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17話 カルレン公

 フェリーシアは劇場の入口でザラトロを待っていた。バーグは少し離れたところから見ているはずだ。大祝祭前の公演だからか、ずいぶんとたくさんの人が来ている。貴族たちも馬車でぞくぞくと到着していた。彼らはVIP用の入口から劇場の中へと入って行った。


 フェリーシアは以前、エッジスタートでカルレン公を一度だけ見たことがある。彼はフレンクランの貴族の中では珍しく進歩的な考えを持った人物だ。若い時に国外留学を重ね、一度エッジスタートにも足をのばして来たことがあった。フェリーシアはまだ幼かったので、はっきりとは覚えていないが、確かフレンクランの若手のホープだと紹介されていたように思う。その時フェリーシアは、主催者側の末席にいたが、もう10年以上も前の話である。今は変装もしているし、彼もその時の小さなお姫様の顔までは覚えていないだろう。


 道の向こうからザラトロがうつむきかげんに歩いてくるのが見えた。彼はいつもどこか影があるように見える。

「やあ、待ったかい?」

「いや、そんなことないよ。ちょっと緊張して早めに来ちゃったよ」

 フェリーシアはいつもの調子で答えた。

「いったんボクらは入って一般席で待って、頃合を見計らって3階に上がるとしよう」

 ザラトロはポケットからチケットを2枚取り出した。係員はそのチケットが3階のボックス席だったので驚いて見返した。二人の顔を胡散臭そうに見ながらチケットを切って渡した。

 ザラトロは1階の一般席で3階の見えるところにいったん座った。カルレン公はまだ来ていないようだった。

 あと5分で開演という時に、3階のボックス席にカルレン公らしき人物が姿を現した。

「フィル、カルレン公が来られたみたいだ。ボク達もそろそろ上がっていこうか」


 3階ではあちこちにお付きの者たちが立っている。ザラトロは気にせずチケット番号のボックスを探した。廊下を左手に歩いていくとまもなく見つかった。

 入口はカーテンで仕切られ、近くに警備員が立っている。ザラトロはフェリーシアにここで待っているように言うと、カーテンの中へ入って行った。

 ほどなくザラトロが出てきてフェリーシアを呼んだ。

 

 VIP席は思ったより広かった。ボックススペースには3人分の椅子とサイドテーブルが用意されていた。カルレン公は椅子にゆったりと腰掛けワインを飲んでいた。

「君がフィル君だね。君は、オペラを見るのは初めてかな?」

「いいえ、何度か見たことはありますが、3階席で見るのは初めてです」

 フェリーシアは嘘をついたがしかたない。

「もう開演だ。このオペラは私も初めて見るものだから、楽しみでね」

 カルレン公は平民相手でも丁寧な口調で話すらしい。そして二人にもワインが運ばれてきた。

「ところで君はエッジスタートから来たのだそうだね」

「はい」

 オーケストラの演奏が始まった。オペラの幕が上がったが、カルレン公はかまわず話を続けた。

「君は錬金術をするそうではないか。それは本当かね?」

「はい。私の錬金術はそれほど高度なものではありませんが、使います」

「君の扱う錬金術とは具体的にはどういうものなんだい?」

「それでは、ここで少しお目にかけましょうか?」

「ほう、ここでできるのかい?」

「はい。百聞は一見にしかずです。お目にかけるのが早いでしょう」

 そう言うとフェリーシアはカルレン公のグラスにワインを注ぎ足した。

「公爵様、ワインの味は覚えていらっしゃると思いますが、これから、このワインの味を変えます。念のため、もう一口ワインを召し上がり、その味をご記憶ください」

 カルレン公はもちろん飲まなくても味はわかっていたが、念のため一口飲んでグラスを置いた。

 フェリーシアは、両の手のひらを胸の前で合わせ、10㎝くらい離すとボールを転がすようにゆっくりと手のひらを揺らした。そして揺らした手を止めると、右手をカルレン公のワイングラスの上にかざした。そしてカルレン公に言った。

「どうぞ、ワインをお召し上がりください」

 カルレン公は、フェリーシアの動作が何を意味しているのか、何をしたのか、まったくわからなかった。ただ言われた通りにワインを口にした。

「うんん!」と驚きながら、もう一口飲んだ。

「これはどうしたことだ! 味が違うぞ! 味が全く変わっている!」

「これも錬金術です」

「君はいったい何をしたのかね!」

「ワインの性質に手を加えました。錬金術の基本は、その物質の性質を変えるところにあります。私は今、ワインを使ってそれをしたのです。別にお体に何ら影響はありません。そのままお召し上がりください」


 カルレン公はフェリーシアの言葉にうなってしまった。ザラトロから、エッジスタート出身の人物がロッジに入ってきて、錬金術はもう活用されていると言ったと聞いて、最初はただ聞き流していたが、どうもエッジスタート出身というのが気になってしまった。あそこの製鉄ギルドは錬金術を使っているという噂もありはしたが、彼自身そんなこと信じていなかった。しかし、もしやと思って一度会おうと思ったのだった。彼女は製鉄ギルドについて、何か知っているのだろうか。


「君は面白いことができるのだね。今度ゆっくりその原理を聞かせてくれないか」

「いいですよ。ただあまり人に言いふらしたりしないでください。本当は人に教えてはいけないことになっているんです」

 フェリーシアはさも曰くありげに言った。

「教えてはいけないことになっている、、、というと、これは何かギルドの秘儀なのかね?」

 カルレン公は興奮しそうな思いを押しとどめながら、今まで通りの口調で聞いた。

「さあ、、私は、自分の師匠から教わりました」

 オペラは第1幕の佳境に入ってきているようだった。オーケストラの演奏が急に激しさを増していた。カルレン公は興奮する気持ちを抑えたかったが、オーケストラの演奏がそれをするのを阻む。時と場所を変えないといけない。

「そうなんだね。まあ、今日はオペラを楽しむとしよう。明日、ぜひザラトロと一緒に私の屋敷に来てくれ。続く話はその時にしようじゃないか」

 フェリーシアはうなずいて椅子をもとに戻した。ザラトロには二人の会話は聞き取れていないようだった。


 帰り道、ザラトロはいつになく興味ありげに聞いてきた。

「カルレン公はずいぶんと君を気に入ったようだね。さっきはいったい何をしたんだい?」

「錬金術を見せてくれと言うから、カルレン公の飲んでいたワインの味を変えたのさ」

「ワインの味を変えた、、、、それは錬金術なのかい?」

「うん、それも錬金術の一種さ。明日、それについて屋敷で話をしようだってさ」

 フェリーシアはそれ以上話さなかった。二人は明日の待ち合わせの時間と場所を決めて別れた。


 ザラトロが去ると、歩いているフェリーシアにバーグが静かに寄ってきた。

「お疲れ様でございます、お嬢様」

「バーグ、まあ、上々といったところよ」

 フェリーシアは劇場での出来事を詳しくバーグに話した。

「するとカルレン公は、お嬢様が錬金術を使われたと思われたのですね」

「ええ、そういうことね。明日、屋敷で説明する時に、うちのギルドのことをほのめかすわ。もう時間がないわね、、大祝祭まであと一週間」

「お嬢様、くれぐれもご無理はなさいませんように」

 バーグはフェリーシアを心配した。

「そう言えばお嬢様、昨日、お嬢様とザラトロが話をされている間、妙な話を聞いたのです」

「妙な話?」

「はい、ロバートたちと話をしていた時ですが、彼が『ここの幹部たち、俺たちのところにどうもスパイを送っているらしい』と言うのです。それでよくよく聞いてみると、幹部たちはスパイを使って反体制的な人物がいないかどうかを見張り、内容によっては処分や処罰を下すのだそうです。それでロバートが言うには、それがミッシェルじゃないかと言うのです」

 ロバートはトーマスがよく話す仲間の一人だ。

「トーマスは、誰だと思っているのかしら?」

「はい、彼は、、その、、ザラトロではないかと言うのです。ザラトロは貴族にもつながっているので、ここの幹部にも顔が利いているのかもしれないって」

「でも、ザラトロがこのロッジでメンバーの情報集めをしている様子は見たことがないわ。店に来たってすぐ壁際の席に行って、、かえって他の人たちから距離を置こうとしているじゃない」

「はい、そうなのですが、、どうも彼は、他のロッジでミッシェルと会っているらしいのです」

「ミッシェル、、、」

 確かにミッシェルはトーマスと似たようなタイプで、根っからの話好きで人の話を聞きたがるところがあった。

「さらに、ミッシェルは何も知らないだろうとトーマスは言っていました。ミッシェルはザラトロの正体を知らずに情報を流し、ザラトロに利用されているのではないか、、というのが彼の見立てです」

 フェリーシアは少し違和感を持った。ザラトロがつながっているのはカルレン公だ。それとは別にロッジの貴族ともつながる、、、それは、ザラトロにとって何かメリットがあるだろうか、、、お金か?

「あなたはそのスパイ、誰だと思う?」

「はい、、私は、最初トーマスが怪しいと思いました。しかし彼はその話を堂々と、またいろいろな人と繰り返し話しているのです。一応、こそこそと話してはいますが、それを見る限り、彼は違うのかなと、、、」

 バーグもはっきり誰とは見極められないでいた。

「ただ、いろいろな可能性を考慮しないといけません。もしトーマスが言うようにザラトロだとしたら、彼はお嬢様の行動を逐一幹部に伝えているでしょう。ここのロッジ幹部たちはカルレン公と違い、正真正銘、王政側の貴族です。もし『ロッジに錬金術を使うエッジスタート出身者がいて、その者はギルドの技術を知っているようだ』と耳にすれば、彼らはお嬢様を捕まえようとするでしょう」

 ザラトロはいったいどっち側の人間なのだろうか。明日、カルレン公に話そうと思っていたことを、彼に知られても大丈夫だろうか。

 フェリーシアはぎりぎりの選択を迫られている。もう時間がないのだ。どこかで勝負に出なければならない。



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