荒ぶる月の下
蒼は将維の気を探って母の居所を確かに見て、それから龍の宮へ寄って、維心に対面した。
維心はまるで老いが始まったのではないかと思われるほどにやつれて、着物がぶかぶかになっていた。短期間でのこのやつれようで、蒼も気の毒になったが、しかし心を鬼にして、母に会いに行くことを勧めるために少しキツいことも言った。
しかし、維心はまだ思い切りが付かないようだった。十六夜も会いに行くことを告げて、わざと突き放すと、蒼は龍の宮を後にした。
その日は、七夕の催しが龍の宮で開かれていた。
蒼はいろいろと大変でしかもまだ預かっている明麗が見つかっていないということもあり、それには出席しなかった。
しかし、例年通り沢山の回りの宮々から人が詰めかけて、とても華やかな宴が執り行われているようだ。
意を決して維月に会いに行った十六夜から送られて来た念は、幸福そうだった。しかし、次の瞬間には、維心を狙っている陰謀を感じると、炎嘉と箔炎と共に龍の宮へ向かっていると念が来て、そこで念は途切れた。
蒼は苛々と歩き回った…十六夜が居れば大丈夫だろうが、しかし、嫌な予感がする。待つのは本当につらかった。
ふと、将維からいきなり念が飛んで来た。
《蒼!十六夜と母上が仙術の刀にやられて倒れ申した!》
なんだって?!
蒼は驚いた…外には、薄暗くなった空に、月が出ている。その月は、赤黒く変色し、変な気を発していた…そして上空の気は乱れ、月の宮の結界は完全に消滅した。
その少し前、明維はふて腐れて母がどこかに居るはずの、その山の中腹を、一人ぶらぶらとしていた。兄が母を望んでいるのは知っている。もしも父上が先に逝かれて王になられたら、兄上は恐らく母を妃として残す。そう思うと、自分は兄には気も能力も敵わないので、諦めるよりなかった。
それが、明維には面白くなかった。
たった一年違いであるのに。
明維はいつもそう思っていた。
《明維!晃維!十六夜と母上が仙術の剣に刺されて倒れた!何かあった時のため、主らは待機せよ!》
突然の将維の念の声に、明維は仰天して自分の耳を疑った。母は、この辺りに滞在されているのではなかったか。いつの間に宮へ戻られたのか…そして、仙術とは?!
明維は居ても立っても居られず、龍の宮へ向かおうと飛び上がった。途端に、上空の激しい気の流れに圧倒されてすぐに低空に下がった。
「何事…?!」
明維が空を見上げると、月が紅く変色してその姿を変えている。そしてそれは、刻一刻と赤黒く嫌な色に変わりつつあった。
「月が死にかけているのか!」
明維は低空を飛んで龍の宮へ向かう道を急いで飛んだ。辺りの地が時に小刻みに揺れ、そして獣は何処へともなく逃げようと走り回っている。気の放流は上空を激しく渦巻き、吹き上げるようになったかと思えば、突然に方向を変えて吹き降ろしたりした。明維はそれをいちいち読んで避けながら、ひたすらに飛び続けた。
「きゃああああ!」
ふと、女の悲鳴が聞こえたかと思うと、着物姿の女が、気の放流に捕えられて吹き上げられ、上空を飛ばされて行くのが見えた。
ふん、女がうろうろとしておるからよ。
明維はそう思って放って置いたが、悲鳴がどんどんと小さく遠くなって行くのを聞いていて、顔をしかめて思い切ったように踵を返した。
「ええい!馬鹿な女になど構って居られぬのに!」
明維はその女に事もなげに追い付くと、小脇に抱えてすぐに地上へ降りた。
「手間のかかる!どこかへ潜んでいよ!」
明維はそう言うとその女を置いて去ろうとしたが、回りの木々が倒れ掛かって来る。女はまた悲鳴を上げた。
明維は、悪態をついた。
「やってられぬわ!面倒な!」
明維は、女を小脇に抱えて傍の山の下にある、洞窟へと飛び込んだ。女をそこへ降ろして外の様子を伺うと、気の放流はますます激しくなるようだった。これでは、自分も動き回らぬ方が良い…。ここは、普段でも気が不安定な所だ。月が安定させていたものが、皆崩れて来ておるのか。
女はふらふらになりながら、明維に頭を下げた。
「どちら様か存じませぬが、ありがとうございました。助かりましてございます。」
明維はそちらを振り返りもせず言った。
「面倒を掛けさせおって。我も急いでおったところであったのに、これでは外へ出ることも叶わぬ。ここに立ち往生よ。」
相手は申し訳なさそうに下を向いた。
「本当に…申し訳ありませぬ。主様のおっしゃるように、何なりと致しまするゆえ、我を主様の場所へお連れ頂けませぬでしょうか。」
明維は、眉を寄せた。
「我の場所?我は砦に住んでおる。主を世話せよと申すか。なんと厚かましい女ぞ。」
女は驚いて明維を見た。こんな事を言う神は初めてだ。神も人も、男は女を連れて行きたいものではないのか。
「そ、そのような気は…。ただ、行く所がございませんで、困っておりましたので…。」
明維は不機嫌に言った。
「我は慈善事業をやっておる訳ではない。素性も知れぬ女を世話する言われはない。」
女は、慌てて言った。
「我は、明麗と申します。月の宮から出て参りました。」
明維は振り返った。
「明麗?主、蒼が探しておる女か。ならばおとなしくして居るが良い。これが収まったら、月の宮へ遅らせる。」
明麗は驚いたが、少しホッとして頷いた。
「はい…。蒼様と、お知り合いでいらっしゃいまするか?」
明維は頷いて、その辺りの岩に無造作に腰を下ろした。
「我は龍王の第二皇子、明維よ。」
明麗は驚いて深く頭を下げた。
「そのようなこととは知りませず、大変に失礼を…!」
明維はフンと横を向いた。
「仕方がないわ。放って置いてもよかったが、あいにくそんな教育はされておらぬゆえな。それにしても、馬鹿な女ぞ。所詮一人で生きて行くなど出来ぬのに、簡単に宮を出て参るなど。死んででもおったら、我もあっぱれよと言ってやろうがの。死にたくないのであろうが。ならば、少しは我慢せよ。主など我から見たらなんの価値もないわ。見つけてもらえたら戻ろうと思うて出たのであろうが。」
明麗は傷付いたように明維を見た。
「そのような…我とて探して欲しいとは望んでおりませぬ。」
明維は鼻を鳴らした。
「そうか。ならば覚悟あってのことか。確かに誰にも望まれて居らなんだら、探してくれることもないの。我から見ても大した女ではないし、そんな奇特な男も居らぬの。」
あまりな言葉に、明麗は涙ぐんだ。
「そんな…我のこともお知りでないでありましょう…。」
明維は横を向いた。
「知ろうとも思わぬ。我はただ馬鹿な女は嫌いなだけよ。主は利口ではない。」
明麗は、生まれてこの方これほどまでにはっきりと罵倒されたことはなかった。しかも、いちいち反論出来ないほど、それは的を得ていた。確かに出る時は誰かが探してくれるかもと薄っすらと思っていた。それに自分は小さな宮であっても皇女と言った身分で、そうでなければ確かに大した女ではない…。そして宮を出て来て、これまで落ち着く場所も見つけることが出来なかった。森などを彷徨いながら、確かに誰か早く見つけてくれないかと思った…どう生きて行くのかも、何も考えずにただ出て来て…。
明維の言った通り、自分は利口ではない。昔碧の宮を出た時も、もし博に出逢わなければどうしていたのだろう…。結局、誰かに依存して…。今も、守ってもらうために、この明維に世話をさせようと考えた。何も変わらない…。
明麗は涙を流した。他の男なら、きっと肩を抱くぐらいはしただろう。だが、この龍王の皇子兄弟は皆、そんなことで動じることはなかった。特に明維は、それが顕著だった。
「ま、己の愚かさに気付いたのであれば重畳よ。」明維は外の気の流れを見やった。「どんな種類の愛情でも、それが己に与えられて当然だと思うのではないぞ。想いというのは流動的であるのだ…それを失って初めて気付くということもある。なので与えられたら、同じかそれ以上返さねばならぬ…でなければ失ってしまう。我が母から教わったことであるがな。他者に愛情とやらを感じたことはないゆえ、未だ分からぬが、主には分かるのではないか?」
愛情を感じたことがないと言いながら、明維は愛情がこもった目で月を見上げた。
その月は、今や赤黒く変色して上空の気の放流はもっと激しくなっていた。
明維は、それを見て険しい目つきになって、物思いに沈んだ。
そしてまた明麗も、物思いに沈んだのだった。




