5話 白バラ十字団
ベッカーさんは隣り町にある駅まで送ってくれた。
「汽車が来るまでまだ時間があるわね。早いけれど、ここでお昼を食べてしまいましょう。これから汽車での長旅が始まるわ」
フェリーシアはこれからの汽車の旅に少し不安を抱いていた。
彼女はこれからの汽車の旅に少し不安を抱いていた。リルネの村に向かう途中、誰かに監視されているような気配を感じていた。こんなことは初めてだった。今まで何度も一人で旅をしてきた。彼女の正体を知る者はいないはずだった。
ただ、乗り換えを繰り返すうちに、その気配はなくなった。しかしまた、そこに戻って行かなければならない。もし自分一人であれば、相手をまいて逃げることもできるだろう。武術の覚えもあるし、各地の間者たちとの連絡もおこたっていない。ただ今回は、リルネにもしものことがあってはいけないから、いろいろなことを想定して十分に警戒しておかなければならない。フェリーシアはいつになく緊張していた。
汽車に乗ると、二人は出入口近くの一番端のボックスを選んで座った。なるべく目立ちたくなかった。
「リルネ、ここはまだ山あいの駅だから乗客もほとんどいないけれど、大きな町に近づくにつれて、人もだんだん増えてくるわ。どんな人がいるかわからないから、私から離れないようにしてね」
「うん、わかったわ」
フェリーシアとは裏腹に、リルネは初めて乗る汽車と旅に胸を躍らせていた。
いくつかの駅を過ぎ、車内には乗客も増え始めていた。外の景色も山間から田園風景へと変わってきている。
再び汽車がスピードを緩め始めた。また駅が近づいてきているのがわかる。
汽車は大きな駅に入って行った。
リルネの車輛にも人が大勢乗って来た。客はそれぞれ思い思いの場所に席を取り、荷物を荷台に上げている。フェリーシアとリルネの通路を挟んだ向かいの席にも、20代と思しき青年が腰を下ろそうとしている。青年は自分のバックの中から本を取り出すと、バックを荷台に上げ、自分も座った。
彼は、こちらを見ていたリルネに気づくと軽く笑顔を作った。リルネも笑顔を返すと、再び自分の席の窓に目をやった。
乗客の乗降りと荷物の積み下ろしが終わると、汽車は出発した。青年は読んでいた本から目を離し外の景色を眺め始めた。久しぶりに汽車に乗ったのか、楽しそうに窓の外を眺めている。
ふと、リルネやフェリーシアの方を向いて、人懐っこそうな顔で話しかけてきた。
「こんにちは。お二人は山あいの方から来られたのですね。どちらまで行かれるのですか?」
「私たちはエッジスタートに行くところなんです。汽車の旅は初めてで、、。あなたはよく汽車に乗るんですか?」
リルネは何の警戒もなく話し出した。
「ボクもそんなに汽車に乗ることはないですけど、エッジスタートですか。でも、そう去年、ボクもエッジスタートに行って来ましたよ。あそこは、ホント、きれいな国でした」
「へえ~、エッジスタートに行ったことがあるんですか! 何しに行かれたんですか」
フェリーシアは、見ず知らずの人とすぐに距離を縮めてしまうリルネが、少し心配だった。しかし初めての汽車旅行に胸を弾ませ、楽しそうに話す彼女を止めるのは忍びない。
「ボクの仕事は、馬の蹄鉄作りなんですよ。あそこの製鉄技術は有名だから、少し勉強したいと思って行ってきたんですけどね、、、でも、噂通り、よそ者にはその工程をまったく教えてくれませんでしたよ。強くてしなやか蹄鉄は、馬のひずめを守るのに最高なんですけどね、、。ボクのいた工房に、初めてエッジスタートの蹄鉄が入ってきた時は、それはもう、、びっくりしたもんですよ。ボクらが作ったのとまったく違うんですから」
青年は話好きらしく、身振り手振りで話し始めた。リルネも、青年がエッジスタートに行ったことがあると聞いて、興味津々、身を乗り出している。
フェリーシアはこの青年が怪しい人物ではないと判断しつつも、警戒は解かないようにしている。
「でもね、正直なところ、、馬の蹄鉄も学びたかったんですけどね、それよりも、ほら、ここのところ、[W.R.C.]のバッチをつけた黒コートの白バラ十字団の噂が広まっているでしょう。うちの親方が、白バラ十字団の正体は、きっとエッジスタートの製鉄ギルドに違いないって言うから、ボクも本気にしちゃって、、。でも実際、巷ではそう噂されていたんですよ。いや、フリーメイソンだっていう人もいたけど、、。それよりも、今をときめく白バラ十字団が、もしエッジスタートのギルドだったら、ボクとしては同業者なわけだから、ぜひともボクを仲間に入れてほしいと思って、、へへへ、、それで行ったんです。もちろん親方には、馬の蹄鉄の勉強をしに行って来ますって言ったけどね、、へへへ、、でもバレバレでしたね、、。もっとまじめに仕事しろって言われたけど、でも、親方はボクを送り出してくれたんだ」
青年は頭をかきながらも、誇らしげに語った。
リルネは青年が得意になって話すのをずっと聞いていたが、彼が一息ついたところで聞き返した。
「その、、白バラ十字団って何ですか?」
「ええっ、君、白バラ十字団を知らないの? へえ~、そんな人もいるんだ」
青年はびっくりしたようにリルネを見た。
「そうだね、白バラ十字団って、なんて説明したらいいのかな、、。そうだな、今まで世に知られていなかった正義の味方が、ある日ついに、その姿を現わしたってとこかな。去年だったか、、白バラ十字団のチラシがサックセン国で撒かれたんだよ。誰が撒いたのかはわからないんだけど、たぶん、白バラ十字団に助けられた人だろうね。で、彼らは何をしているのかっていうと、農村に行って、病気の人を治したり、貧しい人を助けたり、時には金貨を置いていったりしてるらしいよ、、、すごいよね。彼らは、自分たちのことを口外しないようにと言うから、今までずっと知られていなかったんだけど、、、誰が撒いたかそのチラシで、とうとう世に知られてしまったのさ。噂では、どうやら錬金術を使うらしいんだ。それで薬や金を作り出すらしいよ」
リルネはおじいさんから錬金術の話を聞いていた。錬金術は昔から流行り廃りはあるけれど、ずっと続いており、金持ちたちの道楽で、一攫千金をねらった宝探しみたいなものだと、確かそう言っていた。世の中にはいろいろな人がいるんだなと思う。そして彼の話を聞いていると、本当にあるように思えてくるから不思議だ。
「何か、、こう、興奮してくるだろう! 錬金術をあやつり、人目を忍んで活躍する人たちって! いったい正体は何なのか? 誰が始めたのか? すごい騒ぎになったのさ。あっ、そうそう、チラシ持っているよ。見る?」
青年は、わざわざ荷台に上げたカバンを降ろして、チラシを見せてくれた。そこには長々とこう書いてあった。
<ここ120年の間、世に隠れ民を助くる者たちがいる。その者たちは宗派や思想によらず迷いの者あらば、その隣人となり、手を差し伸べる。今、文化、科学において最も隆盛きわまる時にもかかわらず、多くの者は自らの利益、他者への中傷、争いに明け暮れている。今こそ科学革命と宗教改革をもって全世界が平和のもとへと帰るべきなのだ>
「その後、突然に小冊子が出版されたんだ。それは残念ながら手に入らなかったけどね」
青年の話は止まらない。
「最初の噂では、東の異邦の国の者たちじゃないかと言われていたんだ。正体を知られないために姿を隠していたんだってね。その次は、秘密儀式をするギルド、フリーメイソンね、、それじゃないかと言われた。もともとギルドは閉鎖性が強いからね。しかしこうなると、錬金術を使いそうなギルドって言ったら、誰でもエッジスタートのギルドを思い浮かべるだろう」
リルネは混乱してきた。どこまでが事実でどっからが噂なのか、よくわからない。青年を見る目が宙をさまよい始めた。
「あ~、ごめんごめん。君らがエッジスタートに行くって言うから、つい熱くなっちゃったよ。そう、、、君たちは何の用事で行くんだい」
明らかにリルネのキャパオーバーの様子を見て、青年は話を変えた。すると、今までずっと外を見ていたフェリーシアが振り返った。
「私たちエッジスタートに遠い親戚がいるの。これからその親戚に会いに行くところなのよ」
「へえ~、いいな、、エッジスタートに親戚がいるなんて、うらやましいな」
再びまくし立てようとする気配を感じて、フェリーシアが遮った。
「初めての汽車旅だから、あまり慣れていなくて。こうして汽車に乗るだけでも気疲れしてしまうのよ」
「そうなんだね。エッジスタートは遠いから、、ここからは少なくとも10日はかかるしね。気をつけてお行きよ」
「ええ、そうするわ。ご親切にありがとう」
フェリーシアはそう言うと、また窓の方を向いた。
会話が急にまとまってしまい、青年はまだしゃべり足らずで話したそうだったが、フェリーシアは窓の外を見ているし、リルネは宙を見ているしで、、、青年もあきらめ、それ以上は話しかけてこなかった。
リルネはまるで知恵熱でも出たかのような顔で、窓の外を眺めた。
心の中でフェリーシアに感謝した。初めての汽車旅は私であって、彼女ではないんだから、、、私があっぷあっぷしているのがわかったんだ、、きっと。密かにフェリーシアに感謝した。
青年は次の駅で降りて行った。
「さっきは、ありがとう。あの人、すごい勢いで話すから、私、半分も理解できなかったわ」
「そのようね、、あなたの顔、途中から固まっていたもの。とてもわかりやすかったわ」
「えっ、私、固まってた? うわっ、恥ずかし、、」
「大丈夫よ。彼の話を止めるほどには伝わっていなかったんだから、、。リルネは、顔に出るタイプなのね」
「あ~あ、そうなのかな、、表情管理なんてしたことないし、、。あ、そうそう、それよりフェル、エッジスタートってどんな国なの?」
青年の説明では全くわからなかった。
「そうね、、彼が言っていた製鉄は、確かに段違いに優れているわね」
知恵熱後のリルネの頭には、フェリーシアの聡明そうな声音が心地よかった。
「エッジスタート産の汽車や馬車は、耐久性に優れているから高く売れるわ。農具や工具も精密に作られているし。他国は、そのエッジスタートの技術で武器を作らせたいのよ。でも、エッジスタートは武器の輸出はしないの。国王が法律で禁止しているから。だからお金にものを言わせて、脱法的にエッジスタートのギルドに近づいてくる商人や貴族たちがたくさんいるわ。そういう人たちからギルドを守るために、国王はギルドを手厚く保護している」
フェリーシアはリルネの様子を見ながら続けた。
「国王は、エッジスタートの技術が外にもれたら、軍事的均衡が崩れて戦争が起きやすくなると、考えていらっしゃるわ。だから、どこの国とも技術協定を結ばない。技術は文化的に活用するものであって、軍事的に利用するものではないっておっしゃってね」
「ちなみに、国王って、フェルの叔父様?」
「ええ、そうよ」
「ああ、やっぱり、、、立派な人なのね」
「エッジスタートに着いたら、詳しく説明するけれど、一言で言うと、あの国は特別なの。技術水準や識字率が高いのには、それなりの理由があるのよ」
「へえ~、なんか、俄然楽しみになってきた!」
「それと、さっき言っていた白バラ十字団の話、、あれはまた別の話だわ。白バラ十字団というのは、、そうね、彼が言ったように、去年からこの大陸で騒がれ始めている、いわゆる秘密結社ね。でも、その存在ははっきりしないわ」
「そうなの? ふう~ん、フェルでもわからないことはあるのね」
「もちろんよ、、ふふ、、私はフレデリックやヘンリエッタではないもの。まあ、二人だったら、、話題にすらしないかもしれないわね」
フェリーシアは笑いながら言った。
「無理に説明しようとするなら、、、そうね、、事の始まりは、彼が言っていたようにサックセン国の首都でチラシがまかれた事かしら。それから、、彼みたいに熱狂する人が出てきたのよね。それにチラシの内容もいたって正論でしょ、だから、教皇や国王に不満を持つ人たちは、共感するわよね、、。農村の人たちだけではなくて、貴族や商人たちも、、。そういうところは、レフトゥルと同じね」
「レフトゥルって、今度、弁競演会に出てくる、あの人?」
「そう、あの人、、。あの人は、ちゃんと存在しているけどね」