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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

罪の魔王シリーズ

小さな刃物と罪の魔王に捧げる金色

作者: クスノキ

鬱展開が苦手な方はお控えください。また終盤にグロ表現がございます。

「この花を、貴方にあげます」

 その意味を俺が知るのは、それからずっと後のことだ。



 俺は生まれてからずっと、吐き出すほどの侮蔑と耳が痛くなるほどの罵声を浴び続けてきた。


 俺を侮蔑する内容は様々だ。それは例えばこのギョロリと飛び出た目だったり、髪が抜け落ちデコボコとした黒ずんだ頭だったり、節くれだっているくせにひょろ長い手足だったり、そのくせ体自体は小柄だったり、あるいは男なのに女みたいな名前をしていたり。まぁ、俺を侮蔑するものはたくさんある。

 罵声については俺が貧しい農村の大家族の末っ子に生まれたからだ。無駄飯ぐらいと罵られ、その外見が気味悪いと罵られ、幼子だった頃にとっとと働けと罵られた。実の家族に女みたいな名前をしていると罵られたこともある。そんなに罵るくらいなら女みたいな名前をつけなければ良かっただろうに。そう思ったことも一度や二度ではない。

 だが思っても言ったことはない。何せ俺は家の中では末っ子な上に小柄で非力だ。一度逆らいでもしたら、死ぬまで殴られるだろう。逆らうことは、できない。


 そんなわけで俺はとても卑屈で、自分に否定的な人間に育った。自分の価値などゴミクズ以下。いやゴミクズの中には偶に価値のあるものが混ざっているから路傍にある何の変哲もない石程度の価値か。要するにあってもなくても同じもの。むしろ踏んで躓くかもしれないからない方がいいくらいだ。

 自分に価値などなく、むしろいない方がいい存在。そこにあるだけで周囲に不快を招くから、できるだけ息を殺して生きよう。死んだ方がいいかもしれないけれど死ぬのは怖い。だから死なない。死にたくない。


 15までの俺はつまるところそんなどこにでもいるような、いないようなそんな人間だった。

 そんな俺の運命が変わったのは、この世界に昔から存在する魔王のおかげ。



 魔王。それは闇の力を操り、世界を破滅に導く存在だと言われている。魔王を殺せるのは勇者しかおらず、勇者を殺せるのもまた魔王しかいない。

 そして魔王は力の強い魔族から現れるが、勇者は異世界から呼ばれてくるものらしい。


 当然俺は魔族ではないし、異世界から呼ばれたわけでもない、単なる農村の無駄飯食らい。話としては知っていても、関係のない話だと思っていた。

 しかし誰もがそんなものだと思う。皆魔王がいなくなってくれればいいとは思いながらも、自分がやろうとは誰も言い出さない。特別な才能もなく、決して折れない意志をもっているでもない一村人だ。当然といえば当然だ。


 それに今代の魔王は先代までの魔王よりもはるかに強いという。だからこそ存在しているだけで、作物は不作になる。人の心を荒らし、病ませる。魔王降臨の時に空を覆う灰色の雲は厚く、到底消えそうにない。

 それほど強力なのに、まだ人間が滅んでいないか不思議だろうか。なぜ人間が滅んでいないか。それは今代の魔王が人間を攻めようと思っていないから…らしい。

 ただ、存在するだけ。もちろん存在しているのだから魔物は生まれるし、魔族も魔王が生み出す闇を吸って強くなる。けれど魔王自身は魔王城に顕現したまま動かない。

 だから『不動の魔王』。もしくは『罪の魔王』と、その魔王は呼ばれている。


 いてもいなくても同じで、いるだけで周りに不快をもたらす俺と、確固として存在しているだけで周囲に害をもたらす魔王。全く違うようでどこか似ている魔王に俺は不遜にも共感を覚えていた。自分自身に否定的な俺が唯一抱いた不遜だ。

 一体魔王はどんな気持ちでいるのだろうか。もしかしたら俺と同じように卑屈でいるのかもしれない。だから魔王城から出てこないのかも。…そんなわけないか。魔王が弱いはずがない。なら卑屈でいるはずもない。けれど是非一度、魔王と話をしてみたいものだ。そうしたら分かり合えるところがあるかもしれない。

 俺はそんなことを夢想しては孤独と空腹に震える日々のよすがとしていた。



 だからこそこれは皮肉だろう。もしくは魔王へ抱いた不遜への罰か。ある日俺の住む村にやたらと豪勢に着飾った一団が訪れた。

 先頭に金ぴかの鎧と巨大な宝石があしらわれた剣を下げた男がいて、その後ろには不敵な顔をした軽装の槍使い。それに魔法使いと思わしき杖を持った女と盾ほどの大きさもある鏡を背負う巫女がいた。

 彼らは村の入り口に立つと、なんだなんだと集まる村人たちの前で驚くべきことを言った。


「この中に神とその使いである神器に選ばれた者がいる!我々はその者を探しに来た!」

 ついに世界に蔓延る魔王を滅ぼそうとする存在が現れたのだ。



 彼らは自分たちのことを勇者と名乗った。だが彼らは異世界から召喚されたわけではないらしい。彼らが言うには今代の魔王の力があまりに強すぎるせいで、勇者召喚の儀が行えないのだそうだ。だから勇者を召喚する代わりに神が、選ばれた者を勇者にも劣らぬ者へ変える力を持った神器を作り、人間へ贈ったのだという。

 神が生み出した神器の数は5つ。5つ揃えば歴代最強たる『罪の魔王』も倒せるのだという。


 そしてこの村にその5人目の使い手がいる。村の中は騒然となった。神器に選ばれたかどうかは巫女の背負う鏡が教えてくれるらしい。その鏡は特殊な鏡で神器に選ばれた者は姿が映らないのだそうだ。その代わりに神器を吐き出す。


 神託を得た巫女がまずその鏡を受け取り、その後剣使いも槍使いも魔法使いも、そうして神器を得たらしい。


 ともかく、村の人間は皆集められて一人ずつ鏡の前に立たされた。もちろん俺もその列に加わり、そして俺の姿は鏡に映らなかった。


 どうやら俺は自分のことを、何の変哲もない石ころだと思っていたが、金が混じったゴミクズだったらしい。


 未だに俺が鏡に映らなかった時の神器使いたちの顔は忘れられない。プライド高い剣使いは盛大に顔をしかめ、気障な槍使いは口をポカンと開けた。尊大な魔法使いは分かりやすく目を逸らし、清純な巫女すらも頬を引きつらせた。

 だが何より驚いたのは俺だろう。無価値で不快をまき散らすだけだった俺が魔王を討伐に行く。これほど滑稽な話はそうはあるまい。だが鏡が神器を吐き出したのは事実でその神器を使えるのは俺しかいなかった。

 神器は持ち主以外が触れると弾かれるのだ。


 …もし俺が得た神器が他の神器使いのように立派なものだったなら、あるいは俺の外見がまだしも人並みなものだったなら、また話は違ったのかもしれない。だが俺が手にした神器。それは神器には到底見えない銀色のちっぽけなナイフだった。



 そのナイフは俺の卑屈な心を示しているようで、それは実際示していたのだろう。プライドの高い剣使いの神器は視界を覆い尽くすほどの光の奔流を放ち、気障な槍使いの神器は相手の急所を的確に穿つ。尊大な魔法使いの神器は彼女が想像した通りの魔法を実現し、清純な巫女の神器は触れる全てを拒絶し反射した。

 神器は持ち主の心を表す。俺の神器も俺の卑屈な心を忠実に表した。


 存在の希薄化。それが俺の神器の能力だった。あまりに地味で、それでいて有用な能力。ひとたび俺がこの能力を使えば誰も俺のことを認識できないし、敵の攻撃すらも勝手に避け、すり抜けていく。

 だがそんな俺の能力を他の神器使いたちは卑怯で卑劣だと言った。神器という出鱈目なものを使っているのだから、神器使いたちは皆卑怯であり、同じ土俵で勝負しない卑劣でもあると思ったが、彼らにとっては違ったらしい。彼らはあくまで真っ向から勝負をしているつもりなのだ。そんな彼らからしてみれば、俺の神器は敵の背後をついて一方的に殺す下衆なものだそうだ。


 期待はしていなかった。だがどこかで落胆していた。俺は神器に選ばれても路傍の石ころで、でも金の混じってしまったゴミクズで。そんな俺が表舞台に無理矢理乗せられた結果なんて、考えなくても分かるだろう。


 王都でのパレードで、王との謁見で、夜の社交界で、俺は今までの人生で受けてきたそれをまとめてもなお敵わないほど、強烈で悪質な侮蔑と嫌悪を受けることとなった。

「どうしてあんな醜い男が勇者の一人に」

「神器が間違えたのではないか」

「気持ち悪い」

「死ねばいいのに」

 勝手に選んでおいて、勝手に侮蔑する。ひどい話だ、だが誰かに反抗するなんて思いもしない俺はその悪意全てを受け止め、そして憂鬱な思いを抱えたまま、魔族領へ魔王討伐の旅に出ることになる。

 もちろん、仲間であるはずの同じ神器使いも俺に優しくすることはなかった。



「荷物を持てよ愚図」

「目障りだからこっちに来るな」

「気色悪いからあっちに行け」

「ごめんなさい。貴方くさいです」

 仲間の声。いや仲間ではない。神器使いたちの言葉だ。彼らは俺に雑用の全てを押し付け、旅のストレスを押し付け、そのくせ魔物や魔族との戦いでは同じだけの負担を強いた。


 お前は卑劣なのだから。卑怯なのだから。ただでさえその醜い外見で自分たちを不快にしているのだから。俺たちの仲間にしてやっているのだから。だから働け。それが義務であり、当然のことだ。神器使いたちは言外にそう言っていた。

 人に逆らうことを知らない俺はそんな彼らにも逆らうことなく、淡々と従い続けた。だが旅は険しく、迫りくる魔族はますます多くなる。俺の能力は存在の希薄化。俺が倒した事実は誰にも認知されず、誰よりも戦果を上げても殴られる。蹴られる。その暴力も死なない程度にしているのが、尚のことたちが悪い。

 神は神器使い5人でなら、魔王に勝てると言ったのだ。神器使いに代わりがいない以上、どんなに俺のことが不愉快でも、俺を殺すわけにはいかない。


 迫りくる奴は皆敵で、同じ道を行く奴も皆敵だ。安らぎのない日々に俺の心は摩耗する。俺はますます卑屈に、否定的になった。そして自分という存在を押し殺す。


 そのために俺はこうなるに至った元凶である、神器のナイフにすがった。仲間の中の自分という存在を希薄にし、己に迫りくる害意から逃れる。これは思いの他上手くいった。誰も俺に話しかけない。誰も俺を気にかけない。

 それで俺は一時の平穏と安らぎを得ることができた。究極的な無関心。人によっては耐えられないものだろう。けれどこれまで俺に向けられたことがあるのは負の感情だけ。マイナスがない分ましになった。


 侮蔑と罵声を浴びることのない、人生初めての平穏だった。


 俺は孤独に時を過ごしながら、気づかれないように雑用は続ける。そして勇者の一人として敵は殺す。誰からも感謝されず、誰からも見てもらえず、誰からも気づかれない。そんな日々。

 それが数年は続いただろうか。魔族領の中央付近をウロウロしていた神器使いの一行は一度王都へ呼び戻されることになった。


 理由は王が日々努力する()()()勇者をねぎらいたいからというものらしい。それを聞いて笑いがこみ上げてきた。()()ではなく、()()。どうやら俺は救うべき国からも存在を忘れ去られてしまったようだ。

 それこそが俺の望んだものだったとしても、あまりにむごい話ではないか。俺は人知れず嗤いと涙をこぼした。


 …思えば、この頃からすでに俺の心はおかしくなり始めたのだろう。だからこれ以上なく()()()のだ。



「じゃあ城へ行くのは明日の昼だから、それまでは自由時間だ。3人とも好きに過ごしてくれ」

 という剣使いの一言のもと、神器使いたちは散っていった。することも、会いたい人もいない俺は孤独に王都を彷徨う。


「俺は一体何がしたいんだろうな」

 確かに俺は日陰者だ。しかし日陰者にも少しばかり恵みがあってもいいのではないか。このギョロリとした目も、髪の生えていないデコボコした薄黒い頭も、妙に長い節くれだった手足も、そのくせ小柄な体も、男なのに女みたいな名前も。全部俺のせいではない。なのにそれを理由に俺は誰からも侮蔑と罵声を浴びせられ、今もこうして孤独に夜道を歩いている。

 壊れかけの心が軋んだ。


 卑屈であっても不満は感じ、自分に否定的であっても昏い怒りは覚える。逆らうことを知らない俺だったが、人知れず憤懣を溜めることはできるようになってしまっていた。

 自分の喉を突いて死んでしまおうかと思ったこともある。神器使いの一人の首を刈って殺してしまおうかと思ったこともある。…実際にやりかけたこともある。


 朝の食事中、ふと席を立って剣使いの背後に回りナイフを突きつけたのだ。だが気づかれなかった。剣使いは他の神器使いと楽しそうに会話をしたまま、ナイフに当てられていることにすら気づかない。他の神器使いも気づく様子はなかった。

 他の神器使いよりも敵を殺したからか、はたまた俺自身の卑屈と否定が増したからか。神器は強くなっていた。同じ神器使いに殺気を向けても気づかれない。俺は本格的に俺と言う存在が、この世界から希薄になっていっているのを感じた。



「こんばんは」


 それでも死ななかったのは俺には願いがあるからか。


「聞こえていますか?私は貴方に話しかけているのですが?」


 一度だけ魔王に会ってみたい。空腹と孤独にあえいだ農民時代のよすがとなった唯一もった不遜な願い。それを叶えたくて俺は神器使いと道を共にしている。同じ道を歩いているとは思わないが、彼らのすぐ近くに道を歩いているつもりだ。


「無視されるのは辛いのですが」


 だがもし魔王に会ったら俺はどうするのだろうか?魔族と出くわした時と同じようにナイフを向ける?それとも神器使いを裏切って魔王の仲間になるか?馬鹿馬鹿しい。そんなことできるはずがない。


「…こんばんは。息を殺して歩く人」

 トントン、と肩を叩かれた。俺は息を止める。ありえない。俺の神器の能力はもう制御不可能なほどに常時発動していて、誰も俺のことなんて見えていないはずなのに。


 なのにこの女は俺と目を合わせている。


 おかしな外見の女だった。ろくに手入れのされていないボサボサの黒髪に、顏には大きな傷跡。やせ細っていて、触れれば砕けて消えてしまいそうなくらいに存在感がない。その上ズタボロのメイド服を着ていた。

 だがそんな印象を全て塗りつぶしてしまいそうな要素が一つ。それは目だ。女の目。粘着質でドロドロとした、あらゆる色を煮詰めたような黒に溢れている。それでいて狂気的な輝きが残っていて、およそ人がしていい目ではない。まるでこの世全ての負の感情に人の皮をかぶせたかのような女だった。

 その女は俺がやっと認識したことにわずかに微笑み、幽鬼のような立ち振る舞いで口を開く。


「ようやく気づいてくれましたね。このまま気づかれなかったらどうしようかと思いました」

 女の言葉は思いの他理知的で、狂気しか感じない外見と相反して、言いようもしれない違和感と嫌悪感が襲う。

 だがなぜだろ。


「どうしましたか?そんなに私が貴方に気づいたことに、驚いているんですか?」

 この女に、強い共感を覚えている自分がいる。



「どうして…」

「はい?」

「どうしてあんたは俺に気づいたんだ?」

 あらゆる思いを押し殺して、俺はまず始めに浮かんだ問いを投げかける。すると女はさも当然のように答えた。


「全てが無価値に見える私が貴方を見て、多少なりとも価値があるように思えたからです。これはきっと共感。貴方は私の『ご主人様』にはなれないけれど、『共犯者』にはなれる」

「…意味が分からない」

 俺はゆるゆると首を振って答える。『ご主人様』?『共犯者』?こいつは一体何を言っているんだ?それに俺の問いに全く答えていない。

 俺とこの女はまるでかみ合っていないはず。俺はこの女が理解できないはず。なのになぜ、俺の中でこいつに対する共感が増してきているんだ?


「分からなくても構いません。これは『希望』も『慰め』も捨てて『死』を望み、その罰を受けた私のエゴなのですから。私が貴方に共感を抱いた。だから話しかけた。話してみたら私のこの共感は間違っていなかった。だから貴方は私の『共犯者』にはなれると思った。それだけのことです。そうです。貴方は『ご主人様』にはなれない。私にとってのご主人様はたった一人。誰もあの人の代わりにはなれないのですから」

 うつむき、ブツブツと呟き続ける女。その中で女の目はますます暗闇の光に輝き、何か()()()()()()が辺りに漂い始める。

 だが俺は不思議とこの女から逃げようとは思わなかった。


「貴方と私はよく似ています。だから貴方に祝福と呪いを。この花を貴方にあげます」

 顔を上げ、女は流れるようにどこからともなく花を取り出して、俺に差し出してきた。オレンジ色をしてフワリと球を作るように咲いた、強い香のする花だ。

「トッポイの花?」

 俺はその花の名前を知っていた。農村の近くに良く咲いていたのだ。臭い、臭いと言われて村人は見ればすぐに抜いてしまっていたが、俺はその花のことが好きだった。


「違いますよ。これは『マリーゴールド』です」

「マリー?」

 だが女は俺の知らない花の名前を上げた。トッポイの花の別名だろうか。聞き覚えはない。それ以上にその花の名前が気になった。


「ええ。これは『マリーゴールド』。…どうかしましたか?」

「あ、ああいや」

「そう言えば貴方の名前を聞いていませんでしたね。私はメリィと申します。貴方の名前は?」

「俺は…」

 導かれるように、俺は自分の名前を告げる。それを聞いたメリィの目が大きく見開かれ、口元に薄い笑みが作られた。


「それはまた素晴らしい偶然ですね。…ではまたいつかお会いしましょう。きっとすぐに会えますよ」

「まっ…」

 俺は何を思ってか女を引き留めようとする。だがそれよりも早く、女の姿は煙となって消えてしまった。それはもはや人間のできることではなく、俺の心が孤独のあまりに見せた幻なのではないかと思うようになった。

 しかし俺の左手には確かにトッポイの花…マリーゴールドがある。しばらく呆然とした後、俺はまた夜の町を歩き始めた。


 メリィから受け取ったマリーゴールドの花は、どうしても捨てることができなかった。



 その夜から俺は少しだけ変質した。今までずっと押しこめ続けてき負の感情が少しずつ表に出るようになった。

 初めは魔物の前で、いつもより少しだけ荒々しい殺し方をした。首筋を掻っ捌いて殺すのではなく、生きたまま皮を剥ぎ、骨を折り、悲痛な叫びに聞きほれた。そんな陰鬱な殺し方は日に日にひどくなっていき、ついには魔物殺しでは足りなくなった。俺の毒牙は魔族や神器使いにまで伸びた。


「く、くはは!俺は魔族最強の男!貴様ら人間風情に負けるようなことはない!」

 魔王城も間近に迫った魔族領の奥深く、そこで出会った若い魔族の男に神器使いたちは苦戦していた。魔族最強を名乗るその男は、その言葉通り今まで出会った魔族の中の誰よりも強く、強靭だった。

 剣使いの光の奔流を鼻で笑いながら手で払いのけ、槍使いの正確無比な一閃をケタケタ笑いながら避ける。魔法使いの魔法は皮膚を貫くすら叶わず、巫女の鏡の盾も魔族の前では意味をなさなかった。

 この魔族は強い。神器使いたちも善戦したが、一人倒れまた一人倒れ、ついに立っているのは俺だけとなった。


「くっく。これで全滅か。他愛もない。これで魔王を倒そうなどとは片腹痛いなぁ!」

 意識を刈り取られた神器使いたちを前に魔族は高らかに勝利宣言をする。その間俺は何をしていたか。簡単な話、俺は何もしていない。ただ神器使いがやられるのを見ていただけ。見殺しにしていただけ。

「…俺が手を貸さなきゃこいつらはこんなもんなのか」

「ん?」

 不意に口をついて出た言葉に魔族が首を傾げる。どこかから言葉が聞こえた。しかしその声の主が見当たらない。それがありありと分かる表情だ。


 俺は魔族の真正面にいるのに、それでも魔族は俺の存在に気づかないか。


「悲しいな。俺はとても悲しい」

 チャキと右手にナイフを取り出す。そのナイフを俺はゆっくりと持ちあげる。そして持ち上げたナイフを思い切り振り下ろした。


「あ…ぐあっ!」

 振り下ろしたナイフは魔族の肩に深く突き刺さり、魔族は痛みに苦痛の声を上げる。

「な、んだぁ!?誰だ!誰がやった!」

「俺だよ」

 俺は魔族の言葉に正面から答える。だが魔族は俺のことを認識できない。周囲をきょろきょろと見回して、警戒態勢を取る。


「…悲しいよ。本当に」

 そんな魔族に悲嘆の言葉を投げかけて、今度は腹にナイフを突き刺した。

「なぁ!!…が、はぁ」

 刺したナイフにひねりを加えてそのまま引き抜く。他の神器はまるで通らなかったのに、俺の神器はまるでゼリーにでも突き刺すように抵抗なく魔族の体を脅かす。


 これは魔族がナイフを認識できていないからか、それとも俺の神器が特別だからなのか。


「ただ、まぁ」

 それからまた数度ナイフを突き立て、血を吹いて倒れた魔族の左の眼球に、俺はナイフを刺し込んだ。ずぶずぶという音が聞こえるようにゆっくりと。認識できない「何か」が命を冒涜するのがよくわかるように。

 あぁ、俺は今きっと嗤っている。楽しそうに、悲しそうに、嗤っている。


 魔族の眼球からは透明な液体が流れ、もう片方の瞳は痛みと恐怖を伝えるように震えるように蠢きまわる。そしてナイフが眼球を通り抜け、頭蓋の骨を貫通して脳を冒した時。


 魔族の目が俺という存在を捉えた。


「お、まえ…がぁ」

「ははっ…悲しいよ。俺は」

 グチャグチャと眼球越しに脳を破壊し、ナイフを乱雑に引き抜く。口から赤い泡を吹き、虫の息となった魔族に俺は言う。


「お前が俺にもっと早く気づいていれば、こうはならなかったかもしれない。気づくのが遅すぎたんだ」

「お、おま、おまエハ」

「こんなの、『絶望』的だよな。折角気づいてくれたのに。でも俺は『勇者』だから、『悪は挫か』ないといけないんだよ」

 果たして俺のその言葉はどこから来たものだったか。小柄な俺を見上げる形となった魔族の脳天にナイフを墓標のように突き立て、俺は()()()()()()魔族を殺した。



「危ないところだったな。だが助かった。これはきっと神のご加護のおかげだ」

 若い魔族を殺して、その死体を遠くの谷に捨てて帰ってくると、無様に敗北した神器使いたちが起き上がって反省会をしていた。どうやら彼らの頭の中では、魔族は神の加護のおかげで逃げ出したとでも思っているらしい。


「ええその通りです。明日はついに魔王城に侵入します。おそらく城の中にはたくさんの邪悪な魔族がいることでしょう。それに…」

「そうね。代々魔王の配下には大罪の名を冠した幹部がいるそうだけど、まだ私達は一人も見ていない。だとすれば幹部は皆城の中にいるってことでしょうね」

「じゃなけりゃ名乗ってなかっただけかもしれないけどな」

 槍使いの魔法使いを茶化すような言葉に神器使いたちは朗らかに笑う。それから槍使いと魔法使いの目が偶然合い、魔法使いの頬が赤らんだ。それに槍使いはフッと格好つけて笑う。

 その様子も剣使いと巫女は手をつないで微笑まし気に見ていた。


「…反吐が出る」

 過酷な旅路の果てに恋をして愛が生まれた。神器使いたちは英雄譚の主人公にでもなった気分なのだろうか。呑気なものだ。自分たちがここまで生きて来られたのが誰のおかげかも知らないで。

 きっと彼らは明日の戦いも、ドラマティックに戦い、そしてドラマティックに勝利できると信じているのだろう。


「俺たち()()揃えば、大罪の幹部だろうが、魔王だろうが敵じゃないさ」

「そうですよ()()()()()()()()()()()()()()()と言っていたのですから」

「ああ。俺たちならやれる。余裕だよ」

「ええ。魔族なんて私の魔法で塵にしてやるわ」

「ふぅん」

 自信に満ち溢れた神器使いたちの言葉が、俺には虚ろなものに聞こえた。



 翌日、不気味なほどに音が消えた荒野を、神器使いたちは力強い足取りで魔王城へ進軍し始めた。たった4人での進軍にもかかわらず、彼らからは不安や恐怖といったものは感じられない。

「悲しい話だな。…本当に悲しいことだ」

 カリカリと右手で頭を掻き、俺は神器使いたちの後ろをついていく。神器使いたちに勝ち目はない。なぜなら。

「神は神器使いが5人揃えば、魔王を倒せると言ったんだろう?でもお前たちは4人じゃないか」


 神器使いは決して5人ではない。4人と1人だ。それに俺は神器使いたちの戦いに協力するつもりはない。だから神器使いたちは絶対に魔王には勝てない。

「くくっ…」

 俺は小さく嗤いをこぼした。そして彼らの無残な死にざまを想像して、孤独に悦に浸った。



 神器使いはついに魔王城の敷地の中に入った。そこで彼らは疑問を抱く。

「なぁ、なんで魔族が出てこない?」

 神器使いたちがいるのは魔王城の庭。庭はかつて土を掘り返した跡があるが、今は草1本生えていない乾ききった大地が広がっている。だがそれでも魔王城の敷地。しかも見晴らしはいい。

 魔族の迎撃がないのは明らかな異常だった。


「どういうことだ?」

 剣使いの疑問の声に俺も心の中で同意する。この荒れ果てた庭はまるで魔王の心情を表しているようで、俺の胸に冷たい風を吹かせた。


「まさか、ここには魔王がいないんじゃ…」

 何かを思案するような魔法使いの言葉。それに巫女も同意する。

「かもしれません。魔王は魔王城にいる。そのことを私達は今まで疑ってきませんでしたから」

「とすると、この城は大掛かりな罠か?」


 それは違うだろう。罠にするにしても少数の見張りを置くべきだし、外観くらいは整えておくはずだ。見るからに荒城然としていては、今の神器使いのように警戒させてしまう。罠にしてはあまりにお粗末だ。


「…それでも、俺たちに城の中へ踏み入れないという選択肢はないんだ」

 罠という言葉に眉をひそめた剣使いだったが、結局城の中に入ることにしたらしい。意を決したように、仲間たちの顔を見渡す。


「そう…だな。行かなきゃな」

「はい。私もその意見に賛成です」

「もしかしたら城の中で魔王がビクビクしながら隠れているかもしれないしね」

 魔法使いの勝ち気な言葉に勇気付けられたのか、剣使いが巨大な城の扉に手をかけた。


「…皆準備はいいな?」

 かすかに緊張のこもった声。3人は無言のままうなずいた。

「行くぞ!勝つのは俺たちだ!」

 そして剣使いが勢いよく扉を開け放ち、目を見開いて硬直した。俺もまた、目の前に広がっていた光景に目を疑った。



 まず、先に気がついたのは匂い。それから色だった。濃密なまでの花の匂い。わずかであれば心地よく感じられるそれが、今は鼻にからみついて脳を冒すほどにねっとりとした、不快感がある。匂いが鼻から入って脳を冒し、溶かしてしまいそうだ。

 こんな空間に住んでいて、正気を保てるとは到底思えない。


 匂いに圧倒されそして、今度は目に入るオレンジ色だ。目が痛くなるほどのオレンジ。それが文字通り視界一杯に広がっている。

 魔王城はその本来の姿をしていなかった。大きな扉からも想像できるように、魔王城は巨大だ。そしてその内部も迷路の如き複雑さと、見上げるほどの塔ほどの高さを誇っていたはずであり、それを乗り越えて初めて神器使いたちは魔王と会いまみえることになるはずだった。

 しかし魔王城の中は地下があった部分も含めて、全ての壁、床が抜かれてあり、球の形をしていた。そこに花が植えてあるのだ。


 ()()()()()()()()()が。


 元々床であった場所に短い間隔でマリーゴールドが植えられ、どころか壁すらも這うように植えられている。天井にも植えられているのだから、病的であるとしか言いようがない。

 いや、実際病的なのだろう。静寂の中に広がる、吐き出すような芳香と目を潰すほどのオレンジは狂気的で、それを生み出した者も狂気に落ちているに違いないのだ。


 神器使いたちはその尋常ではない光景に足踏みし、帰りたい気持ちで一杯になったが、帰れない理由があった。それは静寂とオレンジと悪臭の中に、ポツンと存在する異物があったからだ。

 ドーム状になった魔王城の下にある黒。見下ろす形で神器使いたちから見える、古びて今にも崩れ落ちそうな木製の椅子に座る一人の女。

 まともに手入れのされていないボサボサの黒髪に、顔に広がる大きな傷跡。着ているものはなぜかメイド服。だが女があまりにやせ細っているせいで、メイド服の下には何もないようにすら見える。そしてこの世の負の情念を集めて煮詰めたような昏い目。

 俺はその女の名前を呼ぶ。


「メリィ…」


「あぁ、ほらやっぱり」

 暗闇のような、地の底から囁きかけてくるような声。


 また会えたじゃないですか。


 緩慢な動作で顔を上げて、メリィが言った。



「お前は…何を言っているんだ?」

 メリィの視線は間違うことなく、俺の方に向いている。だが俺のことを認識できない他の神器使いにとっては、メリィが妄言を言っているようにしか思えないらしい。

「お気になさらず。貴方たちに向けて言ったわけではありませんので」

 キィとメリィの座る椅子が音を立てる。メリィは椅子に座ったまま、見上げるようにして剣使いに答えた。相変わらず、外見と反してメリィの言葉は理知的に聞こえる。そのアンバランスさに、神器使いたちは一歩後退った。


「…お、お前に一つ問う」

 震える声で剣使いが問う。


「はい。何なりと」

 変わらぬ声でメリィが答える。


「お前が魔王か?」

「はい。ようこそいらっしゃいました神器使いの方々」

 椅子に座ったまま、メリィがペコリと頭を下げた。


「つっ…。そうか。なら俺たちはお前を殺す」

「そうですか」

 オレンジと悪臭に満ちた空間に足を踏み入れて剣使いは宣言する。だがメリィは興味なさげに返事をするだけだ。

 それを神器使いたちは挑発と受け取ったらしい。怒りを覚える心が、臆する心を上回った。


「そんな風に座ったままでいるのは、余裕の表れか?」

「そうですね。貴方たちくらいなら、立つ必要はありません」

 温度の通っていない、つまらなさげなメリィに向かって、神器使いたちは一歩一歩慎重に距離を詰めていく。


「ところで…なるほど。私の『呪い』はそうでましたか。私がマリーゴールドに『濃密な愛情』に『変わらぬ愛』と私の『嫉妬』を託しましたが、貴方は『悲嘆』と『絶望』を見出したんですね。そうですか。貴方はずっと悲しかったんですね。…ますます貴方と私は似ています」

「何を、何を言っているんだ魔王!お前はさっきから誰に向かって言っている!!」


 メリィは入り口の近くに立ったままの俺に向かって話す時だけ、暗い輝きを瞳に宿す。

 メリィは剣使いの苛立ちを込めた声には、興味のなさげな声で答える。


「勇者にならんとするものが、そんなことくらいで取り乱すものではありません。そうでしょう?勇者とは、常に強く、冷静で、それでいて熱くて。どんな強敵でも持った剣で勝つ。何度倒されても、殺されかけても、あきらめず、最後に必ず立っている。それが勇者でしょう?少なくとも、私の知るかつて勇者だった『魔王』や、私の『ご主人様』はそうでしたよ。違いますか?神器使いさん」

「お前は何を…」


「あぁ、せっかくだから一つ問いましょう」

 メリィは俺に視線を向けたまま、一つの言葉を紡いだ。


「貴方たちは何人いますか?」


「は?そんなの…4人に決まっているじゃないか」

「…それはまた」


 悲しいですね。


 俺の台詞だこの野郎。

 心底不思議で仕方がないと言わんばかりの剣使いの言葉に、俺の心はピキリと音を立ててひび割れた。



「当然のことを聞くなよ。知っているか魔王。()()()()()()()()魔王すら倒せると、神は言っていたんだぞ。…油断しすぎだお前」

 悲嘆と絶望に視界がゆがむ俺のことなど露知らず、剣使いは勝ち誇った顔で剣を振り上げた。


「貴方は…本当につまらない人間ですね。これならまだしもご主人様に群がっていたあの女の方が見るべきところはありましたよ」

 メリィはわずかに目を伏せる。剣使いは両手に掲げた剣からまぶしいほどの光を生み出した。闇を払う光の奔流。初めて見た時とは比べ物にならないほど強烈で巨大な光の滝が、剣使いが持った剣を振り下ろすと同時に放たれた。



 …分かってはいた。けれどどこかで期待していたんだ。

 侮蔑と罵倒だけだった農民時代。俺は見たことのない魔王へ幻想を抱くことで日々を過ごしてきた。

 けれどそんな日々はある日終わりを告げる。勇者の一行が現れ、俺は路傍の石ころではなく、金の混じったゴミクズだと分かったんだ。


 侮蔑と罵倒が俺の心を痛めつけた。


 期待した。無駄飯食らいだった俺が勇者となって、悪しき魔王を倒す。そして周りから侮蔑と罵倒の代わりに、尊敬と称賛をもらえるのではないかと、期待したんだ。


 仲間だったはずの人間が俺を侮蔑する。罵倒する。


 でも結局、俺は金が混じっただけのゴミだった。しかも悪臭を放つゴミ。だから皆俺のことを侮蔑して、罵倒する。悪臭が皆を不快にさせ、気持ち悪い外見が皆に嫌悪感を抱かせた。


 期待しなければ良かった。神器に選ばれなければ良かった。こんなことになるなら、農民として一生貧しく暮らしていれば良かった。


 期待は毒だ。愚鈍に凝り固まった心に熱を入れ、ほぐしたくせに、その心にナイフを突き立てるのだ。


「そんなのあんまりだろう?俺が何をしたっていうんだ。飛び出た目も、禿げた頭も、ひょろ長い手足も小柄なのも、女みたいな名前なのも、全部俺のせいじゃない。俺は何も悪いことなんてしていない!」



 剣使いがメリィに向かって剣を振り下ろした。夜を照らす光の雪崩。メリィの周囲から黒い霧が立ち上った。

 薄い霧と闇を払う光がぶつかり合う。


「馬鹿な…」

「…貴方たちは本当に愚かですね」

 剣使いの唖然とした声。メリィは無傷だった。剣使いの全力を込めた一撃。それは全てメリィの生んだ霧に阻まれてしまった。


「嘘だろ…。勇者の光は魔王の闇を払えるんじゃなかったのか?」

 槍使いの呆然とした呟き。


「まさか、足りない?」

「そうですよ」

 魔法使いの言葉にメリィが頷いた。


「確かに魔王の闇を払えるのは勇者の光だけ。でも弱々しい蝋燭の光では空に広がる闇は払えません」

 淡々としたメリィの言葉に、神器使いたちは青ざめる。撤退。その二文字が浮かんだのだろう。彼らは意識を扉へ向けた。


 だから俺は開いていた重い扉を閉めた。


「んな!」

 突如閉められた扉に恐怖し、神器使いたちが見たのは。


 愛する者の顔だった。


 剣使いと巫女。槍使いと魔法使いが互いの顔を見合わせる。それを見たメリィの様子が変わった。

「あぁ、なるほど。そうですか。へぇ。貴方たちはそういう関係ですか。…まったくもって『妬ましい』ですね」

 瞬間、槍使いが全身から出血した。


「ゴフっ…」

「…!大丈夫!?」

 とっさに魔法使いが槍使いに駆け寄る。だが魔法使いが槍使いに近寄るほどに、槍使いの出血がひどくなる。それに気づいて魔法使いは槍使いから距離を取る。

 だが全身を襲う痛みのせいで、意識がもうろうとしている槍使いには魔法使いが自分を避けたように見えた。


「どう、して…。た、すけて」

 目からダラダラと血を流しながら槍使いが魔法使いに手を伸ばす。そうするほどに槍使いの体は『呪い』に蝕まれていく。皮膚が裂け、肉が断裂し、血が体の外へ流れ出る。


 助けたい。でもその方法が分からない。


 近寄りたい。でも近寄ればそれだけ槍使いの体は傷つく。


 そんな二律背反に捕らわれ、魔法使いにできることは涙を流して槍使いから離れることだけだった。

「はぁ…はぁ。あ、あんたが」

 己の無力を誤魔化すかのように、魔法使いはメリィに憎悪の視線を向ける。その視線を軽く受け流し、メリィは薄い微笑みを浮かべる。


 その懐かしいようなものを見る微笑みは、魔法使いではない何かを見ているようだった。


「えぇ。私が彼に『呪い』をかけました。何の意味も含ませない感情だけの呪い。ですが存外、効果的だったようですね。もしかして彼は色々なところで嫉妬を受けていたのでは?」

「お前ぇぇぇぇぇぇ!」

 魔法使いが杖を振り、火炎を放つ。だがその炎はメリィの纏う霧に阻まれ霧散する。近くに咲くマリーゴールドの花にも焦げ目一つつかない。


「弱いですね。貴女。…貴女はその怒りで自分を燃やすといいですよ」

 スイとメリィが魔法使いに指さす。そして『憤怒』と一言呟いた。


「あ、が…ああああああ!」

 わずかに、魔法使いの体から黒い霧がこぼれた。そしてその霧に続くように魔法使いの体から真赤な血と肉と、白い骨がこぼれた。


「あ、へ?」

 身体を蝕み続ける呪いに苦しみながら、槍使いはその光景をまじまじと眺めた。魔法使いが死んだ。皮膚から血と肉と骨がはじけ、たくさんの思い出を詰めた脳をマリーゴールドの花にばらまいて死んだ。あっけなく死んだ。


「あ、あぁ、う、そだ。そんな、そんなことが…」

「愛。貴方は純粋な感情をその人に向けていたんですね。…本当に」


 妬ましい。


 ビチャン、と音がして、槍使いも死んだ。全身の穴という穴から血を流し、干からびて死んだ。その骸が崩れ落ち、マリーゴールドの花の上に弾けた魔法使いと重なるようにして絶命した。

 むせかえる花の匂いとマリーゴールドのオレンジと血肉の赤のコントラスト。そこに骨の白を差し込んだ光景は、何かの悪夢を見ているかのようだった。


 そんな二人の死にざまを退屈そうに見ていたメリィは、まだ生き残っている剣使いと巫女に目を向けた。そして眉を顰める。


「臭い」

「え?」

「男と女の臭いですね」

 メリィの言葉に冷たい殺意が混じる。剣使いと巫女の顔が真っ青になり、がくがくと足が震え始めた。


「淫乱だ。淫乱だ。淫乱だ。気持ち悪い。気味が悪い。反吐が出る。そんなものを愛とは呼ばない。肉欲を、私は愛だとは認めない」

 まだしも理知的だったメリィの言葉に狂気がにじむ。襲い掛かるプレッシャーに耐えかねた二人は膝から崩れ落ちて、苦しそうに胸を押さえる。

 呼吸が上手くできていない。


「…そんなお前たちには『色欲』がお似合いだ。そして『色欲』と『暴食』は、よく似ていますよね」

 古びた椅子に座ったままのメリィが微笑みを浮かべて語る。そして剣使いと巫女からも薄い霧がこぼれた。


「あ…」

「ぁう」

 二人の目から恐怖が失われる。正気が失われる。魔王のことすら頭の中から消え失せる。そして残ったのは、隣り合う互いのことのみ。


 剣使いと巫女は顔を見合わせて笑った。そして互いの首筋に食らいつく。


 頬を赤らめ、愛を囁きながら二人は互いの体に牙を立てる。体をこすり合わせ、目に相手のことしか映さない二人は、互いを求め、食らうことしか考えない。

 やがて剣使いが巫女を組み伏せ、がつがつと生きたまま巫女の肉を食らい始めた。巫女はうっとりとした顔で自らが喰われる様を見ている。剣使いは陶然とした表情で巫女を食べる。


 その姿はまるで知恵をもたない獣のようだった。


「あ、ぁぁ、ぁいしてぇ、る」

 最期に巫女の口からそんな言葉がこぼれた。そして巫女の目から光が失われる。剣使いは巫女の亡骸に馬乗りになって、巫女の血肉で顔を赤くして幸せそうに笑っていた。


「『呪い』はなされました。後は正気に帰るだけです」

「あ…へ?」

 剣使いの目に正気が戻ってきた。そしてその目に映るのは無残に食い殺された巫女の死体。

「肉欲の相手のお味はどうでした?」

「あ、いや、そんなこと、うそ、これは、ゆめ。ゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだゆめだ!!!」


 首を傾げ、問いかけるメリィの言葉が剣使いに届いていたかどうか。くちゃりと剣使いが一度口の中のものを咀嚼し、口元に手を当ててから壊れたように叫びだした。一度は帰ってきた正気が再び失われかける。


「さぁ、後は貴方の番ですよ」

 メリィに導かれ、俺は絶叫する剣使いへ、右手にナイフを持って歩み寄る。


「なぁ、一つ答えてくれないか?」

「ぉ、だぁ…あ?」

 奇跡でも起きたのか、それともメリィが何かをしたのか。剣使いが俺を捉えた。平坦な口調で俺は一つの質問をした。


「お前は俺の名前を知っているか?」

「な、まぇ?おまえ。だれ、だ?」

「…そうか」


 何を俺は期待していたんだろう。名前なんて一度も聞かれたことはなかった。名乗られたことだってなかった。

 名前も知らないのに、仲間になれるはずなんてないじゃないか。俺と神器使いは、初めから交わらない道を歩いていたんだ。


 剣使いの口に右手で持ったナイフを差し込み、そのままつき上げる。

「ご…」

 顔を真っ二つにして、剣使いは死んだ。パタパタと剣使いの赤い血が俺に振りかかる。俺の顔に、右手に、腹に、足に。


 そして左手に持ったマリーゴールドの花にも真赤な血がついた。


「あ、そうか。俺、ずっとこの花を持って…」

 むせかえるほどの花の匂い。正気を失わせる悪臭。でも、この香はかぐわしい。俺はこの香が好きだった。俺はあの日、メリィに会ったその日からずっと、マリーゴールドの花を左手で離さず持っていた。


 魔法使いは『憤怒』に体を弾けさせ死んだ。槍使いは『嫉妬』を受けて干からびて死んだ。巫女は『色欲』と『暴食』に食われて死んだ。そして剣使いは俺が頭を二つに裂いて殺した。

 神器使いは死に、残された神器が銀色の破片となって俺の神器に流れ込む。俺の存在はますます希薄になり、世界がどこまでも遠くに感じる。


「どちらでも、良かったんです」

 けれどメリィは俺のことを認識している。メリィの目が俺の姿を映す。メリィの声が俺の耳に届く。これほど俺は世界から遠のいてしまったのに、それでもメリィは、魔王は俺のことを認識してくれる。


 その何と喜ばしいことか。


「私は生きるでも、死ぬでも良かった。だから貴方にマリーゴールドを渡したんです。貴方が『絶望』に落ちるでもいい、『悲嘆』にくれるでも構わない。でも、貴方がもし『悪を挫く』存在となり、『勇者』となってくれるのであれば、私は死んでも良かった。スノードロップの花はもういらない。もう全てがどうでもいいですから」

 メリィの声が甘美な調べとなって、俺の頭に響く。これまで感じたことがないほどの幸福感に包まれる。


 誰かに見てもらえる。なんて、素晴らしく、嬉しいことなのだろうか。


「実際、貴方が悪を挫く勇者となれれば、他の仲間から『信頼』と『友情』を得ることができれば、貴方は…」

 メリィが悲し気に目を伏せる。そして俺の金色の瞳を見て、こう問いかけた。


「マリィ。貴方が望む者は何ですか?」


「俺の名前を…」

 俺の金の瞳から涙がこぼれる。嬉しい。嬉しい。嬉しい。メリィから名前を呼ばれる。それだけでこれまで俺が浴びてきた侮蔑と罵声がちゃらになった。


 これ以上ないほどに、俺は救われた。


 俺は、マリィは、罪の魔王に跪き、オレンジのマリーゴールド差し出して言った。

「俺は…」

 そしてマリィは魔王に全てを捧げた。



 小さな刃物と罪の魔王に捧げる金色 終わり


 マリーゴールドは非常に多くの花言葉がある花です。その上意味も両極端。とても面白いです。


 この話の前日譚として『雪の雫を貴方にあげる』(https://ncode.syosetu.com/n2516eq/)があります。罪の魔王メリィ視点、大体100年ほど前のお話です。よろしければ是非。

 ポイント評価、感想などがあると励みになります。また、本作品と『雪の雫』を合わせた補足を活動報告の方に上げておりますので、興味のある方はそちらも是非。

 読んでいただきありがとうございました。


4月17日 追記

やっべぇ。何がやばいって補足書いてるって書いてるのにそれがずっと非公開になっていたことですよ。まじやっべぇ。…すみませんでした。

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[一言] ストーリー、面白かったです。 文章もやっぱりすごいですね。 終盤グロめでしたけど。
2018/07/15 15:56 退会済み
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