3話 訪問客
その日、リルネは学校が終わると一目散に家に帰っていった。今日はおじいさんが牛を連れて山に行っているはずだ。雲一つない空、心地よい風、牛に草を食ませながら山の斜面で過ごすには最高の日なのだ。いつも家にばかりいるパトも、今日は一緒に行っているはずだ。
家のドアをバタンと開け、いつものように階段を駆け上がろうとすると、、、そこにはおじいさんとおばあさんがいた。この時間は誰もいないはずなのに、二人はテーブルに並んで座っている。そして、その前にはお客さんがいた。
村人以外のお客さんなんて、年に2回しか来ない行商のおじさんくらいだ。行商のおじさんでも稀な来客だからとパンとスープを出し搾りたてのミルクを温め歓待する。それ以外のお客さんなんて初めてだった。
びっくりして固まっているリルネに、おばあさんが話しかけた。
「お帰り、リルネ。お客さまにご挨拶なさい」
リルネはお客さんを改めて見た。金色の髪を後ろでまとめた、目鼻立ちの整った美しい少女だった。背筋をしゃんと伸ばして座っている姿は凛としている。旅用のいで立ちでキュロットを穿いてはいるが、何となく気品が漂っている。リルネより2つ3つ年上だろうか。
「はじめまして、リルネです」
リルネは緊張しながら少女に挨拶をした。その少女は一瞬、驚いたような表情を浮かべたが、すぐさまそれを笑顔に変えて答えた。
「こんにちは、リルネ」
ボーと立っているリルネに、おじいさんが説明した。
「こちらは遠い国から来られたお客さま、フェリーシア様じゃよ。わしとおばあさんがまだ若かった頃、この方の父君に大変お世話になってのう、、」
「あら、お世話になったのはお父様のほうだわ。フレデリックとヘンリエッタには、たくさん恩があると言ってらっしゃったもの」
彼女の言葉におじいさんは嬉しそうだった。
「はっはっはっ、、相変わらず謙虚なお方じゃ」
相好を崩しながらお茶を飲み、おばあさんも懐かしそうに微笑んでいる。
急におばあさんはパトのことを思い出した。
「あら、忘れていたわ、リルネ。ちょっと悪いけれど、庭に放しているニワトリたちを小屋に入れて、パトを見張り番から解放してちょうだい」
リルネがニワトリたちを小屋に入れて、パトと一緒に部屋に戻ってくると、テーブルには砂糖漬けのトマトとパンとチーズが並んでいた。三人で話に花を咲かせていたようだった。リルネの分のお茶も置かれていた。
彼女は最近の大陸の様子を話している。
「あと1ヶ月半もすれば4年に一度の大祝祭が始まるわ。今年はフレンクラン王国が主催国になっているから、相当華やかになりそうよ。自分たちが大陸の最列強国だというところを見せつけたいのね。でも国民たちは大祝祭の特別税でずいぶんと大変みたいなの。得をするのは国王の側近とその周辺の大商人たちばかり。中央に伝手のない商人たちはきっと悔しい思いをしているわ。でも祝祭が始まってしまえば、国外から大勢の見物客が来るのだから、きっと悪いことばかりではないはずよ」
「いつまでたっても変わらないですのう。毎回華やかな大祝祭の裏では、利権を持つ大商人が大手を振って儲けますからな」
「そうね、いつものことね。でも今回は、それだけではない厄介ごとが一つあるの」
彼女は一口お茶を飲んで、また話し始めた。
「叔父様がおっしゃるには、今回の弁競演会が大変厄介なのだそうよ。おそらく教皇も来ると言われているわ。それくらい今回の弁競演会は大物同士の顔合わせなのよ。だからその勝敗によっては、大陸全体の世論や風潮を変えてしまうだろうっておっしゃっているわ。何しろそこで勝ってしまえば、教皇庁のお墨付きっていうことになってしまうから」
「ふむ、、教皇の前で行われるとなれば、そうなるでしょうな」
大祝祭は4年に一度、各国の持ち回りで開催される7日間にわたるお祭である。そのメインは最終日に行われるディベート大会で、注目度の高い話題を取り上げ、二手に分かれてどちらがより正しいか、美しいか、面白いかなどを競い合い、白黒をつける大型の大衆娯楽である。
弁競演会の白熱した闘い、観衆たちの熱狂ぶりを知るおじいさんとおばあさんは、その様子を思い浮かべながらうなづいている。
「でも、叔父様が頭を抱えていらっしゃるのは、その弁競演会の勝者がもうほとんど決まっているということなのよ」
「おや、それはまたどういうことですかな?」
「今回の弁舌者のウスンサーリとレフトゥルは、もうすでに公開での場で論争をしているのよ。簡単に言えば教皇派のウスンサーリと反教皇派のレフトゥルという構図ね。レフトゥルが『聖職者たちは欲に目がくらんで、国民たちから搾取ばかりしている』と、教皇庁を批判したの。もちろん教皇庁もだまっていないわ。彼を破門にしてしまった、、、でもレフトゥルは自分の主張を曲げなかったのね。するとレフトゥル側に少しずつ信奉者が現れてきて、それも有力な貴族や商人たちよ。そうなると教皇庁も、自分たちの権威と力だけで押しつぶすことはできなくなってしまって、、、どうにかレフトゥルを黙らせようと策を練っていたのよ。そうしたらちょうど、フレンクラン王国が今年の大祝祭の開催国だったというわけなのよ。フレンクランは教皇庁のお気に入りですからね。教皇庁が弁競演会を利用しない手はないわ」
「なるほど、弁競演会でレフトゥルをやっつけ、教皇庁安泰としたいわけですな」
「レフトゥルに勝ち目はないのかしら?」
おばあさんもこの話には合点がいかない様子だった。
「これも叔父様の言葉ですけれど、今の状況ではウスンサーリが圧倒的に有利なのですって。ウスンサーリは紳士的で話の組み立てもうまく、弁論が得意らしいわ。一方、レフトゥルは感情的で熱くなりやすいタイプで、おまけに下品な言葉が多くて、弁論向きではないとおっしゃっていたわ。弁競演会ではウスンサーリがすぐに観衆の心をつかんで味方につけてしまうだろうって」
「そうなのですね、、始まる前からそんな状況では、何だか教皇のための弁競演会ね。ウスンサーリと対等に戦える人を他に探すことはできないのかしら。レフトゥルの代わりに、、」
「もうすでに、フレンクラン国王が二人に招請状を送って、二人とも正式に返答してしまっているから、弁舌者の交代は無理ね」
「こんな微妙な話題を弁競演会で使うなんて、他の国からの抗議はなかったのかしら?」
「他の国王たちも隙を突かれたみたい。娯楽要素は少ないけれど、今一番話題を呼んでいる問題ではあるし、、、すでに、双方に各国貴族や大商人がついてつばぜり合いを始めているから、、、遅かれ早かれ、いつかは決着をつけないといけないのでしょうね、、、きっと」
リルネにはあまりピンとこない話だった。だが大祝祭は一度行ってみたいと思っていた。村祭しか知らない彼女には、その盛況さが想像できなかった。
フェリーシアは喉が渇いたというように、砂糖漬けのトマトを一つ、スプーンですくい上げて食べ、そしてお茶を飲んだ。
「ところで、叔父様から伝言を預かってお二人に会いに来たのよ」
彼女がそう言うと、おじいさんとおばあさんは少し緊張した面持ちになった。
「お父様が『あの娘』をもうそろそろ送り返すようにとおっしゃられ、叔父様の命を受けて来たの」