第2章 揺れる森、届いた書簡
王の声が落ちる。
「詳しく報告しろ」
鋼の国の空気が、静かに変わり始めていた。
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朝の光は相変わらず、窓から差し込み、揺れる枝の影が床に落ちている。
だが、軍議の席にいる者たちは、その光を見る余裕もなく、互いの顔を見合わせていた。
エルフ王宮の軍議の間には、先ほどの急使の報告の余韻がまだ残っていた。
南東の森での魔力の異常。
やがて、評議会の一人が静かに口を開く。
「……鋼の掘削では?」
低い声だった。
だが、その一言で議論の流れが生まれる。
「そうだ…掘削が原因だ」
「南東は鉱脈に近い」
「鋼が森を乱したに違いない」
評議会の席からも、五大貴族の席からも同じ言葉が上がった。
「境界を封鎖すべきだ!」
「兵を出すべきだ!」
「森を守らねばならない!!」
軍議の温度が徐々に上がっていく。
ユリエルはその声を聞きながら、静かに息を吐いた。
ーー何かが違う気がするのよねぇ
森の魔力が乱れている。
それは確かだ。
しかし胸の奥に残るざらつきは、どうしても掘削だけでは説明がつかない気がしていた。
ーーでも、原因がまだ見えてこないわ
だが、このまま戦の話へ進むべきではない――
そのときだった。
セラヴィがゆっくりと立ち上がる。
「森の調査を行います」
「原因が鋼の掘削であれ、そうでなくとも、まず森の状態を確かめる必要があると考えます」
広間の視線がセラヴィに集まった。
王は玉座に座ったまま、しばらく黙っていた。
やがて、静かに頷く。
「よかろう」
その直後。
軍務官が一歩前へ進み出た。
「陛下。もう一つ報告があります」
広間のざわめきが止まる。
「鋼の国より書簡が届いています」
評議会の席から小さなどよめきが起きた。
「鋼が?」
軍務官は続ける。
「国境の緊張緩和のため、停戦交渉を求める内容です」
森の異変。
そして鋼からの停戦提案。
二つの知らせが、広間の空気を静かに揺らした。
王が口を開く。
「場所は」
「中立商業圏ラグナ=ルミナと記されております」
森と鋼の境に築かれた巨大港湾都市。 人間を中心とした商業国家であり、いかなる戦にも与しないと宣言する中立圏だ。
各国の船が集まり、交易と情報が行き交う。戦場から最も遠く、最も近い都市でもある。
王は広間をゆっくり見渡した。
「停戦交渉を受ける」
評議会の席がざわめく。
五大貴族の一人が言った。
「陛下、本当に?」
王は落ち着いた声で続けた。
「森の異変が事実ならば、戦をしている場合ではない」
その言葉で広間は再び静まる。
「我が国の代表を指名する」
「ユリエル・イヴェルナ・アルヴァリス」
「セラヴィ・カイル・アルヴァリス」
王は続ける。
「ユリエルは鋼との戦を軍参謀として見てきた」
「森の魔術にも通じている。今回の異変を見る者として適任だ」
視線がセラヴィへ向く。
「セラヴィは森の軍を率いる者」
「交渉の場で森の意思を示す役目を持つ」
セラヴィが一歩前へ出る。
「陛下」
声には抑えきれない緊張が混じっていた。
「ユリエルを戦場へ近づけるべきではありません」
王は静かに手を上げた。
それ以上の言葉を許さない仕草だった。
広間が静まり返る。
「決定だ」
王は続ける。
「速やかに鋼との停戦交渉を締結したのち、ユリエルは森の調査へ向かえ」
次にセラヴィを見る。
「お前は王宮へ戻り、停戦交渉の報告をせよ」
セラヴィの表情がわずかに動く。
抗議の言葉が浮かびかけたが、王の視線がそれを押しとどめた。
森の異変は国の問題であり、個人よりも優先される――
王の決定は、それを示していた。
「もちろん、ユリエルには十分な兵をつけ、国随一の癒術官を同行させる」
やがてセラヴィは深く頭を下げる。
「……承知しました」
軍議は終わった。
だが、森のざわめきはまだ消えていない。鋼の国でも、同じように何かが動き始めているのだろう。
その変化の中心に、これから身を置くことになるのは――
百年を生き、大往生した、百合江。
その魂が目を覚ましたのは、百歳のエルフの身体だった。
ユリエル・イヴェルナ・アルヴァリス。
それが、この世界での彼女の名だ。
彼女自身もまだ知らない。
この森の異変と鋼の動きが、やがて運命を結びつけること。
そして――
百年の人生で得た、百合江の知識が、森と鋼の運命を動かすことになるということを。




