【1.最悪な日常 (I) 】
第1話〜第4話まで、一気にUPしました。
よろしくお願いします。
「くだらない……。」
絢子は口の両端を少し持ち上げて、優等生の仮面を被ったまま喉の奥で小さく呟くと、本日3度目の溜息を飲み込んだ。
教室内の自分の席に座ったまま、壁時計に目をやると、13時30分。
後10分程で、昼休みが終わりを告げる。
机を挟んで前の席には、クラスメイトの美鈴が座っている。
彼女は、同じように周りに集まって来て椅子や机に直接腰掛けているクラスメイト達に、最近出来た彼氏が浮気しただのしないだのと、大袈裟な程の身振り手振りを加えながら喋っていた。
周りのクラスメイト達は、まるで自分の事のように
「解る〜」
などと、無責任に頷いたりしながら、憶測の域すら出ていない彼氏の浮気話に聞き入っている。
話している当の本人は、周りからの賛同を得られた為か、
『かも知れない』
と云う可能性を表した表現から、次第に
『そうだと思う』
と勝手に疑惑を深め、最後には
『そうに決まっている』
と云う、確定的な言葉を興奮気味に口にしていた。
「浮気するなんて酷い」
「男ってサイテー」
なんて口々に鳴るクラスメイト達は、少し興奮気味だ。
彼女達の勢いに文字通り煽られる形で、美鈴の彼氏は実際はしては居ないかも知れない浮気を確定事項とされつつあった。
「絶対、許せない!」
息巻いた美鈴は、胸の辺りで両手の拳をぎゅっと握りしめて、勢い良く立ち上がった。
美鈴は普段は大人しいが、思い込みが激しい。特に、今日の様に感情が高ぶっている時などは、更に固定観念に取り付かれやすい傾向がある。
絢子は、無実の罪を着せられた美鈴の彼氏に対して、僅かに同情を感じた。
女子高生と云う人種は、一人一人はごく一般的な少女だが、集団になると一気に凶悪性を増す。
特に、絢子の通っている女子校と云う一種特殊な環境下にあっては、彼女らの無邪気な凶悪性は、増殖の一途を辿っていると言っても過言ではないだろう。
「美鈴ちゃん。」
次の授業の教科書を机の上に整えながら、絢子はゆっくりと、しかしはっきりと口を開いた。
「取り敢えず、本人に確認するのが先じゃない?」
「まだ浮気したと決まった訳じゃないんだし……。」と美鈴の方を見ずに続ける。
温度が感じられない程の冷静な言葉に、自分の妄想に酔っていた美鈴は、立ち上がった体制のまま困惑する。
「でも……」
「『でも』、好きなんでしょ?」
美鈴は一瞬固まって、やがて小さく頷いた。
「じゃあ、きちんと確認した方が好いよ。思い込みで突っ走って後悔するのは嫌でしょう?」
「ん……、そう……だね。」
美鈴は一瞬泣きそうな表情になって、
「ありがとう絢ちゃん……。」
と泣き笑いのような顔で呟いた。
二人の会話を見守っていたクラスメイト達の間から、
「流石、絢ちゃんは冷静だよね。」
――と賞賛や憧れにも似た視線が集まる。
クラスメイト達の視線に気付かない振りで黒板の上にある壁時計を見やった時、午後の授業開始を知らせる予鈴が教室内に響いた。
昨今の奔放すぎる程に自由な学生達が形成する、学校と云う小社会。
それは時に、群れる事を得意としない者達の存在自体を否定し、排除しようとする。
『出る杭は打たれる』は日本ならではの悪習に満ちた諺だが、この小社会の中においても例外ではない。
悪目立ちせずに彼女達の中に溶け込み上手くやって行くには、程よく彼女らの話を聞き、程よく聞かない事だ、と絢子は思う。
くだらないと思いながらも、興味もないクラスメイト達の会話に参加して、時折口を挟むのは、彼女らに無関心である事を悟られて、面倒な事になるのを避ける為だった。
優等生の親切な顔で、心にもない優しい言葉をかけるのも――。
幸いにも絢子自身が成績優秀で、生徒会などの活動に関わっている事などから、周囲の生徒達に『冷静で優しく頼りになる優等生』として少なからず慕われていた。
都内随一のお嬢様学校にあって、絢子の家がその中でも一際裕福な部類であると云う事も少なからず関係していたのだが、自分の家を嫌悪している絢子にとっては、皮肉な効果としてしか認識されていない。
同じ年頃の少女達と比べると幾分冷めた温度の絢子には、クラスメイト達の話の内容を理解や共感できた事など、只の一度もないのだけれど――。
「くだらない……。」
絢子は、机の上に置いた教科書を見つめたまま、口の中で一人ごちて、今日4度目の溜息を噛み殺した。