大怪盗の片鱗を見せておくか
「私がここから忍び込むから、少しばかり周囲を見張っていてくれ、レッド、イエロー」
「はいっ!」「ワンッ!」
おおー、明智君がすっかり元気になっているじゃないか。良かった。私のしている事は間違いではなかったのだ。リーダーポイントがきっと上がっただろう。そしてさらに頑張って、リーダーポイントの荒稼ぎをしてやる。
しかし、もっと丈夫なロープを用意できなかったのだろうか。長さもなんだか心許ないし。
いや、愚痴っている場合ではないし、私に愚痴は似合わないな。気の持ちようで、ロープなんて太くもなるし伸びるものだ。
私は、この紐……じゃなくて、ロープの先に落ちていた石ころをくくりつけ、組長宅に向かって投げた。阿部君のような性格の悪い人たちは、私がロープを離してしまい石と一緒にロープまで投げ入れたと想像しただろう。見くびるな。私がそんな初歩的なミスを犯すわけないじゃないか。阿部君の舌打ちが聞こえたが、どういう意味かは考えないでおこう。間違っても、私を笑ってバカにしたいわけではないだろうし。
ロープは、思い描いていた通りに、上手く鉄条網に引っかかってくれた。私なら一発で成功するのが当然だけどな。まさか一発でと、驚き興奮なんてしてないぞ。変な詮索はしないでいただこう。
ただ、しばしの間、余韻に浸らせておくれ。その間ずっと、暗闇の背中越しでも分かる、阿部君と明智君の尊敬の眼差しが痛いくらいに眩しかったし。いくらなんでも、早く行けだなんて思ってないはずだ。
とはいえ、あまり悠長に構えてもいられないだろう。それにここからの方が格段に困難なのだ。しかし今までは、強度はロープに焦点を合わせていたが、改めて見ると鉄条網もなんだか貧相だな。ただ周囲を威圧するためだけに設置したハリボテで経費削減したのだな。気持ちは分かるぞ。
私の優秀な脳細胞が瞬時に計算した答えは、1分以上はロープか鉄条網のどちらかが耐えられないとなった。まあ1分もあれば、私なら塀を乗り越えるどころか、月までも行ける。と余裕を表すための冗談を言ったなら、阿部君を含む世の中の何パーセントかの人は、私なら本当にできると真剣に思うのだろう。なので、いちいち言わないでおくか。
本音を言えば、さすがの私でも成功する確率は五分五分だ。自分の体が震えているのが分かる。まさかとは思うが、私は怖気づいているのか。分かった分かった。事実を認めてあげようじゃないか。
ああ、私はビビっているさ。だってそうじゃないか。これは、私が計画したものではないんだぞ。だから、例えロープが切れず鉄条網も持ちこたえ、私の体が有刺鉄線でズタズタにならずとも、この塀の向こう側に降りた後の事が全く想像できないのだ。
しかし、カッコつけた手前、プライドの塊である私は後には引けない。何より明智君の生死に関わるのだ。私の唯一と言っていい理解者である、明智君の。
もしかしたら私は、もうすぐこの塀の向こう側で死んで伝説になるかもしれない。最後に明智君の顔を見ようと振り返ると、阿部君と笑顔で談笑している? と思ってすぐに、阿部君は懲らしめる一歩手前のように、握りこぶしを明智君の目の前でちらつかせた。すると、明智君は命乞いでもするかのように、私に口パクで助けを求めてきた。
錯覚だったのだろうか。おそらく最後になるかもしれない明智君との思い出を、私の脳が良かれと思って、勝手に笑顔の明智君に変換したのだろう。
よし、あの泣き顔を、本当の笑顔にしてあげるからね。
そして阿部君、悪は必ず滅ぶことを教えてやる。
これから犯罪を犯す自分の事を棚に上げ、付けているバッタモンとはいえロボットのお面のごとくヒーロー気取りで、私は颯爽とロープを登り鮮やかに組長宅へと飛び降りた。
奇跡は起こった。いや、起こしたのだ。なんと私は無傷で第一関門を突破してみせたぞ。まあ当然と言えば当然の結果だと、常識のある人なら予想できただろう。なぜなら、そう思わせられるのが、私だからだ。
失礼。思いの外、上手くいきすぎてテンションが上がってしまったようだな。冷静に冷静にと念じて冷静になれた私は、頭が真っ白になってしまった。
ここからは、どうすればいいんだ?
プライドは別として、阿部君に聞くために大声を出してはいけないのは、私だからこそ分かるのだ。明智君が今の私の立場だったなら、まずうれションをしてから我に返り、褒めてほしさにギャンギャン吠えるのだろう。だけど見渡しても誰もいないので、大声で阿部君に助けを求めるに違いない。
明智君とはレベルが違う私は、考えた。阿部君は、私を信頼しているうえに己の実力不足を認識している。なので建前上はこの難関ミッションを私に任せるとともに、足手まといになるのを恐れているのだろう。分かる分かる。
きっと今ごろ、阿部君は怖気づいて泣きべそをかきながら、明智君にしがみついている。そして、なんとか現実逃避を試みているのだ。
これは、向かうところ敵なしの大怪盗の見せ所だと決意して、一歩いや半歩踏み出した時、何やら小さな光が目の前を横切った。ホタルの光にしては季節外れだ。色も赤に近いオレンジなので、うっかり屋さんのホタルでもない。
なんだろうと考えたのも一瞬で、それが地面に落ちるか落ちないかで、静寂に何か恨みがあるかのようなけたたましい音が「パンッ、パパンッ!」と連続で何度も何度も鳴り響いている。
ここで初めて、私が警察官だったのが仇となる。場所が場所なだけに、この音を銃声だと信じ込み、地面にひれ伏せてしまった。なにもこんな時に、暴力団同士の抗争が始まらなくてもいいじゃないか。そう、白イノシシ会と敵対している白シカ組が攻めてきたと、私は勘違いしてしまったのだ。
だけど、すぐにそれは私の誤解だと分かったが。
「明智君、行くよー」「ワワワワンッーワンワンー」と絶対に笑顔で会話していると確信できる声が、「パンッパパンッ!」とは全く違う周波数で、はっきりと私の耳に届いたからだ。そしてその「パンッパパンッ!」も、爆竹の音だと、今ははっきりと分かっている。
目の前にある、大量の火花をのたうち回らせながら大音量を出すしかない能のない爆竹が、私の視線に耐えきれなくなって静かになるまで、私は地面にひれ伏せたまま微動だにせず、阿部君と明智君への仕返しだけを考えていた。絶対に生き延びてやる。