阿部君の名案は、私には……
この光景を目の当たりにして、最初に行動を起こしたのは、いつもの状態に戻った阿部君だった。トラゾウだけでなく白シカ組全員が負けを認めたと思ったのだ。自分は何もしていないのに。阿部君らしいので驚きはしないが。
阿部君は、わざわざトラゾウの後ろから、力強い足取りで私の横に出てきた。ついでに、そのまた横に明智君を引きずり出す。明智君を、トラゾウを掴んでいる私と自分の間に入れなかっただけで、阿部君の余裕が分かるというものだ。
阿部君は一呼吸置き、何かを始める気満々で、白シカ組全員を一人一人ゆっくり見回した。勝ち誇っているという表現が、まさに今の阿部君にピッタリだろう。いや、勝ち誇っているという言葉は、阿部君のために作られたのだ。
「それじゃ、続きを始めましょうか、組長?」
「続き? 何のですか?」
組長が敬語になっている。私が言うのもあれだけど、阿部君の思うツボになるから、やめておけ。手遅れか。
「この状況の説明に決まってるじゃない。この横にいる変なお面を付けている通称『ブルー』が、質疑応答をなんとかって言ってたでしょ?」
やはり、私のお面は変だと思っていて、私に付けさせたのだな。知って良かったとは、思わない。嘘でも私のテンションが上がる理由を考えておいて欲しかったぞ。
「そうでしたね。では、質問を受け付けます」
「ほらっ、ブルー、質問してください。内容なんてどうでもいいので、できるだけ引き伸ばしてください。その間に、私とイエローで、あの300万円を回収します」
「ワンワワン」
「よし、分かった。だけど慎重にな」
「はい!」「ワン!」
ひとまず時間稼ぎをするが、心配しかない。質問の内容が全く思い浮かばないとかではない。阿部君と明智君が慎重という意味を知らないからだ。だけど、とりあえず自分にできる事をするか。
床の間に1000万円を飾っていた理由は聞かない方がいいだろう。答えを聞いて、普通に相槌を打てる自信がないからな。なので、まずは無難に、トラを飼おうと思った理由から入った方が、話の流れ的にも自然だな。それで、組長をはじめ組員たちがどのように対応するか様子をうかがって、あの落ちている300万円から完全に注意が逸れるまで、ダラダラとくだらない質問攻めをしてやる。
まあ、そこまでしなくても、こいつらが私たちに何かするとは思えない。300万円に気づいてないかもしれないし。だけど、組員の中に、万が一明智君のような強欲な奴がいたなら、厄介だからな。念には念を入れてということだ。
「なんで、トラなんて飼おうと思ったんだ?」
「そんなの決まってるだろ」
なんだ。私に対しては敬語ではないんだな。まあいい。組員たちの手前、いつまでも下手には出られないのだろう。分かるぞ。トップは大変だからな。
それは置いといて、「決まってる」と言われても。本当なのか? 全く分からないぞ。どうしようかな。素直に分からないと言った方がいいのだろうか。それとも、知ったかぶりを決め込もうか。
最初は理由なんてどうでもよかったのに、逆に気になってきたじゃないか。しかし、ここで分かりきった事を聞いて、バカにされたくないし。世間の人がトラを飼いたくなる時って、どんな時なんだろうか。警察官時代に研修会で教えてくれたのかもしれないが、常に睡眠タイムだったのを、今さら後悔しても遅いな。
恥を忍んで、阿部君に聞いてみるしかないな。と思ったその時、阿部君がつま先立ちで膝を巧みに使い、分かりやすい泥棒のような歩き方で、私の視界に入ってきた。お手本のようなほふく前進の明智君を従えて。
おい。白シカ組の注意が、まだまだ私に向けられていないのに。1ラリーの会話をしたにすぎないのだから。と言っても、白シカ組全員が私に注目していたとして、同じことか。そんなコメディに出てくる泥棒のような動きだと、見てくださいと言っているようなものだな。私も拍手で送り出してあげた方が、様になって、違和感がなくなるかもしれない。どうしようか。
私が拍手のタイミングを逸すると、阿部君と明智君が白シカ組に気づかれないように祈るしかなかった。無意味だとは確信していたが。なので、白シカ組の全員が全員、阿部君と明智君の一挙手一投足に注目していても、焦りことすれ予想外だとは思わない。この状況で、私が組長に何か聞いたところで、組長の耳に私の声は届かないに決まっている。
私にできる事は、開き直ることだけだった。模範的な傍観者になった私は、堂々と、阿部君と明智君の行動をじっくり目で追う。すると、阿部君が躊躇なくお札の束を1つ2つ3つと拾い、明智君が背負っているリュックサックに当たり前に入れていく。声を押し殺しているのだけが、一応警戒はしているのを表していた。
やはり何でも堂々とするべきなのだろうか。白シカ組の誰一人として、二人に文句はおろか、声をかけることすらしない。口をポカーンと開けて見ているだけだ。組長でさえも。もし今ここで私がトラゾウを支配していなかったとしても、見ている光景は変わらなかったのではと、本気で信じてしまった。
動悸が早くなったが、ここまでは良しとしよう。予想を大幅に超えた早い回収だったというだけで、私たちの目論見通りに事は運んだのだから。
なのに次は、この私が、私だけが、白シカ組みんなのように口をポカーンと開け、もちろんお面で誰にも知られていないが、さらに顔面蒼白の冷や汗かきまくりと、もちろんお面で分からないと何度も言うまでもないが、そうなってしまったのだ。
阿部君と明智君が3つ目のお札の束を回収すると、再び私の横で威張り散らしながら優越感に浸るものだと、私は信じて疑っていなかった。おそらくここにいる誰もが、私と同意見だ。だけど、阿部君と明智君はみんなの注目を一身に浴びている事なんて意に介さず、私たちがこの部屋に入る時に開けたままだった襖のところから、消えていったのだ。
私は、またもや、二人に裏切られたようだ。だけど、ここで動揺しては、白シカ組が息を吹き返すだろう。そして、トラゾウもろとも私に、殴る蹴るの応酬をするかもしれない。イチかバチかでトラゾウを離してもいいが、そのキバが私にも向く恐れがあるから、結局は私がサンドバック状態だな。トラゾウはしっかりと掴んでおくか。だけど、ただではやられないぞ。トラゾウを守っている感じを出して、トラゾウに恩を売ってやる。トラゾウ、理解しておくれ。
と、最悪を想定しながらも、私はこれが予め決められた筋書きであるかのように、ゆっくり3回頷いた。続いて、お面で隠された涙目の鋭い眼光で、再び組長を睨み、質疑応答の続きをしようとした。今となっては、せめて一般の人がトラを飼いたくなる理由だけでも知っておきたいからな。そうすれば、トラゾウを味方にできる方法を見つけ出せるかもしれない。
私が覚悟を決め、トラゾウを馬に見立て、アメリカの開拓時代のカウボーイになった気分で、高揚を高めていると、なんと、驚いたことに、私と深い絆で結ばれた明智君が戻ってきたのだ。信じていたよ、明智君。明智君は、私が本当に窮地に陥った時に助けてくれる、唯一の友だちだと。
一人で戻ってきたということは、阿部君が私を裏切りさらに無理やり連れていかれた事に腹を立て、改心させる会心の一撃で阿部君を成敗してしまったのだな。私を救いたい一心で。そして、この私ですら絶体絶命だと認めざるを得ない修羅場に、自身の身の危険を一切顧みずに来てくれた。もうこれだけで十分だし、何よりも明智君は、私にとって100人力だ。




