幸福時間
三題噺もどき―よんひゃくにじゅうきゅう。
柔らかな香りが鼻をくすぐる。
窓際にある、お気に入りの場所。
小さな机と、ほんの少し大きめの椅子。
ぼうっと眺める空には、月が浮かんでいる。
「……」
机の上には湯気の立ち上るカップがふたつ。
中には、綺麗な琥珀色が広がっている。
1つは私のもの。
「……」
もう1つは。
妹のもの。
その妹はと言うと―
「―お姉ちゃんの部屋寂しすぎん?」
と、余計なことを言いながら、こちらへと戻ってくる。
片手にひざ掛けをもって。
「…別に今に始まったことじゃないでしょ」
適当に事実を返しながら、ひざ掛けを受け取る。
自分で取りに行った方がよかったのだが。
あいにく動けない。
「……」
私の膝の上で、小さな寝息を立てている子供がいるから。
「……」
妹の息子、私の甥っ子だ。
猫のように体を丸めながら、器用に眠っている。
この姿勢きつくないのかと思うのだが……普段でもこの姿勢で眠ることがあるらしい。
まぁ、眠れるのならそれに越したことはないが。
「――は寒くない?」
「ん?うん、へーき」
そういいながら、机を挟んで座る。
温かな紅茶を口に運び、ほうと息を吐く。
ようやく気が抜けたと言う、そんな感じに見えた。
「……」
そんな妹を見やり、さらりと甥っ子の髪を撫でる。
小さな寝息を立てるその姿に、愛おしさがあふれてくる。
ありもしない母性がくすぐられるのは、なぜなんだろう。
「……」
紅葉のような小さな手を、緩く握りしめている。
最近、ようやく指しゃぶりをやめたのだと妹が言っていた。
しかし無意識なのか、その手が口元にあるのが何だか可愛らしい。
「…ぁ、そうだ」
確認しようと思っていたことを思い出し、小さく声が上がる。
目の前の妹がきょとんと首を傾げ、何事かと手に持っていたカップを置く。
―実のところ、今日はこうなる予定ではなかったのだ。
「旦那さんに連絡した?」
「ん?あぁ、したよ」
大丈夫だって、今日元々泊りだったし。
そういいながら、また一口紅茶を飲む。
まぁ、それならいいのだが。
「……」
今日は確かに、甥っ子と遊ぶ約束はしていたのだ。
この家に来て、ずっと言っていた折り紙をしようという約束を。
沢山の色紙を持って、楽しそうにやってきた。
「……」
色とりどりの紙を広げて、あれを作ったりこれを作ったりと。
小さな手で、たくさんのものを作り上げていくのだから、器用だなぁなんて思ってみたりした。凝り性なのか、きちっと折り目をつけたりする辺り、妹に少し似ていた。
「……」
それから一緒にホットケーキを焼いてみたりもした。
数年ぶりに食べたホットケーキは、甘くてやわらかくて温かかった。
思わず泣いてしまいそうになるほどに。
「……」
その後にまた少し遊んだりして。
夕方ぐらいになって、そろそろ帰ろうかというタイミグで。
甥っ子がぐずったのだ。
「……」
こちらとしては、にやけが止まらないのだが。
帰りたくない、もっと遊びたい、泊まりたい、帰らない。
子供のワガママは何とも可愛らしいなぁ……なんて思えるのは親じゃないからだろうか。
「……」
とまぁ、普段ならそうワガママを言っても、帰るのだけど。
妹だって仕事があるし、家族と居られるのなら、そうした方がいいと常に言っているので、帰すのだけど。
「……」
珍しく、妹は明日も休みだと言うし。
旦那さんは泊りだと言うし。
甥っ子はもう頑として動かないし。
―で、こうして現在に至る。
「……」
温かな紅茶の香り。
暖かな人の温もり。
穏やかなあの時間。
「……」
こんな日々が続けられるように。
幸せな日々が当たり前になるように。
しっかりとしなくてはなぁなんて。
改めて思うのだった。
「お姉ちゃんお菓子ないの?」
「知らんわ勝手に探せ」
こういう空気が読めない所は誰に似たんだか。
お題:月・紅茶・紙