私は策に溺れたようだ
怪盗団を結成してから、いや、人生において、私は一番の良い夢を見た。大怪盗の私が国会議事堂の前でサイン会を開いているのだ。無断なので、阿部君と明智君とトラゾウが周囲を警戒している。そんな厳戒態勢の中、小さな子どもからお年寄りまで10人ほどが、キラキラした目で並んでいる。何人かはエキストラのようで、キラキラした目を阿部君に注いでいたが。おそらくエキストラ代は後払いなのだろう。それでも、私は快く全員と握手をしてサインをしてあげたのだ。
言うまでもなく、最高の目覚めだった。良い夢を見たのもあるが、高級ベッドで寝たのもあるのだろう。同じ高級ベッドがあるツインの部屋だったので、トラゾウと普段は寝起きの機嫌が最悪の明智君でさえもご機嫌だろう。と勝手に想像していたが、なぜか、不機嫌ではないが、不満気にしている。もしかすると、私と同じ夢を見たのかもしれない。心が通じ合っている人の間で、たまにそういうことがあるらしい。
それはいいとして、私が人気者だったのが気にいらないのか、警備役が気に入らなかったのか考えても何も解決しないので、明智君とトラゾウを引き連れレストランに向かう。一応説明しておくと、多額のチップを払い済みなので、誰も明智君とトラゾウの存在に異を唱えない。それに、ビュッフェスタイルとはいえ、個室を手配してあるので、トラゾウはそこで犬の変装をといた。
個室には、寝坊助の阿部君が先に到着していたことには驚かない。阿部君の前には美味しそうな食べ物が山となっている。いや、阿部君の前だけでなく、テーブルの9割方を阿部君の食べ物が占領していると言った方が正解だ。私と阿部君とトラゾウの3人で残りの1割弱を上手く使わないといけないようだな。もちろん誰も異を唱えない。何度も料理を取りにいけばいいだけだから。取りに行くのは、私だけだし。阿部君が炎上しないために、フォローだけはしておかないとな。食べ放題が好きな人はルールをきちんと守るので、阿部君は全部食べきるだけでなく、これはほんの第一弾だ。
阿部君は言わずもがなで、明智君とトラゾウもビュッフェを見て、最高にご機嫌だった。みんなのご機嫌を取って引っ越しの手伝いをしてもらうのは、一見、成功したかに見えている。しかし、私はホテルの選択を間違えたのだ。ここまで快適だと、図々しい阿部君と明智君がもう一泊したがることが明白だったのに。
ちなみに、引っ越しを手伝ったうえで、もう一泊ではない。引っ越しの手伝いなんてしている時間がないからな。このホテルにあるあらゆるサービスを満喫するために、細かく言うと、もう一泊ではなく連泊だ。恩着せがましく阿部君は、明智君とトラゾウを自分の部屋の方に泊めると言ってくれた。私は「当たり前だ」となんて言わなかった。すべてが当たり前と取られるのを嫌っただけだ。
引っ越しを手伝わせるのに失敗したのは、豪邸を手に入れて有頂天になっていたからだと責められても、否定する気はない。したところで何も変わらないからな。腹をくくった私は、阿部君に負けず劣らず食べまくった。ささやかな抵抗として、阿部君のテーブルの陣地を気づかれるか気づかれないかの勢いで攻め込み、結果、阿部君の陣地を全体の7割にまでしてやった。阿部君とトラゾウを尊敬を込めて私を見ている。それでも、引っ越しを手伝うとは最後まで言わなかったがな。
「というわけで、私のパパの車を特別に貸してあげるので、リーダー、引っ越し頑張ってくださいねー」「ワワワワー」「ガ……」
何が、「というわけ」だ。当たり前に言いやがって。普通はホテルで遊びまくりたいなんて、引っ越しを手伝わない理由になんてならないんだぞ。トラゾウだけは、ちょっと申し訳なさそうに私を見つめているが、まさか演技ではないだろうな。私は何を考えてるんだ。トラゾウを疑うなんて、どうかしている。
卑屈になっているのだろう。ここは前向きになるか。引っ越しや廃棄物処理なんて、体を鍛えると思えば一石二鳥だ。一石二鳥といえば、私の大好きな言葉だからな。それでも、最後にもう一粘りしてみるか。無言で食べるよりも、何か会話をする方が楽しいし。
「あっ、でも、私一人で行って、阿部君パパは車を貸してくれるのかい? 一応、阿部君も来てくれた方が嬉しいな」
「そうですねえ。ああ見えて、あの車を大事にしているようだし。うーん、ちょっと電話で聞いてみますね」
おおー、小さくない前進をしたかも。これで、阿部君パパが車を貸すのを渋りまくり、電話では埒が明かないと判断した阿部君が直接乗り込んで説得するような展開になれば、奇跡の大逆転があるかもしれない。阿部君、レンタカーという選択肢を思い浮かべるんじゃないぞ。
このまま一緒に行ってついでにさり気なくボロボロのアジトに寄り、部屋の惨状を嘆きつつ恨めしそう見つめれば、自ら手伝いを申し出るだろう。いや、自らはないな。そこで、私が必死でお願いする演技次第か。だけど、阿部君、手伝うのが当たり前なんだぞ。
私と阿部君がホテルを出るのだから、言うまでもなく、明智君とトラゾウも一緒にチェックアウトだ。そして、阿部君が引っ越しを手伝うのだから、明智君とトラゾウは逃げられない。よし、みんなで仲良く引っ越しや後片付けが確定したかも。
「もしもしパパ? 引っ越しで車がいるから、ちょっと借りるね。うちのリーダーに取りに行かせるから」
おお、阿部君の顔が険しくなったぞ。良い兆候だ。流れは私に傾いてきたようだな。
「ええー。昨日も運転したし、大丈夫だよ」
車を他人に貸すのを嫌なのではなく、阿部君パパは私の運転技術が気に入らないようだな。今は我慢してやるか。今だけな。まあ別に阿部君パパが運転して、さらに引っ越しも手伝ってくれるなら、この苛立ちを忘れてやってもいいぞ。明智君のドッグフードを運ぶ時も一切全くこれっぽっちも手伝わなかったから、しばらくは私の記憶はしっかりしていることだろう。それでも、今はゴネるだけゴネて阿部君を手こずらせてくれよ。
「分かったと。じゃあ……」
おおー、いよいよ一旦帰る気になったようだぞ。私の思い描いたように事が進んでいる。これは、みんなで引っ越し確定だな。もちろん、阿部君パパは頭数に入れてない。
「じゃあ……新しい車を買ってあげるから。それでいいでしょ?」
なにー! 本気か? どこでどうなったら、そんな風になるんだ? 阿部君、冷静になるんだ。落ち着いて考えろ。おそらく、阿部君は私と一緒に車を取りに行ったら、流れで引っ越しを手伝わざるを得なくなるのを分かっているのだろう。もしくは、ただ純粋にこのホテルが気に入り長居したいだけかもしれないが。だけど、それと新車を買うは繋がらないぞ。「引っ越しで車を使うと痛むから、代わりに新車で返してくれるなら」とか阿部君パパに言われたのかもしれないが、言った方も真に受けた方も、どうかしている。
いや、どうかしていたのは、私だったのかもしれない。阿部君一家に常識を求めたのだから。
「リーダーに取りに行かせるから、少しでも感謝してるなら、車を貸すだけじゃなくて引っ越しも手伝ってあげてね」
阿部君、少しは気が利くじゃないか。だけど、全く気づいてないな。阿部君パパは引っ越しを手伝うようなやつではないんだぞ。親子なんだから知っているだろ。念の為に、怒りをぶつけながら説明してあげようか。
でも、それよりも気になることがあるから、そんなどうでもいい自己満足をしている場合ではないな。そう、新車は阿部君が親孝行の一環として買ってあげるのかどうかだ。最悪、明智君もお金を出すのかもしれないが、私だけは出さなくてもいいに決まっている。だって、阿部君と明智君は引っ越しを手伝わないが、私は引っ越しという大変な重労働をたった一人で全うしないといけないのだ。言うまでもなかったな。
でもまあ、一応確認だけはしておこう。いや、確認するまでもないか。悪い意味の方で。
阿部君が新車を買ってあげると言った時点で、すべてを把握していたさ。だからって、ささやかな悪あがきをしてはいけないということにはならないがな。といっても、今さらレンタカーを勧める余地は残されていない。阿部君パパの新車は確定だ。
おめでとう、阿部君パパ。と、本心で言えない私はひねくれているのだろうか。自問自答なので、誰も答えないでおくれ。
「阿部君、気前がいいねえ。前回と前々回にたくさん稼いだからなのかい?」
「それもありますけど、こうしないとパパが車を貸してくれなさそうだったので」
「娘だけに、阿部君パパの事はよく分かってるんだね。でも親孝行ができて良かったじゃない。こんな事でもないと、なかなか親孝行をする機会がないもんだからね」
「そうですかね。じゃあ、一応、お礼を言っておきますね。その親孝行を手伝ってもらって、リーダー、そして明智君、ありがとうございます」
ほぼ100パーセントそうなると、私は知っていたから驚かない。だけど、明智君は石のように固まった。明智君、まだまだだな。阿部君はこういう人なんだぞ。




