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時空魔女マリン嬢の回想日記 セカンド  作者: 南瀬匡躬


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第二話 綱島温泉二丁目 -消えた同人誌とカードゲームの謎

☆いつもの探偵事務所

 神奈川県横浜市を走る根岸線石川町の駅前。その横丁にある雑居ビルの一階に二十代後半の女性、青空麻鈴あおぞらまりんの経営する欧州雑貨店『シア・ノアール』がある。その二階には『逢野おうの探偵事務所』がテナントとして入る。

 この二人の関係はロマンスのような浮いたモノでは無い。ただの大家代行と店子、そしてテナントの店主同士というごくありふれた関係である。


……ただひとつ違っていたのは、麻鈴嬢は魔女だったのです……


 と、どっかの懐かしいアメリカン・コメディのテレビ劇(※)の冒頭の台詞のように今回は始めてみよう。


 男女密会のはり込みを終えて、事務所に戻ってきたくたびれた男は一階の雑貨店レジ横にいた女性に声をかけた。

「なあ麻鈴まりん」と上階にある逢野おうの探偵事務所、その所長である

男。そう彼の名は逢野安間朗おうのやすまろうだ。

 彼は階下雑貨店の女主人に声をかける。

「なに?」

 この雑貨店の店主で二十代後半の青空麻鈴は首を傾げながら彼の問いかけに返事をした。頭にはターバンのようなヘアバンド。タートルネックの長袖シャツに、麻で出来た黒いワンピースのジャンパスカートを引っかけてレジ横でぼんやりと頬杖ついて晩秋の午後の日差しに浸っていた時だった。

 その傍らには表向き飼い猫である黒猫。そんな姿をした魔女の「使い魔」であるサリーが日向ぼっこをしながら蹲っていた。表向きというのは、この麻鈴嬢が実は魔女ということを隠すためなのである。「使い魔」であるサリーが言葉を話すなんて分かったら安間朗が腰を抜かす所の騒ぎではない。だからもちろん安間朗は彼女が魔女であることなど露も知らない。


「数ヶ月前、うん少し前にな、けったいなじいさん、古い知人が訪ねてきてなあ。その人は先日亡くなったんだけど、その人の事実婚相手で後妻に当たる女性が、東急東横線多摩川駅の駅前でスナックをやっている。生前にそこを訪ねてみてくれ、と頼まれたんだ。それで訪問を考えているのだけど、少々気になることもあるので、お前も一緒に来てくれないか? 勿論その時間の報酬は探偵助手として払うので……」


 ジジくさいしゃくれた顎とゲジゲジ眉毛でそっぽを向きながらお願いする。正直、人にモノをお願いする姿勢ではないようにも思うが、彼のプライドから、これでもかなりの譲歩なのである。ダメなおじさんの典型である。


 麻鈴は面倒そうに眉をひそめながら嫌そうな表情を作った。だが心の中は『ラッキー。やすちゃまとデートが出来るわ。もう、そのまま二人でどっかにしけ込んじゃおうかしら。ねえ、だーりん!』と、行き過ぎな妄想に脳みそを支配されながらも、物凄い上機嫌である。カウンターで見えない足下、その踵でリズムをとるように跳ねる寸前の麻鈴だ。ヨダレが垂れていないのが不思議なくらいである。

 だが平静を装い「仕方ないわね。今回だけよ」と気持ちとは裏腹に思いっきり、勿体ぶった不遜な態度で、それでいながら穏やかな口調で安間朗に返した。もっともこの言い回しは彼女にとって『いい女』風のつもりなのだ。本人は『ルパン三世』の登場人物、峰不二子ばりに気取っていた。


 その様子を静観していたサリーは「けっ」と徐に不機嫌そうにそっぽを向く。こんな事は『勝手にしろ案件』で、たで食う虫もなんとやら、なのだ。ただサリーは安請け合いをしたこの仕事が、麻鈴にとって、とても面倒ごとであることをすでに察知済みだった。何故って、その時依頼に来た老人の上着に微かな蝋燭の燃えた香りと一緒に危険な黒魔術くろまじゅつ(※)の残り香が漂っていたのをしっかりと察知していたからだ。

『聖水の準備が必要だな』

 サリーはネコの分際で狸寝入りをしながらも準備に余念がなかった。


「ありがとう」と安間朗は素直に礼を述べた。



☆魔法陣と黒魔術

 東急東横線の多摩川駅は東京都大田区にある。都県境なため横浜からは少し離れている。かつてほんの少し前、いやもう二十年以上も前になるが、二〇〇〇年過ぎまでは、駅名を多摩川園といった。昭和の時代に多摩川園という遊園地が存在したからである。小田急線の向ヶ丘遊園と同じ理屈だ。電鉄会社が運営する遊園地は昭和平成あたりまでは数多く存在していた。多摩川園もそのひとつだった。昭和五十四年に閉園したが、駅名だけは二十年前までそのまま使っていた。なので安間朗はいまでも多摩川園駅と言ってしまう。長年使っていた習慣からだ。こうなるとおじさんであることは否めない。実際東京メトロを営団線と平気で使うし、なんなら東横線で未だ桜木町に行けると思っている。時代の更新が間に合っていない脳みそなのだ。せめてもの救いはJRを国鉄と言わない事ぐらいだ。


 東横線多摩川駅。今まさに二人とケージの中の一匹はその駅前に立っていた。人の往来が激しい通路から離れて、少し奥まったロータリーのはずれで佇む。


 かつてここは、かの遊園地の入口ゲート前まで続いていた道で、その商店街のなごりが今も少々感じられる。そう、この道は片側にその頃の商店街の雰囲気をまだ一部留めているのだ。

 並びの古びた商店街の残骸の一画に、そのスナック『クロイ』は存在した。営業前ということで、店の前の道路に水まきをしながら、店頭の電飾看板を洗っている初老の女性がいる。和服で袖をたすき掛けの紐結びして、ホースを持ってブラシで丁寧に洗う。

 安間朗は「あの、ママさんの黒井アヤさんでよろしいでしょうか?」と声をかける。

 女性は水道の蛇口を閉めると、「はい、なにか御用かしら?」と振り返る。その美貌に驚く二人。六十歳は過ぎているであろう年齢、その姿なのに、全体的な作りは二十歳は若く見える。そんな魅力的な見た目と清らかな声と言葉遣いの女性なのだ。

『なるほど、こりゃ、あのじいさんもお熱をあげるわけだ』と安間朗は納得した。そして『しかもじいさんよりも十五歳ほど若い。若い美女にお熱をあげたバカじじいということか』と心中で悪態をついた。

 ほぼ悪口のような感想の台詞だが、それだけ依頼者の老人と逢野の間柄が親しいということの現れでもある。そこは勘弁してやって欲しい。


 麻鈴はそのうさんくさい看板と、中から漂ってくる邪悪な空気になんとなく嫌悪感を感じる。それはカゴの中のサリーも感じている。麻鈴たちとは異なる種類の魔法の匂いなのだ。


 移動用のバスケットの中からサリーは「それ見ろ。オレを連れてきて正解だったろうに。もうこの嫌な気配が建物中充満しているのがお前にも分かるだろう」と得意顔だ。そして「さっき出発時に渡したアミュレットを胸元のロケット・ペンダントに入れてきたか?」と確認を入れた。

「ええ、ロケットの中に入っているわ」と麻鈴。

「よし」と納得のサリーだ。不遜な態度が玉に瑕だが、意外にいざというときは頼りになる使い魔なのだ。


「実は冷藤加凍吉れいとうかとうきちさんのご依頼であなたにお伝えしたいことがあって今日は寄らせて頂きました」と逢野。

 その名前でピンときたのだろう。彼女は態度を少し硬化させたが、それでも丁寧な口調を崩さず応える。

「ウチの主人からのご依頼ですよね。よろしければ、中でお話を聞きましょう」

 そう言って彼女は彼らを店内にいざなった。


 店内は結構広く十五畳を越えるだろうホールに四畳半ほどのキッチン厨房がある。驚いたのは床に大きな魔法陣が描かれていたことだ。その大きさは二人には相撲の土俵ほどに感じた。

 麻鈴は小声で「これって偽物? ただのオブジェ?」とサリーに訊ねる。

「いや活きてるぞ、この魔法陣、気をつけろ。陣内に足を入れるなよ」とサリー。

「なぜ?」

「黒魔術の陣だ」

「黒魔術?」

 麻鈴の表情が少々こわばった。ヨーロッパ発祥の黒魔術は恨みや呪いの念、その類いを魔法に載せて行う危険な魔法だ。人間の不平不満のパワーを集めて原動力にする厄介な魔法である。魔法使いや魔女でなくとも使える魔法で、そのパワーは人の世の怨念であるため普通の人間が素材と手法で会得できる魔法なのだ。それは復讐術とも言える。

「こんな術を操るヤツが、今もまだ人間界にいたとはなあ」とサリーもあきれ顔である。

「じゃあこの女性も魔女、ううん邪念操作法を知っている人間? でもそんな匂いは感じないけど」

「おそらく別にこの魔法陣を操るヤツがいるはずだ。聞き出せ」とサリーは見て見ぬ振りも出来ず麻鈴に委ねた。


 一通り逢野が受けたという冷藤からの伝言と用件は済んだように見えた。黒井は壁際の丸テーブルで行儀よく姿勢よく佇んでいた。

「そんな訳で冷藤加凍吉れいとうかとうきちさんからのご依頼でここをお訪ねしたしだいです。ちなみに事の内容は黒井さんには伝えてよいとのことなので、依頼者ご本人の承諾ももらっているのでお伝えしました」

 安間朗の言葉に「それはご丁寧にありがとうございました。主人がそんなことをお願いしていたとは。近いうちに御社をお伺いいたしますので」と頭を下げる。

 話が一段落したところで麻鈴の質問が黒井に向けられる。

「助手の青空と言います。実は私の方からも二点お訊きしたいことがありまして……」

 黒井は肯く仕草で「はい」と返す。

「実はあの魔法陣は店のコンセプトに合わせたディスプレイなのかということと、保健所の食品衛生責任者の札が黒井鶴海くろいつるみさんとなっていますが、どなたなのでしょう?」

 そう麻鈴は前回のあの保土ヶ谷農園の事件の際に、権利を奪い取ろうとしていた保土ヶ谷鶴海と同じ名前であるファーストネームの『鶴海つるみ』という名前がどうにも引っかかっていたのだ。

「ああ、どちらも私のものではないのです。黒井鶴海は私の《《従兄》》です。私の父の兄の子で、この春に大学を出たばかりで期限付きで東京生活のお世話をしているんです。そしてあの魔法陣は鶴海が私のお店が繁盛するように、とおまじないで作ってくれました。おかげでというか、偶然なんでしょうけど、あのお呪いが描かれてから不思議と太客や谷町のようなお客さんが増えましてね。助かっているのです。縁起物ですね、私にとって」

「なるほど、そうでしたか」

 安間朗は変な質問をするもんだと、手をつけずにいた出されたお茶をすすりながら麻鈴たちの質問に答える黒井を見ていた。

『従兄なのに随分年下なのね。四十歳近くも離れた《《年下》》の《《従兄》》って変ねえ』

 そんな不合理にさえ感じる親戚関係に、少しだけ違和感を感じていた麻鈴だった。



 帰りの電車の中で暫く安間朗は無口だった。白楽を過ぎた辺りでようやく「ふう」とため息交じりの声を出した。

「どしたのよ?」と麻鈴。

「いや、大した事ではないんだけど、彼女の性格が清らかなのに、どこかまことしやかに聞こえる言葉とその内容が妙に引っかかるんだ。こんな風に疑っちゃイケないって思っているのに、どうも何だかなあ」

 頭を掻きながらしかめっ面の安間朗だ。

 その答えに麻鈴は「そういう引っかかるのは探偵には大切なんでしょう?」と意味深に微笑んだ。そしてその時『私も』と言いかけたが麻鈴は口にするのはやめて、言葉を飲み込んだ。確かな確証を得てからにしようと思い直した。

「まあな……」

 両目を閉じて静かに頷く逢野だった。





逢野阿礼おうのあれい(安間朗パパ)登場

 その次の日のこと。いつものように麻鈴は、逢野探偵事務所の扉を開けて事務所のシンクにたまっている湯飲み茶碗を目指して歩く。洗い物を処理するためだ。放っておいたらシンクはたちまちゴミ溜め化する。幸い今日は自分の店は定休日。サリーに言わせれば『世話女房気取りか?』と嫌みが返ってきそうな行動だ。

「今日はちょっとオシャレさんなんだな、私。あの唐変木のお馬鹿さん分かるかな?」

 そう言ってくるりと回って、いつもより若干短め、膝丈ほどの黒のフレアスカートをふわりと浮かす。そういつもの仕事時に着ている服では無く、オメカシ着での登場だ。見る人が見たら「今日はデートかい?」と言われそうなファッションだ。

 そんなわけで今日は荷物も届かないし、店番もないので動きやすくする必要もないためにこんな服装になったようだ。カチュウシャにオレンジ色のフリースとシルクのトートバッグを合わせていた。バッグの中にはピンクのエプロンを入れて、もう世話女房気取りの彼女は上機嫌である。

 窓の外の雨どいで昼寝をしているサリーはふたたび不機嫌そうに「けっ」とそっぽを向いた。

「たまの休日くらい年相応のオシャレもしないと、すぐにおばさんになっちゃうわよ。命短し恋せよ乙女、って感じかしら。末は夢二かミュシャの美人画ね」

 などとどうでも良い自己肯定感を口にして探偵事務所の中に入る。


「あれ?」

 所長の逢野安間朗おうのやすまろうの席に、似た顔の老人が座っている。いや顔の作りはこっちのほうが少々上品である。ロマンスグレーを少し過ぎた初老といった感じだ。

「あの……」

 麻鈴が言うと、

「ああ、バイトの女学生さんかな?」とその老人。

「女学生?」

 古めかしい言葉ではあるが、おしゃれのおかげで若く見られていたこともあって、思わずその言葉に機嫌を良くする麻鈴。根はそこそこの単純バカである、程度としては。気安く安間朗をバカ呼ばわりは出来ないレベルだ。

 最近は同級生たちと会っても、共通見解の「年増女」とか「アラサー目前」などという話題しか出てこないためだ。見た目だけでも若さの欲しい麻鈴だった。

「ご依頼の方でしたら、こちらの応接セットでお待ち下さい。所長の逢野ももう少しで戻るはずです」とやんわり案内する。

 すると老人は軽く笑顔で「いやいや、わたしも逢野なんですよ」と言う。

「同じお名字なんですか?」

 麻鈴の問いかけに「安間朗の父です」と答えた。

「まあ、お父様なんですか?」

「はい、阿礼あれいといいます」

 白髪の老人は静かな口調でにこやかに頷く。顔の作りが同じなのに、むさい風貌に見えないのがこの目の前の老紳士だ。多くいたであろうご先祖さまの中のダメな方の遺伝子を片っ端から多めに受け継いでしまったであろう、残念な安間朗が不憫でならない。……と密かに笑う麻鈴。


『それにしても安間朗に阿礼ってどこかで聞いたような? ……にほんしんわ? 稗田阿礼と太安万侶かあ。ネーミング……狙ってる親子なの?』


 そんなことを考えていると阿礼は麻鈴に訊ねる。

「ところで、この床においてある荷物はなにかご存じかな?」

 宅配業者が置いていったであろう段ボール箱に目がいく。

「いいえ。私は下の階で雑貨店を営んでいる者なんですよ。この事務所を管理しているわけではないので……。でも昨日来たときはありませんでした。今朝方届いたのかと」と麻鈴がいうと、

「おや女学生ではなくて、女性経営者でしたか。これは失礼」と老人。軽く頭を垂れる。

「いえいえ」と軽く笑うと荷物が気になった彼女。近づいてみる。

「差出人は、港北区綱島の冷藤加凍吉れいとうかときちさんってなっています」

 荷札シールを見つめる両者。

「おお冷藤画商の店主だな。私の知人でもあります。でも先月にお亡くなりになっているはずですね」

 どうやら安間朗パパも知っている。知人のようだ。

「そうなんですか? ご存じなんですね」

「ああ、こう見えても元は美術史の教授でしてね」と笑う阿礼。

「ええっ? お父様は大学の先生なんですね」

「はい」

 物腰柔らかい表情で微笑む阿礼。


『なのに、なんでご子息は、何故こんな残念な事に……』と麻鈴は思った。


 もう彼女の脳裏には『残念』という言葉しか浮かんでこない。麻鈴はこの上なく残念、いや残念以上に残念そうな顔で訊ねる。まあ、安間朗に失礼と言えば失礼だ。だがそこが麻鈴である。それぐらいの小さな無礼は日常茶飯事と言えるのだ。

「あはは」と腹を抱えて豪快に笑う老紳士。

「やばっ、あたし思っていただけかと思ったら口にしてた。心の声漏れちゃった」と頭を掻く麻鈴。

そして「そうじゃねえ。残念かもなあ。あれは子どもの頃から探偵小説や演劇の本ばかりを読んでいたからなあ。きっと現実と空想の区別がつかなくなったんだろうねえ」と付け加えた。まるで他人事、我が子の事とは思えない無責任な感じだ。

『いい歳して中二病(厨二病)かよ、安間朗!』と心中でがっくりとする麻鈴。だがその一方で、そんな安間朗が異性として気になって仕方のないのも真実で、それが今の麻鈴でもあるのだが……。


 そこに探偵事務所の所長である逢野安間朗、まさに話題の主、そのひとが何かを終えて戻ってきた。小型のカメラと録音機材を胸ポケットに挿している。おおよそ浮気調査の尾行だったのだろう。

「父さん!」と安間朗。事務所にいる人物の顔を見ての一言だ。

「よう、やっさん。元気にやっているようじゃなあ」と左手を挙げた。

「約束は明日か明後日だったんじゃ? 今日来るって言っていたっけ?」

「いや。都合がついたので今日にした」

「相変わらず、思いつきで行動する人だな。迷惑な自由人だ」とヤレヤレ顔の安間朗だ。


 麻鈴は額にマンガの様な冷や汗マークで『こいつら、似たもの親子だ』と困惑冷笑な目線を送る。そして『血は争えないねえ、「迷惑な自由人」はあんた自身もだよ!』 と心中思う渋い顔の麻鈴。


「ところでなあ、さっきこの段ボールを見つけたんだが、冷藤加凍吉れいとうかときちさんからのご依頼なんだって?」

「うん、父さんの友人だね」

「実は私のところにも日付指定のeメールで連絡があってなあ、ご子息の探偵事務所に依頼をお願いしたので、と。ちょうど明日か明後日にでも確認しておいてくれという内容だった。この様子だと荷物の発送日と合わせての自動送信メールだったようだね。亡くなった人はメールを打てないからなあ」

「なるほど、それで予定通り最初は明日か明後日に行くって、連絡をくれたのか」

「そうなんだ。でも早めに来てよかったよ。こんな大荷物とは思っていないからね。中身の確認が大事おおごとだ」と阿礼は不思議そうに楽器ケースほどの大きな荷物を眺めた。

「ああ、じいさんの奥さんへの相続品らしくてね。結構な財産らしいよ。相続品なら探偵じゃなくて弁護士に依頼するのが本来のスジじゃないかな?」と受け取った安間朗も懐疑的な顔を見せた。

「そこはのっぴきならない事情がおありなのでは?」と阿礼。

「なんだよ。のっぴきならない事情って」

「さあ、分からん。それを明かすのは探偵さんの仕事だろうに」と平然と投げ出す阿礼。

 ガクッと肩を落とす安間朗の姿を見て阿礼は、

「ところでやっさんは黒井アヤさんのところへは?」と訊ねる。

「行ったよ。事前の告知もなく、身に覚えがないので、明日ここに来てから受け取りの準備をするって言っていたよ」

「うーん」

 顎を指で摘まんで気難しい顔の阿礼。

「どした?」

「何でアヤさんのところへ直接送ってくれと言わないんだろう。あるいはここではなく、元気なウチにアヤさんに直接自分で送っても良かったのに」と阿礼は不思議そうだ。

「さあね、他人さまのことは分からないよ。奥さん内縁関係だし、面倒な親戚でもいるじゃないのかい。探偵稼業をやっているとそういう家からの依頼はゴマンとあるぜ」


「なるほど。ただなあ、そうするとメールに書いてあった『アヤに取り憑いている「黒い雲」を取り払って欲しい』という言葉の意味は、そういう親戚のなにかを暗示しているのかもなあ」

 腕組みをして渋い顔の阿礼だ。


 そう言ってから阿礼は窓の外を眺めて「これは面倒くさそうだな」とぽつり呟いた。

「『黒い雲』ってオレにも言っていたなあ」と安間朗。

「何か訳ありの相続劇だな」と阿礼。

「なに?」と安間朗。

 だがその言葉に応えるわけでもなく阿礼は、

「今日はこっちに泊まることにした。横浜のビジネスホテルを予約してくれ。ホテルニュー・グランディアでいいや」と注文する。

 安間朗はあきれかえる顔で、

「父上殿。あのホテルはビジネスホテルじゃないよ。結構良いお値段のグレードの高いホテルですよ」と諭す。

「そうか、じゃあ、それで良いから頼む。もちろんやっさんのおごりでなあ。儲かっているんだろうこの事務所」と平然とリクエストする阿礼。


『儲かっているわけないだろう!』

 内心そう思った時に、麻鈴が肘で軽く安間朗の脇腹を突く。ここがサリーの言う『麻鈴は出来損ないの良妻面りょうさいづらをする』という台詞にも当てはまる。

「大丈夫です。あのホテルはウチの叔父たちの知り合いなので、お友達料金で何とかなります」

 麻鈴の言葉に「本当か。済まない。お前どこぞのお嬢様か?」と礼を言い、詫びを入れる安間朗だ。しかも疑問符までつけて。

「ついでに支払いも私が何とかします。逢野さんの会社じゃ、あの高級ホテルは苦しいでしょう。お父様、世間知らずなんですか?」と麻鈴。安間朗の耳元に小声で囁く。

「ああ、極度の世間知らずだ」と笑う。

 それを聞くと麻鈴は部屋の隅で、携帯電話を取り出すとホテルに予約を入れ始めた。この日はそれで解散になった。



☆トランプとリトグラフ

 翌日、店先に『本日臨時休業』の貼り紙を掲げると、麻鈴は昨日に続きキュートでカジュアルな装いに包まれて二階の探偵事務所へと駆け上がっていった。

「おはようございます」

 既に阿礼も安間朗も事務所にいて、彼女を「待ってました」とばかりの顔で頷くとすぐに昨日の続きに取りかかる。

 事務所の古ぼけた大きな金庫の中に一時保管していた、昨日届いたあの荷物を取り出して箱を開封する。


 真っ先に飛び出してきたのは、縦長の書き初めでよく使う習字用の半紙に書かれた、「アヤの源氏名を思い出せ! そして『綱島温泉文学』の消えた扉が物語る」、という文章だった。

 そしてその半紙の上には、ひと組のゲームカードであるトランプがプラケースに入って載っていた。ミュシャのイラストを使ったトランプである。フランス製のものだった。

 さらにその下、かなり細長い桐箱がある。丸めずに小さな掛け軸をそのまま入れること出来るような長さだ。その箱にかかった組紐を解いて中身を見る。そこには全部で数十枚に及ぶ保存状態のよい版画ポスターが綺麗な形で出てきた。またその下にある風呂敷包みには古めかしい文芸同人誌と思われる作品発表の冊子も入っていた。まだ活版印刷時代のものだ。


「ああ幻の文芸同人誌『綱島温泉文学』だ。こんな状態でこの雑誌が見つかるのは珍しい。だが学者としてはこっちの方が気になるな」といって木箱に手をかける阿礼。

 木箱の中身を確認すると、静かに納得して「リトグラフだね」と阿礼。

「これって、ミュシャのリトグラフ?」

 デザインに見覚えのある麻鈴の言葉に阿礼は、懐から取り出した眼鏡をかけて、

「ああ、お嬢さんはご存じですか、ミュシャを」と頷く。

「ハイ。ウチのお店でもミュシャの絵柄のティーカップなどは、ポターのものやテニエルのものと並んでよく売れていますよ。初心者向けで、これぞヨーロピアンという感じのティ-ウェアですから」


「ほう」

 腕組みをしながら納得する阿礼。

「アルフォンス・ミュシャ。故郷のチェコではムハと発音するんだな。ボヘミアンの暮らしと印刷工の見習いをしながらパリの街で成功を夢見ていた男でね。知ってたかい?」

 阿礼の問いかけに安間朗は首を横に振って、

「いや、でもこの絵はどことなく、あちらこちらで見かけるよ」と答えた。

「演劇人にも有名なエピソードなのが、確か女優サラ・ベルナールの舞台公演ポスターを運良く受注したことで、一気にその実力が開花し、芸術の都パリで名声と富を得た版画家ね」と麻鈴。

「お嬢さんは詳しいですね。巷の美術ファンですか?」と阿礼。

「ええ、巷の美術ファンでございます」とテレながら答える麻鈴。

「サラ・ベルナールなら知っている。『椿姫』の好演技が博したパリの大女優だ」

 若い時分に演劇を囓っている安間朗は反応する。

「その『椿姫』のポスターを描いたのがミュシャだよ」と阿礼。

「そうなのか……」

 どうも話に『おいてけぼり』の安間朗は不機嫌さを隠せない。ゲジゲジ眉毛がよりいっそう険しく逆立っていた。


 納得するように点頭すると阿礼は、その一枚を取り出して、

「このリトグラフは、本物の原版を使った原版刷りというものです」と真面目な顔で、まん丸眼鏡のズレを直しながら言う。そしてその紙を裏返しにすると、

「しかもここにミュシャ本人のサインと指示が記されている。初版なのかも知れないね」と真面目な表情で伝える。

「ええ! 物凄い高価なモノじゃないですか」

「はい、ミュシャが存命中に擦られた、いわば本当の()()。非常に高価な品です」

 阿礼は不思議がることなく続ける。

「これを冷藤君は確実に妻の彼女に渡したかったんですね。でも彼女の近くにはお金の亡者がいたのかも知れない。それを察知して回りくどい渡し方を選んだんですね。彼は昔から邪魔者を排除するときは第三者を経由するクセがあった。思い出しますね。だから奥さんの近くにいる人に危機感を持っていた形跡が感じられる」

「それが()()()か……」と安間朗。


 その阿礼の言葉に窓の外から急にサリーが入ってきた。

「おや、ネコさんですね。このネコさんは、あなたの飼い猫さんですね」と阿礼。

「はい」

 麻鈴はサリーを抱きかかえると事務所の前の廊下に出た。言葉を発するネコは阿礼たちには刺激が強すぎるからだ。

「おい、まずは調査報告だ」とサリーの第一声。逢野たちに聞かれないように用心深く声を出す。繰り返しになるが、そりゃ、ネコがしゃべったら大事おおごとなためだ。

「うん」

「あのじいさんが今言ったことはほぼ当たっていると思うぞ。さっき多摩川園のクロイの店に行って来たんだが、ようやくあの魔法陣の効力が分かったぞ」

「本当?」

 麻鈴は物知りで有名な使い魔のサリーには一目の信頼を置いている。

「あの魔法陣の中に入ったヤツは皆、魔法陣を設置した人間のいうことを全て信じるようになる。隷属の円陣だ。一種の催眠術だな。あんな薄汚い魔法を使えるやつがまだこの世にいたんだな」

 サリーの言葉に、どうやらあの店に充満していた黒魔術の嫌な香りはそういうことのようだ。しかも黒魔術の内容まで読み解くこのネコ、いやこの『使い魔』は、なかなかのやり手である。


「え? ということは彼女、今のアヤさんは催眠術の術中にはまっている状態と言うことよね」

「ああ。だから黒魔術の魔法陣の設置主の言われるままにサインや判子をついてもおかしくない。じいさんの話ではこのリトグラフは全部合わせれば数千万円を超える。だからこれらの存在を黒魔術の施術主が知っていたなら、冷藤家の土地家屋は勿論のこと、美術品に到るまで彼女が相続可能な財産をねこそぎ奪っていくことを考えていても、おかしくない。彼女の横にいつもいる見知らぬ男に冷藤のじいさんが警戒して、今回はあの美術品をウチのへっぽこ探偵に依頼したと言うことになるなあ」

「なるほど。彼の目的はこの高価なコレクションは勿論、冷藤家の不動産などの財産に及ぶって事かな?」

「あくまで推測の域を脱していないが、そのセンは捨てきれない。確実にないとは言えない感じだ。気をつけておいて損はない。だからおそらく、彼女はあの円陣の中に入ってしまったので、あの札に書いてあった『鶴海』という男の作り上げたデタラメな世界、その嘘八百の設定を全て真実として受け入れている可能性が大きい」

「コントロールされているって事。じゃあ()()っていうのも……」

「ああ、デタラメで、彼女を意のままにして何かを企んでいる可能性が大だな。彼女の身内という立場にしておけば、いざというとき相続権を行使できるしな。しかも彼女が冷藤加凍吉の内縁の妻、すなわち事実婚の妻という立場を知ってのことだろうから、かなり内情に詳しい人間につきまとわれたようだな」

「そっか」

「じゃあ彼女が従兄といっていたのも、赤の他人なのに催眠によってすり込まれての事、嘘の関係なのかしら?」

「可能性大だ。そもそも年齢が合わないだろう。ちぐはぐだ」

「そうね……」

 爪を噛む仕草の麻鈴。

 

 こんなサリーとの謎解きをしている横で安間朗も阿礼に旧友の話を訊ねた。


「この半紙に書かれたアヤさんの源氏名を父さんは知っているのか?」

「ああ、銀座のクラブ時代から使っている源氏名がある。僕も冷藤君が生前の頃に一度だけ連れられて、そのクラブにお邪魔したことがある。どうもああいった場所は苦手なんだけどね」と苦笑する阿礼。学者というのは俗物の極めであるような夜の街にあまり興味がないようだ。

「まあ夜の浮いた街、飲食店関連だ。源氏名のひとつもお持ちだろうな」と安間朗。

「彼女はねえ、二十代の後半に冷藤さんが通っていたその高級クラブで出会ってねえ。彼と意気投合したんだ。彼女は美大出身で芸術に精通した知識を持っていた。若い時分は画家を志していたそうだ。お金が欲しいだけの他のホステスさんの人生とは違って、真心のこもった女性だったと言っていたよ、彼は……。ある意味で水商売には向いていない人だったと……。そんな彼女の性格を見越して、冷藤君は彼女を秘書兼マネージャーとして自分の横に置き、身の回りのお世話をしてもらっていたんだ。だから意気投合するも、早々に夜の街から足を洗わせた格好だ。その頃の源氏名が春秋常夏しゅんじゅうじょうかっていうんだ」

 そう言ってテーブルにあるメモ用紙に書いて見せた。

「季節を表す源氏名なのね。風流だわ」と言ってからは麻鈴はだんまりを決め込んでなにやら考えるポーズでその紙に書かれた源氏名を見つめていた。


 阿礼の言葉に、

「ああ、それで近年は夫の看護がてら、秘書がてら空いた時間で出来る仕事ということでスナックを開いたのか。手短で小規模な飲食店、比較的治安のよい、ハイソな街の多摩川園の駅前で小さなスナックってわけか?」と安間朗。

「そうそう。男性に囲われてると見られるのも嫌だったんだろうね。彼女のプライドだ。自立をしていないと嫌な性格だった。だからといって他の業種を知らない彼女は、自分が出来るのはあの業界だけと思ったんだろうな」と阿礼。

「なるほど。オレも、彼女がもと銀座のホステスでナンバーワンというのは冷藤のじいさんから聞いている」

「その話は間違いない。僕はその頃を知っているからねえ。どうだいやっさん、見えてきたかい?」

 そう言って懐かしそうに阿礼は微笑む。



「その後、高級クラブで稼いだ資金を元に自分の店を開いた。冷藤君のお金を当てにしてはない。彼女一人で立ち上げた店だ。勿論秘書の仕事も一生懸命だったよ。その頃に、冷藤君は彼女の愛を勝ち取って、アヤさんを自分の恋人に出来た。時系列の流れとしては……」と阿礼の説明。

「あの白髭の爺さん、若いときはあっちのほうで結構やり手だったんだなあ」と笑う安間朗。その笑いはヤレヤレ顔だ。

「そうなんだ。冷藤君、なんでも若かりし頃の彼女がリトグラフ・ポスターのモデルさんにうり二つっていうことで入れ込んでしまってね。時期的にも、前の奥さんを亡くした頃だったので余計に人恋しかったんだろうね。基本的に冷藤君はお坊ちゃんだから」と阿礼。


「そこまでは分かったけど、源氏名と文学同人誌の繫がりが分からない」と安間朗。

「うん。この半紙に書かれた、アヤの源氏名を思い出せ! の源氏名は分ったけど、もう一つの、そして『綱島温泉文学』の消えた扉は物語る、の方はなんなの?」


 話に割り込んできた麻鈴の疑問に二人もその冊子を見つめながら首を傾げる。


「扉かあ」とため息交じりの麻鈴。そして「何なのかしら?」と机にひれ伏す彼女。もう降参という感じで頭を悩ませている。

 その横で徐に安間朗は机上にあった雑誌『綱島温泉文学』を掴むとしげしげと観察していた。

「どっかに『どこでもドア』でもついているのか?」と不思議そうな安間朗。

「バックドアがあるって、いうの? 仕掛け絵本でもないのに? そもそも昭和三十年代に発行された同人誌に『どこでもドア』の記述があるわけないでしょう。もう少し現実を見なさいよ」

 意外に強気な麻鈴は安間朗を叱咤する。

「そうカリカリしなさんなよ。カッカしていると良い考えも浮かばないよ」と宥める安間朗。

 そのやり取りを見ていた阿礼が「なんかやっさんとお嬢さんは妻夫めおとみたいだな」と笑う。


「なっ!」と自分の好意を見透かされたようで麻鈴は真っ赤になって黙り込む。

「おいおい。こんな跳ねっ返りの小娘はオレの美学に入る余地ないよ」と笑う。

 すると突然、安間朗の頭上からプラスチック製の大きなタライが落ちてきた。


-ゴン!-


「いてえな。どっから落ちてくるんだよ、こんな大きなモノ。おれはドリフ(※)じゃねえよ」と安間朗は頭を押さえながら天井を見上げた。

 その光景を見てサリーは麻鈴に「こら、魔法をそんなくだらないことに使うな」と抑制を促す。

「はいはい」

 嫌そうな顔で、いや不機嫌な顔で麻鈴はむすっとして再びテーブルに伏せった。


 だがすぐに安間朗の前に顔を上げると、

「ねえ、本に扉っていう部位あったわよねえ」と訊ねる。

「ああ、書籍なら表紙の次の出版社名と年度が書かれた場所で、雑誌は雑誌名と号数、モノよっては目次も書かれている」と教えると、「それだ!」と指をパチンと鳴らしてテーブルの上の『綱島温泉文学』と記された同人誌を手に取った。

()()()()は、換言して()()()()()ってことだわ!」


---

『綱島温泉文学』第一号 195x 年


-目次-


Aラインの美しきシルエツト-デエイオール・フアッシヨンの意匠性- (三島) 

十階からの眺め-浅草十二階(凌雲閣)のおもひで-         (三島)

『ジャックと豆の木』の一考察-ジヨセフ・ジエイコブス(Joseph Jacobs 1854-1916)の資料をもとに- (小林)

クイン・エリザベス号乗船記-滞欧手記-  (小林)

キングの塔たる神奈川県庁本庁舎の建築所感 (小林)


ポウカアフェイスで紡ぐ者-あとがきに変へて- (冷藤)

---


 安間朗と麻鈴は二人で机上の目次をのぞき込んでいる。その様子を阿礼は面白そうに眺めている。どうやら安間朗の父親は、この二人の関係性に興味があるようで、推理そっちのけで密かに楽しんでいる風にも見える。

「ねえ」と麻鈴。

「ん?」

「何か読める?」

「日本語、旧仮名遣いかな?」と相変わらず安定のアホッぷりに親しみさえ覚えそうな安間朗だ。

「バカね、そんなの見れば分かるわよ。奥に潜むあれよ」

「あれって暗号的ななにかかい?」

「そう」

「うーん」

「私ね、この荷物には読み解き式の多くの『謎かけの仕掛け』がしてあると思うのよ」

「よせよ、探偵小説の読み過ぎだ」

「だってこの荷物の持ち主は文学ファンなんでしょう。そして同人誌の発行人も同じ冷藤さんなのよ。携わっている人が、みんながみんな文学バカ。あり得るわよ」と鼻息も荒く不敵な笑みで笑う麻鈴。

「お前、何か気付いているな」

「まあね、でも助手が先生を出し抜いちゃ悪いからご自分で解読なさい。午後にはアヤさんがここに来るんでしょう。それまでに……ね」

 この辺の見透かしイケズが麻鈴本来の性根の腐っている部分だ。これに安間朗はいつも悩まされる。


「やっさん。どうやら出し抜かれているな。あざとさでは彼女に敵わないと見たよ。大した直感と観察力だ」と笑っている阿礼。安間朗パパは麻鈴のことがお気に入りのようだ。

「父さん、分かっているのなら教えてくれよ。鈍感なオレにはさっぱりだ」

「ははは、じゃあヒントだ。文学技法のアクロスティック(Acrostic)(※)だよ。あるいは日本風に言えば、和歌なんかの折句かな? でもそれを分かってもその次の謎があるんだよ。折り句はほんの入口に過ぎない。つまり()()()()()なんだよ。なかなかの多重仕掛けだな。ただしこの場合は単語ごと使うアクロスティックだな」と老紳士。

 その言葉を聞くやいなや安間朗はスマホを片手に、検索エンジンでアクロスティックを調べ始めた。



☆謎解き

「結局、あのじいさんは内縁の奥さんであるアヤさんに美術品の財産を渡したかったが、彼女の店にはいつも邪魔な人間がいて、その美術品の存在も知られたくないし、渡したという事実をも知られたくないと思って探偵事務所を使ったというのが本当のところなのかな?」

 安間朗の言葉に麻鈴は「おおよそ私もそう思っているわ。それは当たっていると思うの」とここの部分では勘が冴えている安間朗に賛同する。

「ただね、それと並行して三島さんが冷藤さんに残したメッセージはなにを意味しているのかがいまいち不明なのよ」と困った。

「それはこの文学同人誌の謎を解かないとね」と落ち着いたようすで笑う阿礼。見ようによっては何かを知っているような雰囲気にも見えなくはない。


「この目次のアクロスティックのことだろう」と安間朗。スマホを見ながら小声で囁く。

「そうよ。ちなみにアクロスティックは十九世紀にヨーロッパで大流行しているわ。文学だけじゃなくて、宝飾品として、とりわけエンゲージリングなんかでね。だから文学を学んでなくても、欧州雑貨店の従事者は私だけでなく皆知っているわ」

「あ、そう。だめな探偵で済みませんな」とため息の安間朗。

「それで解析できた?」といつも通り、彼よりも優位なポジションを手にして、ますますご機嫌の麻鈴。

「どの文章をだよ」と角口の安間朗。

「ええ? さっきの扉のページのことじゃないのよお」としかめ面の麻鈴。

「ああ、そういうことか。ここで繋がるんだ」

「あんた、何年探偵やっているのよ。金田一耕助や明智小五郎にはほど遠いわね……」と言ってがっくりと肩を落とす麻鈴。

「ふん」とすねた態度で彼は同人誌の扉にある目次を見つめた。

「行の横断読み。頭文字の縦読みすれば良いんだろう」

「そうよ」

「ええ、じゅう、く、き、ぼってなるなあ」

 思わずずっこけたポーズの麻鈴。

「こらこらこら、ここまで来て、素でボケまくってどうすんのよ。単語ごと使うアクロスティックってお父様が仰ったでしょう」

「いや、本気だが?」と悪気の欠片もない安間朗。

「マジか……」

 額に手をやり苦悩のポーズ。アホの相手、麻鈴も忙しい。わなわなと怒りを押さえて震えている。

「いいかな、やすまろうくーん。エースと10とジャック、クイーン、キングにはならないかな? この目次の文頭を考えると……」

「ああ、なるほど。お前頭良いな」

「あんたが鈍いんじゃあ!」といらつく麻鈴。

「あ、それでトランプも荷物の中に入っていたのか」とここでアイテムが全て紐づく。

「そうよ。ストレートってやつよ。しかも一番強力な、ね」

「うん」

「だけどこのストレートの役に気付かせてから、最後尾、後ろのエッセイの著者にも気付いてほしいの。文のお尻合わせのアクロステックよ」

「三島さんと小林さんか?」

「そう三対二って役もあったでしょう? ポーカーには」

「しかもフルハウスって事だな」と安間朗。これもまたトランプのカードゲーム、ポーカーの役である。

「これが三島氏の答えであり、願いよ」

「なにカードゲームでたくさん役を作って遊べっていうこと」

 またしても平然とボケる安間朗。

「アホか」

 そしてまたしてもその安間朗を相手にしない麻鈴。

「フルハウスの本来の名詞の意味っていうのは、満員の家、大家族ってことよ。まあ転じて興業の『大入り』にも使われるけど、おおもとは大家族。そしてこのキング、クイーン、ジャックは家族を意味するわ。独り身の冷藤さんを案じて、結婚して家族を増やせってことでしょう」

「なるほど!」と手を叩く安間朗。

「しっかりしてよねえ」と渋い顔の麻鈴。

「だから最後の『ポーカーフェイス』ってわけか」

「そう、それでこれが最後の謎仕掛けになるんだけど、そのミュシャのトランプを取ってくれる、ダーリン」

「だありん?」

 聞き慣れない言葉にたじろぐ安間朗。

 麻鈴は慌てて両手を口の前にあてて口をつぐむ。

『いっけなーい。心の声でいつも呼んでいる名称が、リアルな会話に出ちゃったじゃないの』と勝手に瞬間湯沸かし器のようにぽーっとなり、顔は真っ赤である。

 言われるまま安間朗はトランプを取る。

 麻鈴はトランプを受け取ると中身を箱から出す。そして一枚一枚確認する。ジョーカーのカードを見つけ出すのだ。

「これだわ」

 ジョーカーのカードを四枚出してテーブル、机上に置くとそのデザインを説明する。この同梱のトランプにはジョーカーの絵札はおなじみのピエロの絵がない。代わりにミュシャの作品が使われている。

「このジョーカーに使われているのはミュシャの傑作、連作の『四季』なの。英名では『The seasons』っていうわ。楽器の琴やハープのように半円形に反った若葉を紡いでいる構図の「春」、素足の水辺で岩場に腰掛ける鮮やかな花冠で着飾っている「夏」、豊作の木の実の受け皿を用意して摘んでいる「秋」、そして凍える手を温めるようにベールをかぶって防寒する「冬」ね。この四部構成のセット画。どれもこれもローマの気品ある淑女をイメージしているのよ。きっとこれが若き日のアヤさんに似ているといった由縁なのかも知れないわ。そしてこの四枚のジョーカーのウチの『冬』のカード。彼女の源氏名には『冬』の文字がないのよ。だからこの「冬」のジョーカーのカードに私たちは用事があるのよ」

 確かに『春秋常夏』という源氏名には「冬」がない。


 そう言ってそのミュシャの作品「冬」の描かれたジョーカーカードを手に取る。そして片目をつむり、真横にしたカード、目を細めてじっと見つめる。

「このカードだけ他と違って少し歪んでいるわ。それに少し厚みもありそうよ」

 彼女は『冬』のカードの縁に爪を立て、カードの隅からペリペリと上に貼られたシール紙をはがし始めた。そうトランプの裏面デザインと全く同じ模様の保護シールがそのままトランプに貼ってあったのだ。それを剥がすと中から『綱島温泉宿に権利書』と書かれたメモが出てきた。

「手品師になった気分よ、私」と麻鈴。

「言われてみれば」と納得する安間朗。

 すると事務所の片隅で『パチパチ』と一人拍手を始めた阿礼。

「お見事ですねえ、完璧です。本日の謎解き係を頼まれていた私が出る幕もない。かつての源氏名、春秋常夏しゅんじゅうじょうか嬢も納得すると思います」


「ちなみにその話。名前の「じょうか」っていう自身のお名前をかけて、トランプのジョーカーに語呂から来たのかしら? ポーカーではあの札は縁起の良い神札でオールマイティですよね」


「お嬢さん、冴えていますね。やっさんよりも探偵に向いている。ご名算です。これがカード占いだと、ジョーカー札は逆位置にならない限りは闇札であり、暗示の役札で不幸の象徴です。……が、カードゲームのポーカーでは、その逆の役割、役札であり神札なんですよね。げんを担いでいたんですね」

 阿礼の言葉に少し気をよくしながら「いえいえ」と軽い謙遜で濁す麻鈴。

 しかし腹の中は『そうよ。過去にこの事務所が依頼を受けたほとんどの怪事件は、みんな私が解決しているのよ。この唐変木の朴念仁の下あごおじさんは私が守ってあげないとなにも出来ないんだから』と勝手に母性ともとれる自己優越感に浸って、鼻息荒く彼女はほくそ笑んでいた。



 爪を噛む安間朗は相変わらずの渋い顔だ。納得のいかないことがもう一つ。

「ちなみに何故『綱島温泉文学』という同人誌名なのでしょう? もうひとつの謎かけですか? 綱島に温泉とは此如何に?」

 それは昭和の高度成長期の真っ只中に生まれた安間朗に分かるはずなどない。都市住宅地の『綱島』と保養地の『温泉』というワードが相反するように感じているからだ。

「やっさんはどこが分からないのかな?」

 阿礼は不思議そうだった。

「綱島温泉です。横浜のど真ん中の市街地、綱島に温泉はないでしょう。戦前からスーパー銭湯があったとは思えない」

 すると父はニヤリと笑い、「ついにそんな時代になったかな?」と不思議な顔をする安間朗に優しく微笑んだ。

「かつて東急東横線の綱島駅は綱島温泉駅と言ったんですよ」

「へ?」

 狐に化かされたような話である。

「つなしまおんせんえき?」


 安間朗の復唱した言葉に頷くと阿礼は、

「うん。彼の家が経営していた冷藤旅館もその温泉宿のひとつだったんですよ」

「冷藤さん家は旅館もやっていたんですか? あ、ちょっと待って、どこかで聞いたことあるかも」

 安間朗は消えかかりそうな記憶の糸を微かに手繰り寄せ、その引き出しに手を伸ばしていた。

「彼の二代前のご先祖は、もともとはあの辺で農家を営んでいたのです。あの辺一帯は何処を掘っても源泉が出る土地だった。それで戦前に近所で温泉が出たのを知った彼の祖父も、自宅の畑を掘ってみると、やはり同じようなラジウム泉の源泉が出てねえ、彼の祖父は旅館業を始めたんですよ。大正時代だったと聞いています。赤湯のぬる湯が出たそうで。私の子ども時代一九五〇年代に、既に綱島は約八十件ほどの宿屋がある大温泉郷だったんです。東京の奥座敷っていわれてました。勿論芸者の置屋もあり、花街の雰囲気も持っていた立派な温泉街でしたよ」

 今の港北区綱島から想像も出来ない話だ。

「ほう」

 初めて聞く綱島の歴史に安間朗は驚いた。

「その関東の奥座敷として発展した綱島温泉郷は文人の定宿が存在して、少数ながら小さくも文士村として側面も持っていた。文士村というと馬込や阿佐ヶ谷、田端、鎌倉などが関東では有名だが、弱小ながら綱島温泉派の文人もいた。まあそのほとんどが二流文人なのであまり有名ではないし、彼らが勝手に思っていただけの文士村きどりなだけの土地だったけど……」

「そのひとりが三島欧之介だった……」と安間朗。

「いかにも」と阿礼は頷く。

 そして「先に述べたように、この綱島温泉派の文士たちは教科書に載るほどの名士ではない。いいところ郷土史の片隅にちょこっと出てくる程度の二流文士だ」と言ってから、「でもね、そのほとんどが資産家のご子息です。俗にいうボンボンってやつでしてね」と笑う。

「秀才金持ちの道楽芸術ってわけか」と分かった風な安間朗。

「今となってはそんな風に言われてしまいますよね。でも彼らはあれで本気の芸術活動と思ってやっていたんですよ。時代の空気も今とは違いますからねえ」と阿礼。



 そして阿礼はニヤリと笑って「でもまあ、ここまで辿り着けば、残りの謎解きはあとひとつです。残りの相続品、すなわち土地の権利証の在処、おおよそ分かりましたよ」と言った。

「父さん、オレより探偵に向いているんじゃないか」と己の不甲斐なさにいたむ顔で父親を見つめる安間朗。

「いや私は大学という訳の分からない場所で地道な研究をするのが性に合っているんですよ。そういうのはやっさんにお任せします。では午後にアヤさんがおでになったら綱島の冷藤旅館跡に行きますよ。建物はそのまま保存されていますから。鍵は何かの折りには必要、ということで、生前冷藤君から私が預かっています。自由に入ってよいと言われていますので」


 そこで麻鈴はニヤリと不敵な笑みを浮かべると二人に一礼する。

「さて、その前に私はやることがあるので、アヤさんのお相手はお父様と安間朗さんにお任せして、本業に戻りますね」

「おや、なにか御用があるのですね。本業って欧州焼き窯の器ですか?」

「いいえ、もっと重要な本業です。大切な用事なので今はここで失礼します。別件が片づき次第あとで合流します」

「そうですか。ご協力ありがとうございました。お待ちしています」

 阿礼の丁寧なお礼に再び一礼すると麻鈴は階下にある定休日の自分の店へと入って行った。


「さあ行くわよ、サリー!」

 シャッターの降りている薄暗い店内から竹箒を取り出すと使い魔のサリーを乗せて大空高く舞い上がった。 

「ミニスカートに竹箒はちょっと大胆ね」と笑う麻鈴。

「けっ」と言ってから、興味なさそうにサリーは「さっさと多摩川駅に向かえよ」と指示を出した。



☆黒魔術 vs 白魔術 -蝋の香りとプルースト効果-

 店の入口に鍵をかけてアヤが駅に向かう。洋装もなかなかのファッションセンスだ。シックな色合いのワンピースに日傘で多摩川駅に向けて歩き出した。そう、逢野探偵事務所に向かったのだ。

 それを見届けると、麻鈴とサリーは魔法を使って壁を通り抜ける。うさんくさい黒魔術の香りが辺り一面を被っている。

「うわあ、何この匂い。蝋燭を燃やした匂いに黒魔術の悪臭が溶け込んでいるわ」

「覚えておけ。黒魔術の匂いはこんな感じだ」とサリーも強烈な匂いに頭を振って嫌そうな顔をする。

「さっさと始めましょう」

 麻鈴はそう言うと懐から瓶を出して床の一面にどばどばと水をまきはじめた。

 見る見るうちに床に描かれた魔法陣が消えていく。それと同じくして黒魔術特有の匂いも消えていく。すると食品衛生責任者の札の名称も『黒井アヤ』に変わった。何もかもが黒魔術で作られた嘘っぱちの世界というのがすぐに分かった。

「よし、これで良いか」と言って麻鈴は満足そうだ。


 すると厨房の向こう側、店の入口から声がした。

「お待ちしていましたよ。農園の時はお世話になりました。余計な事をして頂き光栄です」

 その声に麻鈴とサリーの顔は強ばった。そして麻鈴は護符が入ったペンダントのロケットをギュッと握りしめた。

半開きの扉の向こうには、黒い服を着た保土ヶ谷家での一件でも出てきた保土ヶ谷鶴海、あの時の男が半分だけ身体を入れようとして止まった。聖水の効力で彼はこの店に入れないのだ。麻鈴たち側は彼に面識はないのだが、彼のほうは麻鈴たちの存在は知っていた。

「またしても邪魔してくれましたね」

 上半身だけ店内に入っている姿で負け惜しみを言う鶴海。


「魔法陣は聖水で流して消しました。これでこの店にはあなたの痕跡はありませんし、アヤさんがここに入っても、もう今後あなたのことなど忘れているし、親戚とも思わないはずです」

「余計なことを……。あと一歩だったのに。その聖水の匂い、覚えがあるぞ。記憶が一致した。お前、サマンサの一門だな、ちっ!」

 黒服の男、鶴海は舌打ちをする。

「どんな目的でアヤさんと冷藤さんに近づいたんですか?」

 男は小さく、

「お前には関係ない」とだけ言って、呪文を唱え始める。

「えごえごあざらぐ えごえござめらぐ……」

 彼の呪文と同時に建物と部屋中が急にいばらの森に被われ始める。

「まずい! 麻鈴、あいつ黒魔術の呪文を始めたぞ! リターン・スペルだ」とサリー。

 すかさず麻鈴は、あらかじめサリーに教わっていた黒魔術よけの返し呪文を唱える。この呪文は黒魔術の法力を無力化する魔法だ。既に十九世紀には黒魔術の封じ込めは済んでいるため、魔法使いに黒魔術は効かない。

「あばぐらだらりん ぐたぐらまがじん……」

 そのスペルを唱えるとたちまちトゲに溢れた森が全て消えてしまった。


「ちっ、祓いの呪文か」

 鶴海はさめた顔でドアを乱暴に閉めると立ち去ろうとした。その間際に彼は「もう、こんなもの役に立たない。用済みだ」と言って、あの『綱島温泉文学』の冊子を店内の床に投げつけて去って行った。おそらくアヤからだまし取ったモノだろう。


『どうでも良いが、改めて考えると、エコエコアザラクとアバクラタラリンってどっかで聞いた呪文だな』とサリーは二人の戦いを渋い顔で見ていた。(※)


 直接対決が終わると、麻鈴はへなへなとその場に座り込んでしまう。

「ふええ。怖かったよ」と気の抜けた独り言だ。

 サリーは優しく点頭する。

「よくやった。とりあえずこれでアヤさんに渡されるはずの財産は全て彼女の元に譲られる」と珍しくサリーからの褒め言葉だ。

「珍しいわね。サリーが私を褒めるなんて」

「今回はそれぐらいの偉業を達成したって事だよ」

「なるほど」と言ってから、またヘナッと横の椅子の背もたれにもたれかかった。


「今回の事件、日記には『邪悪な黒魔術ごときでは、老夫婦二人の清らかな愛を妨げることは出来なかった』と書いておくわ」と気怠そうに麻鈴。

すると彼女の頭上に登って、

「ついでにサリーの準備周到さはカルカン五缶分に匹敵した、とでも加えて書いておけ」と髭を誇らしげに伸ばしながらサリーはネコの分際でニヤリとマウントを取っていた。


☆フィナーレとトランプ

「こんにちは」

 石川町の駅前、根岸線の音が聞こえる雑居ビルの二階にアヤは着いた。折りたたんだ日傘を片手に事務所の中をのぞき込む。

「いらっしゃい」と迎えたのは阿礼と安間朗だ。

「まあ、逢野先生。お久しぶりです」と懐かしさからアヤは頭を下げた。

「いやご無沙汰しているねえ。お懐かしい」

「車をご用意しています。今から旧冷藤旅館に移動しましょう。あなたに渡す予定のミュシャのリトグラフも車に積んでいます」

「まあ、あのリトグラフかしら?」

「そうですよ。冷藤君ご自慢の」と笑う阿礼。

 アヤは安間朗にも「先日はありがとうございました」とお礼を言う。

「いえいえ」と月並みの返事を発する安間朗。

「この探偵さんは、実は先生のご子息ですか?」

 アヤの問いに「ええ、ほんの愚息ぐそくでございます」と笑った。

「おそらく、旧冷藤旅館の客室『冬の間』に土地家屋の権利証が置いてあるはずです。私の推理が正しければ……。あの旅館の二階の四部屋はもともとミュシャの四季がそれぞれ一枚ずつ飾ってあったんです。階段の前、手前から春夏秋冬の順で。一番奥の部屋には『冬』のリトグラフのダミーが飾られていたんですよ。もちろん最初から今日のこの日を見越して、彼はあなたのために、隠し場所を『冬』のお部屋にしたんです」

「なぜ?」とアヤ。

 阿礼はあの紙をアヤに見せて、

「あなたのもとの源氏名は春秋常夏しゅんじゅうじょうか、冬が入っていないんですよ。このトランプの中にあるジョーカー四枚の冬のイラストの後ろに『綱島温泉宿に権利書』と書いたメモ書きが隠してありました。あの部屋に飾ってあったのがこのトランプカードに描かれた『冬』。だから『冬の間』に向かうのです。そう言うことです」

 問題の冬のジョーカーカードをアヤに見せる阿礼。

「まあ、あの人と三島さんが好きそうな悪戯ですわねえ」と手の甲で口元を押さえながら笑みを浮かべたアヤ。本当に懐かしそうだ。そして彼女がとても心から冷藤加凍吉を愛していたのが分かる言葉と表情だった。

「二人で楽しげに相談しているのが目に浮かびますね」と阿礼。

「本当にいくつになっても子どもみたいな人なんだからカトさんたら……」

 呆れながらも故人に愛情を見せる昭和美人。どうやらこのお騒がせな一件もそろそろ幕引きである。

「おひとつ、お訊きしても良いですか?」とアヤ。

 ハンドルを握る安間朗に訊ねた。

「はい」

「その荷物の中に『綱島温泉文学』という作家同人誌は入っていましたか?」

「ああ、ありましたよ」

「よかった」

「そんな価値のある大切な物なんですか?」と安間朗。

「ふふふ」と笑って、嬉しそうなアヤ。そして「世間的には何の価値もない私的な出版物なのですが、カトさん、いいえあの人と私にとっては思い出の品なんです。私の持っていた一冊はお店に置いておいたらどこかに行ってしまって、亡くなる三ヶ月ほど前にカトさんに尋ねたら、じゃあ自分の持っている一冊は君に贈ろう、って言ってくれてね」と加える。

「お二人には価値があると?」

「はい、あの人が同人仲間の作家さんとあの雑誌を作り始めたときから、芸術に目覚め始めましてね、それまでの温泉旅館業から画材店に商売の鞍替えをするキッカケになった記念の、思い出の品なんです」

「なるほど、そう言うのって金銭的な価値ではなく心の問題ですからね」

 分かった風に安間朗は言う。

「ええ」

 その言葉に重みがあり、しばらくの余韻と間が車内に残った。

「そう、「冬」のレプリカの額縁の裏側にきっと権利証は入っています。綱島に着いたらあの部屋に行ってみますか」と阿礼は旧友が愛した女性に笑顔を向けた。


 そしてちょっと格好つけていた我が子に難癖をつけたくなったのか阿礼は茶化すように言った。

「それにしてもやっさん。今回は何一つ謎を解けなかったなあ。あのお嬢さんに頼りっぱなしじゃないか。お前さん、本当に探偵か?」と阿礼。ケラケラと笑っている。

「いつものことだよ」

 そう言ってムスッとしながらハンドルを握る安間朗。


 彼は今宵もまた仕事上がりに事務所ビル隣の縄のれんの居酒屋で、悲しみの一人酒を楽しむのが決定事項となった。


    了



☆付録 脚註(説明註)

※『奥様は魔女 英名(Bewitched)』

1960年代から1980年代にかけて、局を変えながら再放送が繰り返された人気TV番組。エリザベス・モンゴメリとディック・ヨークによる夫婦の掛け合いが愉快な作品。ボケ役の脇役たちも味のある演技で好評を博す。出版分野でも『週刊マーガレット』(わたなべまさこ画)や『なかよし』の付録別冊などでコミカライズされているというから当時の人気の度合いが分かる。



黒魔術くろまじゅつ・こくまじゅつ

読み方は文献や作品によってまちまちで「くろまじゅつ」というものもあれば「こくまじゅつ」と読ませるモノもあるので、本作は『どっちでもよい』派である。(そこまで真剣に魔法に興味ない・笑)黒の意味するところから悪意のある魔法とされていて、本邦の呪いの藁人形や縁切り寺などの怨恨模様のはけ口とされた魔法呪術である。


※ドリフのコント

基本的に意味もなく天井からタライや一斗缶が落ちてきて、ガンという音とともにコントのオチに使われた。今ではコントの古典技法になっている。


※アクロスティック(Acrostic)と折り句

簡単に説明すれば言葉遊びのような文学技法。

例として、

「初霜が降りる頃に

 夢見る乙女は

 一番のりでこたつに入る

 月末の寒さを乗り切ると

 二月の春の兆しを感じる

 日差しは暖かい」

というエッセイ詩歌があれば行頭の文字だけを読むと別の文章が隠れており、「初夢一月二日」というメッセージが読み取れる。このような読み順や読む方向を変えて別の意味を持たせたモノ。

 本文中でも触れたが十九世紀ヨーロッパのエンゲージリングには、アクロスティックリングといわれる種類のエンゲージリングが存在したほど一般的なモノだった。


※エコエコアザラクとアバクラタラリン

「エコエコアザラク」は1970年代後半、『少年チャンピオン』(秋田書店)連載の古賀新一著、怪奇マンガ「エコエコアザラク」の主人公黒井ミサが操る黒魔術の呪文。一方の「アバクラタラリン」のほうは1977年頃のドタバタ喜劇のTV特撮番組『5年3組魔法組』(NET系)で登場する呪文。ちなみに作者も同時期五年三組だった(笑)。どちらも一応本文中では濁点をつけることで、直接の使用を避けてパロディー兼オマージュ化してみた。

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