叶わない願い
目を開き、不思議そうに軽く周囲を見渡して、そして私を見つめて『トラル』はこう言った。
「早速で悪いんだけど僕に服をくれないかな?」
「……それは今必要か? ここには誰も居ないのに」
「いやいや、そういう問題じゃないでしょう。文明度が足りないよ、文明度が」
「……分かった。ではそうしよう」
生成した杖を『トラル』に押し付け、私が身につけている服と同じものを生成する。何故か一瞬、不満げな表情を私に向けるが、すぐさま笑顔に作り変える。その様はとてもとても私に似ていた。自身の意志で感情を伴わず、表情を組み替えただけのその笑顔は、とてもとても私に似ていた。
「うんうん、やっぱり服は大事だねぇ。あるとなしじゃ、ぜんぜん違う。そう思わない、『お父様』?」
「そういうものか……? いや、それよりも父だと?」
「え、だってそうでしょ。僕を作ったのは貴方なんだから。後ろにある『それ』は材料にすぎないけれど」
「……それではない。『彼女』だ」
「ふ~ん、どっちでもいいんだけど。まぁ、僕の糧になってくれたのだし、感謝位はしておこうかな」
ケラケラとつまらなそうに笑いながら、無駄に恭しく『彼女』に十字を切った。そこには敬意は欠片もなく、悪意と嘲笑がにじみ出て、だからこそ完成度としては素晴らしい。これならばきっと、私の代わりが務まるだろう。人間として、悪魔のような人間として、私の代わりが行えるだろう。
「さてと、それじゃちょうだいよ、『お父様』」
「何をだ?」
「力を、とか言ってもいいけれど、それよりまずは、それから見出した素晴らしきものを僕にも見せてよ。後ろにあるのは後からじっくり見るけどさ。それだけは後生大事に抱えているでしょう?」
「ああ、そうだな、そうだった。受け取れ」
私は与えた。最後に見た光景を。最初に見た光景から。『彼女』と積み上げたそのすべてを。何が必要で何が重要なのか、理解できないからこそ、最初から最後まで私から見たそのすべてを。最後の最後の刹那まで。受け取り終えると咀嚼するように、ひとしきり考え込むようにうなった後に、あっけらかんとこう言った。
「ははは、全然、わっかんないなぁ!」
「わからないのか?」
「うん、知識はあるから推測できないこともないけれど、経験が伴わないから理解できない。けれど、『お父様』よりはずっとましだと思うよ」
「でなければ、お前を作った意味がない」
「だろうねぇ……」
「『トラル』、お前の役割は理解しているか?」
「してるよ、それの残した素晴らしきものを貴方に伝えること」
「それだけではない。他にもあるだろう」
「ああ、『お父様』がやってたように、願いを叶えて不幸にしてそれを笑いながら、ちょっとばかしましな奴らの記録を集めておけばいいんでしょう?」
「私は楽しんでなどいないがな」
「知ってる知ってる。でも僕は人間で、楽しいこと以外はしたくないからさ。だからこういうふうに作ったんじゃないの?」
「……そのとおりだ。あとは」
「分かってる分かってる。ちゃんと答えを得た後は全部、貴方に返すよ、『お父様』。得たものも感じたものも、すべて貴方に返して僕は消える。それで貴方はすべてを理解する。いや、消えるは正確ではないね。文字通りの意味で貴方に帰るんだ」
「ふむ、そこまで理解できているなら問題ないだろう。機能するならそれでいい」
「良かった良かった。なら力を僕に預けて眠ったら? 後は僕に任せてさ」
「言われなくともそうするが。しかし、まだやり残したことがある」
「……?」
不思議そうな顔をする『トラル』から視線を外し、抜け殻となった白紙の本を手に取った。そしてそれを変質させた。本は消え、あとに残るは白い白い泣きも喚きも目覚めもせずに、呼吸すらも行っていない白い白い赤子の姿をした『何か』を生み出した。トラルはその光景を見て、表情の抜け落ちた無機質な顔で私を見つめ囁くように問いかけた。
「それは……何?」
「何、と言われると少々困るな。明確な定義付けは難しい。少なくとも生き物ではないだろう」
「うん、質問が悪かったかな。何でそんなものを作ったの」
「決まっている。お前のためだ」
「僕のため?」
「ああ、そうだ。いいか、人は一人では生きられないのだ。お前はどのような経緯で製造され、どのような人格が与えられようが、お前は人間にすぎないのだ。一人で生きられるようにできていない」
「だから、これ?」
「ああ、そうだ。これは成長するだろう、お前の望むように。成長させなくとも構わないが、そこは好きにしろ。人間のように振る舞い、人間のように動くだろう。今は呼吸すらしていないが、お前の手に移れば、反応としては人間の赤子に近似した動作を見せるはずだ。そのように作った」
「これでどうしろと?」
「人は一人では生きられない。けれどお前を二人作る気は無いのだ。だからそれで気を紛らわせろ。構造としては人間と変わらん。一定の成長をすれば反応も人間に近くはなるだろう。答えを得るまでせいぜいこれで遊ぶといい」
そう言って私はそれをトラルに弧を描くように放り投げて、何故か慌てたように『トラル』は抱きかかえた。『トラル』の手に触れたと同時に呼吸を開始し、体温は上昇を始めたのを確認し、私は石棺の奥に歩を進める。
「ねぇ、『お父様』」
「なんだ、『トラル』」
「この子の名前は?」
「この子?」
「ああ、訂正。これの名前は?」
「そんなものはない。つけたければつけるがいい。好きにしろ」
「了解。そうするよ」
一歩進むごとに人間に偽装した私が剥がれ落ちていく。眠りに落ちるのに、それら全ては必要が無いゆえに。力の譲渡は進んでいく。私は元の無機質に戻っていく過程で。ちょうど『彼女』を見下ろせるであろう場所にたどり着いたときには、私の足は消え去った。私の顔は消え去った。私の体は消え去った。姿を見せるのは、血と肉片の染み込んだ、ただただそこにあるだけの強大な一枚岩の本性だ。意識も深い深い闇の底に落ちていく。私が機能し始めて、初めての闇が襲ってくる。落ちていって落ちていって、意識が眠りに落ちるその瞬間、私は肌身離さず持っていたかんざしの砕けて割れる音を聞いた。




