嫉妬
維心は部屋に戻り、明麗の提案を考えた。確かにそうかもしれない…維月も、我を愛しておるのなら、我のようにつらいはず。だが、貴子とのことがあって維月が去ってしまってからの地獄を思うと、とてもではないがそのような気にはなれなかった。あの時も、確かに自分達の間には何もなかったが、それでも維月は王妃の座を譲って出て行ってしまったのだから。
やっと戻って来たばかり…そのような気の揉めることは、したくない。やはり直接義心に問い質し、維月にも問い質して、そのようなことはやめさせねば。
維心はそう思って、維月の居ない寂しさを忘れるように早く奥の間へ入った
明麗は、それを待っていた。
回廊からだと、臣下達に見つかってしまう恐れがある…ならば、庭からとそっと中を伺った。
居間の灯りは既に落ち、維心は奥の間へ入っているようだった。明麗は、気を抑えて中へと入って行った。
奥の間では、維心が一人、眠っていた。その美しい顔に、明麗は見とれた…なんと端正なお顔。これが、世に恐れられる龍王であったなんて。明麗は袿を床に落として、襦袢姿になると、起こさないように脇に座った。このままここで朝まで過ごせば、妃になるのだから。全てはそれから…。
「お前なあー別にオレは構わねぇけど、いくら子供が可愛いからって寝るまで傍に居なくてもいいだろうよ。もういい大人だって言ってるだろうが。」
維月は十六夜に抱かれて飛びながら言った。
「だってね、十六夜…晃維はいいけど、明維がなんだか元気がないようだったから。あの子達だってまだ子供な所もあると思うの。こっちが子供扱いしてあげれば、甘えやすいでしょう?」
十六夜はふーんと視線を上げた。
「そんなもんかね。」
維月は答えた。
「そうよ?明維は元気になったでしょう。気が明るくなったもの。普段頑張って必死にやってるのだから、たまにはいいのよ。」
西から月の宮へ帰るには、龍の宮上空を通ることになる。十六夜は言った。
「お、龍の宮だ。今上を通ってるなんて知ったら、維心はどんな顔をするかな。もう月の宮へ行ったと思ってるだろう。」
維月はふふふと笑った。
「まだ起きてらっしゃるかしらね?ちょっと上から灯りだけでも覗いてみない?」
十六夜は苦笑した。
「またそんなこと言って。維心の顔が見たいんだろうが。」
維月は答えずにただ笑った。十六夜はそのまま、すーっと居間の近くへ浮いた。
中は、シンとしている。
「やっぱり寝てるじゃねぇか。早寝早起きなんだよ、お前が居ない時は。」
「ほんとね。」と、維月はびっくりした。「あれ?見て、義心が居る。」
十六夜はまさかと中を覗く。本当に義心が、暗い居間の中を奥の間へ向かってソッと気配を消して、少し浮いて飛んでいた。何かを狙っている…?でも、居るのは維心だけ…。
「まさかあいつ、お前が好き過ぎておかしくなったんじゃねぇだろうな。」
維月は眉を寄せた。
「有りえないわ。義心はそんな軍神じゃないわよ。だったらもっと早くにこんなことになってるはずだもの。とても忠実で、良い神なのよ。」
十六夜はプンプン怒っている維月をなだめた。
「悪かったよ。それより、問題はあいつがこんなところで何をしてるかってことだ。」と、維月を庭に降ろした。「見て来るよ。お前はここに居ろ。何かあったら、蒼に知らせるんだぞ。」
維月は頷いて、十六夜を見送った。十六夜は義心と同じように気配を消して、中へ入って行った。
維心は、目を覚ました。どうも微かに他の気がする…落ち着かない。維心が目を開けると、目の前に明麗が立っていた。
「!」
維心は驚いて飛び起きた。なぜにこんな所にいる?しかも、そのような格好で…!
襦袢姿の明麗は、維心を見て微笑んだ。
「もうすぐ月が真ん中から傾き始めまする。」維心はハッとして窓を見た。明麗は続けた。「これで、我は維心様の妃に…」
維心は、寝台から飛び起きたかと思うと、刀をサッと手にして抜いた。
「…我の気も受けておらぬ主が、そのような戯言を申しても誰も信じはせぬ。」維心は、刀を振り上げた。「我を謀ろうとはの。死ぬがよい。」
「きゃあああ!」
義心と十六夜は、奥の間へ飛び込んだ。義心は十六夜が居るのに驚いたようだが、それでも、刀を構えて維心を見た。
「…王?」
維心は、義心を振り返った。
「なんだ、主…」そして、十六夜を見て、顔色を変えた。「十六夜?!なぜに…まさか維月…、」
居間のほうから、維月の声がした。
「…十六夜?今の悲鳴何?!」
十六夜は維心の目を見て、慌てて言った。
「維月!そこに居ろ!」
維月の声がためらったように言った。
「…え、どうしたの?維心様は大丈夫なの?!」
十六夜は困った。この状態でどうすればいい。何があったかはまあ、わかる。維心が女に忍ばれて、斬ろうとしたのだ。だが、あんな事件があったあと、維月にこんな様子を見せる訳には行かない…。何を誤解してどうなるか予想が出来ない。維心が気で明麗を抑え付けて、声が出せないようにして素早く刀を振り上げる。十六夜は慌てて叫んだ。
「維心、待て!とにかく、維月には話すから!殺したらマズイ!」
維心は聞かない。
「我は龍王ぞ。何をしようと誰も咎められぬ。」と義心を見た。「…こやつは主と維月が密かに月の宮で会っておったと言っておったぞ。相違ないか?」
十六夜が驚いて義心を見る。義心は首を振った。
「そのような。我は常、王と共に宮へ参るはず。そのようなことが可能な訳はありませぬ。我は昼間、嫌な気を感じたので、この女を監視しておりました。そして、王の居間へ庭から入るのを見て、伺っておった。もしも本当にお召しになっておるならば、我は退くつもりで、こちらに。」
十六夜は頷いた。
「オレ達は西の砦に寄ってたんでな。帰りにこの上を通って、維月がお前の顔が見たいと言うからちょっとのぞくつもりで中を見たんだよ。そしたら、義心が奥の間を伺ってるから、気になって見に来た。で、義心だがな、オレは見てるが、気の毒なほどお前に忠実でぇ。維月だってお前と義心の主従関係を知ってるのに、そんなことになるはずがなかろうが。」と明麗を見た。「なんてこった、お前ってのはこんな女だったのか。明維がお前をボロクソに言ってたが、この性質を見抜いてたからかもしれねぇな。」
維月の気配がした。
「…何を話してるの?」
三人はハッとして振り返った。維月は驚いた顔をして、両手で口を押えている…床には襦袢姿の明麗が転がされて気で押さえ付けられ、維心も義心も刀を抜いて明麗に突き付けている。
「え…これって…」
十六夜は、維月に急いで言った。
「維心の妃になりたいと忍んで来てたらしくって、義心はそれを伺ってて、維心はそれに気付いて斬ろうとしてるところだ。良く見ろ、明麗から維心の気がしねぇだろうが!何もねぇよ!」
維月は呆然としていた。維心は慌てた。また、あの二の舞になる。
「今、斬るゆえな。」
維心は刀を振り上げて、何の躊躇も無く明麗を斬った。維月はびっくりして止めようとしたが、十六夜の方が動くのは早かった。
十六夜が明麗を突き飛ばしたので、明麗は髪を斬り落とされただけで済んだ。しかし、根元からバッサリと、左側の横を斬られてしまっている…少し頭皮もかすめていて、血が流れ出た。
「邪魔を致すな!」
維心はさらに足を踏み出した。十六夜はそれを止めた。
「待て!確かに許しがたいしオレも嫌いなタイプの女だが、殺しちゃそれで終わりだ!」
「絶対に許せぬ!我に取り入ろうと、維月をだしにするとは…!我がそれをどれほどに厭うておるか!」
維月がハッと我に返って、維心の前に走り出た。
「維心様!私はこれっぽっちも疑ってはおりませぬ!だって、だってこの女は少しも私の維心様のお好みではありませんもの!」と、維月は明麗を振り返って、蔑むように言った。「わかったでしょう?このかたは私のものよ。あなたなど、私の足元にも及ばないわ。さっさと去りなさい。目障りだわ。義心、私の目に付かない所へやってしまって。」と、維心の刀を持つ手にそっと触れると、そこからスッと肩まで手を滑らせて撫で、維心の首に手を回した。「維心様…そうでしょう?」
維心の手から、刀がガシャンと音を立てて落ちた。
「維月…その通りよ。」
維心が維月を固く抱き締めて口付ける。それを見た十六夜は、その隙に義心と共に明麗を気で持ち上げ、さっと奥の間を出た。外には、騒ぎを聞きつけた軍神達と侍女達が揃っていたが、十六夜と義心は黙って手で合図して皆を伴ってそこを出た。
寝台で維心が一心不乱に維月を愛する中、侍女達は気付かれないように床を這い回って血糊を掃除し、明麗の脱ぎ捨てられた袿を回収し、何事もなかったかのように綺麗に始末を付けると、ホッとして去っていた。
十六夜は、やっとホッとして力を抜いて椅子へと沈んだ。
「ああ、なんとかなったな。維月の機転で気を逸らして助かったが、維心は絶対殺してた。ほんとに困ったもんだ、あの女にも。」
前に力なく座った義心が頷いた。
「我と維月様が会っていたなど。なぜにそのようなことを…。」
十六夜はため息を付いた。
「たまたま目に付いたかなんかじゃねぇのか?それがたまたま維心にとって信憑性の高いお前だったってことだ。それにしても…どうする?もうここには置いとけねぇ。今夜の内に月の宮へ連れて帰るしかねぇな。蒼に心の余裕がない時に、なんてことをしてくれたんだかな、あの女は。」
義心は、頷いた。
「ここから出すのは、早い方が良い。王は朝には正気に戻られるであろうし、そうするともっと怒る可能性が高い…維月様に、それほど長く王のお相手をお頼みするのは、さすがに…。」
十六夜は苦笑した。
「確かにな。維月なら出来るだろうが、気の毒だしよ。」十六夜は、手を翳した。「オレが月からの力で、月の宮の結界内へ送る。もうすぐ夜明けだし、蒼には念で知らせておく。何するか分からねぇから、オレの結界で小さく隔離しとくよ。要は捕えてる状態ってことだけどな。こんなことがあったんじゃ、碧も宮へ連れては帰れないだろうし、帰ろうとも思わないだろうし…蒼も、維月とこんなことがあったってんじゃ、里帰りに支障をきたすから、長く宮に置きたくはないだろうしな。何より、維心と鉢合わせたらどうする?あいつは今度こそ殺すぞ。」
義心は頷いた。
「己で己の首を絞めたことよ。どこにも参れぬであろうが…もう、神の世では生きられぬの。いっそ斬られておった方が、楽であったかもしれぬぞ。十六夜、そうは思わぬか。」
十六夜は、下を向いた。
「…わからねぇ。あんなタイプの神の女ってのを間近で見たのは初めてでな。確かにその辺の女が軍神達の部屋へ忍んでくってのは聞いたことがあったんだが、あいつは、生きるためにあっちこっち渡り歩いて男に世話をさせようとしてる訳だろう。まさか維心まで…あいつは見た目がいいから、寄って来る女が多いだろうが、あれを他の神の男と同じように考えたのが利口じゃねぇな。」
義心は、白んで来た空を見ながら頷いた。
「王は、維月様以外など、皆虫けら以下にしか見えておられぬ。」義心はため息を付いた。「なので、ああして維月様の言うことはお聞きになられる。王に恋などしては、皆不幸よ。維月様しか、王をなだめて穏やかにさせるものはありはせぬのだから。」
十六夜は義心を見た。それが良いのか悪いのかも、義心からは何も感じ取れない。
十六夜は昇って来る朝日を見て、蒼に事の次第を念で送った。




