トラゾウの初めてのお散歩
「そう言えば、昔、明智君にと警察官の制服風の犬用の服が匿名で送られてきたのがあるかもしれないから、それを着せればシマシマの体をほとんど隠せるよ。無事ならいいけど……あっ、部屋が荒れてるとかそういう意味じゃなくて。ずっとしまってあったから、虫に食われてなかったらいいなー」
危ない危ない。新しい家を契約してお金を払うまでは、必要以上に言動に注意して、気分屋たちの機嫌を損ねないようにしないとな。私は誰とも目を合わさないようにして、目星をつけていた場所で捜索を開始した。話しかけられたら、心を込めて対応はするが。当たり前だな。
「ずっとって、どれくれいですか?」
「明智君がうちに来た時だから、5年くらい前かな」
「そんなにですか。それじゃサイズ的に厳しくないですか? 当時は明智君はずっと小さかったんだから」
「ああ、そうだね。まあ一応出してみるよ。ほら、これだけど……あれ? まあまあ大きいな。うん? 中に手紙があるぞ」
「ほらー。きちんと見ないで勝手に匿名だと決めつけてお返しもしないなんて、リーダーって昔っからいい加減だったんですね。そんなんで、よく生きてこれましたね。ああ、生命力だけは超人ですもんね。役立たずのリーダーの取り柄を一つでも見つけてあげた私に感謝してくださいよ」
「あ、ああ……」
部屋をボロボロにした昨日今日で、被害者に対してここまで言える阿部君に腹は立たなかった。この性格が羨ましくも感じ、尊敬しそうになるくらいだ。だけど、阿部君こそ、よく生きてこられたものだな。普通なら、言われた相手は怒りに我を忘れ暴力に訴えるところだぞ。もしかしたら、阿部君は私に負けず劣らず強いのかもしれないな。いや、違う。逃げ足が速いだけだった。おっ、まだまだ説教が続きそうだな。シラフなはずだけど。
「恥をかきなれてるリーダーはそれでいいかもしれないですけど、そんなリーダーのせいで、明智君だって恥をかくんですよ。ねえ、明智君?」
「ワンッ!」
債権者って被害者よりも強いのだな。誇り高い私がここまで言われて、素直にお金を借りると思ったら……。軽く謝って波風を立てないようにするか。
「ごめんごめん。ちょっと読んでみるね。なになに……『先輩がワンちゃんを飼い始めたと風の便りで知ったので、よかったらこれを着せてあげてください。警視正になった記念に警視総監がくれたものですけど、あいにく私は犬を飼っていないし飼う予定もないので。大型犬の成犬用ですので、着こなせるようになるのはまだまだ先だと思いますが、いつか使っていただけると幸いです。先輩の前ではいつまでも新卒の警部補より』」
「おおー、それならトラゾウでも着れますね。でも、リーダーを慕ってる人って、頭がおかしくはないんですか? 服に何か危険な細工をしてないか確認しないといけませんね」
「あの人がそんな事をするわけないさ。悪徳政治家宅で指揮を執っていた警察官が、この人だよ。そうか、もう警視正になっていたんだな。いやこれが5年前だから、今は警視長かもしれないぞ。なのに、あんな時間に前線で先頭に立って悪者と対峙するなんて、日本の警察はもう何十年は安泰だな」
「何言ってるんですか。警察は私たちの敵なんですからね」
「そうだったな。でも、あの人は特別なんだよ。明智君も裏帳簿を届けに行った時に、きちんと話を聞いてくれて丁寧に接してくれただろ?」
「ワンッ!」
「裏帳簿を渡すという形でお返しができて良かったよ。それを渡したのが、服をもらった明智君だったんだから、もう何も言うことはないね?」
「ワンッ!」
「それに私のことは、お返しもしない礼儀知らずな奴だと思ってくれている方がいいからね」
「リーダー……」「ワーン……」「ガーン……」
「そんなしょんぼりした顔しないでくれよ。私なら大丈夫だから。でも同情してくれてありがとう」
「いえ、違うんです。リーダーは大切な人にもお返しをしない礼儀知らずのいい加減などうしようもないダメクズ人間だと改めて確認できたので、お金を貸すのをやめた方がいいのではと」
「違う違う。今では、『新卒の警部補』とは相対する立場だからそう言っただけで、大事な仲間である君たちには返すに決まってるじゃないか。なんだ、その目は! 大丈夫だから。ねっ? うーん、ほらっ、新しいアジトでの楽しい生活や豪華フランス旅行を想像してごらん」
「リーダー、アジトを買いに行きましょう」「ワーン、ワンワワンー」「ガーン、ガガガオガ」
危ないところだった。まさかこんなトラップが仕掛けられているとは。でも、まあ、これでトラゾウも一緒にお出かけできるので、ひとまず順調ということにしておくか。
犬用の警察官の制服を着せてあげると、まるでトラゾウのためにオーダーメイドしたかのようにピッタリだった。『新卒の警部補』が警視正になった記念でもらったとか言ってたから、制服におもいっきり分かりやすく『警視正』と書かれているのが気になったのは、私だけのようだけど。こんな形で私が巡査だったことに傷つくとは思わなかったな。トラゾウ、お願いだから、私の上司面をするのだけはやめておくれ。警視正と巡査では天と地獄くらいの差があるので、恐縮して距離を取ってしまうからな。それは寂しいだろ?
幸い、明智君とトラゾウは漢字を読めないし、阿部君は警視正がどれくらい偉いのか全く興味がないようだったので、私一人がいくらか卑屈になる程度で不動産屋さんへ向かった。
トラゾウは初めてのお散歩を心から楽しんでくれている。阿部君と明智君は新しいアジトへの妄想で周りが見えていず、何度か二人仲良く躓いていたが、私にはたしなめる余裕がなかった。トラゾウの正体がバレないかとヒヤヒヤしていたのに加えて、6000万円の入ったリュックサックを背負っていたので、一人だけ生きた心地がしていなかったからだ。
今のアジトの修繕費と豪華フランス旅行のために700万円はとっておかないといけないので、6000万円を全部使うつもりなんてない。ただ、あのボロボロのワンルームに置いておきたくなかったのだ。世の中に人の物を盗む不届き者は数しれずいるからな。
もし、そんな不届き者が豪華フランスの資金を盗もうものなら、阿部君と明智君が我を忘れて仕返しをして凶悪犯のレッテルを貼られてしまう。芋づる式に私まで捕まったら、私はただの暴力野郎として新聞に載るだろう。最悪、私が新聞に載ることがあるなら、言うまでもなく大怪盗としてだ。現金だけは意地でも死守しないといけない理由を分かってもらえただろう。
他にも、『怪盗20面相』と『超高級エナジードリンクのロイヤルプレミアムバージョン』とおそらく高価であろう美術品も心配だけど、とてもじゃないが持ち歩けるものではなかった。それに、そういう物が盗まれたとしても、阿部君と明智君は仕返しをするのは変わらないが、楽しんで仕返しをするので警察沙汰にはならない。
というわけで、大金を背に不動産屋さんまでの精神的に遠い道のりを一歩一歩踏みしめながら、何事もなく不動産屋さんへ着いた。ひったくりや強盗なんてそうそう起こらないのだから、まあ妥当な結果だろう。もし、ひったくりをされたとしても、その時は阿部君も明智君も喜んで臨戦態勢になっただろうが。そして、結果、過剰防衛で……。考えるな、私。
不動産屋さんのご厚意か阿部君明智君のプレッシャーか定かではないが、明智君とトラゾウも当たり前に不動産屋に入った。さり気なく、背後で私が札束を見せていたのも大きいかもしれない。
すぐさま買う気満々を出しながら、アジト候補の物件を見せてもらった。最終的には私が全額負担なのに、私に選ぶ権利がないことくらいは分かっているので、まずは阿部君と明智君に気に入ったのがあるのか尋ねないといけない。無利子無担保ではなく有利子で借りれば、私にも発言権があったのかもしれないな。阿部君にしてやられたようだ。まあいいか。今さらだし、二人が気に入ったものは、きっと私も一番の候補に上げるはずだからな。そう思い込むのが大事なのだ。
「どうだい、阿部君明智君? もう薄暗くなってきたけど、良さそうなのがあるなら、見に行ってみるかい?」
「そうですねえ。一つだけあるんですけど、ほんの少し予算オーバーなんですよね。不動産屋さんが価格的に少し妥協してくれるなら、見に行きたいです」
「ほんの少しって、どれくらい?」
「1000万円くらいです。物件が6000万円なんですけど、私と明智君が2000万円づつでも、リーダーはせいぜい1000万円くらいしか出せないでしょ?」
なんか私が悪いかのように言われているな。仕方がない。阿部君に口答えをしても意味がないので、不動産屋さん相手に私の素晴らしい交渉術を見せてやろうじゃないか。こういうのも含めてリュックサックに現金を入れてきたのだから。おおらかで気前が良くて大雑把な不動産屋さんでありますように。




