32話 フェリーシアの運命
フェリーシアも皆、一瞬、目の前の状況が把握できなかった。騎馬隊はカルレン公に迫るため、民衆を蹴散らしそうとしている。民衆は騎馬隊を囲み、槍や棒で襲いかかっている。また距離を置いて投石している者もいる。そうやって殺し合っている一団が、みすぼらしい服に身を包んだカルレン公たちに迫っているのだ。
おそらく騎馬隊は、今は空しい王命を受けていたのだろう、カルレン公を狙っている。そして民衆は騎馬隊を襲い、その馬や銃剣、鎧を奪い取ろうとしているのだ。
「そいつは公爵野郎だ! おまえらはどけ!」
騎馬隊の隊長らしき男が叫んだ。しかし、怒号と叫び声で言葉はかき消される。
横道やほかの通りから、衝突を聞きつけた民衆や軍兵がおのおのの思いで駆けつけてくる。だんだんと戦闘が激しくなっていく。投石する人々は少しずつ後退しながら、周囲にある武器になりそうなものを手当たり次第に持ち始めた。軍兵は弾が切れると銃剣を振り回し、剣先で人々を刺しまくっている。
フェリーシアたちがいる店にも人々がなだれ込んできた。目を血走らせ、箒や瓶や武器にもならないであろうものを片っ端から掴んでいく。
カウンターから出ていたフェリーシアたちは、ここでじっとしているのは危険だと判断し、店の外に出た。カルレン公に近づきたかったが、いったんは反対側に退避せざるを得ない。フェリーシアを追うようにヒースロックとバーグもあとに続く。
店の前では三人の軍兵が銃剣を振り回していたが、多勢に無勢、逆に刺された人ごと押し倒され、踏みつけられた。フェリーシアはその隙間を抜け、後方に逃げようとしたが、誰かに腕を掴まれ引っ張られた。ヒースロックはフェリーシアを守ろうとしたが、後ろから頭を瓶で殴られた。逆に動く者に、誰かれかまわず反射的に攻撃を加えているのだ。皆、雄たけびを上げつつ、興奮と狂気に支配されていた。
フェリーシアは、急に目の前の情景が、白黒に変わるのを感じた。そして、現実味がなくなった。目を開けているはずなのに、なぜか走馬灯のように昔の情景が浮かんでくる。お父様、幼いころ世話になった侍女、コロントンの学友たち、そしてリルネ。リルネ、、、もう一度会いたかった、リルネ。フェリーシアは自分の最期を悟った。
と、その時、地面がバリバリと軋んだ、、かと思うと大きく揺れ出した。殺し合っていた人々は地面の揺れにバランスを崩した。そして空が暗くなった。
地面の揺れで、人々の狂気は恐怖へと変わり、皆、怯え始めた。いったい何が起きているのか、誰もわからない。人々の叫びは狂気から恐怖へと変わっている。銃剣を振り続ける者、叫び続ける者、腕が落とされていることに気づかず肩を振り回している者、腰を抜かして立ち上がれない者、、、その場は、阿鼻叫喚の様相と化している。
そして、すべての動きが止まった、、いや、時が止まった。それは、フェリーシアだけに感じられた。空が暗くなっていく中、周囲の人々の動きがピタリと止まってしまったのだ。人々は静止したまま全く動かない。この世にフェリーシアだけが取り残されているようだ。そんな、すべての動きが止まっている中で、空だけは変化し続け、その暗さを増している。そのうち、空のある一点に異様な渦が生じ、それはだんだんと大きくなり、そしてその渦の中から何かが現れた。
その時、止まったと思われた時間が、また動き始めた。人々の叫びと怒号がフェリーシアの耳に届く。大地の揺れは止まっていた。しかし今度は、風も何もなくなった。空気の動きがピタリと止まってしまっているのだ。叫んでいた人々も、異様な空気の静けさに押し潰され、声を発することができない。周りは濃い静寂に包み込まれている。
空では雲が渦巻き、渦の中心から出現した物体がはっきりと人々の目にも見え始めていた。「それ」は竜のようでもあり、人のようでもあり、神のようでもあった。人々は静寂の中で高く上空に浮かぶその物体を見ていた。
フェリーシアは、時が止まっていた間、「それ」が渦から出てくるところをただ一人見ていた。そして「それ」が誰だかもわかっていた。と同時に、フェリーシアは自身の身体が、ミシミシと軋むように痛んでいた。
≪戦いをやめよ。振り上げた手を下ろせ≫
「それ」はそう言った。そう言ったように人々の頭の中に響いた。
≪この国は導かれる。それまでは沈黙を守れ。これが証しだ≫
声がそう響くと、「それ」は腕を振り上げ、そして強く振り下ろした。
すると、止まっていた空気の流れが再び激しく動き始めた。そして、遠く街の向こうで巨大な黒い柱が、その身を震わせ動いているのが見えた。それは竜巻だった。竜巻が木々を飲み込み、上空に巻き上げながら、その規模をどんどん大きくさせ、こちらに向かって来ている。
人々は恐怖を感じながらも動くことができない。ある者は泣き出し、ある者は拝み始め、ある者は懸命に祈っている。誰もそこから動くことができなかった。
ただフェリーシアだけは、全身が軋む痛みに耐えながら、叫んだ。
「あそこはどこ、あそこは何!」
近くにいたバーグとヒースロックが反応したが、フェリーシアが何を言っているのか、何を言おうとしているのかわからない。
「あそこはどこなの! あの下には、水が、水があるはずなの!!」
バーグは懸命に、空に浮かぶ物体の下あたりを目測で捉えた。
「河がもう一つの河と合流する湖のあたりです」
それを聞くとフェリーシアは、近くにあった騎馬隊の馬の手綱を取り、それに飛び乗って駆け出した。バーグとヒースロックも、どうにか正気を保って身体を動かし、近くの馬をつかまえフェリーシアの後を追った。
その間にも、竜巻はすごい轟音を響かせながらこちらに向かっている。フェリーシアはその竜巻に向かうような形で馬を走らせている。
空の「それ」は手で竜巻を誘導していた。竜巻が市街地近くまで来ると、街の中心から少し方向をずらし王宮に向けた。王宮は石造りで竜巻によって飛ばされることはないが、木材部分や庭や池や大地は壊滅的なダメージを受けるだろう。人々は固唾をのんで、竜巻の行方を追っている。
その間もフェリーシアは、竜巻に目もくれず、一心に、上空にいるリルネの真下地点へと馬を走らせた。リルネは水の上で気圧をコントロールしている。おそらく竜巻を目的物に当てたら、身を守る術なくそのまま落下する。フェリーシアの身体が軋んでいるのは、リルネに起こっていることに一部同調しているからだ。彼女がこの地の気脈を総動員させているが、神仙峯とは何かが決定的に違っていて、彼女は無理やり気脈をコントロールしている。その痛みがフェリーシアにも伝わってきているのだ。
竜巻はまっすぐ王宮に進み、それを飲み込んだ。地の揺れがあったせいで、王宮の壁は傾いていた。そして竜巻がそれを飲み込み、壁石のいくつかを崩した。庭も池もその周辺すべてを飲み込み、上空に巻き上げた。そして竜巻はそこでおさまった。宮殿は、形は残したが、壁はあちこち崩れ落ち、大地はその原型をとどめていなかった。人々は竜巻の風圧に押しつぶされながら、その一部始終を、それぞれの場所で見ていた。
もっと速く、もっと速く、もっと速く走って!
リルネが腕を強く回し、何かに当てようとしているのがわかった。
フェリーシアは後方で動いている竜巻には一切関知せず、リルネだけを見ている。
ああ、もう終わろうとしている、、、彼女が力尽きる。もっと速く走って!
リルネが、手を上げた、、ひねって、、回した、、、そして、、、、、、、下ろす、、。
リルネは、宙で揺れたかと思うと、そのまま落下し始めた。フェリーシアには、、竜巻がどこへ行ったのかなんて関係ない、、。リルネを助けないと、私を助けに来てくれたリルネを助けないと!
その一心で彼女は馬を駆ける。
目の前が開け、河の支流が湖に注ぐ地点が見える。もう一つの河はそのまま湖に流れ込み、湖はダムのような役目をはたして、本流へと再び水を運ぶ。
リルネが湖に落ちるのを見た。
フェリーシアは、馬を湖の畔まで走らせ、落下の波がまだ収まらない、その波紋の中心に向かって飛び込んだ。
リルネ! リルネ! リルネ!
フェリーシアは、心の中でずっとリルネを名を呼んだ。リルネからの返事はなかったが、ずっと呼び続けた。
水の中、数メートル先に水中を漂うリルネを見つけた。
リルネのところまで必死に泳ぐ。フェリーシアはリルネをつかまえると、水面に向かって、手足を懸命に動かした。水圧で耳がおかしくなりそうだが、それも気にならない。リルネを抱え、水面だけを見て泳ぐ。
水面に到達すると、すぐにリルネの顔を水面上に上げて、岸に向かって泳ぐ。
リルネが息をしているのかどうかもよくわからない、、ただ、早く岸まで行って、、早く岸に上げて、、呼吸を取り戻させないと、、。
岸でバーグとヒースロックが、馬から下りてこちらに向かって飛び込んでいるのが視界に入る。
フェリーシアは何も考えられず、ただ必死に手足を動かし、リルネを岸まで運ぼうとした。誰かの腕がフェリーシアを支えるのが感じられる。それと同時に、リルネの身体を誰かが取り上げようとした。瞬間的にフェリーシアはそれを拒んだが、フェリーシアを支える手が、安心して放すよう合図している。そこでフェリーシアは、気を失った、、。




