった。侍女とその家族なのにこんな大きな屋敷を賜るなんてと、母は驚いていた。博也は自分の部屋として一つ決めてもらい、そこに入った。
連れて来てくれた軍神が、言った。
「人の世から来たのだから腹が減ったであろう。神は食さぬが、ここには食材がいくらかある。それを運ばせて置いたので、それをそこの」と台所らしき場所を指した。「調理器具を使って調理するといい。ここは人用に家電もある屋敷。だが、働かねば照明以外の家電は使えぬ。電気が来ぬのでな。明日からは明麗殿が働くのでもう少し電力も来るであろうが、それまではガスだけで調理せよ。明日早くに学校と宮へ行くのに迎えに参る。ではの。」
その軍神は飛び去って行った。
博也は、あまりに早い展開について行けなかった…山を登っていた時は、こんな場所があるなんて思いもしなかった。だが、母の言った通りに、月の宮という神の住む場所が存在したのだ。
父が、ため息を付いた。
「…何人もここに、来ては去って行った人も居るんだな…。外に転がってた男達、どんな思いであそこで死んだんだろうって思うよ。」
母が父の背を擦った。
「博さん…。」
父は、首を振った。
「オレは大丈夫だ。踏みつけられてもやるって決めた。人の世で同じ人に馬鹿にされるなら、神様に踏みつけられたほうが我慢できるよ。オレは、あんなところに帰りたくない。」
母が頷いていると、博也が叫んだ。
「あ、母さん、風呂がある!しかもめちゃくちゃデカいんだけど!」
母が走って来て覗いた。
「まあすごいわ!聞いてた通り、ここは本当に豊かなのね。たかが侍女にこんな屋敷を下賜するなんて…来て良かった…。」
博也達にはよく分からなかったが、風呂の広さだけはすごいと思った。
そして、その夜は、母の手料理を食べて広い風呂に浸かり、博也はぐっすりと眠ったのだった。




