6話 サックセン東駅
車掌が各車輛を回り、案内を始めた。
「まもなく、サックセン東駅、サックセン東駅です」
フェリーシアは寝ているリルネを起こした。
「いつの間にかサックセンに入っていたわね。いったんここで降りるわよ。エッジスタートへ行くには、ここで乗り換えて北側の進路を取るほうが早いわ。すぐに出る汽車があるといいのだけど」
フェリーシアは荷台からカバンを下ろして横に置いた。
リルネは目をこすりながら窓の外を見た。そして、その光景に驚いた。
「うっわ~、大きな建物! あっ、4頭立ての馬車!」
眠気も吹っ飛ぶほどの光景が、窓の外に広がっていた。手前には小さな家がびっしりと並び、遠方には大きな聖堂や城が見える。道には大きな荷馬車がゆっくりと走っている。これほどたくさんの人や建物を見たのは初めてだった。
「ねっ! フェル! あの遠くに見えるのは湖かしら? 海じゃないわよね」
海を見たことがないので、見た目の違いがわからない。
「ここはまだ内陸だから、海は見えないわよ。あれは湖よ」
「きらきら光っている! 建物もきれいだし、大きな馬車も走っている。本で読んだ以上だわ!」
リルネは好奇心がうずいて仕方なかった。
汽車はプラットホームに入っていった。他のホームにも汽車が止まっている。
フェリーシアとリルネは荷物を持ってホームに降り立った。たくさんの人が行き来していて、リルネはフェリーシアから離れないよう、くっついて歩いた。
改札を抜け、駅舎内のベンチスペースまでくると、フェリーシアはそこにリルネを座らせた。
「私は連絡を入れてくるから、ここで待っていてちょうだい。決して動いてはダメよ」
そう言うと、フェリーシアは人ごみの中に消えて行った。
リルネはあたりを見回した。前に座っているおじさんは新聞を広げている。背中越しに新聞の記事が見える。目を凝らして見てみると、それは今度開かれる大祝祭の弁競演会の記事だった。今までの歴代出場者とその勝敗、そしてその後の社会への影響などがまとめられていた。よくよく見ると他の人たちもみんな弁競演会の記事を読んでいる。
うわ~、やっぱり都会は違うな、、などと考えていると、いつのまにかフェリーシアが戻ってきていた。彼女は何も言わず、静かにリルネの隣に座った。
「頭を動かさないで、前を向いたままで私の話を聞いてね。誰だかわからないのだけど、私を見張っている人がいるの。実はね、あなたの村に行く途中で、私をつけている人がいたの。おそらくそれと同じ一味だと思うんだけど、、。詳しい話はまた後でゆっくりするわ。まずはここを離れましょう。彼らをまかないといけないわ」
フェリーシアは普段と変わらない口調で言っている、、けれど、、、リルネは緊張した。
「駅舎を出るまでは、普通に歩いて、駅舎を出たら走り出すわ。走るのは得意?」
「はいっ、一応、得意っ」
「オッケー、途中まで手をつなぐけど、ころばないでね」
フェリーシアはニコッと微笑んで、静かに立ち上がった。リルネも一緒に立ち上がり、出口に向かって歩き始めた。つけている人がどこにいるのか知らないけれど、ただフェリーシアの手を強く握り、前だけを見て歩いた。
前方に駅舎の大きな出口と外の大通りが見える。フェリーシアは歩く早さを変えずに、そのままゆっくり出口を抜けた。抜けると同時にリルネの手を握り直し、「さあ、行くわよ」と言って走り出した。リルネも手を引かれながら走リ出した。すると後ろの方で声がして、誰かがこっちに向かって走ってくるのが感じられた。
フェリーシアとリルネは大通りを走ると、すぐに裏道に入り込んだ。そしてもう一度曲がり、大通りに沿った細道をまっすぐに走った。自分たちを追っている男たちも、細道に入ってきた。すぐに二人の背を見つけたようだ、後ろから追いかけて来ているのがはっきりとわかる。
フェリーシアは目の前の路地をまた右に曲がり、大通りに戻る形で走った。そして大通りに出ると、数十メートル先で、荷造りを終え出発しようとしている荷馬車が目に入った。
「あれに飛び乗るわよ」
つないだ手を離し、二人は全速力で走って行った。
荷馬車はすでにゆるく動き始めていた。いくらか余裕を持って荷馬車に追いつくと、フェリーシアはリルネのお尻を後ろから押し上げ、荷台に乗せた。そして自分もすばやくそこへ飛び乗ると、荷物の間に身を隠した。ただ十分な隙間はなく、身体の3分の1は見えている状態だ。
通りではちょうど、黒服の男たちが3人、裏道から走り出てきていた。男たちはきょろきょろしながらフェリーシアたちを探していたが、その中の一人が出発しているこの荷馬車を怪しみ、訝しげに追ってきた。そして二人の姿に気づくと残りの男たちに合図を送って荷馬車に向かって、3人が走り出してきた。
もっと早く走って!もっと早く! リルネはドキドキしていた。
しかし荷馬車のスピードは遅い。男たちは息を切らしながらも徐々に近づいてきている。そして、大声を出し始めた。馭者に荷馬車を止めるように叫んでいるのだ。だが馭者はその声に気づいていない。男たちも相当息を切らしている。懸命に手を伸ばしてきた。もう荷台から5、6メートルのところまで来ている。荷台に手をかけられてしまう!と、リルネが思ったとき、急に荷馬車は右に曲がり、スピードを上げた。みるみる男たちを引き離し、3人は地団駄を踏んだ。
しばらくしてフェリーシアがやっと安心したかのように息を吐くのがわかった。
二人はどこへ行くのかもわからない馬車に揺られながら、サックセン東駅を後にした。
1時間くらい馬車に揺られただろうか。馬車は2つ目の町に入っていた。馭者の男が馬に「あの店で少し荷物を降ろすからな」と話しかけているのが聞こえる。
フェリーシアはリルネに呟いた。
「私が合図をしたら、荷台から飛び降りるわよ」
リルネはフェリーシアにわかるようにうなづいた。
荷馬車が大きく速度を落とした。フェリーシアはあたりを見回し「今よ」とリルネに合図を送った。リルネはすぐに飛び降りた。続いてフェリーシアも飛び降りる。フェリーシアは左右を見ながらリルネの手を引いて脇道に入り、物陰から荷馬車の行方を追った。荷馬車はもう少し進み前方の商店で止まった。気づかれなかったようだ。
フェリーシアはリルネに振り向くと、思い出したかのように言った。
「あら、そういえば私たち、まだ朝食も食べていなかったわね。どうりで力が出ないと思ったわ。さあ、何か食べましょう」
そう言って、来た道を戻るように通りを歩き始めた。
リルネはいきなりの追いかけっこに、空腹なんて感じる余裕もなかったが、確かに、言われてみれば汽車を降りて何も食べていなかった。
フェリーシアは見えてきた酒場食堂にまっすぐに入って行った。
「こういうところのほうが、情報を集めやすいのよ」
遅くなった朝食を食べ終わると、張りつめていた緊張もほどけ、気分も落ち着いた。
「あの男たちは、いったい何者なの?」
「そうね、、私を狙っているということは、私の身元を知ってのことだと思うから、、どこかの国のスパイってところかしらね、、」
「スパイ!? どうしてフェルがスパイに狙われるの?」
「私に利用価値があるとすれば、、エッジスタートの製鉄ギルドの技術を得るために、人質交渉に使うといったところかしら、、、」
「えっ、フェルを人質に、、、」
「でも、どうやって私のことを突き止めたのかしら、、。これからは、あまり一人で出歩かない方がいいわね、、、でも、、もう出歩く必要も、ないのかも、、、」
最後の方はほとんど呟きだった。
「あ、そうそう、エッジスタートに向かうつもりだったのだけれど、行き先が変わって、フレンクランになったわ。一週間後にエッジスタートの外相団がフレンクランに入るらしいの。そこで会談があるんですって。その一団に合流するのがいいということだったわ。まあ、エッジスタートまでの主要駅は押さえられているでしょうから、、そのほうが安全ね。フレンクランまでゆっくり、旅をするとしましょうか」
フェリーシアは楽しそうに見える。リルネも緊張はすれど、不思議に怖いとは思わなかった。
「フレンクランに行くのね。それだったら、大祝祭は参加できるかしら?」
「う~ん、どうかしら、、私は狙われている身だから、叔父様から帰国命令が出るでしょうね。リルネは一般の旅行者なのだから、護衛をつければ問題ないと思うけど、、」
「あっそっか、フェルは危険なんだもんね。じゃあ、私も、一緒にエッジスタートに行くことにするわ」
「エッジスタートにも一流の楽団の演奏会や博物館、それに例のギルドもあるから、観光するには飽きないわよ」
さっきまで怪しい男たちに追われていたとは思えないような、楽しそうな食後の会話が続いた。
隣のテーブルでは、農夫らしい壮年の男が早い昼食を食べていた。
フェリーシアは気づかれないように隣の男を見ていた。農夫の荷物は小さな皮のカバンだけで他に何も持っていなかった。時節がら、農村の収入源は内職による小物や乳製品くらいだから、それらを売りに町に出て来て、これから村に帰るといったところだろうか。皮のカバンを大事そうに膝の上に置いている。
フェリーシアは農夫に話しかけた。
「お食事中ごめんさない。ちょっとお聞きしたいのだけれど、ここからクロイチェンの駅に行くにはどう行ったらいいのかしら?」
農夫は顔を上げ、フェリーシアを見た。
「クロイチェン? クロイチェンに行くんだったら、ここから東駅まで出てそこから汽車に乗るのが早いよ」
「私たち、急いでいるわけではないのよ。少しこの地方を回って、それからフレンクランまで行こうと思っているの」
「ああ、フレンクランに行くのかい。でも、ここら辺を回るったって、ここからはただの田舎町だからね。見るものなんて何にもありゃしないよ」
「私たち、東の山岳地方から出て来たところで、こういう田園風景も珍しく感じるのよ。そうしたら、、ここからクロイチェンまで歩いて行ったら、何日くらいかかるかしら?」
「ええっ、クロイチェンまで歩いて行くのかい! 馬車でも丸1日はかかるよ。歩いて行ったら、、、さて、どれくらいかかるかな、、」
農夫は少し考え込んで、
「まあ、日数を気にしないんだったら、わしのうちに来るかい? これから家に戻って、数日後にはクロイチェンの隣町に荷物を運ぶつもりだから、ついでにクロイチェンまで送って行ってあげるよ」
「まあ、ほんと! それはうれしいわ! それなら、あなたのお家にごやっかいになる間、毛糸紡ぎでも、何かお手伝いをさせていただくわ」
「はっはっはっ、これはかわったお嬢さんだ。フレンクランに行くのにわざわざ農村にまで来て内職仕事をするのかい」
農夫は愉快そうに笑った。すっかり心を許したようだった。
「私はフェル、こちらはリルネよ。よろしくね」
「わしはシモンだ。これで村に帰るまでの話し相手ができたわい」
そう言って笑った。