ミッション早々につまずく
当初の計画通り、私はトラゾウに追いかけられ襲われるふりをしながら、ふりをしながら、ふりをしながら、ふりでいいんだぞ、悪徳政治家宅に入っていった。半分演技で半分本気の私の悲鳴は、効果があったようだ。さっそく一人の警備員が何事かと顔を出す。なんて幸先がいいのだろう。
「助けてくれー! ト、トラが……」と、私はさり気なく片手でトラ模様の顔を隠し、もう片方の手で私のすぐ後ろで迫真の演技をしているトラゾウを指差した。トラゾウ、上手いじゃないか。
常日頃から危機感を持って仕事に臨んでいれば、冷静さを失わずに、私の不自然さに気づけたのだろう。だけど、有名政治家宅とはいえ、おかしな人間が不法侵入してくるなんて、実際にはまずないのが災いしたようだ。それ以前に、本物のトラであるトラゾウの迫力に気圧されたのかもしれない。
警備員は、分かりやすくパニックになったと思ったら、すぐに気を失ってしまった。死んだふりではないと思う。それこそ、食べられてしまうからな。
誤算だ。こんな小心者が警備をしているなんて。もしテロリストなんかが入ってきても、まともに対処できないだろうな。日本の将来が心配だ。
トラゾウもやり過ぎたと思って反省しているじゃないか。トラゾウ、お前は悪くないぞ。トラゾウのためにも、警備員の様子を見るか。
「ブルー、ちょっと待っていておくれ。あの警備員が倒れた時に頭をぶつけてないか確認してくるからな」
ケガくらいならまだしも、打ちどころが悪くて万が一の事があったなら、ミッションを中止して救急車を呼ばないといけないからな。そのうえ、他に誰もいないのだから病院まで付き添ってあげるだろ。さらには、警察による事情聴取にまで応じないといけなくなる。頼むから単なる気絶でいておくれ。
横たわっている警備員の所まで急ぎ確認すると、脈はあるし呼吸も安定している。外傷もない。よし、この役立たずの根性なしの給料泥棒の警備員は、このままにして先に進もう。まったく最近の若い奴はなってないなあ。もし私が同じ立場にいたなら、せいぜいおしっこを漏らす程度だぞ。
そう言えば、交番勤務時代のある日に、強面で屈強な奴が包丁片手に交番を襲撃してきた事件があった。私の警察官人生での唯一と言っていい事件が、これかもしれない。無防備だったとは、言い訳にならないかもしれない。だけど、ビビってしまった。ビビったのは、私だけではなかったが。
私はおしっこを漏らしただけなのに、年下の上司の巡査部長は大きい方を漏らしやがった。そういう情けない奴なくせに、巡査部長の権力を誇示して、誰にも口外しないように誓わせたのだ。賄賂として缶コーヒーを奢ってくれたのだけれど、何かをもらったのは、その一度っきりだ。ちなみに、明智君は、この時はまだ生まれてもいない。
実は、この日にたまたま、キャリアの新卒警部補が配属されてた。襲撃犯は、この新卒警部補にあっさり捕まったので、大事に至らずニュースにもならずに済んだのだ。もっと言えば、襲撃犯は新卒警部補に諭され改心したので、事件にもなっていない。なので、こんな事があったなんて、誰も知らない。
年下の上司の巡査部長は、この優秀で階級が上の警部補には、さすがに口止めをする勇気が湧かなかったようだ。面白半分で言いふらすなんてしないと信じるしかなかった。期待を込めて。しかし、年下の上司の巡査部長は知らない。私と新卒警部補の間では、『うんこまん』と呼ばれていたことを。
どうしてか分からないが、この警部補と私は馬が合った。私が警察官だった間で唯一の私に優しく接してくれた人だし、上司であるのに見下すなんてしない。ただ、キャリア組だけあって出世が速く、わずか半年で警視庁のどこかの部署に行ってしまう。年下の上司の巡査部長は、嬉しさのあまり狂喜乱舞していた。警部補の栄転が嬉しかったのではなく、目の上のたんこぶがいなくなったからなのは言うまでもない。私はと言えば、柄にもなくしばらくもぬけの殻だった。
このへっぽこ警備員を見て、ついつい昔の事を思い出し感傷に浸ってしまったようだ。今は、そんな時ではない。前に進もう。次に出てくる警備員は、そこそこ骨があってできるだけ大声で「トラが出たー。助けてくれー」と叫んでくれるやつでありますように。
「ブルー、反対側に行ってみようか。早く騒動を起こさないと、阿部君と明智君が何かあったのかと不安になるから急ぐぞ」
「ガオー」
うーん、トラゾウに追いかけられて泣き叫びながら散策した方がいいのだろうか。その方が目立つし、そういう作戦ではある。だけど、深夜とはいえ静か過ぎないだろうか。全くと言っていいほどに人の気配がしない。仮にも要人の屋敷なのだから、24時間体制で警備されているはずなのに。何かがおかしいような気がする。
もしかしたら、私たちの作戦がどこかから漏れているのでは。一応まだ新米の部類に入るので、誰も我々怪盗団を警戒なんてしていないと高をくくって、盗聴などの対策を全くしてなかったし。これは、罠なのか?
このまま屋敷内まで誘導して、私とトラゾウを閉じ込めるつもりかもしれない。私とトラゾウが一筋縄ではいかないので、情報をくれた奴に忠告されて、万全の捕え方を画策したのだろうか。私とトラゾウさえ抵抗できなくしておけば、しびれを切らして後でやってきた阿部君と明智君なんて、赤子の手をひねるよりも簡単だからな。ますます嫌な予感が大きくなってきた。
撤退や後退は、勇気ある選択だ。まだまだ時間はあるのだから、阿部君と明智君のいる所に戻ろう。
「ブルー、一時退却だ」
「ガオ」
私とトラゾウが気を抜いて大きな門に向かって仲良くスキップで歩き始めてすぐに、一台の黒塗りの高級車が入ってきた。いや、一台ではない。その後ろから、また一台また一台と数珠つなぎで入ってくる。
あっけにとられ反射的にすら隠れることもできず、私とトラゾウは車のライトに照らされているのにもかかわらず、棒立ちになり眺めていた。車はあと何台入ってくるのかなと考えながら。
当たり前だけど、車を運転している人も、すぐに私たちに気づいた。私たちは車が止まるだろうと考え、車の方は私たちがどくものだと考えたのだろう。少しスピードを緩めつつも、近づいてくる。しかし、私たちが一向にどかないからなのか、トラゾウに怯えたからなのか、トラ模様の顔をした私を未確認生物だと勘違いしてトラゾウよりも恐怖の対象になったからなのか分からないが、私たちの少し手前で車が急ブレーキをかけて止まった。
ただ、車はその一台ではない。その後ろに続いていた車も順々に急ブレーキをかけて止まると、そのブレーキ音で、私とトラゾウはようやく我に返った。大きな門の方へ行くのは自殺行為なので、再び屋敷の方へ速攻で逃げる。さきほど気を失わせてしまった警備員の所までは容易にたどり着いた。
幸い、この警部補はまだ絶賛気絶中だった。他の警備員には気づかれいない。しかし、ここに留まっていては、見つかるのは時間の問題だろう。一時的に身を隠せる場所を確保するためには、屋敷内へ忍び込むのが賢明かもしれない。
そんなに悠長に構えている時間はない。明かりのついていない部屋のガラス戸を、不本意ながら、阿部君の方法で開けた。屋敷内にいるであろう悪徳政治家の家族なり関係者なりに、見つからないように願いながら忍び足で侵入する。トラゾウはきちんとついてきている。
この間にも、確実に外は騒がしくなってきていた。ガラスの割れる音が目立たないほどに。ということは、私とトラゾウを錯覚だとは思ってくれなかったのだ。当たり前だろう。
ここはまず落ち着かないといけない。だけど、落ち着けるだろうか。と、トラゾウを見ていると、簡単に落ち着いてしまった。ありがとう、トラゾウ。
次は、状況判断だな。あのたくさんの車のうちの一台には、悪徳政治家が乗っていると思って間違いないだろう。だから、深夜とか関係なく、この家は静かで警備員もほとんどいなかったのだ。ほとんどと言うか、もしかしたらさっきのへっぽこ警備員が一人で巡回していただけだ。
えっ! ということは、もっと早く来ていたら、簡単に獲物を手に入れられたのでは。やはり下調べは大事ということだな。この反省を次回以降に活かすぞ。
……。いや、違う違う。この危機を乗り越えないと、次回なんてない。




