132節 自己酔い
「はぁ……」
俺は黒板の上に設置された時計を一目見てからため息を付いた。
カツカツと緑色の黒板に、チョークで白い線を描く成人男性。彼が書いているのは数学の数式だ。
俺が得意教科は、現代社会、現代文、生物学であり物理と数学は圧倒的に相性がわるい。この二つだけは何時も赤点ラインを下回っている。
6時間目。最後の授業であるが、苦手な教科と言うタイミングで時間の動きが毎度遅く感じるのだ。嫌になる。
「よし、今から教科書1~6の答えを前に出て書いてもらう。もちろん、因数分解の途中式もだ……そうだな。転校生まずは簡単な1番を解いてみろ」
「はい」
指名された礼は、胸を揺らし立ち上がり教卓に駆けて滑らかな指先でチョークを手に取る。
カツカツと、白い粉をこぼしながらしっかりと書いていくのは優等生の姿だ。これが、勉強など半月ほどしかやっていないと誰が見抜けるだろう?
(X²+4)(X²+6)
=X²+(4+6)X+4×6
=X²+10X+24
筆跡も美しい、カコンと優しくチョークを置き先生の方を見れば満足そうに頷き赤い円を書いた。
「よくできんなあ。俺は無理だぞ……」
これは、感嘆だ。普通にすごい。勉学においては俺の方が一手あると思っていたが張り子の虎だったみたいだ……義務教育の敗北。いや、日本の教育制度が現代に即してないのだから俺はわるくない。
エアコンが効いていないのか、流れ出る汗をタオルで拭い黒板をノートに写す。
顔を上げた瞬間、礼と目が合い自慢げに胸を揺らしているのが目に入るのであった。
「起立、注目、礼」
「あざしたー」
キンコンカンコンとチャイムが鳴り机から立ち上がる。帰りの会が終わり掃除当番のない俺は、教室から羨ましそうに叩き出されてしまった。
礼は……どうやら科学室の掃除らしい。3階から1階を往復しなければならない科学室掃除は外れと言われている。それなりに時間が掛かるだろう。男友達と駄弁るのも、掃除があって無理なようだ。
「邪魔にならない場所で時間を潰すしかないか……」
駐輪場で本でも読んで待っていようか?でも、この暑い日差しの中、紙を広げるのもいかがなものか。
ぽたぽた、汗が流れ出るのをうざったく拭いながら階段を降り2階に差し掛かった瞬間。
「やぁ、君が実吹海斗君かい?」
「はい?」
側面から声を掛けられた。
はて?学内での異性関係はほぼ皆無な筈だ。名前を知っているのは理解できる……傭兵活動は色んな意味で悪弊を生む。どちらかと言えば、嫌われていると思われていたのだが。
怖いもの見たさか、それともからかいか。どれ、面を拝もうか。
目線を向ければ、俺と同じくらいか少し高い程度の女性が居る。ハーフアップの茶髪にキリっとした目が特徴だ。
明らかに、人の上に立つような……悪い言い方をすればこちらを見下しているかのような雰囲気を多端に感じる。
「ちょっと、生徒会室まで来てくれないか?会長がお呼びだ」
「楔会長が、ですか?」
妹の件だろうか?いや、お礼等は既に終わっている。きっちりとお金は振り込まれていたし、緊急の用事であれば精華を通してこちらに来るはずだ。きちんと公私混同を避けている彼女なら、忘れているはずないと思うが……。
いや、いちゃもんだな。
胸ポケットにあるボイスレコーダーを起動して彼女の後を続け室内に入る。
「まずはご挨拶を、ボクの名前は平崎桐花だ。生徒会書記を務めている……何度か壇上に上がったことがあるから知ってると思うがね」
「朝は低血圧なので……重度と言う訳ではございませんが覚えておりません、申し訳ございません」
「っと、校長の話は聞かないタイプか。まぁいい」
生徒会室に入ったのに桐花は、椅子に座って足を組む。……なるほど、どうやらうちの学校はそれなりに潤っているらしい。クッション付きのソファーだ、体育館に備え付けられた安物とは違う。
が、こっちによこすのは安物か。
なれた手つきでパイプ椅子を開き、どっさりと椅子に座る。リュックは自分が座っている横にどさっと置いた。
態度がなっていない?そういう場では元々ないので問題はない。
「君が民間警備会社にアルバイトしているのは学校も把握している。生活のためとは言えあまり推奨はされてはいないが許可が出されてるため、ボクからは口は出さない。」
「はぁ、では何用で?」
「君は先日機械生命体襲撃時、保安庁職員から銃を奪い交戦しましたね」
……あの時か。
先日のアネモネと名乗る魔法少女から、確かに拳銃を譲渡……いや、半強奪した。
だが、撃った弾丸が敵の方向に飛んで外れるならともかく明後日の方向に撃つとは思わないだろう。
そのまま、弾き飛んできた拳銃を礼が受け取り俺に譲渡。支援戦闘に入ったのが事の顛末なのだが……拳銃に関しては即刻返却したし、家にカチコミに来た警察官の事情聴取も受けた。文句をつけられる理由はないが。
「周辺住人から学校にクレームがありました。未成年に戦闘をさせるとは何事かと、また警察官の方からも本校に連絡がございました。お陰で手間暇がかかったわけですが」
「それは、申し訳ない」
ガタっと右ひじを机に付き左手に持った紙をプラプラとしながら、睨むというより目を細めている。
……。
「学校の責任者となって考えてください。貴方は、こんな面倒事を増やす生徒は嫌だと思うはずです。自分がやられて嫌な事は相手にやらない……これ、基本ではないですか?」
重力と言う絶対的な力から抗うために生まれた太もも、ガーターベルトによって固定されたニーハイソックスの間から絶対領域が衆目にさらされている。容姿端麗の少女がやるとなればなかなか様になっているとなるが、対面しているこちらの身としては好ましく感じない。
こちらを見る細めた目、やや口角が上がった口。
そもそも「自分が嫌な事は相手にやらない」なんて綺麗事を今更宣うのか。それは、相手が同じ価値観を有している場合であり人は十人十色であると理解していないのか。
そもそも、アルバイトを許可したのはそちら側であるし教師がいうのならまだしも、一生徒でしかない生徒会書記が……。
(……楔が夏休み中に俺の家を訪ねてきた理由はこいつか)
ピカッと、フラッシュライトが瞬くように思考が一つの結論に達する。
楔との関りは夏休み前であれば無く、程度距離を置く性格故に友人にも住所等教えた事が無いのに尋ねられたのはコイツが仕入れてきて教えたのであろう。
学校側には、きちんと俺やアルバイト先の住所や電話番号が通達されているはずだ。ソコから抜いてくればこっちが口を割らなくたって知ることができるか。
(こう言う自分の正義に酔うタイプの人間はルールを通していても理屈が通じない奴だ。ここは波風立てないように退散しよう)
「――では、本校にふさわしいように節度ある行動を肝に銘じておきなさい」
「わかりましたご迷惑をおかけして申し訳ございません。では、自分は妹を待たせておりますので退出させていただきますね?」
「いや、まて続きがある」
「はい?」
「君は、数学、物理に関しては赤点を毎回取っているね?それに関してだが――」
それは関係ない話じゃないか。
イライラとした心情を表に出さないようにアルカイックスマイルを保ちながら、俺は毒を放つ。
呼び止められた理由は学校にクレームが入ったから気を付けろと言うはずだ。その話は先ほど結論が付き、終わり解散するはずである。それを、無理やり引き留め全く関係のない話をしだす。
これに関しても、補修授業をしっかりと受け提出物を出しているのだから文句は言えないはずだ。
「毎度残って恥ずかしくな「妹を待たせておりますので退出させていただきますね?」……恥と思わないの「妹を待たせておりますので退出させていただきますね」……私を煽ってんの?」
「煽ってはいないですよ」
怒ってんだよ。なんだこの無意味な問答は……これならば、太陽光の下に居る方がマシと言うもの。
チラリ、壁に立てかけられた時計を見る。時刻は16時を過ぎて、もう大体の掃除も終わっている頃だろう。
「すみません。人を待たせているのでいいですか、今日これ以上は不可能で」
「そういう風に威張る言葉遣いだから問題を起こすのでは!」
ギンと怒鳴るような悲鳴を上げるような甲高さで叫ぶ目の前の少女に、海斗は完全に参っていた。
威勢を張って従わせようとするのはそちら側だろうに……威張るの意味をもう一回辞書で引いてほしい切実に。
海斗は、他の人は少し違う人生経験をしている。そうであるが故に、絶対に会話が出来ない相手のテーブルに踏み込まないしこう言ったことに関しても直接的なダメージは無いのである。
彼を苛立たせる理由は単純に貴重な時間を取られるからだ。時間は金で買えないし、そもそもコイツに払う寿命など一銭もない。命の危機を体験したからこその価値観である。
だが、相手はそんな事など知りもしないし理解もしない。
このまま、踵を返そうか……そう思っているとドタドタと近づいてくる気配を感じる。
「君が威張ると他の生徒も威張――」
「失礼します。マス……海斗君に何か御用時ですか?仕事関係のお話なら僕たちではなく、会社に直接ご連絡していただきたいんだけど」
ノックも無しに勢いよく開かれた扉。視線を向ければ明らかにイラついた礼の姿がそこにあった。
入室許可の一切も無く拒絶と言う二文字を態度で示しながら、殺気籠った眼で桐花を睨みつける。
蛇に睨まれたカエルとはこの事だろう。実際に礼は人間より遥かに強い寄生体であるから比喩表現ではない。
相手がひるんだ隙に、礼は俺の手を引き生徒会室から引っ張り上げるのであった。
「それはまぁ、災難でしたね先輩」
「あぁ、余計な時間を使っちまった」
買い物帰りのゆずきと合流した後、疲れているのを見破られどんな事があったのか愚痴を話してしまった。
女性と言うのは俺達男性よりも、感覚や気配に敏感なのか直ぐに気付かれた。きっとへそくりの場所を良く当ててくる妻とかいるらしいから共通なのだろう。
「現実が見えてない人が多いですね」
「自分の正義に酔ってるだけさ。そういう意味では利己的の奴の方が信用できる」
「生徒会長に教えたのも彼女だと思うね。どうせ同じ生徒なのだから無償で助けるでしょとか……或いはクモの糸を垂らして悩める会長を救ったんだとか思ってるよ。僕は」
実際に俺達は楔の妹……翡翠を救うという事を行ったし目を付けられたのだろう。
楔家族だって保険適応でしっかりと報酬を払っている。が、傍から見ればタダで動く便利屋と思ってるのかねぇ。
「まぁ、他愛もない話なんかやめましょう。こんなくだらない事に時間使うよりイチャイチャしましょうよぉ先輩。夕食はハンバーグです。ひき肉が安かったんですよぉ」
「そっか、んじゃ時間も遅いし分担して作ろう」
「はぁい」「わかった」
太陽と言うのは人の都合など考えず命の火を浴びせてくる。
自転車を必死にこぎ、自分の家にたどりついた。ガラスはもう修復され冷気が外に漏れる事は無い。
ポケットの中から、鍵を取り出しカチャカチャと2つ解除。引き戸を開けて、とっととエアコンを起動しよう。
ガチャっと、開けたとたんに感じるのは換気されず圧縮された暑さ……ではなかった。
機械で作られた涼しい風が頬と髪を撫でるのと同時に。
「お帰りなさい。御子様」
露出が多い衣装で玄関を陣取る茉莉の姿であった。
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