第一話『アゲハチョウの出逢い』
『遅ばせながら、皆さんに今から魔物と戦うための準備、説明をさせて頂きます』
地下室に反響して響く音声に叩き起される。目を開ければ、殺風景な牢屋の中。どうやら悪夢からは覚めることが出来なかったようだ。それなら仕方がない。慣れるしかないのだから。
『今日、皆さんに求める仕事は、城の周りにいる魔物を二体殺してきてもらいたいのです』
立体映像とでもいうのだろうか。いきなり牢屋の中央に、さっきの女王がミニサイズで現れた。
黙っていればきっと美人なのだろう。
その女王のところまで足を運んで正座する。手で触ろうとするが、予想通りすり抜けて掴めない。
『魔物を殺した証拠として、魔物の心臓に当たる器官。核があるので、それを持ち帰ってきてください』
女王と同じように、さっきの魔物がミニサイズ出てくる。女王は右手の白いロング手袋を一々外してから、魔物の原型が保たれていない腹のあたりに手を突っ込む。
何かを探るように女王が手を動かす度に、地下内に血と内蔵が混ぜられているような音が反響し、耳を塞ぎたくなった。しかし慣れておいた方が良いと直感で思い、耳は塞がずにいた。
女王はやっと目当ての物を見付けたらしく──いや、きっと最初から位置を把握していながら僕達に不快な音を聞かせたに違いない──異物がまとわりつき、よく見えない玉を取り出して見せる。
『形や場所は一個体一個体違うけれど、核がある場所は大体胴体の中央。そして獣型であれば球体の筈です』
ゴシゴシと袖で異物を拭き取ると、その球体がまるでドラマで見たことのある心臓のように、取り除かれても尚、脈をうっているのが分かる。
その真っ赤な球体が、紛れもなく、先刻まで生きていた魔物を動かしていたのだと証明していた。
吐き気は、もう催さなくなっていた。
我ながら慣れるのが早いなと思うが、事態が事態であるから仕方がない。
『そして魔物狩りなのだけど、ツーマンセルで行ってもらいます』
核をひょっこり出てきた騎士に手渡し、指を鳴らす。それがトリガーとなったのか、今まで見えていなかった牢屋の同居人が、丁度僕の横に体育座りしている姿を見せた。
「……あの、私の声、聞こえますか」
「うん」
その同居人は動き辛そうな乳房を強調するように息を大きく吸ってから、安堵したように長く空気を吐き出していく。
というかなんでぴっちぴちの体操服着てるんだろうか。それも冬の寒いこの時期に短パン半袖の。
その体操服の胸の名札には、拙い文字で【6-1 ちの】と書いてある。
どう見たって小学生には見えない。僕と同じ高校生くらいだとは思うのだが。
そんな疑問乱立女を見ていると、安堵し終わったのかこちらの視線に気づいた。
頬を赤く染めると、ぷいと顔をそらしをして女の子にしては短い黒髪を弄り始めた。前髪を弄って前に伸ばしたり、横髪を指にクルクル巻き付けたり。
『自己紹介も終わったと思いますので』
何一つ自己紹介してないんですけど。
『次に特別な力について説明しますね』
おっ、これは良い。
色々と謎や聞きたいことはあるけれど、まずどう考えても素手や武器をホイと渡されてズブの素人がさっきの魔物を倒せるがない。
魔物狩りなんていう無理をさせるには、さっきから働いている謎の力が必要だ。
この地下も松明や照明のようなものは一切見えないのに、淡いオレンジの光を放っているのを見るとこの世界では日常的に不思議な力を使っていることになる。
それを僕たちが使えないと話にならない。今話題にあげた、ということはきっと使えるのだろう。
『私達はこの力を夢の力と書いて夢力と呼んでいます。この夢力は、【一度夢で見たことのある、有り得るはずのない力】を具現化させる力のことを言います』
「はぁ?」
そんなことが有り得てしまうのなら、魔物狩りだろうが魔王殺しだろうがそっちで勝手に出来るじゃないか。
告げようとして、やめる。文句を垂れようがこっちが疲れるだけ。
『皆さんには、ここで一つ疑問が浮かんだことでしょう』
「疑問? 浮かびましたか?」
「ちのさん、これからツーマンセルを組むからでこそ言わせてもらうけど、この世界はどうやらマジだ。全てに疑問を持つくらいでいた方が良いよ」
キョトンと首を傾げながら綺麗な黒い瞳をこちらを向いてくる。純真無垢なのか、ただの馬鹿なのか分からない。
そんな個々のやり取りは気にしないミニマム女王は言葉を続ける。
『本音を申しますと、私達より貴方達の夢力の方が強力なのです。その為、今まで異世界人を呼び出すのは代々禁止されていました。異世界人が全てを崩すと伝承にあるくらいです。しかし、魔王の侵攻が肥大化。もう私達には貴方達を頼る他に道がなくなったのです』
じゃあ僕達が第一異世界人ということだろうか? それにしては騎士の手際が良い。この牢屋に関しても、夢力で隠しているのかわからないが囚人が周りに一切いないのが気になる。
『夢力の使い方に関してですが、皆さんには今から体の一部にこちらの輪を巻いてもらいます。そこから先の使い方は輪が教えてくれるので、少し時間を取ります』
何かと思いきや、天井から黒い輪ゴムのような物が二人分落ちてくる。目を凝らして落ちてきた方向を確認するが、穴が空いている様子はない。
これも夢力だろうか。
「あのー……」
「あ、自己紹介か。僕は、」
名前を伝えていなかったし。時間は取ってくれているらしいので簡単な自己紹介をすることにした。
ここは本名を伝えるべきか? うん、信頼関係を築いていく第一歩だろう。ここは本名で。
「揚野 羽流。揚げる野原に、羽が流れるで揚野羽流」
言いながら地面に指先で字を書く。
「私は千野 耀です。千の野原に耀くです」
僕を真似て地面に文字を書く。自己紹介を済ませたところで、千野さんはフフッと笑みを漏らす。
「どうしたの?」
「あ、いえ。気に触ったのならすみません。前にお母さんに名前の由来を聞いた時に、私には耀いて欲しいのと、名字の一文字目と名前を合わせてチョウのようになって欲しかったらしくて」
地面に書いた文字に丸をつける。中々お茶目で、良い名前をつけてくれる母親なのだろう。
僕とは大違いだ。
「それで、揚野君の名前を見た時、同じようにつけられたんだなぁって」
「え? なんで?」
「だって、ホラ!」
千野さんは僕の名前にも同じように丸をつける。
それを読み上げる。
「アゲハ」
「ね! ね! 二人合わせてアゲハチョウだよ!」
相手は無駄なテンションになったのが恥ずかしかったのが、さっきみたいに髪を弄り始めた。
うん、アゲハ……か。まあ元々僕用じゃない名前だ。僕には隠してちゃんとした理由があるのはある意味当たり前かもしれない。綺麗な考え方だけどこんなのどうでも……いや、これは使えるか。
「千野さん。さっきも言った通り、全てを疑おう。でもパートナーだけは信じないと駄目だ。だからでこそ、なるべく本名を隠そう。これは周りを警戒出来るし、パートナーを信頼出来る材料になる」
「わ、分かりました。ではなんと呼べば?」
さっきの字を叩く。
「じゃあ、改めて宜しくチョウさん」
「はい。よろしくですアゲハさん」
なんかこそばゆい。
ポリポリ頬を掻いて、さっきの輪ゴムをどこにつけようか悩んでいると手が差し出された。
顔を伏せ、ぷるぷる震えながら僕の応答を待っている。
「これから宜しくね。あとコードネームだしアゲハでいいよ」
「ひゃい、宜しくお願いします。私もチョウで良いです」
握り返すと、力強く上下に振られた。
「この輪ゴム? どこにつけますか?」
「うーん」
伸縮するし、通常の輪ゴムより平たく広いだけのただの輪ゴムっぽい。全てを疑おうとは言ったけれど、これはつけなきゃ話が進まないし。
「僕は無難に右手首かな」
「じゃあ私は左手首に」
それぞれが手首に輪ゴムを通すと、黒い輪ゴムが溶けるように俺の手首と同化していく。
刹那、脳内に色んなものがフラッシュバックする。まるで今まで蓄えてきた物を全て引き出しから取り出すような感覚。
ぐ、ここに来て何回目だよ。
僕はまた前傾に顔から地面に落として、同じように倒れているチョウを見ながら瞼を閉じた。