5話 フェリーシアの憂鬱
翌日、フェリーシアとリルネは馬に乗って、河上の方へと向かっていた。リルネが3日前から訓練していた乗馬を試すのに、遠出したいと言いだしたからだ。
今日は近衛隊から一人、付き合ってくれている。
城壁の横を流れる河は、高台を挟んで1キロ離れたところに本流が流れていて、この高台は近衛兵の訓練場となっていた。しかし今日は訓練場ではなく、河をそのまま上流の方へ進み、本流とぶつかる地点に向かっている。そこには大きな堤防があるという。
近衛のヒースロックが先頭に立ち、ウォークとトロットで走れるコースを取り、進んでくれている。
リルネを真ん中に後ろにフェリーシアがついている。フェリーシアは言わずもがな、乗馬はお手ものだ。
馬上でリルネは少し緊張しながら手綱を握り、ここ何日間かのフェリーシアを考えていた。
一緒に外に出たり、また一日中、宮中の庭で過ごしたりと、リルネは毎日フェリーシアと過ごしていた。そのおかげか、アルフレット王によって揺さぶられるリルネの心も、翌日には穏やかないつもの状態に戻っており、普段と変わらず元気に過ごせている。
この間は、エンブルの名所とかではなく、エッジスタートの進取の気性に富んだ精神を知ってもらうとかで、エンブルの若者と遊ぶと言って、フェリーシアはリルネを学生街にあるお店に連れて行った。そしてそこでボードゲームをしたのだ。
これで何が知れるのかと思いきや、人生ゲームと名の打ったこのゲームでは、大きなイベントづくしの仮想人生を歩むのだが、その内容が投資や起業、もしくは職業選択による戦争時の振る舞いや新兵器投入のタイミング、はたまた失敗し挫折した時の立ち直り方まで、何とも詳しくリアルにコマを動かしていく。ゲームが終わるころには、ひと人生終えたような心持ちになってしまう。それを学生たちがしなやかに、そして真摯なまなざしでしているのだ。さすがに進んだ国の若者たちである。
こんなバラエティに富んだ日々を過ごしているにもかかわらず、フェリーシアは時折、暗い顔をした。リルネはそれが気になっていた。
最近は無理して、明るく見せようとすらしているようだ。
ヒースロックが馬の歩を緩めた。
「リルネ様、フェリーシア様、あそこに見えますのが、この国一番の堤防です」
彼の指さす方を見ると、確かに灰色の大きな塊が見える。手前から続いていた高台のこちら側は低地になっているため、確かにあの巨大な堤防がなければ、本流の水はこちらの支流に大量に流れ込んでくるだろう。
「この堤防は本流の水を堰き止め、支流に一定量の水だけ流れ込むように作られています。ここにも鉄が使われているのですよ」
何とも、国策施設見学である。ふと、おじいさんやおばあさんも来たことがあるのかなと、リルネはそんなことを思った。
「あの堤防沿いはよいキャンプ地になっています。狩猟や釣りにはもってこいですよ。あそこで、ひと休みしましょう」
ヒースロックはまた前を向いて、走り始めた。前方には堤防に続く緑の丘があった。
適当な場所を見つけると、ヒースロックは馬から荷物を降ろし、そこに簡易のかまどを作って昼食の準備をしようとした。
リルネは馬から降りて、少しあたりを散策したかった。
「ねえ、私、ちょっとこの辺りを歩いてみたい」
「そうね、ずっと馬に乗っていたからお尻も痛いわね。堤防の方へ行ってみましょうか」
フェリーシアがヒースロックに一言二言告げると、「行きましょう」と目配せをして歩き出した。
堤防の方から吹いてくる風は穏やかで気持ちよかった。
リルネは今なら思い切って聞けるかもしれないと思った。もしかしたら、フェリーシアは新大陸に戻りたくないのではないかと、考えていた。もしそうだったら、連れて行ってもらうのは申し訳ない。しかし、フェリーシア抜きで新大陸に行くのは考えられなかった。
「ねえ、フェル、、何か心配事でもあるの?」
フェリーシアは驚いてリルネを見た。
「、、時折、悲しそうな顔をしているように見えるの」
フェリーシアは、リルネの言葉を聞きながら下を向いた。珍しくフェリーシアが言葉に詰まっている。
土を踏みしめる音だけが聞こえていた。
「フェル、、もしかして、私と新大陸に行くのは気が進まない、、、?」
「そんな、そんなことないわ。あなたと一緒に本国に戻れるのは、嬉しいわ」
そう言いながら、フェリーシアの言葉には力がなかった。
感情がわかりやすく表に出るタイプではないのに、自分でも自覚がないほどに落ち込んでいるのだろうか。カラ元気なのはフェリーシア自身が一番よく知っている。
リルネがじっと自分を見つめているのがわかる。短い期間ではあったけれど、彼女と出会ってここにたどり着くまで、寝食を共にして、いくつもの危険な状況を一緒に乗り越えてきた。見えない信頼と絆も感じ始めている。
もうリルネにも隠し通すことは難しいのだろう。
「リルネ、あなたのせいではないのよ。ただ、私がうまく気持ちを整理できなくて、、、」
「それは、、、私に関すること、、、?」
フェリーシアは目をそらした。なんと言えばいいのか言葉がすぐには見つからない。
「私に、まだ知らされていないこと、とか、、ある? もしくは、フェリーシアが不安に思うこと、とか、、?」
リルネはこれからのことをどう思っているのだろうか。神仙峯に行くことは、向こうからすればリルネが戻ってくるということだ。お父様の手紙にも、引き取りたいという言い方をしていた。それがどれだけ拘束力のあるものなのかはわからない。けれども、神仙峯は間違いなく、リルネの力を欲しているし期待している。あの弁競演会を見ても、彼女の宗教的センスや理解力は高い。神仙峯が、もし何か問題を抱えていたとして、それを解決するための切り札として彼女を考えているならば、神仙峯はきっとリルネを離さない。
「あなたは、これからのことをどう考えているの」
フェリーシアは、そう言ってから「しまった」と思った。初めてのことばかりで、一番不安なのはリルネなのに、詰問するような言い方をしてしまった。
「私は、、今の時点では、わからないことだらけで、、私がこれからどうなるかなんて、わからない。だけど、新大陸に、、フェルが一緒に行ってくれるだけでも、心強いと思っている。私一人じゃ、不安でしかたないもの」
フェリーシアは、まっすぐに自分を見るリルネと目を合わせた。確かに彼女は、自分を信頼してくれている。そして今の不安を乗り越えようとしている。
「ここに着いた日の晩餐で、シューベルさんからいろいろ教えてもらった時、すごく驚いたけど、でも、自分はたくさんの人に見守られて育ってきたんだって思ったの。おじいさんおばあさんにはもちろん、毎朝私を学校に送ってくれてたベッカーさんや、あの行商のおじさんまでもそうだったと思うと、、なんだか力が湧いて来るというか、自分に自信が持てるというか、背中を優しく押されているような気持ちになるの」
リルネは故郷に思いをはせながらここまで言うと、今度は急に恥ずかしそうにそわそわし出し、目が宙を泳ぎ始めた。
「えーと、、それから、新大陸にはフェルが連れて行ってくれるわけだから、、、また、一緒に旅ができるでしょ」
フェリーシアは、自分が少しでもリルネの支えになっていることは嬉しかった。ただ、ならば自分の不安を彼女に吐露してもいいのだろうか。彼女を無駄に不安がらせることにならないだろうか。いや、不安を与えないように、しっかりと伝えてあげればいいのだろうか。
「リルネ、新大陸に上陸すれば、お父様のところまでは一日もかからないで到着すると思うわ。移動手段はここよりもはるかに進んでいるから、すぐよ。なのだけど、私が、その、、少し心配するのは、、神仙峯のほうなの」
前を向いていたリルネが、またフェリーシアを見た。
「神仙峯は、お父様が毎年のように行っていらっしゃるから、父から聞くのがいいとは思うのだけれど、、」
フェリーシアは言葉を濁した。
「うん、、フェルはどう思っているの? フェルの意見も聞きたい」
「そうね、、私は正直、行ったことがないの。だから憶測で、言うべきではないとは思う、、、ただ、あなたが、重荷を背負うことになるのではないかと、、それが心配なの」
リルネは怪訝そうな顔をした。
「重荷、、? 私が何かの責任を任されるとか、、そういうこと?」
「そうね、、それもあるけれど、、」
言いにくそうにしているフェリーシアを、リルネは静かに見つめている。フェリーシアが話し出すのをゆっくりと待っているのだ。
「お父様の手紙には、神仙峯があなたを引き取りたいと言ってきたと、書いてあったわ。だからリルネを神仙峯に住まわせたいと思っているのは間違いないと思う。それを、あなたが望むのならば、、それは、もちろん喜ばしいことだと思う、、。何しろ、神仙峯は、新大陸の人々のあこがれの地だから。でも、、もし、あなたが望まなかったら、、いや、、、」
ここまで言って、フェリーシアは漠然とした不安が何であるか、何が自分をここまで憂鬱にさせているかをはっきりと知った。
住む世界が別れる。リルネが神仙峯に腰を落ち着ければ、完全に違う世界に行ってしまう。それが嫌なのだ。
「おばあさんは私を送り出してくれた時、またいつでも戻ってこれると言っていたわ。私を閉じ込めるなんてことは、まさか、しないでしょ。私がどこか行きたければ行けるのではないの、、かしら? 違うの?」
「そうね、あなたがそう欲せば、行けるでしょうね」
リルネはフェリーシアの不安がどこにあるのか、まだよくわかっていない。でもここまで落ち込むフェリーシアを見るのは初めてだった。
「ねえ、フェル、、あなたが不安に思うことを言ってほしい。私の身に起こることでも、あなたの身に起こることでも、、。あなたが、何に不安を感じているのか、、それを教えてほしいの」
フェリーシアは顔を上げた。
「私の身に起こることでも、、、」
「そう、あなたの身に起こることでもよ。私があなたを助けるなんて、、そんなおこがましいことはとても言えないけれど、でも、あなたの不安を、一緒に考えることはできるでしょ」
「、、これじゃあ、どちらがお姉さんだか、わからないわね」
フェリーシアは苦笑した。
「リルネ、、あなたと私の住む世界は違うのかもと、時々思わされるの。神仙峯は選ばれし者たちだけが住む聖地。そしてあなたは、おそらく高位聖職者のご息女だわ。これから神仙峯を束ねていく立場になっていくのだと思う。それを期待されているのだと思う。それに、、あなたにはその能力も十分あるし、、、」
フェリーシアは下を向いた。
「あなたと私とでは住む世界が違いすぎて、、それが、、、寂しいというか、、悲しいというか、、つらいの」
「フェル、それだったら、私ももう感じてるわよ」
フェリーシアは驚いて顔を上げた。
「あなたが、フレンクランの聖堂でスコット外相と話をした時、国の危機にあなたは当事者として、責任を負う覚悟で話をしていたわ。私は、それに、、何というか、私とは違う、、為政者としての、強い意志を感じたの。あなたはきっと、母国に同じような危機が訪れたら、王族としての責任から、その状況を一身に背負うだろうと思う。それは、私とは違う世界、違う力学で生きている人のように見えるし、、あなたの命や人生は、あなた自身のもののようで、そうでないというか、、。私は、その時、少し寂しかった、、、というか、切なかったというか、、そんな気持ちだった」
フェリーシアは自分だけでなく、リルネも同じ類のものを感じていたことに驚いた。
「私は、あの時、あなたの大事な国が、どこかの国に攻め込まれて、戦争になるなんて嫌だった。あなたが命をかけて守ろうとするものを、私も守りたかった。あなたの大事にしているものを守りたいと思った。、、あなたは、、、違う?」
リルネはまっすぐフェリーシアの瞳に語りかけてくる。
ただ、神仙峯は閉鎖的だし、誰もが住める場所でもなく、特殊なところだ。一緒に何かをすることなんてないだろう。
「ありがとう。あなたがそう言ってくれるのは嬉しいし、そう思ってくれていたことも、、嬉しい。、、驚きよ。ただ、神仙峯は、人々の篤い信仰の集まる聖地で、、特殊な場所。そこで、あなたと私が一緒にいるなんてことは、、あまり想像ができない」
「私は、まだ、話にしか聞いたことがないから、景色すらも想像できないけどね」
リルネは笑って言うと、明るい笑顔で続けた。
「でも、私は嬉しい、、。本当に嬉しい。あなたもそう思ってくれてたなんて。きっと、それは違う世界じゃない。見ている方向が違うだけ。背中をくっつけていれば私たちは一緒だよ。そしてそれはきっと同じ世界だよ」
リルネはフェリーシアの手を取った。手と手を合わせて指をしっかりと組み合わせた。
フェリーシアは、心の中の憂鬱が溶けて消えていくように感じた。リルネはまぶしくて、温かくて、つないだ手を離したくないと思った。
後ろの方から、二人を呼ぶヒースロックの声が聞こえていた。




