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衝撃の結末を思い出してから数日後―――
爽やかな青空に小鳥が囀ずる庭で、フリルの付いた赤いドレスを着た私は、東屋で黙々と本を読み耽る…
「ステラ」
ようやく呼ばれ慣れてきたこの世界での自分の名前に振り向くと、そこには私の運命を握る姉が水色のワンピースで銀の髪を陽の光に輝かせながら優雅に立っていた。
「お姉さま」
そして初めは口にだすのも恥ずかしかった(今もまだ口の端辺りがムズムズする)呼称で彼女を呼ぶ。
「まぁ、また読書をしていたの?ステラは小さいのにどんどん難しい文字も読めるようになってすごいわ」
そう言って机の上に積まれた本を手に取りながらソフィアは微笑み、
(…それは私が貴女よりも実年齢が年上だからなのよね…)
と思いながら私もにっこりと笑う。
そんな私達に側で控えていた使用人の男女が、
「お二人が微笑まれると天使みたい…」
「ほんっとうに、俺、侯爵家に就職出来て良かった…!」
「あ~ん…もう、食べちゃいたい…」
と悶えている声が耳に入る。
(…最後のはソフィアを?私を?…あのメイドの人…最近着替える時とか良く肌に触れてくるのはそういう下心があったのかしら?…男女構わず狙われる様な身の上に私がなるとは…美形怖い…)
とソフィアと微笑み合いながら、心の中で自分の『穏やかで幸せな人生を送るためリスト』にソフィアが学園を卒業するまでは何人からも自分の貞操を守る、を密かに付け加えた。
そこへ…
「ソフィアお嬢様、ステラお嬢様、ご両親がお呼びで御座います」
と相変わらずの完璧執事セバスチャンが隙の無い仕草で礼をし、そう告げた。
「ありがとうセバス。さ、ステラ、行きましょう」
「はい、お姉さま」
私は読んでいた『今日から使える護身術』を手に、ソフィアと共にセバスチャンの後を付いて行く。
この本の内容も穏やか幸せリストに入っている項目の1つである。
(…そろそろ知識だけじゃなく実践もしてみたいんだけど…)
どうしたものか…と思案しているうちに、両親の待つサロンに着いた。
「あぁ、ソフィア、ステラ」
「こちらにいらっしゃい。お茶にしましょう?」
豪華なソファーに座った金髪に紫の瞳の父クリスと、その隣に寄り添うように座る、銀の髪を美しく編み込み結い上げた蒼い目の母ディアナが、優しい瞳で私達を呼ぶ。
「はい、お父様、お母様」
とソフィアが返事をしてドデカイ机を挟んだ両親の真向かいのソファーに座ったので、私も彼女に着いて同じソファーにちょこんと腰掛けた。すると、
「あら、ステラはもうお父様とお母様の間には座らないの?」
とディアナが残念そうに私に言ってきたので、私はギクリとした。
(…甘えっこだったのね…ステラは…)
性格といい見た目といい…令嬢気質過ぎて、私の性格と真逆過ぎるにも程がある。
「…わ、私も、もうお姉さまのようにレディにならなくてはいけませんので…」
と微笑み誤魔化すと、
「……くっ…!」
とクリスが顔を伏せた。
さすがに怪しまれたのかと冷や汗を流しながら緊張していると、
「――…大人なんてならなくていい!ソフィアもステラもずっとキャンベル家に居ればいいんだ!」
と叫び出した。
呆気に取られた私を置いて、普通なら成人男性(子持ち)のそんな姿なんかみっともなくて見てられないの筈なのに、
「旦那様、お辛そう…」
「俺、気持ちわかる!分かりすぎる!」
「憂いに満ちた旦那様…たまんなぁい…」
と周りからは好意的な意見が多くて(一部違う感じだが)、
(本当怖い…これだから美形は…)
最早口癖になりつつある言葉を心で吐きながら私は遠い目になる。
「あら、でもあなた?このお話は断る事は出来ないのでしょう?王妃様から是非に、との事ですし…」
ディアナがクリスの背中に触れてそう言うと、
「っ…行かせたくないっ!」
と美男が涙を浮かべながら駄々をこねる。
ディアナはそんな夫を、仕方無いわねぇ…とふたりの子持ちとは思えない程の可愛らしさ全開の溜め息をつくと、
「あのね、ソフィア…今度王宮でお茶会があるのだけれど、貴女…行ってみる?」
とソフィアに告げ、それを聞いた私の心臓が跳ね上がった。
王妃、王宮、お茶会…この言葉から導きだされる答え――
(…王子の婚約者選定…!)
その言葉に密かに汗をかいている私の隣で、
「私が…ですか?」
とソフィアは少し戸惑ったような声を出した。
それを聞いた私は心の中で、いよっしゃあ!!と歓喜する。
(やった!今はまだ、ソフィアは王子と接触していない!…と、いうことは…ここでソフィアが選ばれなければ、私の首はくっついたまんま…人生のハッピーエンドまっしぐらって事よね!?―――それならば…)
ある覚悟を決めた私は、こてんと小首を傾げ、日本にいた頃は誰にもしたことの無い上目遣いで両親を見つめると、
「…そのお茶会…私が行ってはいけませんか?」
と告げたのだ。
*** *** ***
あの日、私は思い出した事を元に、これからのステラ人生を穏やかに天寿を全うする為、陽が暮れるまで机にかじりつき、いくつかのアイデアを思いついた。
*学園に入る前に主人公との接触し、そして友人関係を作る
(王子との関係を阻害、もしくは他の男性を薦める為)
*ソフィアと王子の関係を強固なものにする
(目移り防止策)
*万が一シナリオ通りに進んだ場合に備え、ソフィアが闇落ちしないように支え、尚且つ、精神的ダメージを軽減するよう努める
(首と体の為に)
*どれも失敗した時の為、逃亡する手立てや体力を作っておく
(サバイバル覚悟)
等の色々な案を出し、この『穏やかで幸せな人生を送るためリスト』を、あの忌まわしいダンスパーティまでの約8年の間にやり抜いて、リストの名前通りの人生を送ると心に決めた。
「…なんだけど」
う~む…と右のこめかみの辺りをぐりぐりと指で押しながら、私は考える。
(そもそも…事の始まりは例の色ボケ王子のせいなのよね…乙女ゲームの中の王子と云えど、長年の婚約者から出会いから一年も経たないもと平民の娘に鞍替えとか…そんな王子に国任せちゃって大丈夫なのかしら)
「――ソフィアもそんな男、熨斗つけて主人公に渡しちゃえば良かったのに…ソフィア程の美人で優しい娘なら他に大事にしてくれる男が居そうなものよね~……ん?」
独り言の中に何か引っ掛かるものを感じた。
「他の、誰か」
そう呟き、私はその言葉に思わず手を叩く。
「それだわ…そもそも、王子との婚約が無くなれば…8年待たずとも私の人生は安泰なハズ!そうすれば自ずと元の世界に帰れるかもしれない!」
ここでの生活は美少女になった上にセレブ生活だが、やっぱりキラキラは自分には似合わないし、むず痒い、そして美形怖い。
「――でも…ソフィアっていつからダメ王子の婚約者になるのかしら…?」
もし、すでにその立場なのだとしたら、もう後には退けない8年越しの博打の始まりだ。
「…いや…でもあの娘、私がステラになってから普通に屋敷で暮らしてるだけだったみたいだし…」
王子の婚約者ならそれなりに王子妃の教育とかあるはず…知らないが。
(それならまだ希望はある感じか…)
と私は置いていた羽ペンをペン立てに戻すと、リストをたたみ、ステラの物であろう可愛らしいオルゴールの引き出しにそれをしまいこんだ。
(とにかく…準備を始めながら、機会が来たらソフィアと王子を会わせないようにするのが賢明ね)
そう考えをまとめた私は、
(そうと決まれば…早速使えそうな本を探しに行かなきゃ!)
と再び本棚のある部屋へと向かった。
―――この時の私はすっかりライオネルの事など忘れ、彼が何故屋敷に居たのかも考えもせず…そのことがまさかあんな事になろうとは…想像すらしなかった…
*** *** ***
「まぁ…ステラが王宮に?」
ディアナはあらまぁと微笑む。
そのタイミングで家族にお茶が用意され、ディアナだけ優雅な仕草でお茶を飲んだ。
(どう?…どう?ステラでも良いでしょ?ディアナさん!)
慣れない上目遣いと傾げた首がそろそろ限界なので早く答えを下さい。
そしてディアナがカップを戻し、私を見ながら、
「ダ・メ」
と笑いながら言った。
「ど、どうして?ディ……お母様…!」
狼狽えて危うく名前を呼んでしまいそうになりながら、私はディアナに食い下がる。
するとソフィアが私を呼び、
「…ステラ、これは貴女の思っているお茶会では無いのよ?」
と頭を撫でた。
大丈夫。
知ってます。
任せてくださいお姉さま。
「そうよステラ、今回のお茶会は王子様の婚約者を選定するお茶会なのよ?」
存じております。
お母様。
だから私が行かなければならぬのです。
私は今度はパチパチと長い睫毛を瞬かせ、
「でも、私、行ってみたいです。王子さまにもお会いしてみたい(そうする事でソフィアとの出会いを阻止したい)」
とディアナに懇願する。
そんな娘の様子に、
「あらあら…ステラったら…」
ふふふ…と可愛らしく笑ったディアナは、
「貴女はもうライオネル様と婚約しているじゃないの」
と言った。
「――――――ぅえぇ?」
可愛らしい口から間抜けな声が出た。