博也
博也は、大学三回生だった。今まで、システムエンジニアになるために勉強して来た。
しかし小さい時からほんとに育ちが悪く、身長も全く伸びなくて、今でも高校生にすら見られたことは無い。中学高校と体育の授業でも、背の順に並ぶと必ず一番前だった。
そんな毎日を過ごしていて、ある日学校が終わり、バイトをこなして帰宅すると、父と母が深刻そうに話していた。博也が何事かと入って行くと、母が立ち上がって手招きした。
「博也、こっちへ。」
博也は、何を言われるのかとビクビクしてそちらへ足を向けた。絶対いいことではない。でも、何か自分がしたかと言うと、何もしていなかった…そのはずだった。
ドキドキしながらそこへ座ると、父が言った。
「博也、実は…父さん、会社を辞めるんだ。」
博也はびっくりした。確かに業績がどうのとここのところうるさかったが、辞めるって…リストラか?
「確かに子会社に出向になったって聞いたけど、新しい仕事ってそんなに面倒なのか?」
父は下を向いた。母も黙っている。何かいけないことでも言ったのだろうか。
「…父さんは、必要ないんだよ。」父は、やっと言った。「無理矢理作ったような部署で、見たこともないような物を電話で売る仕事だよ。とてもいきなり掛かって来た電話では決められないような物ばかりさ。毎日何件って決められていて、それがこなせなきゃ大変なんだ。皆、父さんみたいに本社からの出向社員ばっかりで…よく新聞なんかで見てた、これがリストラ部屋ってやつかなって。」
母が気遣わしげに言った。
「それで…本当はね、あなたが大学を卒業して、社会人になる前に話そうと思っていたんだけれど…母さんの実家のある所へ、帰ろうかと思っているの。」
博也はびっくりした。母さんの実家?それは聞いたことがない。だって、祖父母はとうに死んでいないって聞いてたから…。
「母さんの実家って、どこにあるんだ?大学通える?」
父が頭を振った。
「無理だ。ここにあるものは何もかも捨てて行かなきゃならない。あのな、母さんは全然歳を取らないだろう?」
博也は母を見て、頷いた。自分と同じ歳だと言ってもおかしくはない。自分は中学生みたいな外見だけど、実は20歳。なのに母は、記憶の中で全く歳を取っていなかった。何もしていないのに、なぜこんなに若いんだろうと不思議に思っていたものだった。
「母さん、神なの。」
母が突然言った。博也は反応出来なかった。かみ?髪…紙、神か!
「ええ?!」
博也が立ち上がる。父がなだめた。
「驚くのはわかる。父さんだって、最初はびっくりしたから。だがな、本当なんだ。母さんは誰も見てない時は離れた所から物を取るし、手を使わずに物を動かすし、それに飛ぶ。」
母は黙って、手を出した。すると離れた台所のシンクからポットとカップが飛んで来た。博也が呆然としていると、それを目の前で手を使わずに動かして、三つのコーヒーを入れた。インスタントだったが。
「超能力者じゃなくて?」
博也が言うと、母は首を振った。
「あれはほとんどがインチキ。たまに本物が混ざっているけれど、半神って言って、人と神の間に生まれて、自分が神だと知らない人だったりするわ。」
博也はじっと母を見た。確かに人にはあるまじき美人だとは思ったことはあるけど。でも、母だから…。
母は、スッと立ち上がると、ふんわりと浮いた。
「ね、こうして飛ぶの。たまに時間が間に合わない時なんか、人に見えないようにして、飛んで帰って来てたことがあったわ。でも、博也にはわからなかったわね…本当はね、人には神が見えないものなのよ。私は術で、こうして父さんに姿を見せているだけ。」
博也はいろいろと思い出していた。そういえば、町でコスプレイヤーがやけに多いなと思うことがあった。父に言っても、父には見えないようだった。甲冑なんかを来ていたので、落ち武者かなんかを見てしまっているのかと思って、見ないようにしたりした。
それに、たまに空を人が飛んでいるのを見てしまう時があった。あれも自分が霊感が強くて、それで見てしまっているのだと思っていたが…。
「だから、博也も半分神なの…半神っていうやつなのね。」
博也はいろいろと繋がって、視界が開けたようだった。つまり、母さんの実家の所ってことは、神の居る所ってことで…。
「神様の所へ帰るの?オレ達皆で?でも、父さんは人なのに無理なんじゃないのか。」
父が母を見た。母は頷いた。
「本来なら無理だったの…でも、今は月の宮って言って、人の世に住んでいた神を受け入れてくれる場所があるのよ。そこは、家族に人が居ても一緒に住まわせてくれる。きちんと学校があって、神の世を教えてくれるのですって。だから、あなたが一人立ちできるようになったら、そこへ帰ろうって話していたのだけど…父さんがこんな感じなっちゃったから…。博也も、神だからいずれは帰らなきゃならないわ。あなたがまだそんな外見なのは、神だから寿命が長くて育つのが遅いだけなのよ。母さんは、父さんより実は160歳も年上なの…今200歳。やっと神として成人したの。」
博也はパニックになった。自分がこんな外見なのは、まだ育ってる途中だからなのか。つまりオレは…やっぱり半分神なのか!
「でもオレ、システムエンジニアになるんだよ!今日だって教授に褒められたのに…」
母は悲しげに頷いた。
「だから、あなたは自分の好きに決めていいわ。まだあと一年あるから、授業料は払い込んで行くし。向こうはお金なんてなんの役にも立たないから…あなたは一年は一人で生活して、そこから社会人になって生活して行ってもいい。でも、いずれは神の世に戻って来なきゃならないわよ。神なんだもの。」
博也は悲しくなった。つまり、どうあっても母さん達は行ってしまうんだ。自分だけここに残っても、結局歳を取らないし、神の世ってどこにあるか分からないのに、取り残されてどうしたらいいのか分からない。戻りたくなって戻れるのものなのだろうか。
「…考えさせて。」
母は頷いた。
「三か月後には、ここを引き払って全て始末を付けて出て行くから。残るなら、借りれるアパートとか探しておかなきゃならないでしょう?」
博也は、黙って頷いた。バイトも辞めなきゃ。大学もここまで来たのに、戻るなら辞めなきゃならない。でも、神の世へ行って、一体どんな生活が出来るっていうんだろう…。
それから、散々母から神の世のことを聞いた。父も真剣に聞いていた。
神の世は、王を中心に力社会で成り立っている。全ての中心が王で、その命令は絶対だ。例え死ねと言われても、それは聞かなければならない。その代わり、王は全てのことから自分達を守り、生活の面倒を見てくれる。役に立って初めて褒美として望みのものを与えてもらえる。金は存在しない。なので、住むのもタダ、着物もタダ。ただ、王に与えられた所に住み、与えられたものを使わなければならなかった。要は、自分の希望が通るなどと思わない方が良いのだという。
博也が今までして来た勉強など、全く役に立たない世界であることは確かだった。神がそんなものを必要としないのは分かっていたが、それでもショックだった。今まで生きて来たことを否定されて生きるなんて。
母は、大学の授業料は全て払い込むと言ってくれていた。それに、貯金もいくらか残して行ってくれると。でもそれでは自分が生活するにはもっと働かねばならない。就職だって、きちんと出来るのか不安だった。父は、いつかは母について行くつもりで居たとのことだが、それでも今度のことは堪えているようで、こんなことで人の世を捨てるのは複雑なようだった。それに、完全に考え方の違う世に、適応できるのか心配なようだった。自分もそうなのだから、完全に人の父にとってはもっとそうだろう。
ある日、父は言った。
「父さんは負け犬だと思う。」父は月を見上げて言った。「逃げるんだもんな。でも、生きて行ける場所があるだけいいじゃないか。全く新しい気持ちで、自分のことを何も知らない神達の間で生きる。下働きでもいいんだよ。変なプライドを持って、気強くして、気が付いたらリストラ部屋に送られてた父さんだけど、今度はそんなものは全て捨てるんだ。神様だから、頭を下げるなんて、人にとって簡単なことだもんな。」
父は、調理師になりたいと免許も持っているのに、結局は生活の為に普通の企業で営業職をやっていたと聞いた。人生やり直そうと思っているなら、きっとそれもいいんだろう。
「オレは…」博也は考えて、言った。「ここに残ろうと思ってたんだ。でも、オレも神だし。このまま人の世に居ても、結婚出来ないって母さんは言ってた。神の子を人が生んだら死ぬんだって。ずっと一人で居なきゃならないなら、今神の世に行ったほうがいいと思うんだ。だから、一緒に行くよ。」
父は頷いた。神の世は過酷だ。きっと楽ではない。人は人はって蔑まれるかもしれないのに。それでも、やっぱり行く。神の世に。
三か月後、全てを引き払った三人は、電車に乗って月の宮があるという場所へ向かった。
リュックには、いるかも知れないと聞いた現金と、着替えを少し。三人が母の知り合いの神に聞いた駅で降りて、そこからさらにバスに揺られて一時間、そしてそこからさらに一日に一本のバスに揺られて、運転手にも訝しげに見られるような停留所で降りた。観光客が降りるような場所ではなかったからだ。
「たまに居るんですがね」運転手は言った。「ここには、何かあるんですかね?」
母がにっこり笑って言った。
「地質学の調査ですの。この近くの断層を調べています。」
相手はへえーと感心したように言った。
「なんだ、学者の先生達か。確かにすごい断層があります。でもかなり登らなきゃならないし、誰も近寄りませんよ。危ないんです。」
母は笑った。
「それでも調べる価値はありますの。」
三人はそこで降り、ガードレールを乗り越えて、脇の木が立ち並ぶ斜面を登って入って行った。
確かに険しい道で、いくら登っても先が見えて来ない。母は飛べたが、父も博也も飛べなかったので、母が浮いて飛んで行くのを、必死に歩いて追い掛けた。母はその視野を使って確認しながら先に進んで行く。そうでなければ、きっと迷ってしまっていただろう。父と博也には、ただ闇雲に続く山道を歩いて登るしか出来なかったのだ。山道と言っても、獣道ですらない。ただ木々の間に草が生い茂る中を、上に浮かぶ母を頼りに進んでいるだけだった。
気が付くと、日が落ちていた。少し開けた場所で、博也が父と二人で茶を飲んで休んでいると、母が、少し先に飛んで行っていたのだが、戻って来た。
「もう少し。この先に、すごく大きな結界があるのが分かるわ…きっと、あれだと思う。すぐ横に断層もあったし。」
博也と父は頷き合って、もうふらふらになっていたのだが、立ち上がった。もう少しだという。頑張って歩こう。
母について行くと、博也は何かにつまずいて転びそうになった。
「あれ…?」
何やら、キルトの服のようなものが見える。父が慌てて言った。
「見ない方がいい!」
グイと横を向けられたが、博也はもう見てしまっていた。
それは、人の遺体だった。同じようにリュックを背負い、倒れている。博也はゾッとした…まさか、受け入れてもらえなかった人なんじゃ…。
「もしかして…受け入れてもらえないってこともあるの?」
母は、険しい顔で頷いた。
「大抵は大丈夫なの…でも、一度ここから逃げて出て、また戻ろうとした人とかは、二度と入れてもらえないと聞いた。一度限りなのよ…受け入れてもらえるのは。」
博也は回りを見た。良く見ると、三人ぐらいの遺体が見える…つまり、ここへ来て、生活して、それが合わなくて人の世に戻って、それでも無理だからとまた戻った人は、二度と中へは入れないのか。
博也はそれらを避けて、前だけを見た。そこには、光り輝く壁が立ちはだかっていた。
父が、何も気づかないように進んで行く。博也は言った。
「父さん、そこに壁があるだろう?」
父はえ、と振り返った。
「いや、なんか大きな木があって、向こうに池みたいなのがあるな。この先には行けないじゃないか。行き止まりか。」
父は、目の前の壁に気付かないように何かを見ているようだ。母は苦笑した。
「人にはそんなふうに見えるのね。ここには、結界があるの…待って、あなたにも見えるように術を…」
母は言い掛けて、ハッとしたように上を見た。
そこには、甲冑を身に付けたがっちりとした体型の神が浮かんでいた。博也は絶句した…なんだか分からないけど、怖い。何かの圧力がその神から発しられて、それを受けて博也の体は痛いほどだった。
そしてその神に促されて、一同は結界の中へと入って行ったのだった。




