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18話 ロッジのスパイ

 カルレン公の屋敷へ行く時間が近づいていたが、フェリーシアはまだ気持ちを決めかねていた。ザラトロの様子しだいで、、その場で、、勝負をかけるか否かを決めるしかないと思った。

 フェリーシアが先に約束の場所に着いた。ほどなくしてザラトロがやってきた。

「いつも君は早めに来ているんだね」

「君はいつもぴったりに来るんだね」

「ああ、時間がもったいないんでね」

 ザラトロはいつも通りの様子だ。


 通りで乗合馬車に乗った。ここから15分くらいでカルレン公の屋敷に着く。フェリーシアはすぐに話を切り出した。

「君、最近うちのロッジで噂になっている話を知っているかい?」

「噂? 何の噂だい?」

「君はまだ知らないんだな。うちのロッジにスパイがいるらしいんだよ」

「スパイ? 誰のスパイだい?」

 ザラトロはさほど驚いていない。

「君、あまり驚かないんだね」

「そうかい? ロッジにスパイってよくある話じゃないか」

 ザラトロは事も無げに言った。これにはフェリーシアも驚いた。ロッジにはよくあることなのだろうか、、、

「そうなの、、。私はその話を聞いて怖くなったのに、、君は全然平気なんだね」

「どうせロッジ幹部のスパイが誰とか、、。その手の話なんじゃないかい」

「その通りだよ! 驚いたな、、」

「そんなこと、貴族の幹部連中が考えそうなことじゃないか」

「それで、君は、スパイが誰だと噂されているか知ってるかい?」

「さあ、そこまではわからないな」

「そうか、、それがね、、何と君なんだよ」

 フェリーシアはザラトロを見ていた。彼はちょっとびっくりした様子だったが、すぐに笑い出した。

「はっはっはっ! ボクが、幹部連中のスパイだって! こりゃ、冗談きついな」

 ザラトロはお腹を抱えて笑っている。

「誰だい、そんなことを言い出したやつは?」

「うん、、そう言っているメンバーは、けっこう多いんだよ」

 まさかトーマスとは言えない。フェリーシアはザラトロの顔をずっと見ていたが、ザラトロもそれに気づいている。

「まさか、君も、ボクが幹部のスパイだと思っているんじゃないだろうね?」

「いや、、、私は君ではないと思っているんだけど、、ロッジのメンバーが何人もザラトロだというものだから」

「そういう噂はね、どこからか出てきたのかは知らないけど、まずまっ先に、そのスパイが違う噂でもみ消そうとするものだよ。ばからしい」

 なるほど、彼の言うことも一理ある。

「そしたら、君は誰がスパイだと思うんだい?」

「ボクは誰がスパイでもかまわないよ。ボクのバックにはカルレン公がいるから。ちょっとやそっとではボクに処罰を与えることはできないよ。それにもっと言えば、ボクはあの旧態依然のお貴族様たちとお近づきになりたいとは、これっぽっちも思わないんだよ」

 ザラトロは心底そう思っているように見える。


 フェリーシアはザラトロは白だと判断し、今日、勝負に出ようと心を決めた。

 もう馬車は、カルレン公の屋敷に到着するところだ。


「ようこそお越しくださいました。ザラトロ様」

「こんにちは。ページャ」

 召使いはお辞儀をしながら、ドアを開けてくれた。ザラトロも慣れたものだった。中に入ると、大きな空間が広がり正面に階段がある。後ろに控えていた執事が言った。

「ようこそおいでくださいました。旦那様が書斎の方でお待ちでございます。ご案内いたします」

 いつもは客室で待たされるらしいが、今日はすぐに2階へ案内された。


「旦那様、ザラトロ様とご友人の方、お二人をお連れしました」

「通しなさい」中からカルレン公の声がした。

 執事はドアを開けて二人を中へ通した。正面に大きなガラス窓があり、その前に広い執務机と椅子が置かれカルレン公が座っていた。左右の壁は本のぎっしり詰まった書棚で覆われていた。カルレン公は椅子から立ち上がると二人を迎えた。

「さあ、中のほうへ入っていらっしゃい」

 カルレン公はそう言って、机の横にあるソファーに二人を呼んだ。そして入口に立っている執事にお茶とお菓子を持ってくるよう言った。


「よく来てくれたね」

「ご招待いただき、ありがとうございます」

「昨日の今日だ。そうだな、、まずは、オペラの感想から聞こうかな」

「はい。とても楽しく拝見いたしました。ただオーケストラの演出が多かったようで、演奏会に行ったような気分になりました」

 フェリーシアがそう言うと、

「ほう、、それはそれは。私もそう思ったよ。ちょっとオケがでしゃばりすぎたね。もっと役者を楽しみたかったよ」

 カルレン公も同感だというように言った。

「しかし昨日は、、君のあの不思議なマジックに驚いて、正直なところ、よく鑑賞ができなかったんだよ」

 

 執事がドアをノックして、お茶とお菓子を持ってきた。それを見ながらカルレン公はフェリーシアに言った。

「昨日のワインのように、このお茶も味を変えることができるのかな?」

「はい、変えることはできます。しかしお茶は、ワインのように常温で楽しむ飲み物ではありませんので、それほど顕著には感じられないと思います」

 ザラトロはフェリーシアの隣で、お茶を飲みながら二人の話を熱心に聞いていた。


「君はエッジスタートでもロッジにいたのだね?」

「いいえ、ロッジに入会したのはここが初めてです」

 実際、エッジスタートにはロッジもフリーメイソンもない。

「君はどこであのような錬金術を学んだんだい?」

「はい、製鉄ギルドの知人から教えてもらいましたが、しかし、それは秘密の技とされていました」

 カルレン公の表情は変わらなかったが、心なしか前かがみになった。そして隣のザラトロは急に緊張したようだった。

「君はその掟を守らなくてもいいのかい?」

「はい、もちろん守らなければいけません。しかし私の知っている錬金術はそれほど深いものではありません。かえってこれくらいのことなら、ロッジでは知っている人がいるだろうと思っていたのです。しかし、ここの人たちは誰も知らないようでした。というより、錬金術自体にあまり興味を抱いていないようでした」

「そうだね、フレンクランのロッジは他国のロッジとはずいぶん違うからね。そこは変えていかなければならない点なのだよ。自由に思想や哲学、科学が語られるべきなのだが、ここは保守派の貴族が牛耳っている。革新的であるべきフリーメイソンが、その中に厳然たる階級性を保持しているなんて、、おかしなものさ」

 カルレン公は嘆かわしそうに言って、お茶を口にしたが、続けて言った。

「ところでこれは私の個人的な興味からなのだが、確か一時期、エッジスタートの製鉄ギルドはフリーメイソンが握っているというような噂があったが、あれは本当なのかい?」

 カルレン公は違う角度から核心を突こうとしている。フェリーシアは来たなと思った。

「製鉄ギルドについては、私たちは何も語ってはいけないことになっています」

「まあ、そうだろうね。あそこのギルドの誓いは強い。しかし、君が使った錬金術はそこでも使われているということなんだね」

「それに関しては、はいともいいえとも言えません。『エッジスタートの製鉄ギルド』という言葉が出てくると、私たちは何も言えないのです」

 フェリーシアはいったんそう答えた。するとカルレン公は、違う言葉を使って畳みかけてきた。

「錬金術がいろいろな技術に活用されているとは、私はまだ聞いたことがないのだが、それがエッジスタートではあるというのだね」

「はい、錬金術はもともと物質の性質を変えるものですから、いろいろなことに活用できるのです」

 フェリーシアは、最後の一手をどのように指そうかと考えつつ、先ほどから隣で急に話に集中し出しているザラトロが気になっていた。ソファーにただ静かに座っていた彼が、にわかに身を乗り出し、フェリーシアたちの話に耳をすませている、、、その気配が横からひしひしと伝わってくるのだ。


「ちょっと、お菓子をいただいてもかまいませんか?」

「ああ、これは失敬。どうぞ食べておくれ。お茶も、ちょっとさめてしまったかな」

 カルレン公は執事に新しいお茶を持って来させた。


 フェリーシアは、なぜザラトロが急に聞き耳を立て始めたのだろうかと考えていたが、、お菓子を一つ口に運ぶと、なぜかトーマスのことが頭に浮かんできた。何かがずっとひっかかっている。確かトーマスは、フェリーシアがエッジスタート出身だということをミッシェルから聞いたと言っていた。そして、そのミッシェルは他のロッジでザラトロと会っている、とも言っていた。私がエッジスタート出身だという話は、ミッシェルが私たちの会話をあそこで耳にしたのではなく、そうだ、後から、他のロッジでザラトロから聞いたのだ。それをミッシェルは店でトーマスに話した。まさか、、、トーマスの言うように、、ザラトロがスパイという見立ても、あながち間違っていないのかもしれない、、。フェリーシアは急に背筋に悪寒が走った。まず自分を落ち着かせるために、お茶をゆっくり飲んだ。


「とてもおいしいお茶ですね。あまり飲んだことのない味、、みたいですが」

「喜んでもらえてうれしいよ。それは私のオリジナルだよ。お茶をブレンドするのは、私の趣味でもあってね」

「それは、なんとも優雅な、、素敵なご趣味です」

 フェリーシアは、カルレン公に主導権を握らせるより、自分から会話を動かすほうがいいと判断した。


「エッジスタートで私が教わった他の錬金術をお見せしましょう」

 フェリーシアはそう言うと、カルレン公のほうをじーと見た。

「失礼ながら、公爵様、その羽織っておられる上着を脱いでいただけませんか」

 カルレン公は、また何か始まるのだなと上着を脱いだ。

「公爵様、右肩がずいぶんと凝っていらっしゃるようにお見受けいたします。書き物のせいでしょうか。ちょっと触ってもよろしいですか?」

「ああ、確かに右肩はいつも凝っているよ」

 カルレン公は驚きながらうなづいた。


 フェリーシアは立ち上がって、カルレン公の後ろに回った。その時に、ちらっとザラトロを見たが、やはり彼もフェリーシアが何をするのかを注視している。以前、錬金術の話をした時とは人が違うほど、集中しているのがわかった。


 フェリーシアは、また手のひらを胸の前で合わせてから、カルレン公の右肩に手をかざした。

 カルレン公は何かを感じるらしく、「右肩が温かいな」と言った。

 フェリーシアは、カルレン公に背もたれから離れさせ、背筋を伸ばさせた。そして右手を背骨に沿って下へと動かしていった。最後に左手も使って背中全体に「気」を入れた。

「公爵様、右腕を上げてみてください」

 カルレン公はおそるおそる右腕を上げてみた。すると今まで途中までしか上がらなかった腕がまっすぐ上まで、完全に上がってしまった。これにはカルレン公もびっくりした。

「どうしたことだ! 右腕が上まで上がるなんて。それも痛くない! 全く痛くないぞ」

「これも錬金術の一つです。体の中の筋肉をほぐして血の通りをよくしました」

「しかしすごいものだね。体に触れずに肩こりを治すとは。えーと、、体の中の血の流れをよくした、と言ったかな」

 カルレン公はこの現象をどう捉えていいのか整理がつかないといった様子だった。

「はい、そうです。しかしこれは言葉ではうまく表現できません。私も先生から実践を通して教わりました」

「ふむ、なんとも不思議な」

 するとザラトロが少しイライラしたように、初めて発言した。

「公爵様、今の技術は具体的にはどういうものだったのでしょうか? これも何かの物質を変化させることによって、血の流れをよくしたのでしょうか?」

 ザラトロはフェリーシアにではなく、カルレン公に話を振った。あくまでも、自分は第3者の立場を装いたいのだろう。

「そうだった、、フィル、これも何かの物質を変化させて肩こりを治したのかな?」

 カルレン公はザラトロに促されるようにフェリーシアに聞いた。

「はい、、それは、私も、よくわからないのでございます。物質の性質を変えると聞いていますが、その原理まではよくわかりません。」

 フェリーシアはちょっと困った顔を見せて申し訳なさそうに言った。

「公爵様、もしよろしければ、また改めてご招待いただけませんでしょうか。右肩だけでなく他の部位も楽にして差し上げることもできますが、時間がかかります」

「そうか、それはいいな。今度は私の姉も呼ぶとしよう。そうだ、、それならば、明日の午前はどうだろうか? 急すぎるか?」

「いいえ、とんでもございません。喜んで参上いたします」

 隣でザラトロが不機嫌になっているのがわかった。

「公爵様、フィルの錬金術は興味深いものです。もっと説明させてはいかがでしょうか」

「ザラトロ、こうやって善意でしてくれる奉仕を、何と無粋な言葉で応じるのだ、、。明日また来てもらうのだから、私に何の文句があろう」

 カルレン公はすっかり機嫌がいい。

「私も一緒に参ってもよろしいでしょうか」

「いや、明日は姉にも同席させる。彼女は腰痛がひどいのだ。コルセットを緩めよというのにかえってそれがいいと言う、、。ザラトロ、明日はおまえは遠慮してくれ」

 ザラトロはしぶしぶ承知した。


 なんだか急に風向きが変わったように見えた。途中からカルレン公が意図的に話をずらし始めたようでもある。フェリーシアはそれに助けられる形で話を終えたが、彼からすぐさま明日にと誘いがあったからには、何か話したいことがあるのだろう。フェリーシアには彼の意図まではわからなかったが、それがいいことなのか悪いことなのか判断がつかない。ただ、ザラトロにこれ以上の情報は与えたくなかった。


 カルレン公が帰りの馬車をそれぞれに用意してくれた。ザラトロは悔しそうにしていたが、フェリーシアにとってはそれも頭痛の種だった。


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