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iDENTITY RAISOND´ETRE

あいれぞクリスマス特別編 ロイス・ジャーナルの特別な一日

作者: 来阿頼亜

 十二月二十四日。世間的にはクリスマス・イヴは恋人達がキャッキャウフフする日だ。なんとまあ下らない。こういうのを『悪しき風習』と言うのだ。

 アタシ達ジャーナリストにはそんなモン関係無い。特ダネ、スクープをどこよりも早く入手するためには、瑣末なイベントに個人の感情で一喜一憂するわけにはいかない。今日という日は特別な一日でも何でもなく、ただの日常。


「聖人の生誕祭を祝うってのはどうなったんだか……」

「レイアさん、とりあえず鼻の下に挟んだペンは取って下さい」


 向かいのデスクで原稿を書いているアストが生意気な口を叩いてくる。


「編集長もシンさんもクリスさんも不在だから退屈かもしれませんけど、原稿の締め切りは待ってくれませんよ?」

「わぁかってるわよ、そんくらい。この小姑アスト」


 クリスとシンはウチの購読者からのタレこみにより取材へと行ってしまった。そして編集長も娘さんの迎えに行くという名のサボりへと出かけてしまい、今この部屋にはアタシとアストしかいない。

 あれ、これってもしかして二人っきりってコト?

 ヤバい……何がヤバいって、いらん事を考えてしまったから妙に意識してしまう自分がヤバい。

 落ち着けアタシ、コイツはただの相棒、仕事上のパートナー、そして今はただの口うるさい小姑、その辺に転がってる小石よりも下等なへっぽこアストだ、アストだ、アストだ、アストだ……

 ちらっとアストの方へ眼をやると、生意気にも険しい目つきでモニターを睨みながら、キーボードを叩く指をせわしなく動かして原稿を書き上げていた。まるで仕事出来るスパダリだ。スパダリじゃないわよっ! 何言ってんのアタシ!


「レイアさん……もしかして……」


 突然のアストの声にアタシは素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ひゃ、ひゃい? にゃ、にゃに?」

「……やっぱりお疲れなんですね。カフェ・オ・レでも買ってきましょうか?」

「あ、ああ……そうね、お、お願いしようかしらぁ、あははぁ……」


 軽く首をかしげながらアストは部屋を出て行った。よし、今のうちに平静を取り戻そう。


「何を意識してんだか……クリスマスっつったって、イエスの誕生日じゃない。誰かの誕生日なんて、そんなの毎日あるわよ。アタシの誕生日だっていつかのどっかにあるわけだし、クリスやシンやアストにだってどっかに誕生日があるわけだし……」


 そこまで呟いてハタと気付いた。

 十二月二十四日って……アタシの誕生日だ。誰かさんの誕生日を祝ってる場合じゃないし、浮かれてる場合でも無い。いや、別にクリスマスに浮かれてはいないけど。


「アタシ今年でいくつだっけ? まぁ、いっか。あ~あ、結局今年もな~んにも無かったなぁ。来年は……働いて働いて働いて働いて……って、社畜じゃん」


 アタシは今、余りにも深すぎる闇を抱えた。ついでにキャスター付きのマイ・チェアの上で膝を抱えた。


「何してんですか、レイアさん?」

「うひぇっ!?」


 カフェ・オ・レを買いに行っていたはずのアストがいつの間にかアタシの背後に立っていた。後ろを取られた事が不覚だという事ではなく、この恰好を見られた事が恥ずかしく、まともにアストの顔を見る事が出来ない。


「やっぱり疲れてるんですね。ここ、置いておきますよ」


 デスクの上にカップを置き、自分のデスクに戻ったアストは椅子に座ると軽く伸びをしてから「さて」と一言置いてから再びキーボードを叩く。うぅ……アタシってばホント、タイミング悪いわ。いや、タイミングが悪いのはアストの方だ。いや、待てよ。もしかしたらアストはこのタイミングを見計らってたのか? いやいや待て待て。何故アタシはこんな事を考えているのだ? やっぱりアストが悪い!

 結論が出たところでカフェ・オ・レに口をつける。うん、程良い甘さが喉の奥にまで沁み渡る。疲れ切っていた脳への糖分補給も完了したところでアタシはモニターに並ぶ未完成の文字列に文字を加えていく。




 どれほどの時間が経っただろう。

 時計を見る間もなく、ただただ原稿制作に没頭していたこの時間は悠久にも感じた。

 蓄積した疲労は、目、肩、腰に甚大なダメージを与え、目薬やビタミン剤等で回復するとは思えなかった。


「くぁー、つっかれたぁ」


 大きく伸びをし、勢いよく背もたれに体を預ける。窓の外は既に暗くなっていた。今日という一日ももうすぐ終わりを告げ、また新しい明日がやってくる。平凡で何気なく過ごす毎日だが、これこそが平和を満喫するという事であるならこんなに幸せな事は無いだろう。

 結局、定時を過ぎてもクリス達は戻ってはこなかった。今度はどこまで取材に行っているのやら。


「アスト、原稿上がった?」

「一応は書き上げたんですけど……」

「けど?」

埋草うめぐさしといた方がいいと思うんですけど、いい記事が無くて……」


 埋草とは、余白を埋めるために挿入する記事などの事だ。


「なぁに? 足んないの? どれどれ……」


 アストの背後からモニターを覗き込む。なんだ、結構うまく纏まってるじゃないの。これもひとえにアタシの指導の賜物ね。


「あー、こないだの『宇宙クラゲ』のヤツね。アレは半分ガセっぽいけど」

「そ、そんな事言わないで下さいよ」


 ん、なんかアストの顔が若干赤みを帯びているようだが熱でもあるのかしら。


「だぁーって、あの爺さんが提供するネタっていっつもガセじゃない?」

「た、確かに前回の『黄金を吐きだすカエル』は酷かったですけど、ってゆーか、あの……」

「ん? なあに?」

「近すぎませんか……?」

「近い……?」


 それを理解するのに少し時間が掛ったが、アタシの顔の数センチ隣にはアストの顔がある事に気付き納得した。そして、それとほぼ同時にアタシの体温がみるみる上昇していくのが分かった。

 多分、このまま横を向いたらアストの頬に唇がくっついてしまう距離だ。確かにこれは恥ずいしヤバい。しかし、逆に考えればこれはビッグチャンス到来? 今日という日が背中を押してくれるなら、それに身を任せてしまっても……いやいや、待て待て!


「レイアさん……」


 やめろアスト、こっち向くな! この距離でこっち向いたらヤバいって! でもこのまま……と思ったがやっぱりダメ! アタシは瞬時にアストの背後へと身を移した。


「ご、ごめん、ちょび近すぎたわね。あ、あはは……」

「ぼ、僕の方こそすいません、変な事言ってしまって。そ、そう言えば今日ってクリスマス・イヴですね」

「そ、そうね……」


 気まずい。

 ひっじょ~に気まずい。

 沈黙が怖い。アタシはそそくさと自分のデスクへと戻った。こういう時に限ってなんで誰もいないの? 今年のアタシの運命ってどうなってんの? ほんっとこの世は神も仏もあったもんじゃないわね。


「レイアさんって……」

「ひゃうっ? な、何……って、うわわっ!」


 驚いた拍子に勢いよく背もたれに寄り掛かった挙句、大きくバランスを崩してしまった。


「危ないっ!」


 慌ててアストが救助に来るも、案の定というか当然というか間に合うはずもなく、アタシはそのまま後方へと倒れこむ……だけならまだ良かったのだが、何故かアストがアタシの上に覆いかぶさってきた。

 素早くアストが両手をついたおかげで激突だけは免れたのだが……この態勢、この状況は壁ドンならぬ床ドン……とでも言えばいいのだろうか。

 動けない。いや、何だろう、この気持ち。心臓の鼓動が激しくなる。心拍数が尋常じゃない。まるでハードロックかヘビメタかってぐらいのBPM、いや、それ以上に早いビートに目眩がしそうだ。ああ……脳ミソが閉店休業状態だ。

 なんか、もう、このままでいいかな。クリスマス・イヴがアタシの誕生日なら、プレゼントを貰ったって罰は当たらないわよね?

 こういう時ってどうしたらいいのか分かんないんだけど、取り敢えず目を閉じればいいのかな……? 口は……閉じた方がいいのかな? 手はどうすればいいの? きおつけっ! ってしとけば大丈夫かな? え? え? どーすればいいの? さっきから視線が泳ぎまくってんだけどぉぉぉ! 取り敢えず足は閉じておこうかな。

 うん、いいよ? アタシもアンタの事、嫌いじゃないし、つーか、むしろ逆だし? 逆って何? どゆこと?


「大丈夫ですか、レイアさん?」


 大丈夫じゃないわよ? でも、大丈夫。もう覚悟決めたから。うん、何が? あーもー、テンパってるよぉぉぉ!

 ええええええぃ! もうどうにでもなれぇぇぇい! アタシはギュッと強く目を閉じ、にゅっと唇を尖らせた。


「あ……すいません! 今どきますね」


 ……へ?


「怪我は無かったですか?」


 たった今、心に怪我を負ったわ。

 さっきのアタシの覚悟は何だったの? 未だ鳴り止まないこの胸のドキドキは何だっての? いや、知ってたわよ、コイツのアリンコ以下の鈍感さは。でも、それにしたってこちは受け入れ準備オッケー、ばっちこいだったじゃない? それくらい感じ取れっての。


「なんだか辛そうな顔をしてたので……本当にどこも怪我してないですか?」


 辛そうな顔に見えたのか……それはそれで複雑な気分になるなぁ。

 心なしか顔を赤らめているアストを見てふと思ったのだが、こういう時って男の人もやっぱりドキドキするのかな。アタシもそうだけど、アストは自分から積極的に行くタイプではない。ならば、この状況下ではせっかくのチャンスをふいにするのだろう。この機を逃しても次がある……多分、そう思っているに違いない。

 お互いに。

 いい大人が情けない、という意見もあるだろうが、恋愛奥手なアタシやアストにとっては恐ろしく高いハードルなのだ。こんな時クリスだったらどうするんだろう。そして、場の空気などお構いなしにモバイルに着信が入る。電話の主はクリスだった。タイミングがいいのか悪いのか……


『あ、レイア~? 今ねぇ、シンとディナーするお店を探してるんだけどさぁ、どこかいいお店知らない?』


 ぶん殴ってやろうかと本気で思った。


「そんなの知らないわよ! つーか、アタシが知ってたらとっくにアンタに教えてるわよ」

『それもそっか。ところでアストっちはいる?』

「いるけど……?」


 ちらっとアストの方を見ると目が合ってしまった。なんだか微妙に気まずいのでプロジェクター通話に切り替え、壁に通話画像を投影させた。


『アストっちはいいお店知らない?』


 壁に映しだされたクリスがアストに問い掛けるが、三食をジャンクフードで済ませがちな彼がこじゃれたお店を知っているとは思えない。


「そういえば三番街のエルス通りに『イプシロン』っていうお店がありますけど、そこなんかどうですか?」


 知ってた!?


『じゃ、そこにするわ。後で合流しましょ』

『クリス、それじゃサプライズにならないじゃないか!』

『あ、そっか。そ、それじゃね』


 慌ただしく一方的に通信を切ったクリスも気になるが、シンの一言も気になる。しかし、何よりも気になるのが……


「アスト、なんでアンタがそんな店知ってんのよ?」

「いや、まあ……」


 そう言って照れくさそうに鼻頭を指で掻く仕草を見せるアストは見慣れたものだ。しかし、普段ならその仕草に苛立つのだが、今回ばかりはこちらも照れくさくなってしまう。これがクリスマスの魔力なのだろうか。

 窓の外には煌びやかに彩られたイルミネーションが眩く輝いており、街ゆく恋人達を引き立たせるような演出を施している。たまにはこんな雰囲気に流されてみるのも悪くないのかもしれない。


「シンもサプライズがどうとか言ってたけど、アンタ、知ってんでしょ? ま、クリスが言いだしっぺなのは何となく分かるけど、アタシに黙ってコソコソしてんのは気に食わないわね」

「……はぁ、やっぱりこの計画には無理があったんですよ。僕にレイアさんを騙し通せるわけ無いのに……」


 やっぱり何かあった。


「こうなったら仕方無い。レイアさん、行きますよ」

「え、なになに?」


 むんずと手を掴まれたアタシは何が何やら解らぬうちに外へと連れ出されてしまった。




 三番街、エルス通り。

 クリスマス仕様に彩られた並木道を幸せそうに歩くカップル達を横目に、アタシはアストに文字通り手をひっぱられながらワタワタと歩く。腕を組んで歩いているカップル達から投げかけられる白々しい視線が痛い痛い。


「ちょちょちょ、アスト! いい加減離してくんない?」

「あ、す、すいません!」

「サプライズってのはクリスマス・パーティーなんでしょ? よく解んないけど……いいわ、騙されてあげる。その代わり、って言っちゃなんだけど……」


 生涯初の上目づかいでアストを見上げる。


「腕……組んで歩いても……いい?」


 今のアタシにはこれが精一杯だ。でも、ほんの少しでもこの気持ちが伝わればいい。今日くらいはいいでしょ?

 案の定、面食らった様子のアストは、一世代前の機械人形のように首を縦に振る。アタシは吹き出しそうになるのを堪え、アストの腕にしがみついた。十数メートル先には目的地である『イプシロン』が見えていたが、そこまではこのままでいよう。




「あ、来た来た」

「何だい、もっとゆっくり来ればよかったのに」

「レイアちゃ~ん、アストく~ん、こっちだよ!」

「あ、レイアお姉ちゃんだぁ!」


 え? え? 何よコレ? シンとクリスはいいとして、何で編集長とその娘さんまでいるの?


「レイアさん……ハッピーバースデー!」


 アストの一声を皮切りに鳴り響くクラッカーのシャワーを浴びるアタシは、店の入り口にただ呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。


「な、何……?」

「今日ってレイアさんの誕生日なんでしょう? クリスマス・パーティーと忘年会も兼ねてレイアさんのお祝いもしようって事になったんですよ」

「アタシそんなの聞いてないわよ!?」

「そりゃそうよ。だって言ってないんだから。それに、言ったらサプライズにならないじゃないの」


 それはそうだが……


「ま、アストっちがグダグダながらもどうにかここまでやってくれたから、結果オーライってワケよ」


 してやられた。という事はオフィスで起こったアレやコレやソレも全部お芝居だったって事? それなら到底許せるものではない。


「アスト……さっきのアレも演技だったの? アタシを騙してたの……?」


 わざとらしく声のトーンを落とす。これくらいの仕返しはさせてもらおう。


「確かに最初はクリスさんの筋書き通りにやってましたけど……やっぱり僕にはレイアさんを出し抜くなんて出来ません。色々あったのは本当に偶然なんですけど、嫌な思いをさせてしまってすみませんでした」


 少しだけ慌てる素振りを見せたが、アタシの目を真っ直ぐに見据えた後、深々と頭を下げたアストの言葉を疑う事など出来ない。アタシのパートナーはアタシを裏切らない。当然、アタシもアストを裏切らない。

 この先何があっても絶対に。


「ん~? 何かあったワケ?」


 ワザとらしくにやけるクリスに対し、アタシはアストに目配せをして────


「アンタには教えないっ。さ、パーティー始めましょ」




 ささやかな幸せ。でも、それが一番のプレゼントかも知れない。

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