阿部君の犯してしまった失敗
ダイニングに行くと、とてもじゃないが食べきれないほどのご馳走が、テーブルの上に所狭しと並んでいた。これを用意したのは阿部君ではないと断言できる。奇跡的に手伝っていたとしても、せいぜい調味料を混ぜた程度だろう。
ただ、阿部君が私に対して全く負い目がなければ、阿部君パパママがこんな豪華な料理を用意しているのを訝しんだことだろう。私と阿部君パパママが怪盗団の二軍を結成した事を、まぐれ推理で悟ったかもしれない。その心配がなくなっただけでも、阿部君が致命的な失敗をしてくれたのは、不幸中の幸いと言っていいのだろうか。
仮に阿部君が逮捕されたとしたら、口が軽いに決まっているから、私や明智君の事もあっさりいやむしろ進んで話すだろう。だけど、阿部君が逮捕されると同時に私たちはフランスに高飛びしている。捕まらないが、日本に帰って来られないのは辛いな。うん、日本には帰ってこよう。捕まりませんようにと祈りながら日本の地を踏めば……捕まらないなんてことはない。
不可能なことを祈るよりも、一縷の望みに賭けてみるか。阿部君が私と明智君を売らないように、今のうちにこれでもかと愛想を振りまこう。いや、振りまいたところでだな。厳密には、逮捕されるのは人間だけなので、阿部君の心に響くわけがない。それでも、やってみるがな。明智君の事を話す合せ技でなんとかなるかもしれないのだ。
明智君が天涯孤独の身でアジトに取り残されてしまった後の境遇を、さも悲惨な感じに話してやる。血も涙もない阿部君でも少しくらいは同情するだろう。表面上だと私は信じているが、明智君とは仲が良いのだから、仲間を売るのはいくらか躊躇するはず。
もちろん、これだけでは足りない。阿部君の人でなし具合は筋金入りだからな。だけど、そんな悪魔すらもひくほどの阿部君に使えるダメ押しがある。出所したあかつきには、リーダー代理の肩書きをあげると、約束するのだ。これで、完璧だ。
よし、まずは鷹揚な感じを大いに発揮するか。私には普段通りだな。
「阿部君も一緒に食べようよ。どんな辛い事でも、美味しい料理が忘れさせてくれるかもしれないよ」
「ありがとうございます、リーダー」
お腹が空いているだけでイライラするからな。阿部君、常に満腹でいてくれよ。
「美味しいね、これ。阿部君の気持ちも加わってるから、美味しさ倍増ー……なんてね。バカ騒ぎはこれくらいにして、話を聞こうか。話す前に言っておくけど、誰でも失敗はするのだから、あまりくよくよしてはいけないよ。未来を考えようよ。一緒にね。ただ、八つ当たりとかはしてはいけないよ。己を磨くために逃げずに状況を受け入れてからでないと、前には進めないのだから」
「はい。それでは、私が犯してしまった失敗について懺悔しますね。なんでも笑顔で許してくれる心の広い我らがリーダー、聞いてください。悪徳政治家宅からの収穫が想像を超えてたくさんあったので、私は浮かれてしまったんです。なので、とりあえずワインで乾杯しようと……」
「あっ、もしかしたら、私の『アルセーヌ・ヌーボー』か『ボジョレー・ルパン』を飲んでしまったのかい? そ、そんな小さな事は気にしなくていいぞ」
本当は悔しいし腹立たしいが、こんなことで怒って印象を悪くしてられないな。恩を売っておくと思えば安いものだ。阿部君にしたら、大した事をしたつもりはないから、全く響いてないだろうけど。
「いえ、あのワインもなかなか素晴らしいのは分かってますけど、しばらく飲んでません。なんだか最近、リーダー思いの明智君が、不思議なことに私を冷蔵庫に近づけないようにするので。まあ、今回に限ってはそれらのワインのことなんて考えもしなかったですけどね。だって、もっとすごい……いや、比べようのない幻のワイン『怪盗20面相』があったんだから。乾杯のワインはそれしかないでしょ。明智君はなんだか不安そうでしたけど、『怪盗20面相』の誘惑に負けたみたいで、束の間の逡巡の後に一緒に楽しく飲んでくれましたよ」
「なるほどなるほど。確かに『怪盗20面相』を飲めるなら、正座で阿部君の説教を聞くのも耐えられるかもしれないな……え? うん? 『怪盗20面相』と言ったの?」
「あっ、はい。正座で説教というのはよく分からないですけど、比喩表現の一種ですか?」
そうか。阿部君は自分自身が酔うと、どんな風になるのか知らなかったのだな。酔うとたちが悪くなる自分の両親を嫌というほど見ているのだろうから、その遺伝子を受け継いでいる自分もそうなっているのかもと考えたことはないのだろうか。
いや、違う違う。今はそんな事よりも、『怪盗20面相』についての疑問を解消しないと。阿部君が犯してしまった失敗も後回しだ。『怪盗20面相』に比べたら、すごくちっぽけに思えてきた。
「ごめんごめん、ひとまず正座で説教は忘れてくれ。それよりも、『怪盗20面相』のことを話してくれないか? 私の聞き間違いでなければ、阿部君は『怪盗20面相』を飲んだんでしょ? ついでに明智君も」
「はい。悪徳政治家宅から30本ほど盗ってきたんです。まさか幻のワインを30本も隠し持ってるなんて嬉しい誤算と言ってもいいですね。怪盗で一財産築いたら、私も政治家になってみようかな。どんな賄賂がもらえるか楽しみですよ……じゃなくて、『怪盗20面相』の話でしたね。そんな訳で、ワインセラーにあった『怪盗20面相』を根こそぎ頂きました。他にも高そうなワインがたくさんありましたけど、それらはまた次の機会ということで。『怪盗20面相』だけは見つけた時に確保しておかないと、次に巡り会える保証なんてありませんからね。そんな希少なワインだからって、飾って眺めるだけなんてありえません。『怪盗20面相』で今回の勝利を祝うのは決めてました。風呂敷を開けてみたら少し足りないような気がしたけど、パパとママが車で1本飲んだから、それが印象に残って2、3本少ないと思っただけかもしれないですね。私にしては舞い上がってしまって、正確な数は把握してなかったし」
なるほど。どうやら私はまんまと阿部君パパママの術中にはまったようだな。『怪盗20面相』がアジトにたくさんあるのは嬉しいが、私のプライドが暴れそうだ。まずは、ネチネチと阿部君パパママを問い詰めてやる。と英断したのも束の間、阿部君ママに先手を打たれてしまった。
「そうなのー? そんなたくさん盗ってくるなんて素晴らしいわね。えらい、ひまわり! 話は変わるけど、リーダーって約束を守ってくれる誠実で高尚な人なんでしょ、ひまわり?」
「うん。リーダーは、優しくてかっこよくて有言実行する人だよ」
えっ! あ、阿部君がお世辞を言ったぞ。分かりやすいとはいえ、大きな前進じゃないか。自分の家で両親がいるのも後押しになったのかもしれないが。でもこれで、阿部君一人が警察に逮捕されても、嘘をついて私と明智君をかばってくれる可能性の小さな芽が出てきたぞ。
お返しというわけではないが、阿部君パパママの二軍への入団も認めてやろうじゃないか。みっちり鍛えてやるからな。このスパルタリーダーが。その時になって諦めますなんて言っても、私の耳は馬の耳になっていて、何を言われても念仏に聞こえるからな。
「阿部君、そんな当たり前の事よりも、話の続きを聞こうか?」
「そうですね。トラゾウはまだまだ子供だし、酔うと野生が出て猛獣になるとこまるので、かわいそうだけど『怪盗20面相』は自重してもらいました。代わりと言ってはなんですけど、明智君から『超高級エナジードリンクのロイヤルプレミアムバージョン』を1本もらって、私と明智君は『怪盗20面相』で、まずは乾杯したんです」
「分かったぞ。『怪盗20面相』の魔力に負けて、主役の私抜きで乾杯してしまった事を謝りたいのだね? 確かにそれはひどいし、本来なら懲罰ものだけど、『怪盗20面相』に免じて許してあげようじゃないか」
「あ、ありがとうございます。でも……その……違うんです」
「何が違うんだい? まさか『怪盗20面相』の中身が、どこかの嘘つきババアによって安物のノンアルコールビールにでも入れ替えられていたのかい? 酷すぎるな。そんな事をする奴は間違いなく地獄行きだから、阿部君が気に病まなくていいよ。幻のワインは幻のままでもいいじゃないか」
「いや、あの、初めて飲んだので断言はできないけど、あれは本物の『怪盗20面相』だと思います。次元が違いました」
「そうか。一安心だな。それじゃ、阿部君は何が言いたいんだ? はっきり言いなさい」
うー、はっきりと、悪徳政治家宅に証拠となりえるものを残してきたとか言われたら、どうしよう。阿部君、前言撤回だ。私の心の準備がまだまだまだまだだ。やっぱり、回りくどく話しておくれ。一生のお願いだ。後生だから。
あっ、阿部君が意を決した風を装った。私の心の声が届かなかったのだろうか。届くわけがないな。私と阿部君の薄っぺらい関係で、そんな以心伝心なんて、宇宙人が日本語を話すよりもありえない。
「はい。結論から言いますと、私たちのアジトが使えなくなりました」




