望み
維心は思い切り嫌な顔をした。十六夜が、事もあろうにあの女の事を話しに維月と二人で寛いでいた居間へ、突然に入って来たのだ。
「…嫌がらせではないか。我は、やっとホッとしたところであったのに。」
最近は、維月のべったりもなくなり、浮気を疑われることも無くなって、維心はホッとしていたのだ。やっといつも通りの平穏な日々が戻って来たと思っていたのに、ここへ来てまたか。
十六夜は、懐から巻物を出した。
「あのなあ気持ちは分かるが、オレだって好きでこんなことをしてるんじゃねぇ。これが蒼に届いたから、お前に知らせに来たんじゃねぇか。」
維心は訝しげにそれを受け取ると、さっと開いて、閉じた。
「なぜに明維がこのような。」
一瞬にして読んでしまうのは、いつものことだから慣れていたが、それでは維月には読めなかった。維月は、それを開こうと引っ張った。
「なんでございまするか?見せてくださいませ。」
維心は首を振った。
「主は見ずとも良い。何かの間違いぞ。」
十六夜が横から言った。
「明維が明麗を西へ寄越せと言って来たんだ。」
維月は驚いて目を見張った。
「え…、」
維心が慌てて十六夜を見た。
「我がわざわざ伏せておることを主は!あやつに限って有り得ぬ。これは何かの間違いだ。それに、間違いでなかったとしても許すわけには行かぬ。あれは今、人であろうが。死するゆえ触れることも叶わぬような女、なぜに世話をする必要がある。」維心は歯ぎしりした。「だからあの時、殺しておればよかったのに…生かしておるからこんなことにもなるのだ。」
維月がフッと眉を寄せた。維心は慌てた。
「あ、いや、何も無かったゆえな。」
十六夜はその様子を呆れたように見て、言った。
「で?明維には何て返事したらいい?」
「我が」と言い掛けて、やめた。「いや将維に、行かせる。真意を聞かねばならぬ。」と、侍女を呼んだ。「将維をこれへ。」
十六夜は腕を組んで維心を見た。
「どうしてもって言ったら?お前に似てあいつは頑固だぞ。だが、何だって明麗なんかを望むんだよ。明維らしくもない。」
「…もう良い。全ては将維に探らせるゆえ。もうその名を口にするな。」と維月をチラッと見た。「その…我はまた落ち着かんようになるではないか。」
十六夜は肩を竦めた。
「はいはい、お前も大変だな。」と、十六夜は立ち上がった。「じゃあ、何かわかったら連絡くれ。その書状は預けて行く。蒼も今いろいろいっぱいいっぱいでな。」
維心は気の毒そうに頷いた。
「なるべく早く連絡をすると申してくれ。」
十六夜は頷くと、窓を出て飛んで行った。維月はそれを見ながらじっと黙っている。維心は維月の肩を抱いた。
「維月、そのように心配げな顔をするのでない。我が居るではないか。大事には至らぬゆえの。」
維月は、維心を見上げて頷いた。維心が微笑むと、将維が頭を下げて入って来た。
「父上、お呼びでしょうか。」
維心は書状を将維に見せた。
「主、西へ参って確かめて参れ。今は様子を見るだけでよい。我に報告するのだ。」
将維は書状を受け取るとそれを開いて、そして維心と同じようにすぐに閉じた。
「…承知致しました。では、早速に参りまする。」
将維が立ち去ろうとすると、維心はそれを呼び止めた。
「待て。」と、維月と見ると、「主、心配であるなら、将維と共に参って来るか?」
維月はびっくりした。維心様からそれを言ってくださるなんて。
「はい。よろしいのですか?」
維心は頷いた。
「それで気が済むのであれば、行って参るがよい。さ、奥で着替えて参れ。」
維月は嬉々として立ち上がると、奥の間へと消えて行った。将維も驚いていると、維心は小声で言った。
「明維の維月に対する様子もよく見て参れ。」
将維は合点が行き、頷いた。
「はい。」
そして、将維は維月を抱いて西の砦へと飛び立って行った。
明人が定例報告の為に明維の部屋を訪れると、明維は常になくぼんやりとした様子で窓の外を見ていた。その傍には、見たこともない初老の侍女が控えている。怪訝に思いながらも、明人は明維に頭を下げた。
「…明維様。砦回りの見回りを終わり、皆異常なしとのこと。これより演習に入りまする。」
明維はこちらを見て言った。
「ご苦労だった。」
明人は、待った。いつもなら、ここで自分も演習に加わると言うからだ。
しかし、明維はいつまで経っても動く様子はない。どうしたのだろうと、明人が口を開きかけた時、そこに晃維が入って来た。
「兄上。将維兄上がご到着なされた。母上もいらしている様子。こちらへお連れするが、良いか?」
明維は頷いた。
「兄上と母上を、こちらへお連れせよ。」
晃維も、明人も驚いて顔を見合わせた。いつもなら、維月が来たといったらすぐにでも迎えに行ったはずの明維が。しかし、晃維は頭を下げた。
「では、そのように。」
明人も、同じように頭を下げてその場を辞した。明維様の様子が、おかしい…。それにあれほど侍女に回りをうろつかれるのを嫌がっていらしたのに、あの初老の侍女は役に立つと言って傍に置いていると晃維から聞かされていた。何かあったのだろうか…。
しばらく後、将維が維月の手を取って明維の部屋へ入って来た。立ち上がって二人を迎えた明維は、将維に頭を下げた。
「兄上、母上。」
将維は軽く返礼した。
「明維。」と、維月を傍の椅子に座らせた。「主の希望を蒼から聞いての。詳しく聞こうと思うて参った。で、あれは明麗をここへ迎えたいとのことであったが。」
明維は頷いた。
「はい。あのように嗜みの深い者を放って置くのはもったいない事と思い、碧殿も妃を降ろされたとのこと、ここへ迎えようと思った次第でございます。」
将維は少し眉を寄せた。
「…嗜みの深い?あれは嘘をついて父の寝所に忍ぼうとしたゆえ、斬られた女ぞ。本来なら命の無い所を、母上の力で何とか父を解き伏せて無事に済んでおるものを。今でも父上は、あれを殺しておけばよかったと悔いておられるほどぞ。父の目に触れればすぐに消されてしまうわ。それに、最早人である女。それをここへ迎えるなど、主の身分では出来ぬ。」
隣に居た侍女の女が、驚いたように口を押えた。将維はあれは誰だと思いながら、何も言わずに明維の答えを待った。
明維は、少し不自然に黙ってから、言った。
「…我は…ご事情を知りませなんだ。それは本当のことでありまするか?」
しかし、驚いたような顔はしていない。まるで他人事のようだ。
「何を申す。当然ぞと言っておったのは主であろうが。母上が不義理を働いておると父上に嘘を申し、父上を怒らせたうえ、寝所に忍んでついに逆鱗に触れ、斬られた。十六夜が庇ったゆえあれで済んだが、本当なら処刑されておったわ。」
明維はまた黙った。しばらく黙ったあと、また、言った。
「…何か事情があったのでございましょう。我は、あれを神に戻してやりたいと思う。兄上、方法をご存知でいらっしゃいまするか。」
将維はすっと顎を上げて目を細めた。
「…知っておる。」将維が言うのに、維月が驚いたように将維を見た。「我か父上でなければそれは叶わぬがの。ゆえ、主では無理ぞ。諦めよ。我は我が妃にでもない限り、あんな術は使いとうないゆえ…骨が折れるのよ。父上も同じであろうて。どうしてもここへと申すなら、侍女の一人とでも使うが良い。人であるゆえ、出来ることは限られておるから、そうよの、庭の手入れでもさせたらどうか?」
維月はただ驚いていた。将維はこんな話し方はしない。こんな、人を馬鹿にしたようなというか…誰に対しても思いやりのある話し方をする。なので、この話し方はどちらかと言うと、明維だ。明維は怒ったような顔をした。横の侍女も袖で顔を隠してはいるが、憤っているようだ。
「そのような。皇女で、しかも王の妃であられたのに、そのような扱いをせよと兄上は申されまするか。」
将維はフンと横を向いた。
「今や人であろう。しかも、罰を受けてそうなった。我は同情などせぬな。」
明維は将維を睨んだ。将維はフッと笑った。
「なんと?主らしゅうないの。どうした?」
維月が、立ち上がって言った。
「将維…戻す方法があると言うのなら、戻して差し上げたら良いのではないかしら。明維は不憫に思っているのでしょう。このままでは、どこにも行き場がないのではない?」
将維が維月を見て微笑んだ。
「母上…それは出来ませぬ。我にはそのような気持ちはこれっぽっちも有りませぬゆえ。」
維月は将維を見上げた。
「でも、あなたや維心様なら出来るのでしょう?どうやって戻すのかしら。月にも出来る?」
将維は苦笑して、維月を引き寄せた。
「方法は、このように。」
将維は維月に深く口付けた。維月はびっくりした…明維が見てるのに!
やっと唇が離れてから、将維は言った。
「こうして命を分け与えるのですよ。我には出来ぬ。自分の命をあの女にやるいわれはない。」
維月は呆然と頷いた。では、維心も無理だ。将維は、維月を腕に抱いたまま、明維を見た。
「主とて思う女が我らのどちらかにこのようなことをされるのは嫌であろうが。」
明維は、無表情に首を振った。
「しかし…命が掛かっておるのですから。」
将維はフンと鼻を鳴らした。
「話しにならぬ。我は妃以外にこのようなことをするつもりはない。」と、維月の手を取った。「さあ母上、戻りましょう。こやつは人であっても、あれをここへ迎えたいのだそうですので。」
将維は強引に手を引いた。
「将維、待って!明維にもっと話を…」
と、傍のテーブルにつまずいた維月は、上にあった厨子を落とした。中から、苺のタルトが滑り出て来て、崩れた。
「あ…、」
維月がそれを見て何か言おうとするのを、将維は遮るように言った。
「さあ!帰りまするぞ!」
将維は維月を抱き上げると、手近な窓からサッと飛び立って行った。
明維はその場に立っている。初老の侍女が窓際に走り寄った…見上げる目は、将維を留めようと追っていたが、将維は飛び去って行った。




