頑張れトラゾウ
今は、考える時だ。悪徳政治家とSPだけだったら、平和な日本ではどんなに多くても車は3台もあれば十分だ。だけど、3台どころではなくまだまだ後ろに何台も続いていたということは、政治家仲間や後援者が一緒なのだろう。おそらく、どこかの高級料亭で会談もどきでもしていたのだ。
そして、二次会とかなんとか言って、自慢の我が家を見せびらかすのだけが目的のために、招待して帰ってきた。これは、想定していた何倍もの警備員やSPがいるし、もうすでに警察には通報したはずだ。
このままじっとしていれば、どんどん不利な状況に陥るだけだな。だからって、この想像もつかない大人数の前でトラゾウに襲われる演技をしたところで、茶番に終わるだろう。いや、下手したら、トラゾウが有無を言わさず射殺されてしまうかもしれない。
トラゾウ……。震えているじゃないか。トラゾウ、お前だけでも助けてやるからな。
ゾーンに入っているのか、私が本気を出した時の実力なのか、まだはっきりはしていない。そんな事はどうでもいい。今、私は自分がものすごく強く感じ、何でもできるような感覚が湧いてきている。
「ブルー……いや、トラゾウ、よく聞くんだぞ。今から私が外にいる大勢の人間たちを引きつけるから、トラゾウは隙を見てレッドとイエローのいる大きな木の下まで逃げなさい。もしそこに誰もいなかったら、阿部君パパの車まで行くんだぞ。場所は分かるな?」
「ガオー。ガッガオガオ?」
不思議とトラゾウの言いたい事が分かる。あってるあってないは別として、信じる事が大事なのだ。
「私なら大丈夫だ。私の強いところをトラゾウにも見せてあげたいが、これは遊びではないからな。なによりトラゾウの一番大事な仕事は、無事に故郷であるインドネシアに帰ることだからな」
「ガオー。ガオーオーガガッオーガオーン」
「じゃあ、行ってくるからな。トラゾウも油断するんじゃないぞ」
私はトラゾウを勇気づけるように頭を撫でてあげてから、割れたガラス戸から出ていった。トラゾウを安心させるために口ではああ言ったし、負けない自信があるのも嘘ではない。だけど、相手の数と実力が未知数だし、強力な科学兵器を持っていても不思議ではない。
私は、トラゾウと明智君を、二度と撫でてあげることができなくなるかもしれない。私は、阿部君に、二度と憎まれ口を叩かれなくなるかもしれない。憎まれ口なら叩かれない方が……なんて今は思えなかった。
私らしくないが、最悪の結果が漠然とだけどよぎってしまった。それでも、命に代えてでもトラゾウを守ってやる。阿部君と明智君の極楽怪盗生活だって維持できますように。
自分のかっこよさで晴れ晴れとした気持ちになり、ゆっくり歩を進め門の方へ近づいていった。車は10数台停められていて、何十人もの人間が一斉に私に注目する。幸いパトカーやパトランプの付いた車は一台も見当たらないので、警察はまだ来ていないのだろう。それでも、私に攻撃はしてこないであろう要人を除いても、敵は3、40人はいそうだ。
いやー、武者震いが止まらないなあ。武者震いだからな。余計な詮索はするなよ。
私は恐怖を忘れるため……ではなく相手をビビらせるために奇声を上げながら、敵の群れに向かって全速力で走りだした。すると、ほとんどのSPがポケットから素早く拳銃を取り出し身構える。めちゃくちゃ恐いが、私はスピードを落とさない。少しでも怯んだら、終わりだ。
スピードを落とすどころか加速をして、私は敵の射程圏内に入った。この瞬間、私は勝ったと確信する。そして一気に踵を返し、今度は無言でゆっくり遠ざかる。敵を挑発するかのように。日本のSPはそんな簡単に発砲しない。まして警備員にいたっては、拳銃はおろか武器の類を持っていない。
SPや警備員の彼らは、私の豊富な知識に裏打ちされ計算された巧みな罠に、引っかかった。守らなければならない要人たちをほったらかし、私を捕まえようと追いかけてくる。とりあえずは、神は私に味方したのだ。正義は勝つの典型的な見本だぞ。
捕まるか捕まらないかのペースでのらりくらりと逃げる私の後ろを、何十人もの人間が追いかける様は、なかなかの見ものだった。なのに、トラゾウ以外に見せられなかったのは、本当に残念だ。いや、トラゾウに見せられて良い土産話を持たせてあげたと、考えるか。トラゾウ、誰か知り合いに話す時は、いくらでも盛っていいからな。
トラゾウが隠れている部屋の前を、まず私が通り過ぎ、続いて何十人もの人間が通り過ぎた。最後尾までの全員が、ガラス戸が割れていることに気づく余裕すらなかったようだ。なので、トラゾウは余裕を持って、門に向かってくれたことだろう。だからって、安全圏に辿り着くまでは油断しないでくれよ。
悪徳政治家の屋敷の周りを一周して再び大きな門の前を、私とその他大勢が走り抜けるまでには、誰にも見つからずに大きな門を通って敷地内から無事に出られる公算は大だ。門の辺りには年老いた運動不足の要人しかいないだろうから、見つかったとしても楽に通れる。唯一恐いのは、トラゾウを見て年寄りの誰かが心臓麻痺とかで倒れることくらいだな。
最悪、トラゾウの密輸に関わった者が倒れても、天罰ということにしておこう。だけど、トラゾウを直接的ではないにしても、人殺しにしたくない。心臓や脳の血管に不安のある者は、必要以上にキョロキョロせずに、星でも眺めていておくれ。
そういう事を考えながら走っていると、屋敷の周りを一周してきて再び門の所までやってきた。トラゾウが無事に逃げてくれたのは明らかだ。年寄りの要人の中の数人が股間に手を当てて恥ずかしそうにしているので、余裕たっぷりで逃げている私がよく見ると、そんな明るくない外灯と月光でもズボンに滝のようなシミがはっきりと見て取れたからな。
豪快に漏らしたもんだ。気持ちは分かるから内緒にしておいてやるがな。武士の情けに感謝して、トラゾウに仕返しなんて考えるなよ。もし少しでもトラゾウに危害を加えようとしたなら、未遂に終わろうが、我々怪盗団が想像を絶するお礼参りをすることになるぞ。
漏らしただけなら命に別状はないので、全く問題はない。だけど、念の為に倒れている者がいないのかも確認しておかないとな。こいつらは、どうせ自分の事でいっぱいいっぱいだから、すぐそばで誰かが倒れていても知らんぷりだろうし。
そんな訳で、まだまだ全然余裕がある私は、要人たちをじっくりと見た。うん、震える足でも、全員がしっかり立っている。安心した……のも束の間、要人たちの背後で明らかにおかしな動きをしている一人と一頭が、ちらっと視界の端に入ってきた。
説明するまでもないだろう。そして誰もが想像できたことだ。計画した作戦とは少し違いが生じる中、中止という選択は、自己中人間と強欲犬にはなかったのだ。なので、私は大勢の警備員とSPを従え、『悪徳政治家屋敷周囲走行会』の2周目に入らざるを得なかった。
想像していた人数よりも大幅に多いとはいえ、トラゾウに襲われるふりをしながら周囲を巻き込んで逃げ回るよりは、ずっと楽だろう。2周といわず、3周でも4周でも逃げて逃げて逃げて、敵の注意をずっと引きつけてやる。
と言いたいところだけど、一つだけ気がかりがある。この後やってくる警察が、どういう風に動くかだ。今現在この敷地内にいる者は、ある意味素人だ。力づくで私を捕まえる事しか考えていないから、非常に扱いやすい。だけど、警察官は冷静に状況を分析して、最善策を練るだろう。普段から犯罪者に接しなれているので、扱いだってお手の物だ。
それでも、私なら軽くあしらってみせる。問題は、何かおかしいと感じて、屋敷内に入られることだ。そう、阿部君と明智君が自由気ままに物色しているところに踏み込まれたなら、すべてが水の泡になる。日本の警察官は果てしなく優秀なので、はっきり言って、阿部君と明智君に手に負える相手ではないのだ。
阿部君と明智君のミッションは、警察が来るまでの時間との勝負だ。それまでに、最低でも絵だけは手に入れておくれ。あわよくば、お金もたっぷり頼む。いや、少しでもいい。慰安旅行の足しになれば、それだけで十分だ。警察が来るまでは、私が責任を持って部外者どもを食い止めてやるからな。




