4話 出発
リルネは急に空気が変わったのを感じた。そして彼女が言う『あの娘』というのが、自分のことではないかと思った。おじいさんもおばあさんも何も言わない、、、。いたたまれなくなったリルネは自分から聞いた。
「ねえ、、『あの娘』っていうのは、私のことなの?」
リルネの声は少し震えていた。しっかりと声を出そうとしたのに心臓がバクバクして、声もきちんと出てくれない。
リルネの声音を聞いたおじいさんはようやく話し始めた。
「リルネや、よくお聞き。君はもう、中等部を卒業して高等部に進む。しかし学校では学べないことが世の中にはたくさんある。立派な大人になろうと思ったら常に学ぶことは必要じゃ。それは学校で勉強することだけではなく、自分が実際に経験して、考えて、行動すること、、それは大切な学びじゃ。君はここを卒業する時が来たんじゃよ」
リルネはここでの生活がずっと続くものだと思っていた。こんな形で家を出るとは夢にも思わなかった。
「私は、、ここにいることは、もうできないの、、?」
半泣きのような声になっていた。
その声を聞いておばあさんはリルネの手を取った。
「リルネ、そんなに驚くことはないのよ。あなたはこの家を出ても、いつでも帰って来れるわ。あなたは気持ちの優しい、賢い子だわ。そして自分で考えて行動のできる子よ。もっともっと広い世界を見て、立派なお勤めのできる人になってほしいの」
リルネは手から伝わるおばあさんのぬくもりを感じながら言葉をかみしめた。
「リルネや、君はわしらが大事に大事に育てた娘じゃ。じゃがのう、、それと同時に、君はある所の高貴な血筋の娘なのじゃ。それは時が来たら自然とわかるじゃろう。いつかはここを離れて、君はいるべき場所へ行き、そして人々のために仕事をしなければならない。今までそれを話さなかったのは、故あることだが、気負うことなくすくすく育ってもらいたかったからじゃ。君はわしらの宝じゃ。どこへ行っても立派に生きて行ける。わしらの誇りじゃよ、、リルネ。もう「君」と呼ぶのも終わりにしなければならんな」
おじいさんも少し涙ぐんでいるようだった。リルネは、高貴な血を引いているだの、人々のために仕事をするだの、、急にそんなことを言われても、自分はここで育って生活してきたことしかわからない。そんな、いったい、自分にどうしろというのだろうか、、。しかし、今は何しろここを離れなければならないらしい、ということだけが迫ってきて、ぎゅっと胸が締め付けられる。元々町の寄宿舎に入る予定だったのだから、この家を出ることには変わりないけれども、、それでも、それとこれとではわけが違う。
今までずっと黙って3人の様子を見ていたフェリーシアが、口を開いた。
「リルネ、私のことはフェルと呼んでくれると嬉しいわ。私はあなたをエッジスタートの首都に連れて行くつもりよ。そこで叔父様が待っていらっしゃるの」
エッジスタートといえば大陸の西の端にある国だ。
「私は、いったい、、そこに何をしに行くの」
リルネはフェリーシアの顔を見た。
「そうね、、私もはっきりとはわからないわ。ただ、きっとあなたにはやらなければならない事があって、そのために行く、、としか言えないわね」
「リルネ、フェリーシア様の叔父上は信頼できるお人じゃよ。何も心配することはない。安心して行って来なさい。そして、その方の言うことをよく聞くのだよ」
おじいさんは、何かを言って聞かせる時のように、ゆっくりとした口調で言った。リルネも少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「エッジスタートはね、そんなに大きい国ではないけれども、いろんな技術が発達していて豊かな国よ。他の列強国とは少し趣の違う国ね。きっとあなたも気に入ると思うわ」
フェリーシアはやさしく言った。
リルネはエッジスタートについて何の印象もなかった。西の端にある小さな国だった。列強の中では小さくとも、こんな山あいの村から出て行くのだ、それも首都へ行くと言うのだから、きっと華やかに感じるに違いない。さっきまで重く沈んでいたリルネの気持ちも、少しずつ上向きになっていった。
その日の夕飯はごちそうだった。おばあさんは菜園から色とりどりの野菜を取ってきて、サラダとスープを作っている。すでに大きな鍋にはおいしそうなきのこたっぷりのトマトスープが湯気を上げている。その隣でおじいさんは、ニワトリを一羽しめて料理していた。
テーブルには茹でたジャガイモに塩と細切りのベーコンがまぶされて、その上にバターをのせている。バターはもう溶けだして、早く食べてくれと言わんばかりだ。
夕食では誰もが楽しそうだった。会話が次から次へと弾み、笑い声が絶えなかった。皆がリルネの出発を悲しいものにはしたくなかったのだ。
おじいさんとおばあさんは、まだ乳飲み子だったリルネを引き取り、大事に育てながら、いつかこの日の来ることを思っていた。この日のために、リルネが立派に故郷に戻っていけるように、思いを込めて養育してきたのだ。晴れのこの日を、誇らしい気持ちで送り出したかった。
翌日、おじいさんはリルネと一緒にベッカーさんの馬車に乗って学校まで行った。先生に卒業の手続きをしてもらうと、友だちに別れの挨拶をした。
リルネの旅支度はそう時間はかからなかった。おばあさんは日干しにしていた薬草を薬研ですり潰して、粉末の薬を作ってくれた。おじいさんはリルネの靴をなおし、カバンを買ってくれた。
出発の朝、カバンを肩からかけ、リルネはおじいさんとおばあさんに抱きついた。
「じゃあ、私、行って来るよ。おじいさんもおばあさんも元気でね。私のこと心配しないで、、大丈夫よ」
二人は代わる代わるリルネを抱きしめた。
「体に気をつけてね」
おばあさんは涙をこらえながら言った。
「元気でな、リルネ」
おじいさんも寂しげではあるけれど、リルネを勇気づけるように言った。
パトが自分の顔をリルネの腿に押し付けてきた。
「パト、おまえはここに残っていてちょうだい。私の代わりにおじいさんとおばあさんの手伝いをするのよ」
パトはリルネの言葉がわかるのか、クーとさびしそうに鼻をならしている。リルネはパトの頭をなでつつ、おじいさんとおばあさんのほうへやさしく押し出した。
「行ってきま~す!」
リルネはいつもと同じ元気な声をしぼり出すと、フェリーシアとともに待っているベッカーさんの馬車に乗り、出発した。