復活
明維は、気の流れが落ち着くのを感じた。
「…戻った。」明維は立ち上がった。「我は龍の宮へ参る。」
じっとお互いに黙っていた、明麗が慌てて立ち上がった。
「我はいかがいたせばよろしいでしょうか…。」
明維は、面倒そうに飛び上がりながら言った。
「月の宮へ帰りたいのであろうが。付いて参れ。」
明麗は驚いて、慌てて明維について飛び上がった。今まで、男の神と一緒に居て、己で飛べと言われたことがなかったのだ。まったくこちらを気遣う様子もなく飛んで行く明維に、明麗は必死になってついて飛んだ。
その背を追うことだけを考えて、必死に飛んでいると、明維が下へ向かって飛んで行く。
そこで明麗はハッとした。もう、龍の宮の上空だったのだ。
いつの間に結界を抜けたのだろう…。
明麗はただただ驚いて、神世最大の宮、大きな宮の王族しか上がったことのない宮へと、降りて行ったのだった。
明維が到着口に着いて言った。
「洪!居るか!」
奥から、慌てたように初老の龍が走り出て来た。
「おお、明維様!このような時に、どうなさったのですか。砦を離れて、王は許可をされたのでしょうか…?」
洪は恐る恐る訊いた。明維は、傍の明麗を指した。
「我はあの気の変動の折、外に居った。こやつが飛ばされていきおったので助けたが、これは蒼が探しておる女であることがわかっての。こちらへ預けようと届けに参った。」
明麗は驚いた。届けに来たという感じではなかったけれど…。
洪は、じっと明麗を見た。
「主様は、明麗様か?」
明麗は頷いた。
「はい。明維様に助けて頂き、無事に過ごすことが出来ました。」
洪は頷いた。
「では、客間へ案内させまする。蒼様にご連絡を。」洪は傍の侍女に合図した。「お連れせよ。」
侍女達は頭を下げた。明麗は緊張した…侍女でさえも洗練された身のこなしで、驚くほどに垢抜けている。やはり龍の宮は、知らされていた通り最大で最高級の宮なのだ…。
明麗が歩き去って行くのを見送りもせず、明維は洪に言った。
「して、洪。母上はどうされておる。」
洪は答えた。
「はい。すっかりご快復されて、しかし今はお休みになっておられまする。このようなお時間でございますので。」
明維は、つまらなさそうにしたが、踵を返した。
「では、父上と母上には明日ご挨拶申し上げ、それから戻る。我は我の部屋へ行く。」
スッと歩き去って行く明維を見送る洪は、密かにため息を付いた…明維様は、ほんに直情的でいらっしゃるから、心配なことよ。
「明維が?」
次の日の昼前、維心はようやく居間に出て来て洪に話しを聞いて言った。維月は言った。
「行方知れずになっていたかたを連れて参ったのでしょう。気の暴走はすごかったと聞いておりまする。明維が居なければどうなっておったことか。よかったこと。」
維月が嬉しそうに微笑んでいるので、維心は苦笑した。
「そうか。そうよの。では、ここへ呼べ。」
洪は頭を下げた。
「はい。」
洪が辞してしばらく、明維がそこへ入って来て頭を下げた。
「父上、母上。」
維心は軽く返礼した。維月は言った。
「まあ、明維、女のかたを助けて来たのですってね。蒼も肩の荷が一つ降りて、きっと喜んでいるはずよ。ありがとう。」
明維は嬉しそうに微笑んだ。
「はい、母上。母上に置かれましても、すっかりご快復の様子、安堵致しました。」
維月が微笑むと、維心が険しい顔で言った。
「しかし明維、我は砦を離れても良いという許可を与えておらぬ。此度は人助けゆえ何も言わぬが、これからは心せよ。」
明維は、身を固くして頭を下げた。
「は、父上。」
維月が咎めるように維心を見た。
「まあ維心様…。」
維心は維月と目を合わせると、言った。
「維月、主には分からぬの。軍神は任務を離れる時、王の許可が要るのであるぞ。明維と晃維には西の砦を守る任を与えておるゆえ、そこから離れることはなかなかに許されることではないのだ。将維ならば一人で守れるあの砦も、明維と晃維なら二人掛かりでなければ難しいのよ。我が何のために二人行かせたと思うか?」
維月はため息を付いて、頷いた。
「はい、維心様。」
維心は満足げに頷くと、明維を見た。
「では、戻るが良い。」
明維はもう一度頭を下げると、居間を出て行った。
その姿を、維月は心配げに見送ったのだった。
明維は、面白くなかった。なぜに我達だけ、あのように遠く離れた地へやられねばならぬ。我らもこの龍の宮で生まれ育ったのではないのか。
しかし、明維には分かっていた。自分達、第二以下の皇子は、皆次の王になる将維とは立場が違う。皆、臣下になるのだ。王族とは言っても、普通の軍神と同じ扱いになっても仕方がない。
同じ、父上の子であるのに。
明維は思っていた。だが、そのようなことを言っても始まらないのはわかっていた…将維のほうが圧倒的に気が強く、そして力を持ち、能力も格段に上だからだ。どうあっても勝てない…そんな兄を、尊敬してもいたが、妬んでもいた。
明維が出発口に向けて歩いていると、折も折、将維が前から歩いて来た。
「明維?主、なぜにここにおる。」
明維は頭を下げた。
「蒼の探し人の女を、我があの気の放流の中見つけて保護致しておりました。ゆえ、ここへ連れて参ったもの…我はこれより、西へ戻りまする。」
将維は頷いた。
「そうか。晃維からの報告で、明人と嘉韻を使ってなんとか砦は守り切ったと申しておったわ。主、早く帰ってあれを労ろうてやらねばならぬぞ。」
明維は頷いた。
「はい、兄上。」
将維は頷いて、明維を置いて居間明維が来た道を歩いて行く。おそらく、父上の居間へ行くのだろう。明維は思った。兄上の気には敵わない。我は、一介の軍神でしかない…。
明維は心持ち落ち込んだ様子になり、飛び立って行った。
蒼は明麗の無事を聞いて喜んだものの、月の宮は今それどころでないほどごった返していた。
碧のほうも宮の崩れた場所を立て直すのに忙しく、とても明麗を迎えに行ける暇はない。よって、しばらく龍の宮に置かれることになった明麗は、思った以上に謹厳な雰囲気の宮の中で、それは緊張を強いられて過ごしていた。
ここは、本当に礼儀にうるさい所だった。
明麗が少し粗相をしても、侍女達はすっと眉を寄せた。王族である自分が、気を抜くことなどあることがおかしいと思われているらしい。
明麗はため息を付いた…まだ父の元に居た時はあれほどに憧れた宮であったけれど、実際に来てみるとこれほどに厳しい場所であるとは…。
宮に来て数日、洪という重臣より言われて、明麗は王と王妃の前に出ることとなった。王は非情で知られる龍族の王。しかし、王妃は月の宮の蒼様の母で月であるかた。明麗は、ひたすら頭を下げて、お出ましになるのを待っていた。
不意に、洪も他の侍女達も頭を下げた。明麗は俄かに緊張した…きっと来られたのだ。
良く通る低い声が言った。
「表を上げよ。」
明麗は、恐る恐る顔を上げた。そこには、美しく見るからに優しそうに微笑んでいる王妃と、そして目が覚めるように凛々しく美しい、しかし決してひ弱ではなく厳しい強さを感じる王が、並んで座っていた。明麗は王に見とれて身動きが取れずに居た…こんなにも端正なお顔のかたは、見たことがない。
その王は言った。
「明麗。我が妃が是非に会いたいと申すのでな。主がこの宮で心細い思いをしておるのではないかと。」
維月は頷いた。
「ここは大変に厳しい所でございますものね。私でも、未だに疲れてしまうことがあるほどに。」
隣の維心が慌てたように維月を見た。
「何を申す。主は何も気にすることはないのだ。我が良いと言っておるのに。とやかく言うやつがおるなら、申すが良い。罰するゆえ。」
回りの臣下達侍女達が氷付いた。維月は急いで維心を見た。
「まあ維心様、そのようなことはありませぬゆえ。罰するなどと、おやめくださいませ。」
維心は苦笑した。
「言うと思うたわ。ま、良い。好きに話せ。」
維月は頷いて、明麗に宮での生活で困ったことはないか、蒼に何か話しておきたいことはないかなど、いろいろと聞いてくれていたのだが、明麗はそれに何とか当たり障りなく答えながら、上の空だった。明麗の目は、維月の横に座っている維心ばかり追っていた。世にこれほどのかたがいらっしゃったなんて…。
明麗は、ただただ、その姿だけを見つめていたのだった。
維心と維月が居間へと戻って来ると、維月はほっとしたように言った。
「…心配するまでもなかったようですわね。特に困ったこともないようでありました。侍女達はよく世話をしてくださっているようですこと。」
維月は嬉しそうだが、維心は落ち着かなかった…明麗が、自分ばかり見ていたように思ったのは気のせいだろうか。あまりにまじまじと見るので、居心地が悪かったのだが。だが、維月は本当に気付いていないらしい。維心はそれならば良い、自分の想い過ごしかも知れぬと維月を抱き寄せた。
すると、窓辺から声がした。
「相変わらずベタベタと飽きないもんだ。」
十六夜が、こちらを見ていた。維月が維心を離れて嬉しそうに駆け寄る。維心はため息を付いた。
「なんだ、主、早いの。連れに参ったのか。」
十六夜は頷いた。
「あれからゆっくり出来てないからな。月の宮も今はまだバタバタしてるし、一週間ほどで返してやるよ。安心しな。」
維心は少しホッとして頷いた。
「とにかく早よう帰せ。我だってもっとゆっくり傍に居りたいのに。」
十六夜は笑った。
「わかってるって。」と維月を抱き上げて頬ずりした。「さあ維月、しばらく一緒だぞ?連れてって欲しい所があったら言いな。」
維月は笑った。
「そうね、でもいいのよ、どこでも。」
「だよな。」十六夜は嬉しそうに言った。「一緒なら別にどこでもいいよな。」
維心は憮然として言った。
「何を言う。月の宮にせよ。うろうろとせずとも良い。」
十六夜は、維月を抱いて飛び上がった。
「わかったよ!じゃあな、維心。」
維月も維心を振り返った。
「維心様、すぐに戻りまするので!」
維心は頷いた。
「待っておる。維月、早よう帰れ。」
維月は頷いて、十六夜と共に空へと舞い上がって行った。




