第38話 あー……、体を横にできるって、素敵
「あー……、体を横にできるって、素敵……」
カリンちゃんは敷いた毛布の上にうつぶせになった。
やっぱりカリンちゃんもお尻が痛いよねえ……。
イグニス副団長の言葉通り、ラマ・グラーマに乗って、揺られていただけでも疲れていたらしい。わたしもカリンちゃんも、そのまますうっと眠ってしまった。
目が覚めたら夜だった。
もそもそと、起き出して、テントから外に顔を出す。
「わあ……」
外に見えたのは、満天の星空。銀の砂粒を、漆黒の夜空にまき散らしたみたい。
余りのきれいさに、ただ空を見上げる。
この世界にも、星座があるんだろうか?
「アイリス様、お目覚めですか?」
小さな、ささやくような声。
「イグニス副団長……」
「もし起きられたのなら、こちらへどうぞ。夏前とはいえ、山です。冷えますから」
わたしのテントから少し離れたところに小さな焚火が一つ、作ってあった。更に離れたところにもう一つ。合計二か所。
寒さ避け……と言うよりも灯りか獣避けだろうか。
何かあった時にすぐ対応できるように、小さなともしびを作っておく。
寒いというほどではないけど、せっかくなので、火にあたらせてもらう。わたしの隣の位置に、イグニス副団長も座る。
「……あの、寝ていたところを起こしてしまいましたか?」
「いえ、ちょうど私が見張りの時間帯でしたので」
「副団長も見張りなんてするんですか?」
えらい人だから免除じゃないんだ。
「ええ、そのあたりは均等に割り振ります。今は青の騎士から一人、白の魔法師団から一人、見張りが立っています」
ふと見れば、もう一つの焚火のほうに白いマントの男の人がいた。わたしにひらひらと手を振ってくれたから、わたしも手を振り返す。
白マントの魔法師さんが、カップに入れたスープを差し出してくれた。
「……残り物のスープで申し訳ないのですが」
「ううん、ありがとうございます」
ふうふう言いながら、飲む。
コンソメスープみたいな味がする。塩味が美味しい。
飲みながら、ゆっくりと夜空を見上げる。
異世界でも、星は、空で瞬いて。
月は見えないけど、朝になれば太陽が昇る。
食事もおいしい。オルカみたいな面白い生き物もいる。キーファー第三王子みたいな人もいれば、イグニス副団長みたいな人もいる。
……ここで暮らすのも悪くはない。
悪くはない。
けどね……。
「イグニス副団長、話してもいいですか? 愚痴っていうか、発展性のないループみたいな話なんですけど」
「はい、私でよければ」
「ありがとう」
わたしの悩みなんて、世界の存亡に比べれば、小さいこと。
だけど、わたしにとっては重要なの。
「実の兄と思っていた人が、実は従兄だった。従兄と思い直して結婚しなさいなんて、よくある話ですよね」
「まあ……、そうですね。ごろごろしているとは言いませんが、無きにしも非ず……」
「それにこのフィッツジェラルド神聖王国は王政の国ですから、親が娘の婚姻を勝手に決めるなんてことも、当たり前ですよね」
「はい」
わたしの悩みなんて良くある話。
現代日本では、個人の自由が尊重されるべきだろうけど。
世の中には、親の言いなりで結婚なんて良くある話なのだ。
ラノベでも、世界のどこかでも、昔の日本でも。
それに、優太お兄様はすごく優しくていい人だ。兄として、大好き。
……結婚相手として見れないだけで。
我がまま、なのかなあ……わたし。
親の言う通り、優太お兄様と結婚したら、しあわせになれるのかなあ……。
「結局、わたし、中途半端なんです。親の言うとおりに結婚したくない。優太お兄様は兄としか思えない。でも必死になって、親元から逃げる……って程、切羽詰まっていないんです」
大学四年間をのんびり過ごして、就職活動も落ちまくったけど、もう嫌だって思ったけど。
じゃあ、優太お兄様と結婚するのと、就職活動継続するのと、どっちが嫌って言われたら……わからない。
「今、こうやって異世界で。この国の人は結界がないと大変かもしれないけれど、わたし、どこか他人事で。カリンちゃんに付いてきて、お仕事してますよー、役に立ってますよーって示しているだけのような気がします」
パフォーマンス。
モラトリアム期間の延長申請。
決断できないから、まだちょっと待ってって。
「それのどこが悪いんですか?」
イグニス副団長がぼそっと言った。
「え?」
「決め手に欠けるから、決められない。ただそれだけでしょう」
「いいのかな……」
イグニス副団長はふっと笑った。
「私の仕事は決断の連続です。些細なことから大きなことまで」
あああああ……。毎日毎日、何かを決め続けている人に、決められないんですーなんて泣き言を言ってしまった。恥ずかしい……。
「いつか、決めないといけない時が、きっときます」
「来るかなあ……」
「来ないなら、のんびり構えていればいいんですよ」
「そうかなあ……」
「そうですよ」
そのまま黙って、わたしは星を見ていた。
イグニス副団長は、もうそれ以上何も言わなかった。
東の宝珠を修復したら、それで三つ目。
それから北で四つ目。
全部終了。それから、王都に戻って……、きっとカリンちゃんは日本に帰る。
わたしは?
一緒に帰るのか、それともここに残るのか。
ここで、このまま暮らすのも悪くはない。
テントのスキルは役に立つし、騎士団とかで雇ってもらえるかもしれない。
オルカたちと遊んで暮らすのも楽しそうだ。
でも、今、それを選べないのは……。
わたしが、異世界に来たことで、優太お兄様がどうなっているのか気になっているから。
好きな人を見つけて、結婚してくれればいいなんて、そんなのわたしの勝手な願望。
わたしが失踪したのに、優太お兄様がわたしと無関係にしあわせになるなんて、そんなのありえない。
わたしを探して。わたしが家出をしたと思って心を痛めているだろう、きっと。
……グタグタしていないで、わたしがきちんと言わないと駄目なんだ。
優太お兄様に、お父様に、お母様に。
息を吸って吐く。夜空を見る。口を開く。息を吸う。
「……優太お兄様のことは大好きだけど、実の兄としか思えない。結婚相手としては無理。だから、お父様、お母様、ごめんなさい」
声が……、震えた。
結局わたしは、親の期待を裏切れない「いい子ちゃん」なんだよね。
親を困らせるのは、すごく心理的に苦痛。
だから、親の会社じゃない別のところに就職したいっていうのも……、逃げているだけ。真正面から、嫌だ、できないって、全力で主張していない。
わたしが、こんなんだから、親だって、わたしが優太お兄様と結婚することを、照れているだけだと誤解しているんだろう。
だから、わたしがすべきことは。
神様に祈るみたいに、胸の前で両手を組む。
「優太お兄様とは結婚できない。ごめんなさい、お父様、お母様」
繰り返して言葉にする。
短い文章。
たったこれだけなのに、手が震える。
言えるの? お父様とお母様に。
ごめんなさい、無理ですって……。
ううん、言わなくちゃ、駄目だ。
勇気を。
この異世界で溜めて。
そして……帰る。
決別をしないと、きっともう、前には進めない。
グダグダしているうちは、悩んでいますってパフォーマンスをしているだけだもの。
前にも後ろにも進んでいない。停滞。
停滞を、やめよう。
前に進もう。
たとえ、それが、親に申し訳ないと思うような選択でも。
大丈夫。暗い夜空にだって、星は輝いている。
逃げるんじゃなくて、立ち向かう勇気をためよう。
顔を、空からイグニス副団長に向ける。
「ありがとうございます、イグニス副団長」
「……私は何もしていませんよ」
「いえ、話を聞いてくれたし。わたしが気持ちを固めるまで黙って側にいてくれました」
今、ここで、このタイミングで。
静かな夜に、星空と焚火と。温かなスープ。
きっと、今でなければ、わたし、気持ちを決められないで、ずっとぐだぐたしていたかもしれない。
「ありがとう」
向こう側の焚火に当たっている白の魔法師の人にも、お礼を言う。
……この時のわたしは、真正面から対峙することを選んだ。日本に帰って、結婚はできないと伝えようと。
でも、この先。四つ目の宝玉をカリンちゃんが修復した後。
このままこの世界に残るではなくて。
お父様とお母様に「優太お兄様と結婚はできない」と告げるのではなくて。
そのどちらでもない、三つ目の選択肢を選ぶなんて。
この時のわたしは、全く想像もしていなかったのだ……。




