7話 デュッセルン村 その1
3人はフェリーシアを真ん中に馭者台に並んで座った。
シモンは気のいい農夫だった。作物の収穫具合や領主のことなどいろいろな話をしてくれた。そのうち自分の家の窮状まで話し出した。
「この間、下の娘が腹痛を起こしてなあ、、村医者にみせてもお手上げだと言いなさる。わしはもう娘はだめかと思ったよ。そしたら、ちょうど村にいた旅人がうちの娘の話を聞いて、わざわざ訪ねてきたんだ。自分は医術を学んだ者だからちょっと診させてくれと言ってな。その青年は娘の脈をとって、それから舌を見たりして、それで、カバンの中から薬を取り出した。それを娘に飲ませて『今夜この高熱を越えられればもう大丈夫、娘さんは元気になりますよ』と言うんだ。わしゃ、祈る思いで看病したよ。そしたら明け方近く、娘の息が楽になっているのがわかった。ああ、助かったと思ったよ」
「すごいわね、、その旅人さん。その人はまだ村にいるの?」
「ああ、おるよ。わしらのうちにおる。わしらがもう少しいてくれと頼んだんだ。村医者もその青年からいろいろ教わってる。でもちょっと変わった人で、、何と言うか、、旅人なのに世間知らずというか、、何とも不思議な青年なんだよなあ」
小さな森をいくつか過ぎて、なだらかな丘に出てきた。前方には広大な田園が広がっていた。右手奥の丘の上には領主の屋敷が見える。馬車はなだらかな丘の斜面をゆっくりと下って行った。
シモンは自分の家の前で馬車を停めると、大きな声で叫んだ。
「おとうが帰ってきたぞ~~!」
すると、家の中でけたたましく声がしたかと思うと、ドアがバタンと開き、子供たちが飛び出してきた。
「お父さん、おかえんなさ~~~い!」
3人の子供たちが馬車から降りるシモンに飛びついてきた。
「いい子にしとったか。おかあの言うことよく聞いとったか」
「あたしはずっといい子にしていたわ。でもヨナはずっと騒いでいたのよ!」
「そんなことないもん! あたしもいい子にしてた! 騒いでいたのはラディよ」
子供たちは先を争ってシモンに話しかけてくる。シモンが子供たちの頭をなでながら、はしゃいでいる3人の顔を見ていると、ドアから幼い娘を抱いた女性が出てきた。
「さあさあ、お父ちゃんを家に入れてあげなさい。あら、お客さんかい?」
彼女はフェリーシアとリルネを見て、にこりとしながら言った。
「ああ、ハンナ。こちらはサックセン東の端っこの食堂で会ったのさ。クロイチェンまで行きなさるらしいが、馬も馬車もなく困っとったんで、荷を運ぶついでに送ればいいと連れてきたよ」
「あらそうなの。うちは子どもたちが騒がしいけれど、よかったらゆっくりしていっておくれ」
そう言うと、シモンの荷物を取り、フェリーシアとリルネを家の中へ招き入れた。
「ねえ、お姉ちゃんたち誰なの?」
「どっから来たの?」
「どこへ行くの?」
子どもたちの矢継ぎ早の質問に、リルネもたじたじとなってしまった。
「あ、え、、私たちはね、フレンクランに行く途中なの」
「へえ~、フレンクランってどこにあるの?」
「何しにいくの?」
フェリーシアにSOSを送ろうとしたら、彼女は肩をすくめるだけで、目を反らされてしまった。
「え~と、フレンクラン、にはね、そうそう、大祝祭を見に行こうかなあ、、と思っているの」
もう口から出まかせを言った。
「あら、大祝祭にいくのかい?」
子供の声にまぎれてハンナが反応した。
「えっ、あっ、はい、、、」
「そりゃ、うらやましいね。あたしも一度行ってみたいもんだよ。今回の弁競演会は、うちの国のレフトゥル先生が出るっていう話じゃないの。応援に行きたいね」
「はっはっはっ、おまえが応援に行かなくとも、レフトゥル先生は勝たれるさ」
シモンが馬を小屋に入れて、家に入ってきた。
「そうだね、レフトゥル先生が勝つねぇ、、ああ、わくわくしてくるわ!」
ハンナは話に夢中で、ずっと手に持っていたお茶をやっと渡してくれた。
「シモンさん、ハンナさん」
ドアの外から若い男の声が聞こえた。
「ああ、ヨハンさん、お入りなさいよ」
ハンナは座ったまま声をかけたが、ドアがいっこうに開く気配がないので、立ち上がってドアを開けた。ドアの外では若い男がニコニコしながら土塊を持って立っていた。両手の土塊からは小さな芽が出ていた。
「これ見てください! 芽が出てきたんです。ここでも育つんですね!」
「それは何の芽だい?」
「はい、こっちはアカシバナという薬草の芽です。この草は葉を煎じて飲むと熱さましになるんです。そしてこっちは薬味の植物の芽です。東の国で栽培されている香辛料の一つなんです。ここで栽培できるかと試してみたんですけど、芽が出てきました!」
ヨハンは無邪気にそれを二人に見せた。シモンもハンナもこんな小さな芽を見せられても、、といった感じだった。
「それが、薬になるんですかい?」
「そうなんです! でも、それだけではないんです。もしかしたら、この村の生活が少し楽になるかもしれませんよ!」
ヨハンは線の細い、一見すると弱々しそうな感じの青年だった。旅人のわりには顔も白く日焼けした様子がない。しかし目はきらきら輝いており、髪はリルネと同じ赤朽葉色だった。
ヨハンはそれを菜園に戻しに、またすぐ出て行った。
「最近、カールの牛小屋の裏に菜園を作っていたが、あれを育てていたんだな。それで、あれは本当に役に立つんかな?」
「あんたバカだね、、。あれでいろいろな病気を治すのさ。ヨハンがここを出ても皆が薬を使えるようにと思って、してくれているんだよ」
馬車で聞いていた旅人があの青年だったとは、いささか拍子抜けではあったが、確かに不思議な雰囲気を持つ青年だった。
「お二人さん~、お起きよ。夕食ができているよ」
小さな内職部屋で休ませてもらっていたフェリーシアとリルネは、ハンナの声で目が覚め、部屋から出て来て食卓についた。
シモンが食前の祈りをして、みな食べ始めた。
「私たちは、東の山岳地方から出てきたばかりなのだけど、これからフレンクランへ行って、その後、エッジスタートまで行こうと思っているの。あなたはどちらから来たの?」
簡単な挨拶をすませたフェリーシアはヨハンに聞いた。
「ボクは気ままな一人旅をしています。エッジスタートにも行ったことがありますよ。あの国は平和でいい国ですね」
「さっき、両手に持っていた薬草は、珍しいものなの? 私、あまり見たことがないわ」
リルネもヨハンに興味津々だった。おばあさんの菜園にはたくさんの薬草が植えられていたが、さっきヨハンが見せてくれた薬草は見たことがなかった。
「二つとも東の国の植物です。東の国々は医術や食文化で独自の発展をしていて文化水準も高いんですよ。貿易商が少しずつこの大陸に持ち込んで来ているようですけど」
ヨハンはこの大陸だけでなく東の国にまで足を伸ばしているらしい。リルネは、もしかしたらこの人は汽車で青年が言っていた白バラ十字団ではないか、、なんて思い始めていた。彼が言っていたのとだいぶイメージが違うけど、、。
「そうそう、、さっき話してた、この村の生活が少しはよくなるかもっていうのは、何のことだい?」
ハンナは草の話よりそっちが聞きたかった。
「はい、、薬味用植物のことです。なのですが、、、他の人たちにはまだ言わないでください。うまくいくかどうかわからないので、、」
「ええ、もちろんよ!」
「あの草は、東の国で料理に使われている香辛料です。まだ王侯貴族たちの間にしか広まっていないようですが、そのうち大商人を介してどんどん広がっていくでしょう。それがもしここで栽培できたらすごいと思いませんか。でも心配なのは、領主に見つからずに栽培できるか、、ということなんです。もし領主が香辛料の存在やその価値を知れば、それを独占しようとするでしょうから、、」
「もうこれ以上、領主様に持っていかれるのはごめんだよ。今だって毎年払う税金が高くて、、あたしたちは頭を抱えているんだからね」
「そうですね、、この村の税金は少々高いように思います。それで、ボクなりに考えたみたのが薬草と薬味用植物の栽培なんです。栽培は各家に菜園のような形で作ればいいと思います。ボクは目立たないよう、カールさんの牛小屋の裏手に菜園を作って栽培をしてみました」
「そうさね、、カールの牛小屋は臭いがひどくて、人が好んで入って行くとこじゃないからな、、」
「最初は芽が出るかどうか、、初めてだったので心配でした。しかし今日見たら、立派に芽が出ていました。これがうまく育ってくれれば、よい収入になりますよ」
ヨハンは真剣な顔だったが、シモンとハンナは、彼の真剣さに神妙になってはみたものの、何のことやらさっぱりわからず、ぽかんとしていた。
リルネとフェリーシアは彼の言わんとすることを理解はしたが、聞かずにはいられなかった。
「この薬草や香辛料の種は、どこから手に入れたの?」
「種は、旅の途中で出会った人から偶然もらいました。ですので、栽培もここでするのが初めてです。暖かい地方で栽培されている植物なので、ここではどうなのか、まだ手探りですが、、、」
「そうなると、あなたがその栽培作業を続けなければならないのね、、、」
「はい、そうなります。育苗作業と管理、そして実を結ぶまで、すべてが試行錯誤ですから。領主に隠し通せるものなのかわかりませんが、ただ、何もしないでいるよりはやってみなければ、、と思いました。何か問題が起これば、その時は、よそ者のボクが悪かったということにすればいいのですから」
ヨハンは線が細く弱々しいイメージなのだが、語る内容は頼もしく、、彼の顔は興奮からか少し赤みがさしている。
彼の言葉にリルネは感動してしまった。通りすがりの村で、村人の窮状を目にしたとはいえ、ここまで献身的になれるなんて、、。リルネにはますますヨハンが、あの噂の白バラ十字団に見えてしまうのだった。
夜も更け、寝支度を始めた。この家にはダイニングと家族が寝る部屋、そしてさっきリルネたちが休んだ内職部屋の3つしかない。リルネはヨハンの寝ていた部屋を自分たちが占領したのではないかと思い、シモンに聞いた。
しかしシモンは、
「わしらもあの小部屋を使ってくれと何度も言っとるんだが、狭い部屋ではよく眠れないって言って、ずっとここで、毛布を敷いて寝てるんだよ」
そう言った。そこに、外で手足を洗い終えたヨハンが、ちょうど入ってきた。
「ボクは狭い部屋が苦手で、かえって眠れないんだよ。どうぞ、ボクに遠慮しないで中で休んでおくれよ」
ヨハンはそう言うと、ダイニングの隅に畳んであったゴザと毛布を取り出した。フェリーシアが狭いところが苦手で部屋が使えないのなら、ドアを開けっ放しにしたらどうかと言ったが、彼はそれを丁寧に断り寝床を作っていった。
リルネとフェリーシアも内職部屋に入って横になった。
「ねえ、ヨハンって、もしかしたら汽車で言っていた、あの白バラ十字団じゃないかしら、、、フェリーシアはどう思う?」
「う~ん、そうね、、それに関しては何とも言えないけれど、、、私は、どちらかと言うと、エッジスタートの人じゃないかしらと思ったわ」
「えっ、エッジスタートの人? どうして?」
「う~ん、まだ、これといった根拠はないのだけれど、、、」
フェリーシアでも根拠のないことを言うんだなと、リルネも根拠のない決めつけをしつつ自分の想像を膨らませた。そのうち二人とも寝入ってしまった。
翌朝、リルネとフェリーシアが起き出した時には、すでにヨハンの寝床は片づけられており、彼は外でシモンと一緒に馬の世話をしていた。
シモンは今日、村長の家に行くことになっていた。数日前にあった村の集まりに行けなかったため、話を聞きに行かなければならないのだ。普段であれば、集まりに顔を出さなかったくらいで、わざわざ村長の家まで行く必要もないのだが、今は事情が違った。ヨハンがいるためだ。シモンはヨハンと村人たちとのパイプ役になっていた。村人の中にはよそ者を警戒する者もいて、ヨハンが村に長居するのを好ましく思わない者もいるのだ。
村長はヨハンを信用していた。それは村長もヨハンに助けられた一人だったからだ。
村長には原因不明の腹のもたれがあった。それは年と共にどんどんひどくなり食欲も落ちてきていた。それでヨハンに診てもらった。
ヨハンの治療方法はとても珍しいものだ。まず村長を下着一枚にさせてうつぶせにする。そして背中をさすりあちこちを押し始める。それからカバンの中から布包みと液体の入ったビンを取り出す。布包みにはいろいろな長さの針が入っており、その中の1本を取り出し、ビンの中にしばらくつけた後、水気を払って、それを村長の背中に突き刺した。
一緒にいた村人たちは驚いて「ああっ!」と叫んだ。村長はみんなが叫ぶのを聞いてびっくりして、みんなの顔を見上げようとしたが、ヨハンが「動かないように」と言って村長を押さえた。
「村長さんや、、背中、痛くねえか?」
村人たちはおそるおそる村長に聞く。
「痛い? 別に痛くはないぞ。こそばゆい感じはするが…」
「おっ、おう、、村長が痛くねえんなら、、いいんだ、、、」
見ている方は痛々しいのだが、本人に背中に針が突き刺さっているとは、とても言えない。
ヨハンは周りの声には一切関知せず、無言で背中のポイントを押さえながら針を打っていった。そのうち数か所のポイントを押さえ、ヨハンは痛いかどうかを村長に聞き、村長がどこも痛くないと答えると、背中に突き刺さっている針を抜き始めた。
「お腹の具合はどうですか?」
起き上がる村長にヨハンは聞いた。
「そうじゃな、、そういえば、腹がすっきりしちょるような、、うん、ん、、ほうっ、重くないわい。腹が重くない! すごいもんじゃのう!」
村長はびっくりしつつ喜んだ。
「また、数日すれば元に戻ったようになりますが、これを何回か続ければ、お腹がもたれることはなくなりますよ」
周りからは拍手が起こった。そしてそんなに効き目があるのならと、「わしは腰が痛い」「オレは首が痛い」と皆が言い始めた。村長はヨハンを村医者に紹介し、診察は村医者の家で行われるようになった。こうして少しずつ村人たちとの交流が始まり、彼らもヨハンに心を開いていった。
しかし村の神父はヨハンをよく思っていなかった。おそらく妬みもあったのだろうが、それと同時に見慣れぬ治療法に異教の匂いを感じ、ヨハンに怖れと不安を覚えていた。
神父は礼拝で名指しこそしなかったが、暗にヨハンを批判した。
「東の国々は、我々の信じる神と違うものを信じている。それは異端の偶像崇拝なのだ」
最初村人たちは、ヨハンのことを言っているとは思っていなかったが、そのうち神父は訪問する先々で、ヨハンのやっていることは異端の神の怪しい術で、汚らわしいものだとはっきりと批判をし始めた。すると村人の間でもギクシャクし始め、ヨハンに対する態度が微妙になってきた。
シモンは朝食を終えると、ハンナに声をかけて、村長の家へと出かけて行った。