第2章 森の流れ
森と鋼。ユリエルとレンヴァルト。
それぞれの運命は、まだ誰も知らない場所で、
着実に動き始めていた。
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翌早朝、森の異変を確かめるため、ユリエルはラグナ=ルミナを出た。
ラグナ=ルミナを出ると、空気はすぐに変わった。港の潮の匂いが消え、湿った森の香りが広がる。
街道を外れ、白樹の森へ入るころには、人の声も聞こえなくなっていた。
馬を進めながら、ユリエルは周囲を見渡した。
白い幹と柔らかな葉の揺れ。光と影のまだらな森。見慣れた景色だった。
だが。
――やっぱり、少し違うのよねぇ
胸の奥に残る、あのざらつき。
森の呼吸が、ほんの少しだけ浅い。
風はある。
鳥も鳴いている。
それでも、何かが流れていない。
「……止まって」
ユリエルが言うと、隊列が静かに止まった。
兵たちが周囲を警戒する。同行している癒術官も馬を寄せてきた。
ユリエルはゆっくりと馬から降りる。
地面に視線を落とした。
土は湿っている。草も枯れていない。
それでも――
「……変ね」
そのときだった。
「きゅ」
ユリエルの肩の上で、リュネが顔を上げた。さっきまで髪の中に潜り込んでいたのに、今は周囲を見回している。
そして、森の奥を見つめている。
「……あっち」
ユリエルは視線を向ける。
南東。
急使が報告していた方向だった。
ユリエルは数歩だけ歩き、立ち止まる。
その場所で、空気がほんのわずかに揺れていた。目に見えるほどではない。
だが確かに、流れが歪んでいる。
ユリエルはゆっくり息を吸った。
「……魔力?」
――あらあら?なぜ、わかるのかしら
――きっと、ユリエルの力ね
癒術官が小さく息を呑む。
森の魔力は本来、ゆるやかに循環している。
水の流れのように、途切れることなく。
だがここでは、それが滞り、止まりかけた流れが、無理に押し出されている。
――まるで、水路が詰まったみたい
前世の記憶がよぎる。
畑の水路。嵐が過ぎた後には泥や落ち葉が水路の流れをせき止め、別の場所で溢れる様子。
自然の流れは、止まらない。
止めれば、どこかで歪む。
ユリエルはゆっくりと地面に手を伸ばした。
触れようとして――
一瞬、迷う。
――うーん…どうすればいいのかしら
魔力の扱い方など、知らない。百合江には、そんな力はなかった。
だが。
ふと、不思議な感覚がよぎる。
身体の奥が、かすかに温かい。
意識しなくても分かる。
この身体は――知っている。
ユリエルは静かに目を閉じた。
試しに、ほんの少しだけ、胸の奥の温かさを、地面へ流すように意識する。
指先の下で空気がふっと震えた。
「……!」
癒術官が息を呑む。
ユリエルも目を見開いた。
地面の奥で、何かが触れた。
森の魔力の流れだ。
だが、それは滑らかではなかった。
――引っかかってる
――それに、歪んでいるような……
無理に押し流されている。
「……やっぱり」
小さく呟く。
どこかで、流れが変わっていて、その影響がここまで届いている。
そのとき、リュネが突然、ユリエルの髪から飛び出した。
「ユリィ!」
森の奥へ向かって鳴く。
一瞬、ふわふわの体が、ほんのわずかに光り、森の魔力の揺らぎと重なった。
ユリエルの胸が強く鳴る。
「……リュネ?」
リュネは答えずに、ただ森の奥を見つめている。
――南東ね
魔力の流れが乱れている方向。
ユリエルはゆっくり立ち上がり、森の奥を見つめる。
静かな森だった。
だがその奥で、確実に何かが変わり始めている。
そしてそれは――
森だけの問題ではない気がしていた。




