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現場から始まる再生 ― 実感から未来へ【終】

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 第1章から第3章では、歴代総理たちが「百代総理党」として現代に集結し、国民第一の旗を掲げ、国内改革の法案を次々と実現し、さらに世界会議で日本の姿勢を示しました。

 ここからの物語は、さらに生活に密着していきます。

 第4章では、工場や商店街、学校や病院、地方の村や町に改革の成果が届き、国民が「政治は暮らしを変えるものだ」と実感します。

 第5章では、若者が夢を語り、世界が日本を見習うようになり、国民の誇りが取り戻されます。

 そして最終章では、歴代総理たちが役割を終えて国民に未来を託し、新しい歩みが始まります。

 この作品は「政治小説」とはいえ、描きたいのは国民の笑顔と未来への希望です。どうぞ最後まで楽しんでいただければ幸いです。

第4章 現場で動き出す改革

第1節「工場と商店街に笑顔」

 国会で成立した経済法案は、数字の上だけでなく、人々の暮らしに確かな変化をもたらし始めた。

 地方の町工場では、止まっていた機械が再び動き出した。従業員に渡された給与袋は以前よりも厚くなり、働く人々の顔には自然と笑みが広がる。職を失っていた若者が再び現場に戻り、油にまみれながらも誇らしげにネジを締める姿があった。工場長は深く息を吐き、「これで未来をつなげられる」と胸をなでおろした。

 一方、商店街にも活気が戻っていた。長年、シャッターを閉じていた店が再び明かりを灯し、通りには人の往来が増えている。八百屋の主人は仕入れの量を倍にし、惣菜屋の女将は「今日はよく売れるよ」と笑顔で客に声をかけた。商店街の通りに漂う匂いとざわめきは、久しく忘れられていたものであった。

 外で買い物をする主婦が子どもに言う。

 「ほら、今日はお父さんの給料日だから、少しごちそうにしようか」

 子どもは嬉しそうに頷き、駄菓子屋へと駆け出した。

 街頭インタビューに答えた若者はこう語った。

 「正直、政治なんて信用してなかった。でも、給料が増えて生活が楽になると、やっぱり違うんだな。働くのが楽しくなってきた」

 商工会議所の会長は胸を張って言った。

 「雇用と給料の底上げは、町の活気そのものを変える。政治が机上の空論ではなく、現場に力を届けてくれた証拠だ」

 経済法案がもたらしたのは、単なる統計の改善ではなかった。工場の轟音、商店街の笑い声、家族の団らん――そうした生活の音が、街全体を包み込み始めていた。

 国民は実感した。改革は確かに机上から降り、現場で動き出しているのだと。


第2節「子どもと親に光を」

 経済の息吹が街を潤すと同時に、もう一つの変化が家庭に訪れた。国会で可決された「教育費無償化」と「子育て支援」の仕組みが、全国津々浦々で実際に動き出したのである。

 地方の小学校では、新学期を迎えた子どもたちが誇らしげに新しいランドセルを背負って教室に入っていった。保護者会で校長が「今年から授業料の負担はゼロになります」と告げると、保護者たちの間に驚きと安堵が走った。母親の一人は目頭を押さえながら、隣の父親にささやいた。

 「これで子どもを安心して進学させられる……」

 都市部でも変化は顕著だった。駅前に新しく設置された「子育て支援拠点」には、若い親たちが集まり、保育士や相談員に悩みを打ち明けていた。

 「共働きで子育てが大変でしたが、ここに駆け込めば安心できる」

 と、疲れた表情だった母親が笑顔を見せる。子どもたちは隣接する遊び場で元気に走り回り、その姿を見て親たちの表情も次第に明るくなっていった。

 大学進学を控えた高校生が、記者にこう答える。

 「奨学金で借金を背負う心配がなくなった。将来は地元に戻って、子どもたちに勉強を教える仕事がしたい」

 その言葉に、教師を目指す仲間たちが頷いた。無償化は単に家計を楽にするだけでなく、若者の夢を前向きに形づくる力となっていた。

 商店街の書店では、参考書を買い求める親子で列ができた。店主は目を細めて言った。

 「本が売れるのは久しぶりだ。子どもが勉強に励めるのは、町全体の誇りになる」

 国民の暮らしは、確かに変わり始めていた。教育費と子育ての負担から解き放たれた親たちは、安心して子どもの未来を語れるようになった。そして子どもたちは、自らの可能性を信じて歩き出していた。

 その光景は、まさに「子どもと親に光を」届ける改革の実りそのものだった。


第3節「病院から家庭へ」

 国会で可決された医療法案は、やがて人々の暮らしに温かな変化をもたらし始めた。最大の特徴は「病院中心」から「家庭中心」へと医療の重心を移したことである。

 地方都市のある家庭では、退院した高齢の父親を囲んで家族が笑顔を見せていた。訪問医師が定期的に診察に訪れ、看護師が体調を確認し、必要な薬は地域の薬局から届けられる。家族は安心しながら、日々の食事や会話を共に楽しむことができるようになった。

 「病院に泊まり込むより、ずっと心が安らぎます」

 と母親が語ると、子どもたちも大きく頷いた。

 都市部のマンションでも、変化は見られた。かつて孤立しがちだった一人暮らしの高齢者に、在宅ケアのスタッフが定期的に訪れる。血圧計やリモート診療機器が導入され、スマートフォン越しに医師の顔を見ながら相談できるようになった。

 「画面越しでも先生の顔を見ると安心します」

 と笑うその表情は、病院の冷たい白い壁の中で見せていたものとは違い、穏やかで柔らかかった。

 地域の診療所では、医師がこう語った。

 「病床数を増やすより、家庭でのケアを広げる方が人の幸せにつながる。患者さんの表情が和らぎ、家族の絆も深まるのを実感します」

 また、介護と医療が一体となった仕組みが整い、老後に対する不安も減っていった。高齢者同士が在宅支援サービスをきっかけに交流し、孤独が和らいでいく姿もあった。

 外の広場でスクリーンを見ていた若い看護師が語った。

 「病院で働く私たちも、在宅医療の広がりで患者さんとの関わり方が変わりました。もっと人間らしい医療ができるんです」

 病院のベッドから家庭の居間へ――その移行は、数字以上に国民の心に大きな安心をもたらした。人々は初めて、「医療が暮らしに寄り添う」という実感を手にしたのである。


第4節「若者が帰る地方」

 教育費の無償化と地方大学の整備、そして農業と工業を結びつける政策が動き出すと、日本各地の地方に新しい風が吹き始めた。長く続いた過疎と人口流出の流れに、逆転の兆しが見えたのだ。

 ある農村では、大学の研究室と農協が連携し、新しい栽培技術の実験が進められていた。都会に出ていた若者が「地元で学べるなら」と帰郷し、地元の大学で学びながら農業経営を手伝っている。父親と息子が肩を並べて田畑を歩きながら、未来の計画を語る姿は、かつて失われかけていた光景だった。

 一方、地方の工業地帯では、中小企業と大学が共同で開発したロボットが試験導入されていた。商店街の人々が集まり、そのデモンストレーションを見守る。

 「これで人手不足が解消されるぞ」

 と声が上がり、地元の高校生たちは「ここで働きたい」と興奮気味に語り合った。

 Uターン就職の相談窓口には、東京から戻った若者たちが列をつくった。

 「都会で消耗するより、地元で力を発揮したい」

 「学んだことを家族や地域に還元できるのが誇りになる」

 そんな声が相次ぎ、かつて空き家だった住宅にも灯りがともり始めた。

 外の広場でスクリーンを見ていた中年の女性が、目頭を押さえてつぶやいた。

 「子どもは二度と戻らないと思っていた。でも今、あの子は帰ってくるって電話をくれたんです」

 村の老人会では、孫と共に暮らせる日を夢見て笑い合う声が響いていた。地方に希望が戻るということは、家族の絆が再びつながるということでもあった。

 国民は実感した――地方がただ生き延びるのではなく、若者が未来を選んで帰る場所へと変わりつつあるのだと。


第5節「環境が未来を育てる」

 地方に若者が戻り、街や村に再び灯がともり始めた頃、次に広がったのは「環境」を軸にした新しい産業の芽だった。再生可能エネルギーを基盤とした町おこしが各地で動き出し、人々の暮らしと誇りを支えていったのである。

 海沿いの町では、風車が並び、潮風を受けて回転していた。かつては衰退した漁港に人影が少なかったが、今では視察や観光に訪れる人が増え、町の飲食店も賑わいを取り戻している。漁師の一人はこう語った。

 「魚だけじゃ食えなくなったが、この風が町を救ってくれた。俺たちは風と共に生きていけるんだ」

 内陸の村では、農地の一角に太陽光パネルが整然と並び、余剰電力が地域の工場や商店街を支えていた。農家の若者が誇らしげに言う。

 「作物を育てるだけじゃない。エネルギーも育てて、村を未来につなぐんです」

 また、環境事業をきっかけに新しい雇用が生まれていた。発電設備の整備や管理に携わる仕事が増え、地元の高校卒業生が「地元で働けるなら」と残る選択をしている。町役場の担当者は胸を張った。

 「環境を守ることが、そのまま経済を強くする。この循環が続けば、町は持続可能な形で発展できる」

 さらに、観光客が環境都市を一目見ようと訪れ、宿や土産物屋も潤いを見せた。町の人々は「自分たちの暮らしが世界から注目されるなんて」と驚きと誇りを抱いた。

 外の広場でスクリーンを見ていた学生が友人に語った。

 「環境を守ることが仕事になり、町を元気にする。これが未来の日本の姿なんだ」

 拍手が広がり、国民は確信した。環境は制約ではなく、未来を育てる力そのものなのだと。


第6節「語り合える社会」

 工場と商店街に笑顔が戻り、教育と子育ての光が広がり、在宅医療や地方の再生、環境事業が実を結び始めた。しかし、それでも人々の胸の奥に残る影があった。――孤独。

 どれだけ経済や制度が整っても、人が心の中で孤立してしまえば社会は冷たくなってしまう。その課題に向き合ったのが「国民対話カウンター」の設置であった。

 駅前のロータリーに設けられたガラス張りの小さなスペースには、「語り合い受付」と大きく掲げられている。そこには専門の相談員や地域ボランティアが常駐し、誰でも気軽に立ち寄れる仕組みだ。仕事帰りの会社員がふらりと腰を下ろし、家庭の不安を語れば、静かに耳を傾ける人がいる。学校に馴染めない学生が涙ながらに悩みを打ち明ければ、次の日から通える支援先を案内してくれる。

 地方の町役場でも同様の仕組みが導入され、農作業に追われる高齢者や、帰郷した若者が気軽に語り合う姿が見られるようになった。

 「ただ話を聞いてもらえるだけで、胸の重石が取れるんです」

 と老女が笑顔を見せると、隣にいた孫も安心したように微笑んだ。

 宮澤喜一は国会でこう語った。

 「民主主義を支えるのは、経済力ではなく寛容です。人の声を受け止め合う社会を作れば、孤独は和らぎ、互いを信頼できる国となる」

 犬養毅も続ける。

 「話せばわかる――その精神を、制度として形にしたのです」

 広場のスクリーンを見つめていた若者が小さくつぶやいた。

 「こんな場所が昔からあれば、友達も自分ももっと救われたかもしれない」

 その声に周囲の人々が頷き、自然と拍手が広がった。経済や医療が生活を守るなら、対話と寛容は心を守る。国民は実感した。政治が「語り合える社会」をつくり出すとき、初めて本当の安心が訪れるのだと。


第5章 実感する日本再生

第1節「暮らしが変わった!」

 百代総理党が打ち出した改革は、もはや机上の理念ではなかった。街の風景、家庭の食卓、商店の帳簿――その一つひとつに、確かな変化が刻まれ始めていた。

 まず国民が実感したのは「財布の軽さ」が和らいだことである。給与明細に記された数字が増え、月末の残高が以前より減らずに残る。減税によって食料品や光熱費の負担も軽くなり、家計の見通しが明るくなった。

 「今月は少し貯金できたぞ」

 と父親が笑えば、母親は「子どもの習い事を増やせるかもしれない」と答える。そんな会話が各家庭で交わされるようになった。

 商店街の八百屋では、客の買い物かごが以前より重くなった。肉屋の主人は笑顔で語る。

 「野菜も肉もよく売れるようになった。財布に余裕ができりゃ、自然と食卓も豊かになるんだな」

 さらに、物価が落ち着いたことも国民に安心をもたらした。かつては値上がりのたびにため息をついていた主婦が、「値段が安定していると心まで落ち着く」と笑顔を見せる。高齢の年金生活者も「これで生活設計が立つ」と安堵の表情を浮かべた。

 会社帰りのサラリーマンは同僚と居酒屋で語り合う。

 「給料が増えると気分まで変わるな。仕事にやる気が出るし、将来を考える余裕も生まれる」

 外の広場のスクリーンを見上げていた若者が、友人に言った。

 「政治なんて関係ないと思ってたけど、暮らしが楽になるとああ、動いてくれたんだって実感するな」

 こうして、賃上げと減税の成果は国民の日常に溶け込み、暮らしに笑顔を取り戻していた。人々は確信した――政治は遠いものではなく、確かに自分たちの生活を変えうるのだと。


第2節「未来を語れる若者たち」

 賃上げや減税によって家庭の暮らしが楽になったことで、若者たちの表情にも明るさが戻ってきた。これまで未来を語ることをためらっていた世代が、今や夢や希望を口にできるようになったのである。

 地方大学のキャンパスでは、農業工学を学ぶ学生たちが真剣にディスカッションを重ねていた。

 「卒業したら、地元に戻って農業を起業したい。再生エネルギーと組み合わせれば、地域に雇用も生まれる」

 その言葉に仲間たちは大きくうなずき、議論はさらに熱を帯びていった。

 都市部の新設された子育て支援拠点には、保育士を目指す若者が集まり、現場での研修を楽しそうに語っている。

 「将来は子どもと親を支える仕事がしたい。政治が支えてくれるなら、自分の夢も実現できそうだ」

 雇用の場も広がりつつあった。工場の現場では、Uターン就職で戻った若者がベテランの指導を受けながら機械を動かす。

 「東京で消耗してたけど、ここなら誇りを持って働ける」

 と笑顔を見せるその姿に、町工場の親方は目を細めた。

 また、教育費の無償化が広がったことで、家庭の経済事情に左右されずに進学する学生が増えていた。アルバイト漬けで学業を諦めかけていた青年が言う。

 「借金を気にせず学べるのは大きい。将来は海外に出て、学んだことを日本に持ち帰りたい」

 外の広場で大画面を見ていた若者のグループが、未来について語り合っていた。

 「俺はエンジニアとして地域に貢献したい」

 「私は医療の道に進む」

 「私は子どもたちに教育を届けたい」

 かつて政治や経済に押しつぶされていた若者たちが、自分の言葉で未来を描けるようになった。その姿は、国全体に新しいエネルギーを与えていた。

 国民は気づいた――若者が夢を語れる社会こそ、真の再生の証なのだと。


第3節「世界が見習う日本」

 日本国内で進んだ改革は、やがて国境を越えて注目を集めるようになった。各国のメディアが次々と特集を組み、記者たちは相次いで日本の街や村を取材した。

 ニューヨーク・タイムズの記者は、再生可能エネルギーで息を吹き返した地方都市を歩きながら報じた。

 「環境事業が単なる電力供給にとどまらず、地域社会そのものを再生させている。これは経済政策ではなく人間中心の政治の象徴だ」

 ヨーロッパのテレビ局は、子育て拠点で笑顔を見せる母子を映し出した。キャスターはこう語る。

 「教育と医療を社会全体で支える日本の仕組みは、成熟した福祉国家のモデルとして注目されている」

 アジアの新聞は、地方大学と工場の共同研究に携わる若者たちを大きく取り上げた。

 「都市への一極集中を是正し、地方に人材を循環させる取り組みは、多くの新興国にとって参考となるだろう」

 国際会議の場でも、日本の閣僚たちに質問が相次いだ。

 「どのようにして国民の信頼を取り戻したのか」

 「政治を理念ではなく暮らしに直結させる方法を教えてほしい」

 その姿をスクリーン越しに見守る国民は、胸を熱くしていた。かつては「後進国」と呼ばれ、また経済停滞の象徴とされた日本が、今や「世界が見習う国」として語られている。

 居酒屋でテレビ中継を見ていた中年男性が、仲間に言った。

 「昔は日本が世界に追いつけ追い越せだったのに、今は世界が日本に学ぼうとしてるんだな」

 仲間たちは杯を上げ、静かに頷いた。

 国民は誇りを取り戻していた。自分たちの生活改善が、そのまま世界のモデルとなる――その事実が、日本再生の実感をさらに強くするのであった。


最終章 解散、そして現実へ

第1節「歴史の務めを終えて」

 国会議事堂の大広間は、長い戦いを終えた後の静けさに包まれていた。数々の法案が可決され、国内外に変化の波が広がり、国民の暮らしに確かな実りが訪れた。街には笑顔が戻り、子どもたちは未来を語り、世界は日本を見習おうとしている。まるで夢のような日々であった。

 だが、歴史を超えて集った宰相たちの役目は、ここで幕を閉じようとしていた。

 壇上に進み出た吉田茂は、深く息を吸い込み、国民の方へ視線を向けた。その眼差しには疲れと同時に、成し遂げた者の誇りがにじんでいた。

 「我らは使命を果たした。百代にわたり、この国の未来を照らすために力を合わせてきた。だが、永遠にこの場に留まるわけにはいかぬ。政治の主役は、常に国民自身だからだ」

 議場に沈黙が広がった。傍聴席の国民は、涙をこらえながら耳を傾ける。吉田の声は淡々としていながら、不思議な温かさを宿していた。

 「我々の知恵と経験は、物語としてここに残る。しかし、これからの日々を歩むのは君たち自身だ。どうか胸を張って進んでほしい。国を動かすのは、選ばれし一人ではなく、民の総意である」

 その言葉に、外の広場で待ち受けていた群衆からすすり泣きが漏れた。画面を見上げる若者がつぶやく。

 「本当に、ここまでやってくれたんだな……」

 議場の宰相たちは互いに目を合わせ、ゆるやかに頷いた。誰も声を荒げることなく、静かに、確かに「歴史の務めを終えた」という共通の思いが彼らを結んでいた。

 やがて議場を包む空気は、惜別と感謝の念で満ちていった。百代総理党の役割は終わり、次の一歩は国民の手に委ねられようとしていた。


第2節「別れの言葉」

 吉田茂の言葉が響いた後、議場の空気は静謐なものに変わった。ここに集った歴代総理たちは、いよいよ国民に別れを告げる時を迎えていた。

 最初に口を開いたのは伊藤博文だった。初代宰相としての風格を漂わせ、短くも重みのある言葉を残す。

 「国を治めるとは、民を導くことではなく、民と共に歩むことじゃ」

 池田勇人は眼鏡を押し上げ、穏やかに続けた。

 「数字だけを追いかけるのではなく、人の暮らしを豊かにすること。それを忘れぬように」

 小泉純一郎は独特の抑揚で叫ぶように言った。

 「改革なくして未来なし! この精神を忘れるな!」

 村山富市は温和な笑みを浮かべて語った。

 「命を守る政治を、これからも紡いでほしい。人のぬくもりを大切にしてな」

 そして田中角栄は拳を突き上げる。

 「実行だ! 動けば必ず道は開ける!」

 それぞれの言葉は短くとも力強く、国民の胸に刻まれていった。壇上に並ぶ宰相たちの姿は、まるで百代の歴史そのものが凝縮されたかのようだった。

 最後に犬養毅が歩み出た。会場が静まり返り、誰もが耳を澄ます。

 「……話せばわかる」

 その一言は、議場の隅々にまで響き渡り、やがて外の広場へと広がった。人々は涙を流しながらも、深く頷いた。争いや分断の多い時代だからこそ、その言葉は希望として胸に残った。

 その瞬間、歴代総理たちの姿は少しずつ薄れていった。光の粒となり、議場から夜空へと舞い上がる。国民は手を伸ばしたが、誰一人として止めることはできなかった。

 別れは惜しくも、そこには確かな感謝と未来への祈りがあった。


第3節「国民の手に」

 歴代総理たちの姿が光となって消えたあと、国会議事堂は深い静寂に包まれた。だが、その静けさは空虚ではなく、むしろ満ち足りた余韻を残していた。百代総理党は使命を終え、バトンは確かに国民の手へと渡されたのだ。

 外の広場に集まっていた群衆は、しばらく言葉を失ったまま空を見上げていた。光の粒が夜空に消えていくのを見送りながら、誰もが胸に誓った。

 「これからは、私たちが歩いていく番だ」

 大学生の青年は友人に語った。

 「政治を誰かに任せきりにするんじゃなくて、自分たちが考えて声を上げなきゃならないんだな」

 子どもを抱えた母親は微笑んでつぶやいた。

 「この子が大人になる頃、胸を張って渡せる国にしてあげたい」

 高齢の男性は静かに頷いた。

 「百代の知恵はもう教えてくれた。あとは我々がどう生きるかだ」

 やがて広場のあちこちから自然に拍手が広がり、やがて一つの大きな波となった。その音は夜空へと響き渡り、まるで消えていった宰相たちへの感謝と、新しい時代への宣言のようであった。

 政治の主役は、もはや歴代総理ではない。国民一人ひとりが主人公となる。


エピローグ 未来への歩み

 歴代総理たちが光となって消えてから、街も村も、まるで深呼吸を取り戻すように日常へと戻っていった。だが、その日常は以前と同じではない。人々の歩幅がわずかに大きく、視線が心持ち遠くを見据えている――そんな変化が、あちこちで静かに確かめられていた。 

 朝の工場で、ラインの始業ベルが鳴る。若い作業員が保護具のストラップを締め、ベテランが肩を叩く。

 「任せたぞ」

 「はい、先輩」

 コンベヤの音は、過労の軋みではなく、暮らしの鼓動として響いていた。給料日の明細は薄紙一枚ぶん重くなり、その重みが家族の会話を明るくした。

 昼の商店街では、八百屋の青梗菜が水を弾き、惣菜屋の湯気が道の角で合流する。古書店には参考書を抱えた高校生、駄菓子屋には小銭を握る子ども。店主たちは「また来な」と笑い、アーケードに拍手のような足音が続いた。

 放課後の子育て支援拠点では、父親が抱っこの仕方を保育士に習い、母親は窓越しに遊ぶ子を見て肩の力を抜く。掲示板には「学費の心配をせず進路を考える会」「地域で預け合う夜間ケア」の紙が並ぶ。ひと昔前なら諦めていた選択肢に、今は現実味が宿っている。

 夕方の住宅地。訪問看護師がバッグを提げ、玄関チャイムを鳴らす。

 「いつもの時間です」

 居間のソファには、退院したばかりの祖父と孫。血圧を測る間に、今日の献立とニュースの話。白い病院の壁では育たなかった笑顔が、家庭の灯の下であたりまえに根づく。

 海沿いの町では、風車が潮鳴りと合奏している。漁師が観光客に街路図を指差し、道の駅の新メニューを照れくさそうに勧める。内陸の村では、太陽光が昼間に蓄えた電力で、夜の商店街の看板がやさしく灯る。

 「うちの畑は、作物と電気の二毛作だ」

 若い農家の冗談に、周りが本気で頷く。冗談が計画に、計画が産業になるスピードが確かに速くなった。

 町役場の講堂では「地域×大学×企業」の打合せ。スライドに映るのは、難解な専門用語ではなく、誰の暮らしをどう良くするかの図解だ。発言は肩書き順ではなく、現場順で進む。議論が白熱しても、最後は必ず誰かが言う。

 「――話せば、わかる」

 犬養毅の一言は、標語ではなく作法として根づいた。

 夜の駅前、ガラス張りの「語り合いカウンター」。迷いを抱えた若者が椅子に座る。相談員は地図と予定表を広げ、できることを一緒に並べる。

 「明日はここに行ってみよう。無理はしない、でも一歩は踏み出せる」

 若者はうなずき、外に出る。冷たい風が頬を打つが、歩幅は来た時より半歩だけ大きい。

 教室では、現代社会の授業に「百代総理党」のページが加わった。教師が問う。

 「『国民の生活を第一に』は、君たちの生活のどこから始まる?」

 生徒が手を挙げる。奨学金、地域医療、バリアフリー、再エネ、投票。黒板の文字は、理想ではなく宿題として残る。

 世界のニュースは、日本の取り組みを「人間中心の政治」と呼んだ。だが、居酒屋で中継を見ていた誰かが言う。

 「褒められるのは悪くない。でも、俺たちがやってるのは見栄じゃない。家族の明日を守る段取りだ」

 隣の席が笑い、盃が小さく触れ合う。

 吉田茂の「国民の生活を第一に」は、演説の名句ではなく、会議の議題として棚に常備された。犬養毅の「話せばわかる」は、反論の前置きではなく、合意の入り口として口にされる。名言は額縁を出て、道具になった。

 誰もが気づき始めていた。

 ――宰相たちが示したのは、完成品の答えではない。地図と羅針盤だ。

 ――その地図に線を引き、羅針盤に従って歩くのは、自分たちだ。

 広場の片隅で、若者がノートを開く。表紙にペンで書かれた文字。

 「まちの電力自給率 50%」「対話カウンターを商店街にも」「高校生と工場の連携インターン」

 横から覗き込んだ友人が笑う。

 「やろう。順番は、今、決めればいい」

 二人は駅へ歩き出す。発車案内のLEDが点滅し、ホームにはそれぞれの行き先が流れていく。どの行き先にも、今日より少し良い明日が含まれている。

 こうして、一つの物語は静かに幕を下ろした。

 しかし、その先に広がる白紙の未来を描く手は、もう震えていない。しっかりとペンを握った日本国民の手が、最初の一画を確かに引き始めている。

――一票と一歩で、暮らしから世界まで変えられる。日本は、私たちが動かす。


 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 歴代総理たちが現代に集い、百代の知恵を重ね、国民第一の政治を進める――そんな架空の物語は、やがて実際に国民の暮らしを動かし、国際社会を揺るがす姿となりました。そして最終的に彼らは退場し、未来を国民自身に託しました。

 私が描きたかったのは、「政治の主役は歴代総理ではなく、国民である」という一点です。

 改革や理念は道しるべにすぎず、本当にその道を歩くのは、われわれ国民自身です。

 もしこの物語を通じて、「自分たちの生活をどう変えていくか」を少しでも考えていただけたなら、それこそが最高の結末だと思います。

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