罠
将維は、険しい顔で維心の居間の横の庭に直接降りた。維心がそれを気取ってこちらを見ている。維月は維心を目掛けて居間に向かって走って来た。
「維心様!」
維心は思わず立ち上がった。そんなに急がずとも良い。もう見えておるのに!
維月が、思った通り着物の裾に引っかかって、しかし将維が考え事をしながらも、事もなげにそれを凌いで脇を抱え、立て直し、維月はまたこちらへ向かって小走りに来た。維心は苦笑した…どちらが親か分からぬな。
居間へ入ると、維月は維心に抱きつき、維心はそれを受け止めて維月を支えて椅子に座り、将維は頭を下げてからその前の椅子に座った。
「どうであったか。」
維心は、答えは分かっているとばかりに言った。将維は目を上げた。
「はい。お考えの通りでありましょう。明維は術に掛かっておりまする。言っておることの辻褄があわぬ。あれはあやつの意思では無い。それに、母上を見て顔色も変えなんだ。あのようなことは考えられぬ。」
維月は維心を見上げた。
「私の目を見て話す子でしたのに、本日は将維ばかり見て、こちらはこれっぽっちも見ませんでした。話し方が、まるで明麗の臣下のような…敬うような言い方でしたわね。」
将維は頷いた。
「あれは恐らく仙術。傍に居った初老の侍女の仕業でありましょう。月の宮から参ったようでありまするな。」
維月も頷いた。
「…苺のタルトが、ありましたの。きっと、あれを持って来たと言って、明維に近付いたと思われまする。私がいつも、月の宮から送らせるから…。明維は傍に寄せてしまったのでしょうね。」
維月は落ち込んだように下を向いた。
「主のせいではないぞ。そのように気を落とすでない。」
維心が言って、肩を抱く手に力を入れた。維月は下を向いたまま頷いて、維心の胸に頭を預けた。維心は気遣わしげに言った。
「…早よう解決せねばの。維月がこのように元気がのうなってしもうて…。して将維。主はどう思うか?仙術ということは、あれは彎が得意としておった、神を操る仙術であるか?」
将維は、遠い記憶を呼び覚ました。
「はい。6歳の我をさらった時に、十六夜が掛けられていたものと、同じものであるかと思いまする。我や父上ならばあのようなものには掛かりませぬが、無防備な明維なら掛かるでしょう。しかも掛けておるのは女と言えども神。力は仙人よりも格段に上でありまするので。」
維心は頷いた。
「困ったものよの。あれは目を見て話しておる内に、少しずつその言葉の中に術を滑りこませて相手を食うて行くというたちの悪いもの。あの砦の神を全て術下に置かれたら、面倒なことになる。」
将維は頷いた。
「解くには、術者が死ぬか、本人が強い意思を持たねばなりませぬ。尻尾を掴むため、我は気取られぬように罠を張り申した。おそらく、次に狙って来るのは、我か父上。しかし父上はそのお力が知れ渡っておりまするゆえ、おそらく我でありましょう。あの、明麗の神の命を繋ぐ方法があると申したのですよ。」
維心は片眉を上げた。維月がえ、と言う顔をして将維を見た。
「え、口づけて命を分け与えるって言ってたのは、嘘?」
将維は苦笑した。
「はい。黄泉へ逝った神の命を戻す方法など、他の神の命を使わねば無理でありまする。明麗はおそらく裏で糸を引いている。神に戻りたいのです。ならば、我か父上に、命を分けてもらいたいと思うでしょう。父上のお力もお考えも、この間思い知ったはず。だから、我を狙って来るはずです。我を操り、妃に迎えさせ、命を戻そうとするはず…。おそらく、明維からすぐにでも書状が来るはずです。我に来いと。」
維心は満足げに頷いた。
「大したものよの。この短時間に、よく考えたもの。」
将維は頭を下げた。
「あとは、我が始末を付けて参りまする。しかし用心のため、義心を連れて行き申す。父上、その間に、あの侍女の素性をお調べくださいませ。母上のご記憶の中に姿がございましょう。」
維心は維月を見て頷いた。
「すぐにでも十六夜に申して調べさせようほどに。主も、くれぐれも油断はせぬようにな。どうして仙術など知ったことか…面倒な。」
将維は立ち上がった。その時、侍女が頭を下げて巻物を捧げ持って言った。
「将維様。明維様よりの書状でございまする。」
将維はフッと笑った。掛かったな。
その書状には、兄上に言われ、思い直そうと思っているので、もう一度お話ししたい、こちらへ来て欲しいとのことだった。
将維はわざと焦らしてやろうと、返事は次の日に返すことにした。
昼間の様子が気になった明人は、嘉韻と共に明維の部屋を訪れた。
あの侍女が一人辺りを片付けていて、明維はもう休んだのだという。仕方なく戻ろうとすると、その侍女が言った。
「せっかくお越し頂きましたものを。そのままお返しいたしましては、我が叱られてしまいまする。どうか、お茶でも。」
二人は顔を見合わせたが、渋々頷いた。傍の椅子に促すと、侍女は微笑んで、茶を入れたポットとカップを盆に乗せて戻って来て、二人の前に並べた。
「月の宮からいらした軍神の方々だとか。」その侍女は言った。「我は芽衣と申しまする。月の宮とは、ずいぶんと美しい場所だと聞いておりまする。お話しいただけまするか?」
芽衣はじっと明人の目を見ている。明人は頷いた。
「クリーム色の石造りの、とても大きな美しい宮であるのだ。王は優しく慈悲深く、我らのことを一番に考えてくださる。」
嘉韻は頷いた。
「大変に自然も豊かでどの種族も分け隔てなく扱われ、仕えている。皆に不安などないの…月が付いておるゆえ。」
芽衣は嘉韻の目を見つめた。
「月の力は偉大であると聞いておりまする。主様は龍であられるには珍しいお姿でありまするが、月の宮でも女はかしましいでありましょう。嗜みのない女はほんに、見苦しいものでございます。」
嘉韻は頷いた。が、眩暈がした。これは…。
横を見ると、明人が背もたれにもたれ掛かるように微睡んでいる。嘉韻はハッとした。もしかして、これは仙術?!
「主…!」
嘉韻は、立ち上がれずに膝を付いた。これは、仙術だ。おそらく操る仙術。しかし、我は己を守る。確かに我は己を保って見せる…!
嘉韻は、気を失った。芽衣はほくそ笑んだ。
「なんとたわいもない。これで三人も手に入ったわ。」と、二人に命じた。「何事もなかったように、部屋へ帰って休め。誰にも気取られてはならぬ。」
二人は揃って立ち上がると、そこを出て行った。芽衣は思った…あの、龍王の第一皇子を手に入れなければ。そして確かに、明麗様を神に戻させ、その正妃の座にお付けして、神世最大の宮の次の王妃におさせするのだ。
芽衣は考えると、胸が躍った。この術があれば、なんでも出来るではないか。なぜに姫様は、これまでこれをお知りになることがなかったのか…。
十六夜は、維心の突然の訪問に驚いた。てっきり呼ぶものだと思っていたのに、維心はわざわざ夜にやって来たのだ。
「お前が夜に維月をほったらかしでここへ来るなんてよ。」
維心は眉を寄せた。
「別にほったらかしではない。眠ったのを見てソッと来たのよ。その方が話も早いと思うての。」と、蒼を見て、あの書状を返した。「明維は、仙術で操られておる。」
蒼はそれを受け取りながら、言った。
「やはりそうですか。あの、昔十六夜が彎に掛けられたものでしょうか?」
維心は頷いた。
「そうだ。ゆえに、その書状への返事はせずで良い。明日、将維が参ってかたをつける。尻尾を掴むために、少々時間は掛かるかもしれぬが、しかしあやつが何とかしよるであろうの。で、ここでここ数日に苺のタルトなるものを作らせた者は居らぬか。」
蒼は驚いた。母さんの好物だけど。
「…聞いてみましょう。宮の食物担当の者に聞けば分かること。よく母さんが作らせるものですよね。」
維心は頷いた。
「どうやら術者は、それを持って行って、明維に近付いたようだ。術者は女で、初老であったという。維月の記憶から顔を見たのだが…」
と、維心が手を翳すと、蒼がピクリと反応した。
「お待ちください。」蒼は意識を集中した。「嘉韻か?」
《はい。》念の声は答えた。《王、取り急ぎご連絡致しまする。こちらに芽衣と申す初老の女が参っており、明維様にぴったりとついておりまする。我ら、明維様に目通りに行った時、その女の術に掛けられ申した。我は気取って己を保っておりまするが、明人は術中に陥っておりまする。このまま気取られぬように術に掛かったフリをしておる方が良いのか、それとも今すぐ斬って捨てたほうが良いのか、ご指示を頂きたい。》
「あの、明麗の乳母とかいう女だ!」十六夜は言った。「侍女を一人残して、宮へ一度帰って必要なものを持って来ると言って出て行った。」
維心は頷いて、翳した手を降ろした。
「繋がったの。問題はどうして仙術を知ったかということだ。巻物を見ずには無理であろう…ここの巻物は、領嘉が管理しておるのではないのか。」
蒼は頷いた。
「調べさせましょう。」
嘉韻の声が言った。
《いや、あと一つ。玲が仙術の対抗策を考えるために、パソコンにデータ化してまとめておりまする。前回嗣重様の軍の攻撃を受けた時、あれを活用して、我ら仙術を解く方法を見つけ申した。》
十六夜は眉を寄せた。
「…いや、明麗は一歩も屋敷の外へ出ないんだ。人になってから、怖いぐらいにな。篭り切りなんでぇ。」
蒼は身を震わせた。
「何だ?」維心が言った。「何か思い当たることでもあるのか。」
蒼は頷いて、維心を見た。
「博也に、データの一本化を命じておるのです。マザーコンピュータを作る様にと…もしかして、玲のファイルも、今はまだ途中段階であるので、無防備なままどの端末にでも開けるようになっているのでは?」
維心は眉を寄せた。
「よく分からぬが、仙術のデータが誰にでも閲覧可能な状態にあるということか?」
蒼は頷いて、侍女に言った。「博也をここへ。」
十六夜はいらいらと歩き回った。
「…待ってられねえ。あいつの気は、まだ図書室にある。オレ、行って来るよ。」
維心も蒼も立ち上がった。
「ならば我も参る。」
三人は、すぐに学校の図書室へ飛んだ。




